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 お茶会の準備もほとんど済みあと数日で本番を迎える、という日。ノエルとの私的なお茶会の候補日を決め、都合がいい日はどれかという問いの学内用の伝言文を出した翌日に、ノエルは夜、寮のテレジアの部屋までやってきた。


「……どうしましたか?」


 やけにキラキラと目を輝かせて訪問者の取り次ぎを終えて戻ってきたクリスに、何事かと不思議に思っていたら通されてきたのがノエルで、正直面食らった。クリスのあの反応は、おそらく「お嬢様にお部屋を訪ねてくるようなお友達が!」という興奮からだろう。


 テレジアの根暗さを補って余りあるくらいの明るさを持つ侍女に、助けられることも多いけれど、たまに困ることもある。

 お茶を準備してきますといそいそと別室に下がられて、ノエルと部屋に二人きりにされている今のように。


「すみません、お休み間際に」


 当のノエルは、今まで使われることのなかった応接用の椅子に、恐縮しながら腰掛けている。テレジアも前の席に腰を下ろし、首を振った。


「構いませんが、事前に一報をいれていただいた方が、迎える側も準備ができますので親切かと思います」

「あっ……! そ、そうですよね! すみません、本当に……」

「次からお気を付け下さい」

「はい……」


 しゅんと肩を落としたノエルは、まだ制服姿のテレジアとは違い既に部屋着に着替えていた。親しくない相手の部屋を訪ねるにしては、いくら寮内とはいえ少しラフだ。指摘しようか迷い、やめた。彼女が身分が低ければ気を付けたほうがいいが、同性の部屋くらいならばわざわざテレジアが注意するのもおかしな話だ。そこまでおせっかいはしない。


 微妙な沈黙が流れたところで、紅茶を持ったクリスが部屋に入ってきた。


「お待たせいたしました」

「ありがとう、クリス」

「ありがとうございます……っ」


 カップとソーサーをサーブするクリスに、ノエルはぺこぺこと頭を下げた。それを見て、あぁ、とテレジアはため息を吐き、そんなノエルをニコニコと見つめるクリスを下がらせてから、ノエルの名を呼んだ。


「ミス・ヴィッテンブルグ。彼女は使用人の職務を全うしているにすぎません。一々頭を下げないように」

「はっ、つい……。さっきから駄目ですね、私……」

「……失敗から学べばよいのではないでしょうか。反省できるのであれば」


 彼女はまだ貴族になってから日が浅い。ある日突然本当の家族は別にいて、お前は侯爵令嬢なのだと言われても、きっとしみついた平民の生活は抜けないだろう。一度ミスをしても、その後気を付ければいいと、今のテレジアは思う。


 ――夢の中の自分は、それが許せない程狭量でガチガチの貴族思考だったが。


「私の方こそ、小言が多くてご不快でしょう。早めにご用件を済ませて、部屋にお戻りに…」

「不快だなんて! そんなことありません! トゥルニエ様のご指摘、むしろありがたいくらいです!」

「そ、そうですか」


 凄い剣幕で否定されて、テレジアは若干押されながら目を丸くした。


 夢の中とテレジアが相違があるように、ノエルもまた夢で知る彼女とは異なるように思う。夢の中ではもう少し、元平民であったことを免罪符にして、できないことをどうして怒られなければならないのだと感じている節があった。それにテレジアが苛立ってより強く否定と注意を重ねて行き過ぎるわけだが。

 比較してみると、現実のノエルの方が謙虚で努力を重ねる性格のようだ。テレジアがいじめてないのもあるかもしれない。


 押され気味なテレジアに、勢いづいてしまったことを気付き恥じたのか、頬を赤くして目を伏せたノエルは誤魔化すようにカップに口をつけた。テレジアはカップの持ち手を指で撫ぜ、ノエルが落ち着いたタイミングでもう一度目的を問うた。


「それで、ご用件はなんでしょうか」

「お茶会の日取り、ありがとうございました。お返事を、と思って」

「それだけですか? わざわざお越しくださらなくても、文を返していただければよろしかったのに」

「それはトゥルニエ様の字がお綺麗だったので、自分の汚い字で返すのが恥ずかしかったと言いますか……」

「字をお気にされているのであれば、代筆の者を手配されては? そういう貴族も多いですよ」


 テレジアは幼い頃に字の綺麗さも、父親に徹底的に叩きこまれたので自分で字を書くのに抵抗はないが、代筆業が立派な職業として成り立つ程度には自身の字の形に頓着ない貴族も多い。

