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 王都は、王城のある中央地区(セントラルエリア)と東西南北それぞれの合わせて五つの地区に分かれている。地区ごとに産業や公共設備はある程度独立して成り立っているので、例えば西側にタウンハウスがあり、王都にいる間はずっとそこに滞在するテレジアは、滅多な用事がない限り他の地区に赴く必要がない。これは貴族に限らず、平民も同じだ。

 なので地区によって街の雰囲気は様変わりする。西側は王都の中でも比較的落ち着いた静かな地区だが、エリオットに連れられて訪れた東地区(イーストエリア)は驚くほどの活気に満ちいていた。


西地区(ウエストエリア)とは結構違うだろう?」

「まったく別です……。こんなに変わるんですね」


 休日という点を抜いても、東地区(イーストエリア)は人が多かった。それに、見慣れない装束や顔立ちの人間も目に留まる。


 初めての光景にテレジアは呆気に取られた。同じように周囲を見回したエリオットは、この喧騒に慣れているようで、通行人とぶつからないようにテレジアを誘導してくれる。オステルヴェルクのタウンハウスが東地区(イーストエリア)にあるから、なじみ深いのだろうか。


「こちらにはよく来られるんですか」

「そうだね。来るようにしてるよ」

「来るようにしてる…?」

「ああ、言ったことなかったかな。俺、こことかオステルヴェルクの領地とかよく一人で散策してるんだ」


 それは初耳だった。わざわざどうしてそんなことを。


 テレジアの脳内に浮かんだ疑問を察したのか、エリオットは更に続ける。


「貴族の暮らしは自分たちだけで成り立つものじゃない。領地は、税を納め土地を開墾し生活をする民がいて初めて回るんだと俺は思うし、運営する貴族が何よりも理解していないといけないことだから」


 ふっと、エリオットが表情を引き締めた。


「屋敷や学院に閉じこもっているだけじゃ、教養は増えるけどそういうことは知れないからね。自分で歩いて見るのが一番実感できるんだよ。ま、オステルヴェルクの爵位を継ぐわけじゃないから、俺に必要あるかはわからないけど」


 おどけたように肩を竦めるエリオットに、しかしテレジアはすぐに反応を返せなかった。


 頭を鈍器で殴られたような、そんな衝撃があった。テレジアは、領民のことも人々の暮らしにも関心がない。十七になったら市井に下ろうと決める前からそうだ。自分のことに精いっぱいで、彼らの生活はテレジアには遠いものだった。

 父の行う領地経営のいろはの一端を知れるように勉強はしても、その先にいる人を見据えたりなんて一度もしなかった。どんなに貴族たらんと努力を重ねたところで、本当に大事な視点には気づきさえしていない。そんな自分が、猛烈に恥ずかしくなってくる。


 ――こんなに形式ばかりにこだわる女が、この人の隣に立てるわけがない。婚約を破棄されて当たり前だ。


 どんなに取り繕ったって、根本的なものが違うのだ。

 襲いくる羞恥に、さりげなくエリオットから顔を逸らした。


「………で、も、卒業したら士官されるのでは? 殿下は貴方を頼りにしています」

「それも考えなくはないけど、どうだろう。父の従兄弟の家を継ぐ人がいないから、そこに俺が行くって話もあるし…。あ、でもそれなら君の家に婿に入るのも変わらないかな」

「父は……、私と貴方の子供に爵位を継がせるつもりみたいですが」

「じゃあ駄目だ。やっぱり父の従兄弟の家の位をもらって、そこをどう俺が回すかによるね」


 当たり前のように自分との未来を語るエリオットに、胸が痛んだ。後々、心から望むノエルとの未来の障害にしかならないのに。

 夢の中ではテレジアの行いのせいで、率先して捨てたい憎いものになっていたのだろう。せめて現実では心優しいエリオットが心を痛めないよう、気持ちよく手放して貰わなくては。別れの時は、悲しみや怒りよりも笑顔がほしい。


