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思った以上にたくさんの方に読んでいただいているみたいで驚きました。

ランキングなどもビックリです。ありがとうございます。

 テレジアが見る夢には、いくつかの法則があった。


 一つ、見る内容は決まってエリオットとノエルが絡むこと。

 一つ、一年の全てを見れるわけではないこと。ベルンハルトのように、知らない人物も出てくる。

 一つ、見ている時に、テレジアの自由意思はないこと。

 

 突如覗けなくなった夢に、あれほど見たくないと望んでいたのに動揺した。その未来から解放されたのか、現実時間でも夢の中で見せられた出来事を追体験し始めたからなのか、それとも別の理由があるのかは不明だけれど、安堵と同時に不安もあった。

 何度も見ていて夢の内容を諳んじれるだろうし、日記にも書き起こしている。けれどもしも想定外の出来事が起こったら――例えば、テレジアの夢よりももっと悪い方向に現実が進んだら。その時、テレジアはどう対処したらよいのだろう。

 未知を独りで切り抜けるには、テレジアは夢の内容に疲弊しきっていたし縛られてもいた。




 学院の授業内容は、教養を身に着けるための座学から紳士淑女に必要なマナー、ダンスなど、幅広く存在する。全ては卒業後、社交界デビュー時にふさわしいものを身に着けるためだ。

 実地訓練と称して定期的に学院内でもパーティーやお茶会なども開かれる。テレジアは必要最低限しか出席しないが、ここで将来のパートナーを見つける人間もいるため、必死な生徒は毎回大変そうだ。


 ただ、学院に入学するまで、貴族であれば家でもある程度のレッスンを受けてくるのが普通だ。そのため、授業内容は初心者には不親切な設計をしている。毎年、平民出の生徒がそれゆえの苦労を背負っていた。

 そのために、新学年のはじめに執行部がサポートの特別講習会を主催するのが通例で、今年ももちろん執り行われる。貴族社会を知らない新入生への、将来国を担っていくであろう執行部の顔見せの意味もあった。



「手伝い、ですか」


 既知の事柄を今初めて知った風に演技するのは中々大変だな、と逸れた感想を浮かべて、テレジアは自身の婚約者をみやった。普段から硬い表情をしているのは狙っているわけではなかったが、こういう時に役にたつらしい。

 食堂で一人昼食をとっていたテレジアの元へやってきたエリオットは、テレジアの反応に特に疑問を持たずに、自身は既に食事を済ませているのか紅茶を飲みながら頷く。


「うん。今年は参加希望者が少し多いのと、転入生がいるだろう? 今の執行部は男が多いから、手本のパートナーも含めて女の子が必要なんだ」


 ”転入生”の言葉に、眉が一瞬ぴくりと動く。なんとか平静を保つよう、テレジアはひっそりと息を吸った。


 エリオットが頼んできたのは、ダンスの特別講習会の手伝いだ。貴族の社会において、ダンスは避けて通れない。平民でも、ここに通うことを許されるような生徒ならば、社交界における教養は必要不可欠となる。

 どうかな、とテレジアを伺ってくるエリオットに、テレジアは即座には返事をしなかった。

 エリオットの頼みを断れるはずもないので、了承はする。これまで幾度かしてきた手伝いの中の一つであるし、断って違う女性に頼まれても嫌だとも思う。けれど、このダンス講習会がどう運ぶのかテレジアは”知っている”。それが、わずかな迷いを生んでいた。


「私で、手本になるのでしょうか?」

「リザは姿勢もいいし、基本に忠実な動きをするからいいんだよ。俺も踊りやすいし、その方が見せる時にいい」

「私の相手は、エリオットなんですか」

「え、俺以外がどうしてリザと踊るの?」


 心底不思議そうに問い返されて、テレジアはいえ、とローストビーフとピクルスのサンドイッチをナイフで切り分けて口に運んだ。この学院では上位貴族の子息でも素手で食べるものが多いので、テレジアがそうしても別段咎められないのだが、いくら学舎内には侍従の立ち入りが基本的に制限されているとはいえ、どこから家にテレジアの行いが漏れるかわからないのだ。


 どんな時でもトゥルニエ伯爵家令嬢として胸をはれるよう、貴族の模範たる振る舞いをせよ。

 

