10
秋も深まり徐々に冬の訪れを感じる午後、心地よい暖かさをもたらす日差しを受けたサンルームに、テレジアは珍しく身を置いていた。果実で香り付けをした紅茶と、焼き菓子の甘い匂いが部屋に広がる。
そこにはテレジアの他に数人の女学生が、広めのテーブルを囲んでいた。男爵家の次女、同じく男爵家の三女、そして子爵家の長女と、テレジアと同じ伯爵家の次女。子爵令嬢はカップを脇によけ、流麗な字で時折メモを取っている。
「では、ご招待する方々に関しては、この辺でよいかしら」
場を仕切っているのは、もう一人の伯爵令嬢だ。トゥルニエよりかはいささか家の規模の劣る家柄だが、当主夫妻そろって社交的で他の貴族の覚えもよい。そんな両親の資質を受け継いだのか、あまり口出しをしないテレジアに代わって発言を多くしていた。
「よろしければ、招待状をまとめましょう。どうです? トゥルニエ様」
「私は異論ありません。招待状は基本の文面を決めて、各々が差し出すのがよいのでは」
「ええ、もちろんそのつもりです。けれど、そうするといささか負担が偏ってしまうわね」
頬に手を当ててどうしましょう、と伯爵令嬢が息を吐き、面々がさっと視線を交わす。
今日テレジアたちが集まったのは、仲良しの令嬢同士の交流のためではもちろんない。上級生になると開催しなければならない、外部の人間を交えてのお茶会の主催として事前相談をするためだ。
お茶会の開催は、学院に通っているため親から学び辛いところを補強するためと、在学時代から顔を広めるために学生への義務として行われている。複数人でのぞむのは、お互いにフォローしあったりやり方を学ぶために有用だから、だそうだ。もともと顔が広い生徒もいれば、テレジアみたいに交流をしていない生徒もいるので、招待客をまんべんなく呼べるようにという配慮もあるのかもしれない。
執行部が運営の手伝いをしてくれるが、役割分担決めや当日の手配はすべて自分たちで動くのが決まりだ。呼ぶのはほとんど生徒の家族などの親しい間柄の人間になるので、多少の不備は大目に見てもらえるが、それでも将来本格的に社交界デビューを果たした後、このお茶会での采配がよければプラスに見てもらえることも多い。
なので、社交に燃える生徒は張り切ったりする。伯爵令嬢なんかはその一人だろう。そして彼女は、招待客の偏りから発生する作業の不平等について、悩む姿勢をとっている。テレジアは、その回りくどさに若干辟易しながら紅茶を口に含んだ。
ようは、招待客が少なく招待状の負担がかからない人間が、それに見合う程度の雑務を担うよう自ら名乗り出よ、と言っているのだ。何が回りくどいというのかといえば、招待客が他より少ない人間なんて一人しかいないのに、指名をさけているところである。
立場が上の人間を名指しで指名しろというのは無理なので、こうするしかないのはわかってはいるのだが。
――しょうがない。
ソーサーにカップを戻し、テレジアは口を開いた。
「食事の手配は私がしましょう」
「まぁ、よろしいの?」
「皆さまに比べて呼ぶ人数も些細なものですから。招待客をまとめたリストと、できれば何が好みで何が嫌いかを添えていただけますか?」
全ての招待客の好みのみを取り揃えるのは不可能だろうけど、できるだけ寄り添うのはできる。
テレジアが頼むと、皆ゆったりと頷いた。
他にも作業分担を決め、決定事項を執行部に提出する役目を買って出たテレジアは、執行部の学生が活動用に使用している部屋の扉をノックした。しばらくして扉が開く。
内側からあけたのは、ノエルだった。
「トゥルニエ様! どうしたんですか?」
「ごきげんよう、ミス・ヴィッテンブルグ。定例のお茶会の報告に参りました」
「そうなんですね。お入りください」
「失礼いたします」
部屋には、ノエルの他にも何人かの学生がいた。もちろん、エリオットとユリウスの姿もある。扉から遠い場所で作業をしているらしいエリオットに目礼して、目的のユリウスの近くまで歩み寄った。
「君が報告に来るなんて珍しいな」
「他にも用事がございますので」
「へぇ」
「取り急ぎ、こちらが会の開催についてのまとめです。お目通しください」
まとめた書類を渡し、ユリウスが目を通し終わるのを待つ。その間にお茶を、というノエルにすぐに退出すると首を振ったところで、ユリウスが机に書類を置いた。
「なぁ、テレジア嬢」
「はい」
「頼んだ”協力”の話って覚えてる?」
「ええ」
「ふうん、そう」
書類をペラペラとめくり、招待者リストに再び視線を落としたユリウスは、ちらりとテレジアを見上げてアイスブルーの瞳をにやりと細めた。
