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 どんよりと曇るテレジアの内心とは打って変わって、その日は晴天だった。


 早朝、温室で植物の手入れをしていても、いつもなら心に安らぎを与えてくれるはずのルーティンワークは、なんの慰めにもならない。のろのろとしか動かない重い指を、これまでに感じたことのない億劫な義務感で動かしていく。

 鉢のふちに手をかけて一つため息をこぼすと、きぃと温室の扉が開いた。


「ふぁ……、おはよテレジア」


 あくびをかみ殺すこともせず、ジャケットを手にかけベストのボタンも全て開けほとんどシャツ一枚の下着姿で現れたベルンハルトに、テレジアは別のため息をつく。

 おおよそ付き合ってもいない異性の前に現れていい格好ではない。


「だらしないですよ、ベルンハルト」

「んー? 眠いんだよ」

「では、今すぐ戻って始業まで睡眠をとり、はっきりした頭で身だしなみを整えることをお勧めします」

「それだとテレジアと話できないじゃん」


 寝癖のついた茶髪を手櫛で整え、定位置となっているベンチにどさりとベルンハルトが腰かける。また一つ大きなあくびをしてとろんとした目で見上げてくるので、手入れ用の水でもかけたら目が覚めるんじゃないか、と考えたが、実行はしなかった。


 初めて会ったあの日から、何故かこの後輩とはこの温室に来るたびに顔をあわせている。大抵テレジアが温室を訪れるのは早朝か、放課後の一瞬なのだが、先にいたり後から入ってきたり。どこかで行動を見られているのかもしれないのでは、なんて疑問に思うほどである。

 けれど、毎回現れはするものの、ベルンハルトは特別テレジアにまとわりついて作業の邪魔をすることは少なかった。一方的に話しかけれることもあるが、今座っているベンチで寝るだけであったり本を読んでいたり、テレジアに構うことなく好きに過ごしている。なのでテレジアもそのうち気にすることなく、作業するようになった。


「本当、飽きないよな。そんなに好きなの? それいじるの」

「少なくとも貴方とお喋りをするよりかは好ましいですよ」

「へぇ。じゃあめちゃくちゃ好きなんだな」


 嫌味が通じないのも、もう慣れた。テレジアがどんなにきつく言っても、ベルンハルトは飄々とした態度を崩さないし、面白いと笑う事さえある。それは存外に、接する上で気安さというものをテレジアにもたらす時も、なくはない。

 勝手をするのに憎めない人間というのは、一定数いるものだ。例えばユリウスなんかもそれに当てはまる。王子という肩書きを除いてもユリウスが慕われるのは、きっとそういうところに皆が魅力を感じているから。

 

 ベルンハルトが温室に来たということは、そろそろ起き出す生徒も出てきた頃を意味する。さっさと作業を終わらせるため、テレジアは止めていた手を再び動かした。大きくなりかけた蕾を一つとり、棚板に置く。きれいな花をバランスよく咲かせるために必要な剪定だ。

 しかしベルンハルトは、意外そうに声をあげた。


「せっかく咲きそうな蕾なのに、取っちゃうの?」

「ある程度間引かないと、綺麗に咲きませんから」

「えー、もったいなくない?」

「そういうものです」


 鑑賞用として好ましいと思って育てているのではないから、テレジアにはもったいないという感覚がわからなかった。


 そもそもテレジアが好む基準は実用的かどうかが優先で、今育てている草花だって四六時中面倒が見れないのを考慮した、ある程度放っていても成長に支障がなく短期間で植え替え可能な種である。

 それをあえて口にはしないが、テレジアのそっけなさにベルンハルトもなんとなく察したらしい。


「花が好きだっていう貴族のお嬢様は多いけど、テレジアは花が好きで育ててる感じじゃないよな」

「私は、花がというより、育てること自体が好きなので」

「じゃあ育った花は? どうしてんの?」

「咲き終われば次のものに植え替えますよ」

「それだけ? なんかしたりしないの? ほら、色々あるじゃん」

「私はそれだけです。まぁ、世間一般の女性は貴方の言う色々の方がお好きでしょうね。飾ったり、乾燥させて押し花にしたり、香料として使用やオイル抽出なんかも聞きます。薔薇の花びらなんかはお菓子にも使われるみたいですけど」

「花びらって味しなさそう」

「どちらかというと、それも味より匂いを楽しむものでしょう」


 テレジアは嗜好品をあまり口にしないが、花びらをシロップ漬けにして作ったジャムやお菓子が人気なのは知識としてある。いまいち味が想像できていなさそうな顔のベルンハルトを横目に、次の鉢植えに手を伸ばした。