 それが、父からの言葉だ。


「男性の方が多いとおっしゃっていたので、色んな方のお相手をするのだと」

「そうだけど、正式なデビュー前に他の男とは踊らせられないよ」

「……授業では踊りますよ」

「学年が違うからね? 一緒だったらそんな組み合わせにさせない」


 捉え方によれば「俺以外の男と踊るな」と言っているエリオットの言葉に、テレジアは早まる動悸を内心必死で鎮める。きっと、婚約者が決まっているのに必要以外に異性と接することはない、という一般的な観点からの台詞に過ぎないだろう。

 まかり間違っても、テレジア個人への特別な感情に起因していない。勘違いはしないけれど、心臓に悪い。


「リザは誰か、踊りたい相手でもいるの?」

「いるわけないでしょう」


 貴方以外には。


 心の中でそっとつけたすと、カップを置いたエリオットが体を傾けて顔を覗き込んできた。


「じゃあ、俺でいいよね」

「……はい」

「決まりだね」


 柔らかく目を細めるエリオットと視線を合わせるのが落ち着かず、テレジアは視線を下げて残りのサンドイッチを詰め込んだ。

 元々そんなに健啖というわけではないけれど、最近は現実での緊張からか食欲が減っている。サンドイッチ一つでそれ以上はいらなくなってしまった。

 残すのは憚られるが、どうしたものか。


「もういらないの?」

「え、いえ……」

「最近きちんと食べてる? 始業日も思ったけど、痩せたんじゃないの」


 手を取られ、細さを確かめるように指を這わされて、テレジアはどきりと胸を鳴らした。


「前と変わりませんよ」

「いや、痩せた。リザはただでさえ細いんだから、きちんと食べないと」


 体重の増減を把握できるほど、自分に興味はないでしょう。と、言いそうになったのを寸ででこらえたところで、頭上から声がかかった。


「おいおい、婚約者同士で睦み合うならどっか二人きりになれる場所でやってくれ」


 弾かれたようにテレジアはエリオットの手を跳ねのけ、胸に寄せる。そんな反応に瞠目したエリオットは、乱入者をうろんげに見上げた。


「何の用だ、ユリウス」

「風紀を乱す輩がいるなら、執行部会長として取り締まる必要があるだろ?」


 おどけた調子でエリオットの隣に立ったのは、ユリウス・リドホルムだった。エリオットと同じ最高学年で、執行部会長を務めているこの国の第二王子だ。豪奢な銀髪にアイスブルーの目は、王族にふさわしい気品を備えている。ビスクドールのように完璧に配置されたパーツは一見冷たさを与えるが、コロコロと変わる豊かな表情が親しみやすい気安さを生み、王族の中でも人気が高い。


 王宮でエリオットの父・オステルヴェルク公が教育係を務めていた関係で、エリオットとは幼馴染兼親友で、かなり砕けた付き合いをしているようだ。テレジア自身とはあまり関わりがない。エリオットを通して何度か話したことがある、くらいだ。


「いかがわしいことをしていた風に言うな…。その隣にいるヴィッテンブルグ嬢に誤解されたらどうするんだ」

「……っ」


 テレジアは体を緊張させて、おそるおそるユリウスの隣に視線をやった。そこにいたのは、所在なさげに佇むノエル。

 この光景は見覚えがある。エリオットが慣れない行動に出るから、警戒するのを忘れていた。


 流れは、四人で話すことになり、エリオットがやたらノエルを気遣うのだ。それに対して恐縮しつつもはにかんで会話をするノエルに気分を悪くしたテレジアが、入寮日の会話を引き合いに出してノエルを叱責し、そこまで言う必要がないだろう、とエリオットに窘められる。


