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 ダストンからテレジアへ手紙が届いたのは、お茶会の参加招待状返事の期限の数日前だった。そこには、お茶会の日にちには領地へ帰らねばならない用事があるので不参加である、ということと、次の週末にタウンハウスへくるように、という呼び出しの二つが書かれていた。


 トゥルニエ伯爵からの呼び出しに、テレジアが訝しがるよりも先にクリスが何の用だ、と眉を顰めて珍しくしかめ面をしたので、テレジアは多少冷静に週末に伺う旨の返事が出来た。クリスは学院にきてから雇ったテレジアつきの侍女だが、だからか屋敷にいる使用人よりも表情が豊かだし、テレジアへの気遣いを表に出してくれる。


 ダストンからの躾という名の仕置きに、どうして一人娘にあんなに冷たく接せるのだと鞭の腫れを怒りながら手当てしてから、クリスはこうして時々テレジアと二人きりの時にダストンへの不満を漏らすことがあった。雇い主は父であるのだから、そうして不満を表に出すのはいけないと初期はたしなめたが、自身を想ってこその不満であるとは理解しているので、本人を前にして出さなければよいと今は見逃している。



 そういうわけで、エリオットと出かけてから予想外に時間をおかずに、テレジアは再び王都へと赴いていた。市井の生活を学ぶために一人でも見て回るために出てくるつもりはあったのだが、まさかこんな形で再訪することになるとは。

 消耗したせいでゆらりと不安定な体に、クリスが気づかわし気に触れてくる。クリスは、テレジアの馬車嫌いをエリオット以外に唯一知っていた。

 長期休暇の際にテレジアが学院の寮から移動する時、クリスも同じ馬車に同乗するので、隠したくとも自然に知られてしまったのだ。


「お嬢様、どこかで一度お休みになられますか?」

「いえ、お父様をお待たせはできませんから」

「せめて顔色がお戻りになられるまでは、お屋敷に入られない方がよいと思います」


 顔面蒼白だと指摘され、テレジアは目を手で覆ってうつむいた。


「数分で戻します」

「……ご無理はなさらないでくださいね」

「大丈夫、ありがとう」


 これからダストンと対峙しなければならないのが、余計に顔から血の気を引かせているのかもしれない。深呼吸を繰り返し、落ち着きを取り戻そうとする。あまり長く馬車の前から動かないと、不審に思ったタウンハウスつきの家令が出てきてしまうので、急がなければ。


 なんとか宣言通りに数分で、指の先の冷たさを改善してからテレジアは顔を上げた。



 テレジアたちの到着をエントランスで迎えた老齢の家令は、慇懃に腰を折るとダストンの書斎へと案内してきた。書斎の中へはテレジアのみが通るのを許される。


「――お久しぶりです、お父様」


 夏季休暇を終えて学院へ来た以来約二か月ぶりの父親は、いつも通り茶に近い濃い金髪をきっちりと撫で上げ、一部の隙なく服を着こなしていた。テレジアを見つめるテレジアのものよりも深い青の瞳の温度のなさも、変わりなかった。


 書き物をしていた手を止めたダストンは、入り口で礼を取るテレジアを近くまで呼んだ。しずしずと歩み寄り、机を介して対峙するかたちを取る。


「招待状へのお早いご返答、ありがとうございました。お越しいただけず、残念でございます」

「雪が深くなる前に領地へ戻る必要がある。席を空けてしまうのであれば、代わりを手配するが」

「いえ、参加の返事を元にそれにあわせて仕様を決めますので。私の配慮不足にお気遣いいただき、感謝いたします」


 テレジアは深々と頭を下げた。


 トゥルニエの領地は、王都よりも北に位置しているので冬は大体雪に覆われている。マナーハウスは比較的南の方に建てられてはいるが、それでも雪深い地域であることには変わりない。そのため、冬には様々なトラブルが領民から寄せられるのでダストンはその対処のために、冬は領地にこもるのが常だった。