 手伝いは違う令嬢に頼んだと言われるのを、期待している自分がいた。


 けれどエリオットは、当日までそういう話をテレジアにはしなかった。執行部の準備が忙しかったのか、テレジアがなるべく会わないように避けていたからか、そもそも顔を合わせていない。集合時間と場所は、違う執行部の人間から告げられた。



 緊張と高揚で赤くなったり青くなったりしながら整列している新入生たちを眺めて、テレジアは可哀相に、とそっと目を細めた。


 大きめのレッスンホールに集められた講習会参加の一年生たちは、動きやすい練習着に身を包んでいる。対する執行部側は普段の制服だ。礼服を着て指導する代もあったそうだけれど、動きを覚えていないうちに動きにくい礼服で練習しても意味がない、という結論にいたったいつかの生徒が廃止して以来、今回まで着るものは動きやすさ重視だ。

 総じて気を張り詰めさせている生徒の体を、これ以上ガチガチにさせる必要もない。


 ここにいる参加者たちは、皆平民出身で貴族社会にはまったくもって関わって生きてこなかった。対して執行部は、全員が貴族の中でも更に上位階級の人間で固められていて、同じ学年に数人いれば多い、くらいの割合でしかお目にかかれない。雲の上の存在である。

 そんな、本来なら遠目に見てかしずくような存在が、いきなり目の前に勢ぞろいだ。しかも今年の執行部は美形揃い。その上今年は第二王子までいる。緊張度合は推して図るべし、といったところだ。


 ユリウスが講習会のスケジュールと軽い叱咤激励を投げるのを聞きながら、テレジアは参加者の後ろに目を向けた。一年生に混じって見えるストロベリーブロンドに、胃が重くなるのを感じる。何度、ここからあの髪の毛を見たか。


「では、一曲手本を見せよう。それから、レッスン開始だ」


 明るいユリウスの掛け声で、手本として踊る人間たちが前に出る。テレジアも同じく足を踏み出すと、目の前に手が差し出された。


「どうぞ」


 気まずそうに微笑むエリオットを見やる。テレジアは引きずっているそぶりを見せないために、間髪入れず手を取った。


「よろしくお願いいたします」



 手本の一曲が終わると、次は数人でグループを組んでの個別レッスンに入る。テレジアはホール全体を見てまわり、気付いたことがあればその場で注意する役割を頼まれたのだが、それができないのはわかっていた。

 ホールに各々散っていく中、テレジアに近づく人影がある。できれば会話をしたくないが、拒むのはおかしいのでテレジアは近寄ってきたノエルに体を向けた。


「あの、トゥルニエ様」

「なんでしょうか」

「こ、この間のことなんですけど」


 耳にタコができるほどきいた切り出し方だ。そのまますぎて、テレジアは白けた気持ちになりながら続きを促した。ノエルが次に何を口にするかわかっている。


 ”私のせいでエリオット様と喧嘩させてしまってすみません”

 ”ゆっくりでいいとエリオット様たちが言ったから、私は少しずつでも学んでいくつもりです”


 それをあえてテレジアに宣言するのはどういう気持ちなのか、いつもテレジアには夢の中でも夢から覚めても理解できなかった。仲がこじれているテレジアと、仲良くしているノエルの比較でもしてこっそりと嗤っているのだろうか。

 しかし、ノエルの言葉は想定外に続いていく。


「私、その通りだなって思ったんです」


 聞きなれない返しに、テレジアはわずかに目を見開いてしまう。同性だが自身よりも背の高いテレジアを見上げて真剣そのものな顔つきで、ノエルは更に言葉を重ねた。


「侯爵様や家の人たちは、急がなくていいよって言ってました。他の皆さんもそうです。いきなり身分や環境が変わって不慣れなのは仕方ないから、今は甘えていいんだよって。でも、私、早くきちんと侯爵家の一員になりたいんです。だから、トゥルニエ様にああ言ってもらって、やっぱりすごく頑張らなくちゃって、頑張ろうって決めました」

「そう……、ですか」


 テレジアを見つめるノエルの空色の瞳は、決意に満ちて輝いている。その光を見てテレジアはふと、この子は本当にどこでも暖かいものに包まれて生きてきたのだな、と思った。テレジアにはない正しい前向きさは、それを教えてくれる周囲に恵まれないと手に入らないものだ。

 ひそかに狼狽えるテレジアをしり目に、ノエルは距離をつめるとテレジアの手を両手でつかむ。


「だから、ダンス。教えてくれませんか」

「……私が、ですか?」

「はい。エリオット様に、テレジア様のダンスはとても正確だと聞きました。先ほど実際に見せてもらったら、本当にお綺麗で……! 私、ああいう風に踊れるようになりたいです」