 入寮日にノエルとは会話していないが、今日の構図は一緒だ。


「怒るなよ。教育係担当が見つからないから、代わりにオレが案内してるんだぞ。あ、ごきげんようテレジア嬢。今日も麗しいけど、笑った方がもっと美人なると思うよ」

「……ごきげんよう殿下。もったいないお言葉をいただきまして恐縮です。なるべく善処いたします」

「相変わらずかってぇ…」

「うるさいぞユリウス。昼は集まりがないから必要がないって話だっただろう。……ごめんヴィッテンブルグ嬢。何か急用ができた?」


 エリオットに話を向けられたノエルは、わずかに頬を上気させて首をふった。


「い、いえ。そうじゃないんです。食堂に向かう途中でユリウス様とお会いして、ここまでご一緒させていただいたらエリオット様がいらっしゃったので…」


 偶然だと、申し訳なさそうにしつつもはにかむノエルは、かなり可愛らしかった。テレジアではまずもってしない表情だ。もっとも、テレジアが同じようにはにかんだところで、可愛さが生まれる気はしなかったが。

 食べ終わっていたら不自然さもなく離席ができたのに。残っている最後の一切れも、それをすぐに食べれない己の胃も憎く思う。


「今日は、執行部にきますか?」

「ダンス講習会の準備しないといけないからね」

「週末の…。あの、私本当にお手伝いしなくてもいいんですか?」

「今回は大丈夫だよ。どんな風に動いてるのか見てくれるだけでいいし、むしろヴィッテンブルグ嬢は参加側に専念してほしいんだ」

「ダンスは初めてなので、精いっぱい頑張ります」

「皆、君と同じように初心者だから、リラックスして受けるといいよ」


 両手を拳にして意気込むノエルを、エリオットが微笑ましそうに見つめた。可愛いな、とエリオットも感じているのだろう。

 二人を見ていると、いつの間に回ったのか、四人掛けのテーブルのテレジアの左隣の椅子をユリウスがひいて座り始めた。このままここで食事を摂るつもりか。


 これは早々に離席しなけければ。


 気は進まなかったが、テレジアは残りのサンドイッチを急ぎ紅茶で押し流して食べることに決めた。


「テレジア嬢さ、講習会の話訊いた?」

「執行部のお手伝いの話なら、先ほどエリオットにうかがいました」

「手伝ってくれんの?」

「人手が足りないのでしょう? 手本として踊るだけなら」

「せっかくだし指導もしてよ。テレジア嬢と踊った新入生、背筋の伸ばし方すぐマスターできそうだし」


 姿勢いいよな、と確かめるように肩に触れてきたユリウスに、そうですか、とそっけなく返事をして三分の一を減らしたサンドイッチに視線を落とす。第二王子が話しかけてきているのに、口に物を詰め込むなどできなかった。

 そうこうしているうちに、ノエルも残りの一席に座ってしまう。ぎくりと目を向けると、エリオットとばっちり目が合って驚いた。触られているのが途端に嫌になり、やんわりとユリウスの手を外させる。

 ――テレジアが誰に触られていようが、そのうちエリオットはどうでもよくなるだろうけど。


「テレジア嬢はホントつれないな……。あ、そうそう、うちの可愛い新入り君とはもう挨拶した? 入寮日は寮で歓迎会だったんだろ?」

「いえ、私はすぐに会から抜けたので、お話はしておりません」


 ノエルの「誰?」という視線を察知したユリウスが、話を変えた。挨拶はしていないけれどとてもよく知っている相手とは言えず、面識がないと返すとエリオットが眉を寄せる。


「やっぱり具合悪かったんじゃないか」

「違います。読みかけの本があったので、続きが読みたくて自室に引き上げただけですよ」

「本当…?」

「本当です」


 やけに気にされる。そんなにあの日酷い顔色だったのだろうか。

 なんでもないと首を振ってみせるが、エリオットの目は疑わしそうなままだった。このままだと更に追及されると思い、脱線した話を戻す。


「そんなことより。……ご挨拶が遅れて申し訳ございません。私はテレジア・トゥルニエと申します。学年も違うので関わることはほとんどないと思いますが、よろしくお願いいたします」

「あ、え…っ、わ、私はノエルです。よろしくお願いします…!」


 テレジアからの挨拶に、ノエルは慌てて頭を下げて返してきた。それに対し一瞬どう動くべきか思案し、テレジアはノエルの肩に手を起き顔を上げさせる。


 ――せっかくあの日は避けたのに、結局同じことを伝えることになるなんて。


 一つの場面で丸々同じに動かなくとも、全体を通して整合性をとるような仕組みなのかもしれない。内心の諦めに肩を落とす。


「ミス・ヴィッテンブルグ。まずひとつ、ここでの貴方はただの十五歳の少女ではなく、ヴィッテンブルグ侯爵家の令嬢として扱われます。ひとつ、貴族にとって階級は相手との応対を決める重要なものです。貴方は侯爵令嬢で、私たちの上位にいます。粗相をした時に咎められるのは貴方ではなく下のものです。必ず、家名を告げて、どのような対応を取るべきなのか示してください」