 これはまずいことをした、と、テレジアは頭を下げながら内心焦る。雪が降り始めるかどうか微妙な時期だったことと、ダストン以外に招待状を出すような身内がいなかったことから宛先に含めたが、配慮が欠けていると責められてもしょうがない対応だ。


 どんなお叱りを受けるのか戦々恐々とするテレジアに、しかしダストンは頭を上げるのを命じた。


「よい。学院の催しの時期はお前の一存で動かせるものではない。そんなことより、今日は仕立屋を呼んだ。茶会にむけて新しいドレスを仕立てなさい」

「ドレスならば、まだ新しいものが何着かございますが…?」


 頭を上げたテレジアは、父の命におそるおそる意見する。わざわざ学院の期中にテレジアを呼び出した理由が新たなドレスの仕立てとは、ダストンらしくなかった。

 湯水のように装飾品やドレスにお金をかけることをダストンは嫌うが、しかし必要以上の節制も好まない。だから、テレジアへのお金のかけ方も伯爵令嬢への投資に見合うものではあるが、昼用の社交ドレスは今年仕立てたものがある。それなのに、短期間でもう一着というのはおかしい頻度だ。


 テレジアの意見に、ダストンは不機嫌そうに指を組んだ。


「……先日、オステルヴェルクの次男とこちらへ来ていたようだな」

「は、はい」


 まさかエリオットとの外出がダストンの耳に入っていたとは思わず、テレジアは目を瞬かせた。しかし、それがどうしてドレスの仕立てと不機嫌につながるのかはわからなかった。


「それが、どうかいたしましたでしょうか…」

「わからないと、そう言うのか?」

「……申し訳ございません」


 思い当たる節がなく、困惑を隠しきれずに謝罪の言葉を口にする。強いて言えば馬車から降りて徒歩で見物していたぐらいだが、色々な店を見てまわるという名目を抜きにしても、あの混雑を馬車で進むのは逆に非効率的だった。


 正解を導き出せないテレジアに、ダストンは重く息をつく。ただの呼吸音の微かな吐息は、けれどずっしりと重くテレジアの体にのしかかった。テレジアがダストンの望む答えや行いを導き出せない時、強い語気で声を荒げるのではなく静かに重くダストンはテレジアを苛むのだ。それから罰として鞭を取り出す。

 鞭が出てくるより前に――もう出さない許容範囲を超えているのだとしたら、回数が増える前に、答えを言わなくては。


 気持ちが急くのとは裏腹に、一向に解答は浮かばなかった。


「私は常日頃から、お前には立場をわきまえるようにと申しつけている」

「はい、お父様」

「身の丈に合わぬような華美に飾り立てる必要はないが、それでもトゥルニエ家のものとしてある程度求められる一線があるのは、わかるか」

「もちろんでございます」

「ではお前は、その日の恰好がトゥルニエ家の令嬢として、オステルヴェルクの人間の横に立つ存在として、相応しかったというのだな?」

「……っ」


 父親からの指摘に、テレジアは前で組んでいた指に力を込めた。


「街を見て回るのに、適した格好をと……」

「身分を隠してお忍びで見て回っていたわけではないようだが」


 はくはくと口を動かして、しかしダストンの納得のいく返答が浮かばず、テレジアは口を噤んだ。


「トゥルニエの一員としての自覚を持てと常日頃からお前に言っているが、それは心構えだけではなく、常に他人の目を気にする必要があるからだ。私たちは、どこで誰に何を見られているのかわからない。見られたことがどう広まるかも、だ。それならば誰にいつ見られても、恥じるべき箇所をなくさねばならない」

「はい」

「トゥルニエの威が届かない場所であるならば、それは尚更だ。お前がオステルヴェルクの次男と回った東地区(イーストエリア)は、オステルヴェルクの領域(テリトリー)であって、トゥルニエのそれではないだろう」

「おっしゃる通りです」


 エリオットと出かけることにしか考えの及ばなかった自身の余裕のなさに、テレジアは悔いを覚えて俯いた。


 ダストンの言いたいことは、よくわかる。


 貴族は、家柄を背負って常に立っている。テレジアの評価はひいてはトゥルニエの評価となる。だからこそ、普段気を張って父の望むトゥルニエの一員としていようと努力しているのだが、それは立ち居振る舞いだけでなく着ている服も目ざとく見られているのだ。

