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ごきげんようと迎え入れると、着慣れない正装に身を包み緊張で顔が強張っている一年生達は、なんとかぎこちなく笑みを作って返事をしようとし失敗してしまっていた。お茶会の会場となる庭園まで一年生たちの案内をしてきたエリオットは、そんな様子を見てほほえましそうにしていた。
快晴に恵まれた今日、計画通りにお茶会が開催されることになった。主催側として料理の手配や設営の確認のために早く集まっていたテレジアたちは、徐々に集まりだした招待客を相手に各々歓迎のあいさつに散っている。
今回のお茶会は、交流を兼ねたのんびりとした食事会がメインである。好みが様々であったので、結局ビュッフェ形式で好きなものをとってもらうようにした。席も取り決めず、近くの庭園を見に散策するもよし、ゆっくり座って料理を堪能するもよし、だ。その方がテレジアたちも楽である。
「き、今日はお招きあ、あ、ありがとう、ございます…!」
招いた数人のうち、一番先頭に立っていた女生徒がつっかえながらも礼を述べた。鼻の上に残るそばかすが幼さを感じさせる。
「いいえ。お越しいただきまして、感謝いたします。慣れない場でご緊張なさられているかとは存じますが、貴方たちの将来にとって、顔を繋いでおけば有益な方もいらっしゃってますから、実りのある会になれば幸いです」
「は……はいっ」
「困ったことがあれば、遠慮なく私にお申し付けを」
「執行部の人間も何人か会場にいるから、そっちに頼ってくれてもいいよ。もちろん、俺もいるから気軽にどうぞ」
安心させるように微笑を浮かべたエリオットに、一年生たちはほぅ、と男女かかわらず見惚れている。キラキラとした美形の笑顔は、場慣れしていない少年少女にはかなり効くらしい。本人の穏やかな雰囲気も相まって、執行部内で新人の教育係をユリウスが任せるのもなるほど頷けた。
主催のテレジアたちの他に、学院側がこういった催しの際に出してくれる人手に加えて、トラブル時にフォローできるようにと執行部員も参加してくれている。そんなに大きな会ではないけれど、招待客の中には侯爵家の人間もいるので、同じ立場で接せれる人間がいるというのは心強かった。
他の執行部員にも挨拶を、と一年生達の背を押して促すと、おずおずと一番近くにいた部員に足を向けていく。見送るテレジアの横に、エリオットが立った。
「準備お疲れさま」
「貴方も。今日はよろしくお願いします」
「リストを見た限りそんなに問題起こしそうな人はいないから大丈夫だろうけど、アクシデント起きそうになったらすぐに呼んで」
「極力ご迷惑をおかけしないようにつとめます」
「迷惑だと思わないから、遠慮せずに呼ぶこと。いいね?」
何を心配しているのか強めに念を押されて、テレジアはしぶしぶと頷いた。呼ぶようなアクシデント、ノエルもいないので起きようがないのに。
今日のエリオットは、社交用の華やかな燕尾服を身にまとっていた。この前の街の時のように、ちらちらと女性招待客からの視線を集めているのがわかる。晩秋の太陽の光を受けて輝く赤髪がまぶしくて、テレジアは目を細めた。
仕立てあがったばかりの昼用ドレスを着ているから、今日はテレジアも並んでいてそれほど劣らないはずだ。陰気な紫がかった黒髪はどうしようもないけれど、それを柔らかな色合いの生地がそれなりにカバーしてくれている。
――さて、エリオットに見とれている場合ではない。そろそろ、他の参加者に挨拶周りをしなければ。
「では、私もそろそろ」
「うん。……あ、リザ」
「はい?」
これ以上何か? と首をかしげるテレジアの耳に、エリオットはそっと唇を寄せた。
「ドレス、すごく似合ってるよ」
ドレスを褒められたことなんて、いくらでもあるのに。
何故だか無性に落ち着かなくて、テレジアは小さく息を逃した。
エリオットは、そういうところはマメだ。妹がいるからか、それともオステルヴェルク夫人に徹底的にしこまれているからか、女性を褒めるポイントは外さない。それが更に女性からの支持につながるわけだが、婚約者への義務の一環だと思って意に介さないようにテレジアはしていた。
けれど先ほどのは――いつもと同じドレスへの賞賛だったはずが、どうしてだろう。妙にひっかかっている。
身構えすぎて、テレジアが過剰反応しているだけならいいのだが。
「おひとりですか?」
ひとしきり挨拶も終わり、皆の歓談を少し離れた場所で見守りながら考え込んでいたテレジアは、突然声をかけられて驚いた。平静を保ちつつ体を反転させると、グラスを手に持った華美な見た目の男性がいた。
長い襟足が緩くウェーブを描く茶髪に、垂れた碧眼。女性受けがよさそうな優男は、確かもう一人の伯爵令嬢の招待客だ。年はテレジアよりも八つほど上の侯爵。
