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 食堂の端。観葉植物と大きなガラス窓にはさまれたその席は、夏は直射日光で熱く冬は冷気で寒く、と学生たちには不人気だ。その分人が寄りつき辛いので、テレジアはたまにそこを利用する。学院の室内での寒さであれば、暖かい紅茶とストールがあれば凌げると思っているのだが、それはトゥルニエ領が北にあり暖炉を燃していない室内の温度を知っているからなのかもしれない。


 図書館から借りてきた分厚い図鑑を、テレジアはそれでもかじかむ指でめくっていく。それは植物図鑑で、この国のみならずある程度の植物は詳細な写し絵と共に記されていた。

 専門で植物を研究している学生がいるのか、中々書架に戻ってこなかったそれを、テレジアは見つけた瞬間すぐに借りた。育てたい植物を物色するためでもあるが、一番はエリオットに貰ったカンザシの飾り玉の中に入っている花が、何だか知りたかったからだ。


 可能であれば、ここから去った後に育ててみたい。だから、何の花か、手に入れやすいものなのか。花の細工は小さいので詳細な造形は分からないが、近しいものならいくつか絞り込めるはずだ。

 原生地から植生時期、花言葉や特徴などが詳しく書かれている図鑑は、目当て以外の植物のページを見ていても興味深く、じっくりと読みこんでしまう。


 テレジアは文字を追うのが好きだ。幼い頃から読書で自身を慰めていたせいもあるが、文字を追って文章を咀嚼していれば、余計なことを考える隙が減る。植物を触り続けられないので、それ以外の逃避がテレジアには必要だった。


 ティーカップを持ち上げて、ぬるくなりはじめた紅茶を口に含む。すると、左側から影が落ちた。

 こんなところにわざわざやってくるモノ好きは誰だ、と視線だけ上げると、冬日に照らされたストロベリーブロンドが目に入った。


「こんにちは、テレジア様」

「……ごきげんよう、………ノエル、様」

「はい! ご一緒してもよろしいですか?」

「……ええ、どうぞ」


 嬉しそうに空色の瞳を細めたノエルは、ちょこんとテレジアの前の席に座った。すかさずフロアを巡回していた給仕がやってきて、ノエルに注文を聞く。ノエルは暫し逡巡した後、キッシュとサラダのセットを頼み、給仕が下がる。


 なんだか、あのお茶会をしてから妙に――懐かれている。好かれることをした覚えは一切ないのに、にこにこと好意を向けられるのは不思議で。険悪な仲になり夢のように取り返しのつかなくなるところまで苛め抜かないだけマシなのだろうが、テレジアとしてはとても複雑だ。


 悪い子ではない。が、エリオットの気持ちを最終的には得るノエルに、わだかまりは消えなかった。自分にはないものを持っている、光の中にいる少女。


「何か御用ですか」

「いえ、テレジア様のお姿が見えたので、つい。何読まれてるんですか?」

「図鑑です」

「図鑑……、植物図鑑ですか?」

「ええ」

「そんな分厚いの読まれるなんてすごいです。私、まだまだ本は苦手で…」


 えへへ、なんて、一度にたくさんの文字を読むのは疲れるのだとノエルが苦笑する。侯爵家に戻ってから突貫で文字を覚えたので、時間もかかるらしかった。


 自己申告されなくても知っているという言葉を飲み込んで、テレジアは相槌を打った。座学はあまり得意ではないはずだ。夢では、文字の慣れなさからくる苦手意識で成績が芳しくなく教師役をエリオットが請け負い、二人額を付き合わせて勉強する姿に嫉妬した場面を見た。

 現実ではどうなのだろう。必要以上に接しないとこの間言っていたが、勉強会は”必要”に入るのだろうか。


「お待たせいたしました」


 サラダをトレーに載せてやってきた給仕が、テレジアの前にサーブする。たかが学舎の食堂の給仕と言えど、貴族の子息が多く通う王立学院に所属しているからか、所作はそこらの店よりよほど洗練されている。

 食事をする人間の目の前で本を広げ続ける失礼をしてまで急いで読む気がないので、静かに図鑑を閉じると、カトラリーを手に取ったノエルが首を傾げた。


「もう読まれないんですか?」

「人の食事中に本を読むのは不衛生ですし、失礼ですから」

「すみません…! お邪魔でしたか?」

「急ぎで読まないといけないのであれば、貴方に机を譲って席を立っています」


 だから気を使う必要はないのだと告げると、ノエルはほっと力を抜いた。お茶会の時よりか幾分自然なスムーズさでサラダを口に運ぶ。

 きちんと所作の練習をしているらしい。垣間見える努力の跡にひそかに感心していると、期待を込めた眼差しを向けられた。


「どうですか」

「何がでしょうか」

「前より、ナイフとフォークうまく使えてますか?」

「え、ええ…、お上手だと」

「よかった! あれから執行部でエリオット様たちとか友達とかがが見てくれて、練習したんです。音立てないで食器使うのすごく難しくて、まだ完璧に綺麗にはできないんですけど」