 ダメですか、と今度は自信なさ気にノエルが声のトーンを落としたことにより、ようやく夢でみたシーンと現実がもう一度同じ流れになりはじめる。こうやって、夢の中で何度ダンスレッスンを頼まれたか。やはり、細かな部分に相違があっても大筋は一緒になるらしい。

 そのことに安堵して、テレジアは顔を引き締めた。


「私の指導は厳しいらしいですが、それでもよろしいですか」

「もちろんです! 精一杯頑張ります」

「わかりました」


 ぱあ、と顔を輝かせたノエルの手をやんわりと下ろさせ、テレジアはノエルの側面に回る。右手は腰にそえ、左手でぐいと顎を押さえつけ、まずは姿勢から、と告げた。



 はぁはぁ、と膝に手をつき肩で息をするストロベリーブロンドを見下ろして、テレジアはこんなものだろうと思った。


 言葉通り、ノエルは精いっぱいやっていた。あまり呑みこみはよくなかったが、反復練習は苦ではないらしくできないところはできるまで根気よく繰り返して。

 ある程度見れるもにはなったはずだ。あとは実際に異性と踊ってみて、リードされる感覚をつかめれば及第点には至る。――その異性とのダンスを、誰とするかが問題なのだが。


「お疲れ様、ノエル嬢」


 一区切りつけたノエルに近づいてきたのは、ユリウスとエリオットだ。ユリウスの声にふらふらしながらも上半身を起こして迎えたノエルは、確かに態度に気を使いはじめたみたいだ。


「あ、ありが、とう…ございます……、ユリウス様」

「ほらゆっくり息吸って。鬼教官と一対一でよくやったよ」


 鬼教官については、あえて言及しないでおく。失礼な答えしか返ってこなさそうだった。


「本当、お疲れ様ノエル。無理してない?」


 ぴく、と肩が揺れる。二人は必死に息を整えているノエルに意識をやっていて、テレジアのそれには気付かなかった。


 ――ノエル


 もう、呼び名が変わったのか。ある程度親しくなればファーストネームで呼ぶのは男女問わず当たり前だ。そう、おかしくない。執行部で教育係として関わっているのだから、なおさら。


「だ、大丈夫です…! トゥルニエ様の教え方、とてもわかりやすかったですし」

「リザは簡潔だし的確だからね。リザも、ここまでありがとう」

「……いえ、指導すると決めたのなら、納得がいくラインまで引き上げるのが当然ですので」


 そっけなく返すと、エリオットが眉尻を下げた。


「あのさ、リザ。この間のことなんだけど……」

「そうだ。せっかくだから、テレジア嬢の鬼特訓の成果見せてくれよ」


 ユリウスが名案だとニヤリ笑って、エリオットを遮って声を上げた。


「特訓の成果ですか?」

「そろそろお開きの時間だし、その前に皆で一曲通そうと思っててな。丁度いい、エリオット、お前相手してやれ」

「は? 何言い出すんだユリウス」


 ぎょっとするエリオットに、しかしユリウスは構わず全体に練習終了を呼びかけ始める。エリオットの抗議は無視である。

 残されたエリオットとノエルは困惑して顔を見合わせ、そしてテレジアをうかがう。テレジアは嫌だろう? と聞きたげに。

 しかしテレジアが嫌だと反発したくなったとしても、場を仕切る王子の命令にテレジアが文句をつけられるわけがないのだ。

 

 耳にどくどくと嫌な鼓動の音が届くのを聴こえないフリをして、テレジアはなんてことないとすました顔で肩を竦めた。


「殿下からのご命令に、私からの異論はありません」

「リザ、いいの?」

「初めてが貴方なら、何の心配もないでしょう。練習が無駄になっていないことを見せてください」


 探るようにあった視線を、なるべく無感情で返す。

 しばらく見つめ合い、それ以上は何も読み取れないと観念したように息をついたエリオットは、ノエルに手を差し出す。

 先ほどテレジアにしたのと同じように。


「踊っていただけますか?」

「……っ、は、はいっ」


 声を弾ませてノエルはおそるおそる手を重ねる。エリオットをうっとりと見上げたのち、嬉しそうにはにかむノエルはとても愛らしい。

 それに対するエリオットの表情は――さすがに見る勇気がなくて、そっと二人から離れる。


 手伝いを受けたくなかった理由はこれだ。二人が踊って、完璧な一対のように見えるそれにみんなが見惚れて、エリオットがノエルを異性として意識するきっかけになる。

 嫌だと、叫べたらどんなに楽だろう。


 慣れた胸の痛みは考えないようにして、永遠のような数分が過ぎ去るのをじっと待った。

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