15
私生活が忙しくのんびりペースで申し訳ないです。
もう少ししたらペースも上げられるはずですので、ゆっくりおつきあいください。
あと、本編は基本テレジア視点のみで進行予定です。
完結したら番外編として他の人物がどう考えて動いていたかなど、あげたいなと思っています。
お茶会は比較的和やかに進んだ。主にノエルが話題を振ってきて、それにテレジアが答えたり作法について突っ込んだりする。
栗を使ったミニケーキを小さく切り分けて口に含んだノエルは、たまらないとばかりに唸った。
「口の中にものがある状態で声を上げるのははしたないですよ」
「すみません。あんまりにも美味しくて」
「特別な店から取り寄せたものでもありませんし、大袈裟では?」
「そんなことないです! ちょっと前まで甘いものなんかほとんど食べられなかったので、こういうケーキはごちそうなんです!」
拳を握ってノエルが力説をする。甘いものが好みだけでは片づけられない並々ならぬ熱意にテレジアは目を瞬かせた。
昔よりかは普及が進んでいるが、平民にとって砂糖はまだまだ高価な嗜好品である。それを使用した菓子もまた、気軽に摘まむには難しい金額なのだろう。ミシェル・マクレガーの店があれほど流行っているのは、おそらく利益率の低い価格設定にして平民にも手を出しやすくしているからだ。
ノエルが甘いものに反応するのは、単純な好み以外にも今までの生活が起因しているのかもしれない。
「本当……。まさかこんな素敵なものを食べられるようになるなんて、今でもまだ実感があんまりないんです」
デザートフォークで、ケーキの上に載った栗の甘露煮に触れながら、ノエルが瞳を伏せた。
「トゥルニエ様は、私が侯爵様に引き取られた理由、知っているんですよね」
「簡単ないきさつだけは。詳しくはなくとも、そのことについて知らない貴族はいないでしょう」
侯爵に引き取られるきっかけになったのは、育ての親の侍女夫婦が病気になりノエルが仕事を始め、そこで侯爵家の使用人がノエルを見つけたからだと聞いている。侯爵家から見つからないように、侯爵領や王都から遠く離れた田舎町での贅沢はできない慎ましい隠遁生活。
「……私、馴染めてるでしょうか」
ぽつりと、いつにないほど静かな声をノエルが漏らした。
「前、侯爵家の一員になれるように頑張りますって言いました。できるだけ、頑張っているつもりです。文字も練習して、あれからダンスだって上達しました。けど、やっぱりどうしても、皆さんとは全然違う気がして。……なんて、すみません。変なことお聞きして」
なんでもないです、とごまかすように残りのケーキも急いで口に含む。おいしいと浮かべられた笑みは、少ししか関わりのないテレジアでも無理に作られたものだとわかるほど、ぎこちなかった。夢の中でだって、もっと屈託なく笑っている記憶しかない。
質問というよりも、不安が思わず出てきてしまった呟きだと思った。大丈夫、馴染めているよと慰めるのが、きっと正解だ。次点で最善なのは、聞き流すこと。テレジアの性格からしても、聞き流して黙るのが合っている。
しかし、今日は彼女を甘やかす会ではない。
他の貴族の前で今のような呟きを漏らせば、容易に付け込まれて足元をすくわれるだろう。それをさせないために、テレジアはここにいる。ユリウスとエリオットの前で責任を果たすと約束した手前、それを放棄するのはもっての外だった。
「――ミス・ヴィッテンブルグ」
「はいっ」
「ご自分で線を引かれているのに、どうして馴染めるとお思いですか?」
終わったはずの話題が続いたからか、自身が責められていると感じたからか、戸惑いで揺れる空色の瞳を見据えてテレジアは続けた。
「私達と貴方が違うのは当たり前です。私たちは、貴族の家に生まれた瞬間からその家の名を背負い、ふさわしいふるまいを身につけるために貴方の何倍も努力をしています。たった半年の付け焼刃で追いつけると思われては、正直に言うと不愉快です」
「す、すみません」
「けれど、足りないところを許してくれる貴族はほとんどいないでしょう。貴方を平民出だと知っていても、侯爵令嬢としてのふるまいができず、それに対して負い目を感じて一歩引いていたら、あげつらって嘲られます。何故なら、貴方のその線を引く気持ちが、それを許しているからです」
ノエルからしたら理不尽にも程があるだろう。出来なければ嗤われ、出来たと思っても馬鹿にするなと見下されるのだ。
「もう、貴方は侯爵家の一員です。誰がなんと言おうとその事実だけは動きません。受け入れてもらえるか、ではなく、貴方が受け入れさせるのです」
言葉を切ると、サンルームにシンと沈黙が下りた。
テレジアと違って、ノエルには貴族としての先がある。エリオットと結ばれるのであれば、そんな不安をこぼす暇もないはずだし、エリオットがノエルを選んでよかったと皆が納得するような女性に、なってほしいとテレジアは思う。
言いたいことは言ったと、冷めかけた紅茶に口をつけると、最後は固まってテレジアの言葉を聞いていたノエルも、つられるように体から力を抜いた。
「トゥルニエ様……」
「出過ぎた真似をいたしました」
「そんなことないです! 私、トゥルニエ様にそうやって叱っていただくの好きです!」
「……!? ゴホッ」
「わわ! 大丈夫ですか!?」
「お嬢様…っ」
紅茶を飲んでいる最中でなかったのだけが救いだったが、あまりにも突飛なノエルの告白にテレジアは盛大に噎せた。紅茶を飲んだばかりで口の中が潤っていたのも悪い。
目に涙を浮かべながら発作のように咳を重ねるテレジアにクリスがかけより、背中をさすりながらハンカチを差し出した。受け取って口元を押さえ、咳をなんとか治めて深呼吸を繰り返す。