 テレジアに褒められて、嬉しそうにノエルがはにかむ。テレジアに褒められてどこが嬉しいのかと問う言葉は、飲み込んだ。テレジアだからではなく、きっと厳しく接している人間にプラスの評価を貰ったのが嬉しかったのだ。それが誰でも――例えば厳格さで評判の学院のマナー講師でも、与えられる喜びは同じのはずで。


 自意識過剰だったな、と自省しつつティーカップに手をかけたが、こちらにかけられた声にテレジアは動きを止めた。


「見つけた……!」


 そう言って息を切らしながらテーブルまでやってきたのは、テレジアが見たことのない女子学生だった。薄く長い茶髪を肩から前に持ってきた三つ編みで纏めている、大人びた雰囲気の少女。同級生ではなく、一つ上でも見かけたことはないから、おそらく下の学年だ。

 だとしたらノエルの知り合いだろうか、とノエルに視線をやると、ノエルはバツが悪そうに現れた女子学生を見上げていた。


「リタちゃん……」

「待っててって言ったのに、どうして先に行っちゃうの!」

「私のせいで急がせるのもな、と思ったから。ごめんね」

「まだ慣れてないんだから、何かあったら大変じゃない。私、侯爵様にノエルのこと頼まれてるんだよ」

「そうだね。本当、ごめんなさい。勝手しちゃって」


 リタと呼ばれた女子学生は、眉尻を下げて殊勝な態度で謝るノエルに、まだ何か言いたげにしつつも息を吐いて一旦言葉を止めた。


 度々出てくる友達とは、この少女だろうか。ノエルとは随分とタイプが違うようだが、中途入学の平民育ちの侯爵令嬢なんてややこしいノエルと、最初から積極的に付き合おうと思うのは、リタのようにぐいぐいといく人間だけかもしれない。ヴィッテンブルグ侯爵とも面識があるのであれば、それなりの身分でもあるようだし。


 ――席をあけわたして、違う場所でゆっくり本を見よう。


 友達が来たのであれば別の場所に移動せよ、とはテレジアでも言えない。ここは食堂で、テレジアはもう昼食を採り終っているのだから、どちらが去るべきかは明確だ。

 カップに残っている紅茶を一息に飲みほして、テレジアが立ち上がると二人の目がテレジアに向いた。


「私はもう行きますので、どうぞ」

「テレジア様…! すみません……」

「構いません。早く食べないと休憩も終わりますから」

「今度、またゆっくりお話しさせてください」


 それは出来れば勘弁願いたいと思いつつ、曖昧に頷く。それでは、と言いかけて、リタの鋭い目つきにテレジアは目を瞬かせた。


「テレジア・トゥルニエ伯爵令嬢……」

「……なんでしょうか」

「オステルヴェルク様や殿下だけでは飽き足らず、今度はノエルに……ヴィッテンブルグ家にまで取り入ろうとしているんですか?」

「リタちゃん!? 急にどうしたの!」

「ノエルは静かにしてて」


 瞠目してガタガタと立ち上がったノエルを、リタが制する。テレジアは、図鑑を抱えなおしながら首をわずかに傾げる。


「取り入る、とは、どういうことでしょう? 申し訳ありません、そういった覚えはございませんが」

「とぼけるのがお上手ですね。それとも、そういう生き方が刷り込まれてて無意識にされてるんですか?」

「……」


 酷い誹謗に、テレジアは眉を顰めた。夢のでの出来事も含めて、よく知らない初対面の相手にこちらの非もなく責められるのは初めてだ。


 ノエルにもエリオットにも、もちろんユリウスにだって取り入ったことなど一度もない。むしろ離れるための準備をしているのに、どうしてここまで敵意を向けられるのか。わからないが、もしリタがトゥルニエ家の事情を知っているのであれば、ノエルらに接するのに分不相応だという考えに至るのも、理解はできる。


 この口ぶりからしたら、おそらく知っているのだろう。別に隠していることではないから、それなりに他家と繋がりがあれば耳に入る話だ。それこそ、ノエルが生まれてすぐに攫われて平民として育てられたという話と一緒で。


「何を根拠にそうおっしゃられているのか、私にはわかりません」

「わからないのであれば、お教えして差し上げます。ノエルも、知って付き合い続けるのか考えた方がいいわ」

「リタちゃん、別に私は……」

「いいから。侯爵家の一員なら、それなりの相手を選ばないと駄目なの。わかるでしょ? この人は駄目よ。全然、駄目。トゥルニエは、貴族主義を掲げるくせに、卑しい成り上がり商人の娘を莫大な持参金目当てに輿入れさせたの。そのくせ嫡男が出来ずに焦って婚約を取り付けたのが、国内でも有数の名家のオステルヴェルクなんだから笑っちゃうわ」