「貴方が治める領の民であったのなら、よかったのかもしれませんね」


 ぽつりと呟いた言葉は、喧騒にまぎれて消えていく。


「ん? ごめんリザ、聴こえなかった」

「いえ、なんでもありません。大変そうと思っただけです。それより、通いなれているのであれば私の気に入るものの一つや二つ、すぐに見つけていただけそうで安心しました」

「あ、そうくる?」

「ツンとしているお姫様をご所望だと言ったのは、エリオットですよ」


 さあどこに連れて行ってくれるのだ、とわざと居丈高にせっつくと、エリオットは苦笑しながらウィンドウに華やかな服を着せた店に向かった。最初は服屋のようだ。


 連れられながら、テレジアはそろそろ自分も身の振り方を考えなければならないな、と息を吐いた。夢の先へ――生き残って市井へ下った時、ただのテレジアとして生きる準備をしなければ。

 もしかしたらこれは丁度いい機会なのかもしれない。一人で見に来ても怪しまれるけれど、こうしてエリオットと一緒で、かつ当てもなく不明瞭なものを探すという目的でならば、色々見て回るのはむしろ自然な行動だ。




 食事を挟みつつ何軒か回ったが、どれもテレジアの琴線に触れることはなかった。

 造形の美醜や色合いの綺麗さは理解できても、それがテレジア個人の嗜好に結びついてはくれない。のんびり探そう、なんてあてが外れても気にしていなさそうなエリオットだが、いつかはその顔も落胆の色が出るだろう。その顔を見たくないと思う。


 その店もいいものを見つけられなくて、逆にテレジアの方が落ち込みそうになりながら扉をくぐり通りに出る。すると、一際混雑している一角が目について、テレジアは先に出ていたエリオットに問うた。


「あそこはなんですか?」

「あれは……、ミシェル・マクレガーのお店だね」


 どこかで聞いたことのある名前だ。

 さて、なんだったか。


 テレジアは逡巡し始めるが、そんなテレジアにエリオットがわずかに顔を顰めたので、驚いてしまう。


「どうしました?」

「……あの店、好き?」

「え。いや、ごめんなさい、人だかりがすごいので気になっただけなんです。何のお店なんですか?」

「知らないの? この間食べてただろう」

「この間? ……あっ」


 思い出した。ベルンハルトが無理やり押し付けてきたクッキーのブランドだ。ノエルが好きで、人気すぎてすぐに売り切れてしまうという。


 理解した上で改めて混雑を見ると、なるほど若い女性が店の入り口に向かって並んでいた。中には貴族の侍従らしき男の人もいる。主に請われて買いにきているのだ。女性ばかりの中で並ぶのは結構きつそうに見えて、わずかに同情した。

 意識するとふんわりと甘い焼き菓子の匂いもここまで感じられる。匂いにつられて店を気にする人もちらほらといて、人通りの多い東地区(イーストエリア)に店を構えているのは正解のようだ。


「本当にかなりの人気なんですね」

「一年前にオープンしたんだけど、あっという間に売り切れるようになったみたいだね。中々手に入らないから、お茶会であそこのお菓子を出すと羨ましがられるそうだよ」

「それは……。ベルンハルトはよくそんなものを…」


 やはり気軽に気になっているものを試すのに、使える店ではないみたいだ。個人的に伝手があるにしろ、あの後輩はもう少し考えたほうがいい。


「ほしいなら並ぶ? それとも、うちのものを並ばせてもいいけど」

「結構です。そこまでして食べたいものではありませんので」


 第一、あそこにエリオットを伴って並んだりしたら確実に注目の的になる。王都についてすぐに感じ――今もちらちらと伺われている彼への視線は、気持ちの良いものではなかった。


 折角の提案を断ってしまって申し訳ないと頭を下げると、何故だかエリオットは頬を和らげた。言ったものの、エリオットも若い女性に混じるのは避けたいのかったのかもしれない。この婚約者は学院でも女子学生から頻繁に秋波を送れているから、そういう視線はてっきり慣れっこだと思っていたのだが。