 はっ、とした顔でテレジアを見つめるノエルの表情は、怯えなのか驚きなのか、テレジアにはよくつかめなかった。ただ、少し震えだした彼女の体を押さえるために、手に力を入れる。


「ひとつ、私は伯爵令嬢で貴方の下です。貴方が私に頭を下げる必要はありません。今後は控えてください」

「は、はい……」

「……元平民ということは、揶揄の元になれど免罪符としては機能しません。少なくとも、侯爵家へ戻られてからこの学院にくるまで、少しは時間がおありになったはずです。貴方のことをよく思っていない貴族も多いでしょう。ふさわしい礼儀作法を示さないと、足元をすくわれますよ」


 いいですか、と返事を求めると小さく首肯された。それを待って、テレジアはノエルから手を外す。


「厳しいねぇ。さすがトゥルニエ伯爵の娘」

「事実を述べたまでです。……申し訳ありませんが、失礼いたします」


 茶化す口調のユリウスに瞼を伏せ、立ち上がる。このままテレジアがいても、空気が悪くなるだけだろう。

 配膳は一定数控えている給仕がやるので、学生はする必要がない。食べ残しを置いていくのは心残りだったが、すぐに片づけてくれるはずだ。

 入り口に向かって足を踏み出すと、何故だかエリオットまで立ち上がった。


「送るよ、リザ」


 驚いて足を止める。エリオットは残るものだと――テレジアにきつくたしなめられて落ち込むノエルを慰めるために、彼女のそばにいるのだとばかり思っていたので、事態がうまく飲み込めない。

 しかしノエルはいいのか、というのも憚られて一緒に歩くしかなかった。


 食堂を抜けしばらく二人で歩いた後、おもむろにエリオットが口を開く。


「少し、きつかったんじゃないか?」

「……はい?」

「彼女に」


 きた。テレジアはそっと下唇を噛み、わざと自分についてきたエリオットの意図を理解する。

 ノエルの前ではなく、離れた場所で苦言を呈すとは。落ち込んでいた彼女に負担をかけないため、か。


「まだ、右も左もわからない。いきなり世界の違う場所に引っ張り出されて、困惑の方が大きいんだ」

「それを鷹揚に受け入れてくれる人間ばかりではありません」

「だとしても、まだ彼女には準備ができていない。それは君も見ればわかっただろう? 全員に完璧な対応を求められていたら、疲れてできるものもできなくなってしまうよ」

「ならば、貴方がたは優しくして差し上げればよろしいのでは。私がそうする必要を感じません」


 一歩先を歩いていたエリオットが足を止め、テレジアも合わせて立ち止まる。振り返った婚約者は、咎める視線をテレジアに送ってきた。


「それでも。わかっているならもう少し柔らかく伝えるべきだ」

「婉曲させた言葉で、はたしてどれだけ真意が届くのでしょうか」

「リザ」


 強い語気で名前を呼ばれ、テレジアも負けじと視線を返した。

 優しさを、テレジアに求めないでほしい。だってあの子は、遠くない未来にエリオットを連れて行ってしまう。テレジア以外の誰からも優しさを与えられるのだから、そんな相手にテレジアができることなどない。


 距離を取って、できるだけ心が漏れないために目をそらすことしか、何も。


 知らなければ優しくできただろうか、と自問して、否と出る。夢のことがなくとも、テレジアはきっと先ほどと同じ言葉をノエルに渡しただろう。伯爵令嬢として、将来公爵家の一員となった時に彼女に劣らないために、きつく。


「安心してください。私から彼女に今後関わることはありませんから」

「そういうことじゃなくて、リザ」

「彼女が嫌がるようであれば、ダンス講習会の手伝いをなしにしていただいて結構です。必要があれば代わりを見繕います。では」


 脇をすり抜け、リザ、と呼び止める声を聞こえないふりして立ち去った。

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