 図鑑を抱える手に、知らず知らず力が入る。改めて他人から告げられる事実に、テレジアは口の端をわずかにゆがめた。


 トゥルニエの直系は元々子供が出来辛い体質の人間が多く、当主が外に愛人を囲っていたとしても生まれるのはその代で一人か二人だった。ダストンも、テレジアがそうであるようにトゥルニエ家の血が流れている兄弟はおろか、従兄弟すらいない。余程遠い血筋には存在しているのかもしれないが、遠すぎてどこに住んで何をしているのかさえ把握していない。


 そんな家庭事情と、テレジアの祖父が起こしたミスと領地の不作が重なって、トゥルニエ家の家計は一時火の車だった。ダストンに爵位を譲る前にトゥルニエ家を潰すしかない、といったところに追い込まれて決まったのが、テレジアの母との縁談で。もう母方の祖父母共に鬼籍に入っているが、財を成すための方法が手段を選ばずに過激だったことから、名は知れていても好意的には受け止められていなかった。

 貴族としての矜持を金で売ったと言う人間もいる。金を手に入れて妻が死んだら、なかったかのように公爵家の血をいれようと動いたダストンを嫌悪するのも仕方ない。


 貴族らしくあれ、と他人(ノエル)に強要するのに、テレジアが一番血筋としては中途半端で。


 ふぅ、と、一つ息を吐く。それが、彼女を馬鹿にするものだと感じたのか、リタがむっと唇を尖らせた。頭に血が上りやすい性質のようだ。蔑む意図はなかったが、訂正もしないでおく。


「その方の言う通りですから、あまり私に近づかない方がよろしいですよ。――ミス・ヴィッテンブルグ」

「っ……。そ、そんなこと言ったら、私なんてちょっと前まで片田舎の貧乏一家育ちです…!」

「でも、貴方には由緒正しい”血”が流れているでしょう? 以前も申し上げましたが、貴方は侯爵家の正統な令嬢なのですから、それ相応の態度が求められますよ」

「テレジア様とお話するのは、間違った対応なんですか」

「付き合う相手を選べる位置にいらっしゃるんですから、正しく選ぶべきだというだけです」


 こんなテレジアよりも、親身に接してくれる相手などいくらでもいるのだから。


 傷ついたように瞠られる空色の瞳から目を逸らし、テレジアは一歩下がる。たまのお節介も、結局は裏目に出てしまう。テレジアは、穏やかにこの場から降りたいだけなのに。

 ただ、事実だとしても好き勝手言われるのは気分いいものではない。少し言い返すくらいならば、意地悪だとは思われないだろうか。


「ただ、ご友人はもう少し吟味された方がよろしいかもしれませんね。誰彼かまわず噛みつかれていては、本当に取り入らなければならない方に敬遠されてしまいますから」

「なっ……!」

「では、失礼いたします。私の座った後はお嫌かもしれませんが、食事中にテーブルを移動させるのはマナー違反ですのでこちらへどうぞ。ああ、申し訳ございません。わざわざ私が言うまでもありませんね」


 はくはくと、言葉にならずに口を動かすリタにごきげんようと残して、テレジアは足早にそのテーブルから去った。


 大人気ないのは承知だが、溜飲が少し下がる。しかし、それでも胸のモヤモヤは全て晴れてくれなくて、テレジアは落ち着くためにあの庭園へと向かった。人の多い時間だから、なるべく学生がいなさそうなところを遠回りして行く。


 エリオットに不釣り合いだなんて、言われなくとも十分に理解している。


 必死にあがいても、リタのように認めてくれない人間が多いのだって、知っている。夢の中のテレジアはきっと、ノエルのことだけでなくそのことでも追い詰められていたのだろう。ふさわしくあろうとすればするほど、自分ではどうしようもないことで蔑まれて、ぽっと出の人間(ノエル)に取られていって。


 ――本当は、嫌だったんだろうか。


 どういう取り決めでオステルヴェルクがトゥルニエとの婚約を受け入れたのか、実のところテレジアは知らない。テレジアの母のことを認知していない訳がないのだから、何かしらでオステルヴェルクの利になるような取り決めをしているのだとは思う。


 けれどそれは、幼いテレジアが知らされなかったように、エリオットにも関係のなかったことで。優しい彼だから義務として受け入れているポーズをしてくれていただけで、心の奥底では破談になるのを望んでいたとしたら?

 それだったら、夢の彼の行動も納得がいく。内心逃げたい縁談から逃避させてくれる、正しく釣り合いのとれる相手が現れたら、手を取りたくなるだろう。


 気付かないうちに走るような早さで歩いていたせいか、温室に着くとテレジアの息は乱れていた。温室の扉に手をつき体重を預けながら、呼吸を整える。

 しばらくその体勢でいると、ふいに肩にぽんと手が置かれて、テレジアは声を上げながら体を揺らした。抱えていた辞書が重たい音を立てて石畳に落ちた。


 まったく、驚かせるだなんて相変わらずベルンハルトは子供っぽいことを。


 なんて思いながら後ろを振り向き、テレジアは目を見開く。それを拾い上げたのはここでは絶対に会わないはずの――エリオットだった。

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