 嫌なら嫌でよい、とあまり深く考えずに流したテレジアは、ミシェル・マクレガーの横の路地から垣間見える知らない服を飾る店に目をとめた。


「何かあった?」

「見ない服があるな、と」

「ああ、あそこか。行ってみようか」


 軽い様子でテレジアを促したエリオットに、テレジアもこくりと頷いた。




 そこは、エリオット曰く主に遠い東の国からの輸入品を扱う雑貨屋、らしい。店頭に飾られていたのも、東の国の民族衣装だそうだ。


 蝶番を軋ませながらドアを開けた先の店内は、表通りの混雑具合とは打って変わって静かだった。店番らしき壮年男性が一人、奥で何か作業しているだけだ。

 商品は、テレジアが見たことのないもので溢れていた。不思議な柄の小さな袋や、皿らしき平たい陶器は黒くゴツゴツと石のようで。


 あれはなんだ、これはどうだろう。なんてエリオットと予想しつつ見てまわり、その中でも深紅のビロード地の布の上に置かれた棒のようなものに、テレジアは首を傾げて手を伸ばした。

 ナイフよりも短いくらいの長さの棒だ。片方の先端は尖り、もう片方にはガラス玉がついている。ガラス玉の中にはそれぞれ違うモチーフのもの――例えば小鳥であったり、ただの模様であったりが閉じ込められて、先からしゃらりと飾りが音をたてて揺れる。


 特に目をひかれてテレジアが手に取ったのは、ガラス玉の中に赤い花が閉じ込められた棒だった。棒自体も赤く、飾りは金。店内の明かりにガラス玉を透かしてみると、光を浴びて花が色づくようで綺麗だと、素直に感じる。


「それ、なんだろうね」

「――”カンザシ”って言うんですよ」


 何時の間に作業を終えたのか、エリオットの疑問に答えながら男性が近づいてきていた。カンザシ、と耳慣れない単語を繰り返すと、目尻の皺を深くして男性が頷く。


「遠い遠い東の国で、女性が髪の毛をまとめるのに使う装飾品です」

「こんな棒で、髪の毛がまとまるんですか?」


 まさかすぎる用途に、テレジアはエリオットと顔を見合わせた。


 この国では、紐やリボンを使って結うのが一般的だ。それでも長くなるとまとめるのが大変になるのに、こんな棒一つでどうやって結った髪の毛を固定するのだろう。


「二股にわかれているやつもあるんですけどね、なにやら刺してねじるみたいですね。私も、まとめてるとこを見たことはあっても、実際のまとめかたを教わってないので詳しくは知らないのですが」

「刺してねじるだけで落ちないのですね」

「コツがあるとは言ってましたねぇ。そうそう、その国では貴方みたいな綺麗な黒髪が多くて、それを使って結うととても映えていましたよ」


 言われてみれば、カンザシとやらに使われている色合いは全て、明るい髪よりも暗い髪の方が映えそうだ。


「確かに、リザに似合うんじゃないかな。特にこれ、すごく綺麗だよ」


 テレジアからカンザシを取り上げ髪に合わせて微笑むエリオットに、テレジアは落ち着かなくなる。異国の綺麗な髪飾りに合う髪色と言われて、なんだかこそばゆい。


「これ、気に入った? 真っ先に手に取ってたね」

「気に入ったというか……」


 目をひかれた理由を、瞳を伏せてためらいがちにテレジアは続けた。


「貴方の、色だと」

「……俺?」

「はい。綺麗な赤と金は、エリオットの持つ色なので」


 そこまで言って、しまったとテレジアは口を噤んだ。


 気が緩みすぎだ。自分のと同じ色を持っているから、それがなんなんだと思われてしまうだろう。

 赤と金単体であればテレジアだってどうとも思わないが、隣にエリオットがいる。この状況で、婚約者を連想するなと言う方が無理だ。


「あと、そう、この花が珍しくて」


 もう一つの気になった要因を口早に告げて、直前の自分の発言から気を逸らそうとする。


 一般的に装飾のモチーフとして使われるのが多いのは、薔薇や百合などの華美で普及している花々だが、これはおそらく違う。学院の図書館の図鑑で見たことがあるくらいで、普段目にする機会は少ない種だ。椿をもっと平べったくしたような形が近い。


「そうだね……、すみませんこれ包んでもらえます?」

「買われるんですか」


 突然のエリオットの行動に、テレジアは首をひねってしまった。エリオットの赤髪はどう頑張っても結べる長さではないし、部屋に装飾品として飾るイメージも浮かばない。

 どうしてと不思議がるテレジアに、エリオットは曖昧に笑んだ。


「俺も気に入ったから」




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