「いかがなさいましたか」
「君と話がしたくて。迷惑だったかな」
「いいえ、そのようなことはございません」
テレジアが受け入れる姿勢を見せると、侯爵は笑みを浮かべて片方のグラスを手渡してきた。気は進まなかったが受け取り、コツンとグラス同士を合わせる。
「ここは綺麗どころが多くていい。君みたいな美人とお近づきにもなれるし」
「もったいないお言葉です」
「控えめなところもいいね。伯爵の教育のおかげかな」
すらすらと女性を褒める言葉が出てくるのは、さすがだなと思った。見た目にたがわず、女性慣れをしているらしい。エリオット含め、上級階級の男性は口の上手さも出世に関係するのだろう。そう考えると、父の無精さははたして大丈夫なのか、いらない心配を抱いてしまう。
初々しく頬を染めて礼を述べるのが、未婚の淑女としては正解な対応だと理解しつつ、演じる器用さをテレジアは持ち合わせていなかった。表情を変えず恐縮ですと瞳を伏せる。
面白くない人間であると機嫌を損ねられるだろうか。にわかに不安を感じ侯爵をちらりと伺ったが、侯爵はそれほど気分を害した様子は見られなかった。
「しかし、学院も変わりないな。懐かしいよ」
「通われていらっしゃったんですか?」
「もちろん。いたころは制服が窮屈に感じたものだ」
制服は、一種の縛りだ。貴族として正しく自分を律し戒めを学ぶための、象徴のもの。公爵は見たところ、あまり規則に準じるのが好きではなさそうなので、それは窮屈だっただろう。
公爵は、ゆったりとグラスを揺らす。
「君は? 窮屈だとは思わない? 自分の意志でなく七年間山に閉じこもって過ごす日々を」
「家のためになるのであれば、受け入れるべきものですから」
それに、父の教育や夢に囚われている時間を思えば、学院の締め付けなど些細なものだとテレジアは思う。普通に規則正しく生活をしていれば、死ぬことも見放されることもないのだから。
テレジアの答えに、侯爵は優等生だなと笑った。
「一度も疑問に思わないなんてことはないはずだ。学院にいる間は閉じ込められて、卒業してからは……君はすぐにオステルヴェルクに嫁ぐんだろう? 身の貞淑さを人より求められ、どこにいっても監視されてる」
「私は……、この学院にも、オステルヴェルクとの婚姻も、窮屈だと思ったことはありません」
去らなければならない未来を思って苦しくなりこそはすれ、今に疑問も不満もない。
来年の春を思い思わず顰められた眉を、侯爵はどう解釈したのか。面白そうに目じりを下げ、グラスに口をつけた。
「それは、君が遊びを知らないからじゃないの?」
「……何を、おっしゃりたいのでしょうか」
「最初は抵抗があっても、知ってしまえば快楽を優先するのが人間だよ。君だってきっと例外じゃないし、それを誰が咎められるのかな」
一歩、足を踏み出され、テレジアは反射的に後ずさった。じっと見つめてくる碧の瞳のねっとりとした熱に、背筋がぞわりとあわだつ。
――気持ち悪い。
失礼だとわかっていても、そう感じるのを止められそうになかった。今まで他人からこんな風に見られたことがなくて、動揺も大きい。
「あんまりそういう顔をしない方がいいんじゃないか。隠されてるのを暴きたくなる悪い大人は多いんだよ」
「ま、るでご自分がそうだと、おっしゃられているみたいですが」
「さぁ。君にはどう見える?」
とぼけた調子で嘯いて伸ばされる侯爵の手を、咄嗟にはじきそうになる。しかし、小さいころから刷り込まれている上位者への礼儀が、それをするなと制したせいで体は動かなかった。
あと少しで触れる――ところで、侯爵の腕は、白レースの手袋に覆われた細い指に絡めとられる。
「もう! ロシュお兄様! いつまで私を放っておくの?」
腕を抱え込むようにして抱き着きながら拗ねた声で、伯爵令嬢が割り込んできた。二人の間に漂っていた粘着質な空気は四散し、テレジアはどっと背中を汗が伝うのを感じながら数歩下がり、グラスを持ち直した。
侯爵は割り込まれたことに対して別段不満げにはせずに、仕方ないなと伯爵令嬢の綺麗に結われた頭を撫でる。
「ごめんごめん。けど、先に私を放ってお友達と楽しく会話し出したのは、リリアンナだろう?」
「あら。みんなロシュお兄様とお話がしたくて、私のところにいらっしゃってたのよ。おわかりでしょう?」
「そうなの? 麗しいご令嬢にお世辞でもそう言ってもらえると、私もまだまだ捨てたものではないね」
「どこでもおモテになられるくせに、今更白々しいわ」
「手厳しい」
謙遜をばっさりと切った伯爵令嬢に、侯爵は苦笑する。ツンと唇を尖らせていた伯爵令嬢は、それに満足気ににっこりと笑って友人の集まるテーブルへと侯爵の背中を押した。
「ほら、行ってあげて」
「君は?」
「私もすぐに行きます。ちょっとトゥルニエ様と会についてご相談があるから、ロシュお兄様は先にどうぞ」