 それとは別に平民の識字率の低さもあるけれど、ノエルも引き取られるまではそういう教育を満足に受けられなかったのではないだろうか。同じ平民出の学院生でも、読めはするが書けない生徒を何人も見てきた。


「いいえ、出来れば自分でもきちんと書きたいです。ただ、その、今は練習中なので!」

「字は癖がつくと中々抜けませんから、ご検討をお祈りします」

「はい。頑張ります」

「……で、日時のご返答というのは」

「そうでした」


 候補日の中の一つを告げられ、テレジアは頷いた。

 日付が決まれば、あとはその日のサンルームを押さえて食事などの手配だ。当日の細々とした雑用やおもてなしの手伝いは、クリスに頼めばいいだろう。多分嬉々として動くに違いない。


「苦手なものなどありましたら、お申し付けください。それはよけます」

「基本的になんでも食べられるので大丈夫です」

「かしこまりました」


 テレジアも基本的に好き嫌いはないので、何を言われても合わせるつもりであったが、お互いに構わないのであればスタンダードなアフタヌーンティーを用意すれば平気なのは非常に助かる。


 ただし、招待するからには何か一工夫を凝らさないと、とは思うのだが。


 それはおいおい考えようと思案をやめたところで、ノエルが何か言いたげに上目づかいで見つめてきているのにテレジアは気付いた。


「……他に何か?」

「あ、ええと……、その、あるというか、ないというか」

「あるのであればはっきりおっしゃっていただけますでしょうか」

「お願いが、あるんですけど……」

「お願い? 指定の料理人や店がございますか?」

「そうではないんですが」


 歯切れ悪く、ノエルは逡巡するように視線を彷徨わせる。料理以外でなんの頼みがあるのかテレジアには見当がつかない。眉を顰めてノエルの提案を待つが、ノエルはうぅ、と唸ると首を横に振った。


「すみません、今はやめておきます。……お茶会の作法がうまくできるようになったら、言います」


 気軽に頼めないことなのだろうか。


 何か大きな――それこそ、エリオットに関するような?


 ノエルとの間に自身の婚約者以外の事柄がなく、テレジアに浮かんだのはそこぐらいだった。テレジアが見てきた範囲だけでも、ノエルはおそらく夢と同じくエリオットに既に想いを寄せている風に捉えられる。


 まさか、もう想いが実って婚約を破棄してくれ、とか。

 存外に早い終着に、テレジアは己の想像にも関わらず衝撃を受けそうになった。別れるのを決めているのに、実際に訪れそうになるとショックを受けるなんて馬鹿みたいだ。

 早とちりかもしれない考えは一旦脇に置き、紅茶を飲んで一端落ち着く。


「では、聞けるように期待させていただきます」

「私も、お願いできるように精いっぱい頑張りますから、ご教授お願いします」


 意気込んだ後ふわりと笑ったノエルに、テレジアはもう一口紅茶を飲んだ。




 一工夫をどうするべきか、ノエルを部屋に戻してから考えたテレジアは、翌日温室でベルンハルトと顔を合わせた時にある考えを思いついた。


「ミシェル・マクレガーは、アンチェロッティ家贔屓の店なんですか?」

「どしたの、藪から棒に」


 いつの間に持ち込んでいたクッションを肘置き部分に置き、まるで枕のようにしながらベンチに寝そべって本を読んでいたベルンハルトは、不思議そうに首を傾げた。自室にいるようなくつろぎ具合だが、注意はしない。


 テレジアが好きなように土いじりをしているのを咎められないのだから、ベルンハルトがどう過ごそうがテレジアが口を出せることではないと、接しているうちに思うようになった。話を聞くだに、彼の方がこの温室の先住者でもあるようだし、あまりうるさく言ってやっぱりテレジアのひそかな趣味を言い広めようとなられても困る。


「前に貴方が持ってきたクッキーの店、かなり人気のようですね。この間、店の前を通ったら行列していました。気軽にお試しできそうな感じではなかったので、どうやって手に入れたのか気になりまして」


 ノエルはあの店のお菓子に結構な反応を見せていた。ティーフーズのケーキやスコーンをあの店のものを提供すれば、驚くのではないかと思ったのだ。

 侯爵家でも簡単に手に入れられないものを、ベルンハルトはすんなりと手に入れていた。王室と繋がりがあるらしいアンチェロッティが、ミシェル・マクレガーとも何らかのルートを持っていても不思議ではない。