「い、いきなりなんです…? 被虐趣味でもおありなんですか……!?」
「えっ、ち、違いますよ! そうじゃなくて、トゥルニエ様はきちんと”私”を見て、いろんなことを教えてくれるじゃないですか。それが、うれしいんです」
「……私は、私が見ていて許せないことを指摘しているだけにすぎません」
「けれどその指摘だって、私がどこがダメなのかだけじゃなくて、直すためにどうしたらいいかもあるから。だから、私に至らない点があったら、これからも教えてほしいです。……あ、その、トゥルニエ様さえよければ、ですけど」
社交辞令で言っているようには思えないまっすぐな瞳を受けて、テレジアは居心地の悪さを感じた。夢がなかったら、もっときつく傷つけるためにたしなめていただろう自分を知っている。ノエルへの接し方は、最悪な最期を迎えないための自己保身が多分にあって、間違っても感謝されるものではない。
落ち着いてきた呼吸に、テレジアはハンカチを口から離した。
「お断りいたします」
「あっ、そ、そうですよね……。すみませ…」
「私があまり口を出しては、教育係の方の仕事を奪ってしまいますから」
しゅん、と肩を落としたノエルは、教育係という言葉に目を瞬かせた。
「教育係……?」
「いらっしゃるでしょう。執行部に。私よりもよほど立派な適任者が」
「もしかして、エリオット様ですか?」
「ええ。礼儀は彼も叩き込まれていますし、社交慣れしていて、色んな場での立ち振る舞いの塩梅を知っています。何より、私なんかよりよっぽど優しく教えてくださいますよ。貴女に頼まれれば、喜んで教師役でもなんでもしてくださるでしょう」
適任でしょう、と言うテレジアに、ノエルはしかしとんでもないとばかりに首を大きく振った。心なしか、頬がほんのり赤く染まっている。
「え、エリオット様はダメです…!」
「私はよくてもですか? 確かにエリオットは立場上で私は下ですが。身分の意識、なかなか身についてきましたね」
「そうではなくて…! 今でも色々ご迷惑をおかけしているのもありますけど……、エリオット様は……」
「エリオットが、なんです?」
「トゥルニエ様と婚約されているじゃないですか」
「……それが?」
遠慮する理由に挙げられたそれに、内心の動揺を隠して続きを促す。
エリオットとテレジアの婚約に対してノエルから言及されるのは、初めてだ。婚約してるにも関わらず、エリオットと本当に思いあっているのは自分だから気まずい、だとでも言いたいのか。
そういえば、お願いというのもあった。やはり、もう二人の関係は深まっている?
「さすがの私でも、婚約者がいる男性と必要以上に一緒にいたらまずいっていうのはわかります。だから、エリオット様はダメなんです」
そう苦笑したノエルに、テレジアは呆気に取られた。
どうして。テレジアのことを気にするのだ。いいと言っているのだから、それなら都合が良いとくっつくための口実になるだろうに。
エリオットのことは好きではない? いや、ノエルがエリオットを見る目は、夢の中の彼女と一緒だった。憧れ、恋しているきらめいた少女の目。
隠す必要なんてない。衝撃が過ぎた後に沸いてきたのは、微かな怒りだった。どうせ最後は彼の気持ちを持っていくのに、そんな風に遠慮されたってテレジアは嬉しくない。
「――…エリオットと私の婚約は、親が決めたいわば義務です。そんなに気をつかっていただくほどのことではありません」
「けれど」
「貴方はエリオットといて、私に対して何か後ろめたいことをなさるおつもりなんですか?」
「……それは、ないです」
「なら、たまにしか会話をしない私よりも、一緒にいる時間の長いエリオットに頼るのはおかしくないのでは? 私は、彼が義務を果たしてくれるのであれば、その他の生活に口を出すつもりはございませんから」
好きにしたらいいのだ。義務でつながっているテレジアなんかよりも、ノエルの方がよっぽどエリオットと近いのだから。
淡々と告げたテレジアを、ノエルは困惑の混じった表情で見つめてくる。どう答えたらいいかわからないらしい。
テレジアとしても、これ以上この会話を続けたくなかったので、そういえばとあえて話題を変えた。
「私に頼みたいことがあるとお伺いしておりますが、なんでしょうか。叱ってほしいというのではないでしょう?」
今の流れから、当初予想していたエリオット関係でもなさそうだ。
空いたカップに残りの紅茶を注いでもらいながら、テレジアはノエルの動向を見る。ノエルは、思い出した、と手を打ってから眉を下げた。
「作法で合格点いただいてないですけど、いいんですか……?」
「元々言う言わないはミス・ヴィッテンブルグの判断で決める、と記憶しております。マナーだけで言うのであれば、小さいミスはあれど大分さまにはなっていると思いましたよ」
最初の挨拶はばっちりであったし、カトラリーの扱いもそう悪くはない。
だからテレジアは聞いてもよいと示すと、ノエルは逡巡するように目を揺らす。
「きいてもらってもいいんですか?」
「承れるかのお約束はできませんが、それでもよろしければ」
「は、はいっ」
顔を上げ、ノエルが居住まいを正す。テレジアも軽く腰掛けなおし、ノエルの言葉を待った。
「トゥルニエ様」
「はい」
「……お名前でお呼びしてもいいですか」
「…………は、い?」
「更にお願いしてもよいのなら、私も名前で呼んでもらえませんか」
「……ええ、と」
まったくの想定外の”お願い”に、テレジアは数秒固まった。とても単純なことなのに、浮かんだ感想は意味が分からない。だった。
名前? 呼び合いたい? それだけのことを、あんなに重大そうに?