 没落しかけて家に金がない貴族でも、公の場に出る際の衣服だけは最後まで取り繕うものだ。身に着ける生地の質、仕立て、装飾品。それら全てが、社交での立場を決める。衣服に金が使える家は豊かであるという証明にもなるから。


 それを、ダストンから見たらテレジアは怠っていたことになるのだろう。しかもそれが、東地区(イーストエリア)というトゥルニエにとってアウェーな地域に赴いてだから、余計に。


「……オステルヴェルクは、魅力的な家柄だ。関係を繋ぎたい家は腐るほどある。それらの全てに、エリオットにはお前が一番ふさわしいのだと認めさせ続けねばいけない」


 淡々と続く言葉に、テレジアは息を止めた。


「正式な婚姻はお前が学院を出てからだ。それまでにつけこまれることがないよう、気を引き締めなさい」

「…………は、い」


 なんとか振り絞った声は、鞭を振るわれなかった安堵も伴って酷く掠れてしまった。


 テレジア自らそれを手放すつもりだと知ったら、ダストンはどんな反応を見せるのだろう。夢よりも苛烈にテレジアをなじるのか、考えを改めるようにきつく仕置きをするか。 

 テレジアの価値は、オステルヴェルクと婚姻を結べることのみだ。エリオットに婚約を解消されたら、次にのぞんでくれる相手はきっと現れない。婚約破棄をした令嬢がその次を見つけるのはそもそも難しく、それがなくともテレジアに他に選ばれるためのものは、何も持っていないのだ。


「学生の主催する茶会といえど、外部の貴族も大勢出席する。会にふさわしいものを身につけろ」

「わかりました」



 話は終わったと、仕立屋の待っているらしい居間へ向かうために退出をしようとしたテレジアを、ダストンはふと引き留めた。


「テレジア」

「……はい、なんでしょうか」

「アンチェロッティの末息子と、最近親しくしているようだな」

「どうして、それを」


 父親の口から、騎士出の新興下級貴族であるベルンハルトの家の名前が出るとは思わず、テレジアは瞠目した。ベルンハルトと話すようになったことを知っているのも驚きだったが、治める領地も遠くトゥルニエは縁がないアンチェロッティを、わざわざダストンが気にかけているなんて。


 一瞬、温室の植物の世話が知られてしまったのではと身構えたが、ダストンからは責める気配は伝わってこない。


 ドアノブにかけた手をおろして、テレジアは再度ダストンと向き合った。


「彼とは、たまに言葉を交わす程度です。何か問題でもございますでしょうか」

「いや。むしろ、あそこの家とは友好的に接した方がいい」

「そうなのですか?」


 ダストンからの返答に首を傾げながら、そういえば、と以前のエリオットとのやり取りを思い返す。父親同士交流があると彼は言っていた。同じ騎士から成りあがった家系ならともかく、オステルヴェルクは文官筋だ。そこと繋がりがあるとすると、アンチェロッティ家は王宮での覚えが良いのかもしれない。


「下級貴族だが、先代は騎士としての能力も高く陛下の信頼も篤かった。次男も確か、若輩ながらも近衛騎士として頭角を現していると聞く。味方につけておけば、有用な場面もあるはずだ」

「かしこまりました」

「だがくれぐれも、誤解されるような行動は慎みなさい」

「弁えております」


 テレジアは適切な距離を保つつもりしかない。それを踏み越えてくるのは頭が痛いが、最近は当初のように温室にいけば必ず遭遇するというのもなくなっている。ダストンの言う様に有事の際に敵に回らない程度に親しくするのがよいだろう。


 それで本当に話は全て終わったのか、ダストンは下がれとテレジアに命じて、手元の書類に視線を落とす。テレジアが退出の挨拶をしても、再び顔があげられることはなかった。





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