「あー、あれねぇ」


 贔屓とかそんな大層なものではないと、ベルンハルトはのんびりと言う。


「一番上の兄貴の幼馴染なんだよ、そこのオーナーっつーかパティシエが。だから食べたい菓子があったら、言っとけば取り置きしてくれるし暇があればうちまで来る」

「貴族の子弟が市街で労働しているのですか?」

「まっさかぁ。ミシェルは平民」


 テレジアの勘違いからくる驚きを、ベルンハルトは手を振って制して投げ出した足を組んだ。


 ベルンハルト曰く、貴族といっても大きな領地を持つわけでもなく、こじんまりとしたカントリーハウスに暮らすアンチェロッティ家の子供たちにとって、幼少期は平民の子供と遊ぶのに抵抗などなかった。

 アンチェロッティの長男の遊び相手の中にミシェル・マクレガーもおり、ともに働きに出ている両親に代わり家事を行うミシェルに付き合って、食事を共にするようになったのが始まりらしい。

 色々作らせていたら菓子作りがとりわけうまく、本人も気に入っているようであったから、学院卒業後菓子店を開くことを進めてみたら徐々に口コミで広まって、今や人気店に。


「まぁ、あそこに店出すように勧めて手配したのは兄貴だから、うちが出資と言ってもいいかもね」

「けれど、アンチェロッティが関わっていることを、大々的に宣伝はしていないみたいですが」

 ノエルもエリオットも、アンチェロッティの関わりについては何も言っていなかった。彼らが知らないのであれば、他の貴族はもとより市民も知らないはずだ。

 下級貴族でも貴族が出資して出した店は、それだけで有象無象のものとは違い味や質の保証になるので、喧伝する店は多い。けれど、ミシェル・マクレガーはそれを看板として掲げていないのが不思議だった。


「俺もそこらへんは詳しくないけど、ミシェルは店出す時流行ろうが潰れようがどうでもよかったらしいよ」

「自分の店を持てるのにですか」


 しかも、人々の集まる王都にだ。あの店の場所を、どれほどの人間がほしいと思っているのか。

 テレジアには不可解な思考に目を細めると、ベルンハルトは肩を竦めた。


「変わり者なんだ。職業に無理にしなくても、菓子作りくらいどこでもできるってスタンス」


 ガツガツとしていないのにあれほど流行るというのは、同業者からしたらさぞや妬ましいだろう、と思った。


「で、それはいいんだけど、リザもミシェルの菓子好きだったの?」

「そういう訳ではないのですが、知り合いに好きな人がいてほしがっていたので、購入しやすいルートがあるのかと気になっただけです」


 特別な間柄だから分けてもらえるのであれば、テレジアができることはない。

 少し落胆を覚えて肩を下げるテレジアに、ベルンハルトはニヤリと口の端を上げた。


「オステルヴェルクのお坊ちゃんに頼んだらすぐ手に入るんじゃないの? 東地区(イーストエリア)はオステルヴェルクの領域(テリトリー)だろ。無茶利くかもしれないじゃん」

「彼にそんなこと頼めませんし、貴方の話を聴くにマクレガー氏は権力(そういう)のになびかなそうですが」

「その通り」

「ならば結構です。お答えいただきありがとうございました」


 手に入れられないのであれば仕方ない。すぐに切り替えて、残りの植物の世話を終わらせようと止めていた手を動かそうとしたテレジアに、ベルンハルトはちょっと待ったと体を起き上がらせた。


「ほしくないの? ミシェルの菓子」

「考えうる限り、ほしい時期までに手に入れられなさそうなので大丈夫です」

「頼んであげよっか」

「……はい?」

「ミシェルに。俺達からの依頼なら断られないよ」


 ベルンハルトに頼めばよい、という考えが一瞬でも浮かばなかったと言ったらうそになる。けれど、この後輩に借りを作るのはとても気が引けた。


 次の春には市井に下るのだから、それまでにテレジアが返せるものはなさそうで。


「貴方にそこまでしてもらう道理がありません」

「そういうの俺、気にしないよ?」

「私は気にします。それに、マクレガー氏は貴方たち家族だからこそ特別に対応してくれるのでしょう? いくら気の置けない仲だとはいえ、そこは守ってあげなさい」


 仮に申し出を受けたとして、テレジアがそれを吹聴するような性格だったらどうするのだろう。自分も、とわらわら特別扱いを受けたい人間が寄ってきて、いいことなどないのに。

 きっぱりと断ると、いつもの強引さとはうって変わってベルンハルトは素直に引き下がった。


「ふぅん、リザらしい。ま、必要になったらいつでも言って」

「ありがとうございます。ですが、ほしい場合は正規に購入しますので、ご心配なく」


 軽く礼を述べてから、用は済んだと今度こそ鉢植えに向き直り止めていた手を動かすと、本当にリザらしい、とベルンハルトが笑った声がした。

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