そもそもとして、どうして名前呼びなんかにこだわるのかがテレジアにはわからなかった。ベルンハルトもそうだ。そこまでお互いの名前に特別な意味などないだろう。片思いをしている相手だからとか、そういうわけでもないのだから。むしろ、ノエルにとってテレジアは恋敵になるのでは。
先ほどの重い空気からのあまりの変化に、硬直が溶けたテレジアは眉間を揉みながら要求の消化に努める。
「申し訳ございません。私がいたらないばかりに、おっしゃられている意味がよく……」
「テレジア様とお呼びしたいので、私のこともノエルと呼んでください」
「それは、何故?」
「トゥルニエ様とお近づきになりたいんです」
「ですから、その理由はなんでしょうか。私と接していて、貴方に利があるのですか?」
人脈が広がるわけでもなし、テレジアと付き合ったところで収穫などないだろう。
嫌われていないのは嫌ではないけれど、テレジアとしてはノエルと接するのは心中複雑である。適切な距離を保てるものなら保ちたい。接点が増えて、二人が惹かれ合うのを間近で見るのはごめんだった。
やんわりと拒否の姿勢を見せるテレジアに、ノエルは真面目な顔つきになった。
「一番最初に、トゥルニエ様の言う”利”がないのに、正面から見て言葉を投げてくださったのが――トゥルニエ様だったから」
「私が…?」
「ダンスも見てくださって、わざわざ今日も招いてくれました。それは自分の役割じゃないって跳ねのけようとすれば出来たのに、それをしない実直さ。お近づきになりたいって思うのは当然です」
だからもっと仲良くしたい、と訴えてくるノエルの瞳の方があまりにも真っすぐで、テレジアはそらしたくなる欲求と戦った。
過大評価だ。結局、自分のエゴで動いて強がっているだけ。それを、ノエルが都合よく解釈しているに過ぎない。やはり正しい前向きさを持つ人間は考え方がとてもポジティブになるらしい。
嫌だ、と、思う一方で――背中にわずかなむずがゆさも感じる。テレジアは今まで、こんな風に同性に正面から仲良くなりたいと言われたことがなかった。異性にだって、ベルンハルトというよくわからない例外を除けば皆無だ。
先日の侯爵は、相当な遊び人であるらしいのであれも例外の一つ。
いつだって、規律に厳しい不愛想なキツいトゥルニエ家の令嬢は、怖がられ遠巻きにされてきた。積極的にテレジアも関わらず、社交界で有益な存在でもないから下心を持って近づく人間もいない。
「あ、でもまとわりついたりなんかしませんから…! トゥルニエ様はよく執行部のお手伝いされてるんですよね? 自然と接する機会も多くなると思いますし、エリオット様以外に気軽に相談できる窓口があれば、手間が省けるはずです。だから」
頭を下げかけ、下のものに簡単に頭は下げてはいけないという注意を思い出したのか、中途半端なところで動きを止めたノエルが、上目づかいで伺ってくる。
確かに、ノエルが言うのも一理ある。手間は最小限に収めるのがよい。
嫌だと突っぱねたら、諦めてくれるだろう。貴方と関わる気はありませんと主張すれば、それ以上は踏み込まないはずだ。気持ちはそうしたいが、名前の一つや二つ、呼ぶ呼ばないにこだわるのはきっとおかしい。
往生際悪く諦めさせるための正当な理由を探して、しかし見つからず、テレジアは観念したように一つ息を吐いた。
「そのくらいでしたら、かしこまりました。――ノエル様」
「……! ありがとうございます! テレジア様!」
喜びに、満面の笑みをノエルから向けられる。
エリオットといいノエルといい、夢の中での彼らとは明らかに異なるテレジアへの好意や態度に、不安がじわりと湧く。
これが何かの反動の前触れだとしたらと考えるだけで恐ろしくて、屈託なく喜ぶノエルとは反対に、テレジアは顔を曇らせた。