「わかったから、あまり押さないでくれ」
やれやれと肩をすくめた侯爵は、伯爵令嬢とのやり取りを見守っていたテレジアに微笑を向けた。
「では、また」
「……ごきげんよう、侯爵様」
ドレスの裾をつまみ礼を取る。もう会うことはない、そうあってほしいと内心思いながら、その体勢で見送った。
去ったのを確認してテレジアは頭を上げ、相談があるという伯爵令嬢に向き直った。
「何か、問題でもございましたか」
「それは口実ですわ。まったく、トゥルニエ様ったら無防備すぎます」
「は……?」
一転、難しい顔で眉を寄せた伯爵令嬢に、まるで内緒話をするように体を寄せられる。ふんわりと鼻孔をくすぐるささやかな香料は、テレジアを嫌な気分にはさせなかった。
「あの方は遊びの趣味が悪いの。ぽけっとしていたら、頭から丸かじりされてしまうわ」
「助けて、くださったんですか?」
「私が招待した方がご迷惑をおかけしているのに、見過ごすなんてできませんから」
「……ありがとうございます」
友人でもないのに、気にかけてくれたなんて。
自分で対処できなかった恥ずかしさと申し訳なさ半分、助け船を素直にうれしく思う気持ち半分で、感謝を告げる。伯爵令嬢はして当然の行いだ、と首を振り、困ったように頬に手を当てた。
「それにしても、遊びの趣味が悪いといっても、基本的に遊びなれた女性を相手にされるのに、まさか貴女にちょっかいをかけるなんて……。私も考えが甘かったです。ごめんなさい」
「いいえ。私の未熟さが招いた事態です。ミス・ラフォレが気に病むことではありません」
「そう言っていただけるとありがたいけれど、……きっとそういうところが崩したくなるんでしょうねぇ」
「? 何か?」
「いいえ、ご自分の魅力をわかっていらっしゃらない方は大変ですわね、というお話です」
それを言うなら、とテレジアはいきなり飛んだ話の帰結にきょとんとしつつ、口を開いた。
「私よりも、ミス・ラフォレの方こそお気を付けください。侯爵様とお近いのは、貴方でしょう」
「ある程度かわすポイントを押さえてますから、大丈夫です。ロシュお兄様も面倒な深入りはされないはずだわ。トゥルニエ様は、この会中はなるべくおひとりになられないこと! いいですわね!」
「は、はい」
「お返事はよろしい。では、私は戻りますから。……王子様と交代です」
にま、と笑って離れた伯爵令嬢は、ごきげんようと優雅に裾を翻して元いた場所へと戻っていった。
見送りながら、王子様? と首をひねっていたテレジアだったが、視界に入ってきた赤に意識を持っていかれて、すぐに疑問は頭の片隅に追いやられた。
「エリオット」
「リザ、大丈夫?」
心配そうに眉尻を下げて、近づくなりテレジアの頭や肩をエリオットが触る。会が始まった時の囁きへの落ち着かなさがよみがえってきて、やんわりとエリオットの手を解いた。
侯爵との対峙とは違う意味で心臓に悪い。
「み、見てらしたんですか」
「ごめん。すぐに間に入ればよかった」
「いえ、何もないのに貴方がくるのも不自然ですし」
みっともなく翻弄されているところを見られていたなんて。極力迷惑をかけないと豪語していたのに、このあり様だ。穴があったら入りたい。
自省のあまり、テレジアは項垂れた。主催なのに、参加者一人あしらえずに伯爵令嬢やエリオットに気をつかってもらって、情けないの一言につきた。
「すみません、不要な心配をおかけしました」
「いいよ、君はこういう場にあまり出てこないんだから、慣れてなくても仕方ないさ」
「……ミス・ヴィッテンブルグに偉そうに言っておいて、自分はこうなんて。彼女にも、面目が立ちませんね」
苦々しい気持ちに、テレジアは唇をゆがめた。夢の出来事を回避できたと思ったらこれだ。自身の浅はかさが憎くて、手に残っていたグラスを握りしめる。
「俺は、そうは思わないよ。人には向き不向きあるんだ。苦手なのわかってて、結局離れた俺たちの責任でもあるから。……何か食べた? 取りに行こうか」
さりげなくグラスを取り上げながら、エリオットはテレジアの背に手を回して料理のテーブルへと促す。このままエリオットも共にするのか、戸惑うテレジアはエリオットの顔を見上げた。
「エリオット、もう大丈夫ですから」
「一人になるなって、ラフォレ嬢に言われなかった?」
「けれど」
「運営側全員が固まってたら問題あるけど、たった二人一緒にいたって誰も気にしないよ。ましてや婚約者同士、誰が責めるの?」
そう言われてしまうと、それ以上反論が出てこなかった。
口をつぐみ大人しくエリオットに促されるまま彼についていくことにしたテレジアは、調子が狂うとひっそりため息をつく。
振って沸いてきたエリオットとの時間が嬉しくないわけではけしてないが、イレギュラーは苦手だ。こんなことで、ノエルとのお茶会をうまく過ごせるだろうか、と少しだけ不安になった。