「執行部からは、お茶会に慣れてない子たちの招待をお願いしてたハズなんだが?」
トントンと指でリストをユリウスが叩いた。
以前行われたダンスレッスンと同様に、社交の場であるお茶会への参加の機会を持たなかった新入生や転入生のために、生徒主催のお茶会に複数のグループに分けて参加させる決まりがある。執行部からの依頼という体でなされるそれは、テレジアたちの主催のお茶会でも当然引き受けていた。
「それに関して、殿下にお話させていただきたく思います」
テレジア自ら執行部に書類を持ってきたのは、それに関して進言すべき事項があったからだ。
さて、と、背筋を正して、これからのテレジアの提案を受け入れさせるために、負けないようにと言い聞かせる。
「話って、招待者の中にノエル嬢の名前がないことの釈明?」
「えっ……!」
ざわ、とテレジアの背後で作業をしていた執行部員たちが驚きの声を上げた。自身の席に戻ろうとしていたノエルは足を止め振り返り、更に誰かが椅子から立つ音がする。おそらく、エリオットだ。
しかし、それを気にとめずに、テレジアは首肯した。
「釈明ではなく説明とご提案ですが、その件です」
「聞こうか」
「まず、ミス・ヴィッテンブルグの名前を抜くように提案したのは私です」
「随分大胆な嫌がらせするよな」
面白そうに口を弧にするユリウスにつっこんだのは、テレジアの横にやってきたエリオットだった。
「嫌がらせって、何を言うんだユリウス」
「ノエル嬢だけ故意に外すのに、嫌がらせ以外の何があるのかはお前の婚約者殿に訊けよ」
「……リザが考えなしにそんなことするわけないだろう」
でしょう? と伺ってきたエリオットに、テレジアは瞳を伏せた。
唐突に、まだ理由も話さずに切り出したテレジアを責めないエリオットが意外で――存外に安堵が大きくて、そんな自分に苦い思いがこみ上げていた。エリオットに期待しないと決めているのに。
嫌がらせではもちろんない。どちらかというと、発生するかもしれないノエルへの被害と自身のマイナスな行動を回避するためのものだ。例によって、そのお茶会についてテレジアは夢で知っている。
「今回のお茶会には、外部の方が多くいらっしゃいます。そこにミス・ヴィッテンブルグを出すのは、時期尚早だと判断いたしました」
「判断根拠は?」
「侯爵様の十五年行方不明だった一人娘の話題を知らぬものは、社交界にはいないでしょう。興味もあるはずです。どんな娘なのか、と。慣れていない状態で、そんな貴族が大勢くる場に出してはまず間違いなく玩具になります」
「慣れてから出させろって? そもそも慣れさせるための参加なんだけど、テレジア嬢の言い分だと一生ノエル嬢は公の場に出られないように聴こえるぞ」
「彼女に関しては少なくとも、話術でそつなくかわせるようになるまでとは言いませんが、振られた話題に動揺してマナーがおぼつかなくならなくなるくらいまでには、会の雰囲気と流れを知るべきです」
フォローできる誰かがいれば話は別だが、今回のお茶会で彼女の傍には誰もいれない。
夢では、ヴィッテンブルグ侯爵家のある意味醜聞ともいえる話題の娘に対して、色々な貴族が心無い言葉をかけたりしていた。それに動揺したノエルが、一部の食べ物と飲み物をひっくりかえしてしまうのだ。
侯爵家の人間なのに、なんてはしたない。と、更に笑われるノエルに対して、何故もっと自覚ある行動を取らないのかとテレジアが怒り、それを見たエリオットがノエルを庇って……。という、テレジアとエリオットの溝は深まりあっちの心は近づく、なんてことのないいつもの内容。
テレジアの説明に納得はできたのか、ふむ、と頷いたユリウスはノエルに視線をやった。
「ということだけど、君はどう?」
「あ、わ、私は……、トゥルニエ様のご心配はとてもありがたいです。でも、お茶会は出たい、です」
「まあそうだろうな。いつかは洗礼を受けるわけだしね」
「はい。ただ、今のまま出てもトゥルニエ様のご負担になってしまうのも、わかっていて…」
どうしたらよいのか、頼るように、ノエルはエリオットをちらりと見やる。それはきっと無意識で、意図せずにすがる相手が彼女の中でエリオットになっていることに、テレジアはなんとも思わないように努めなければならなかった。
とうのエリオットは、そんなノエルを安心させるようにふわりと笑みを返している。
「――…そこで、ご提案があります」
「聞こうか」
「会の流れと雰囲気を知るべきだと、私は先ほど申し上げました。ですので、私が個人的にお茶会を催して、ミス・ヴィッテンブルグをお招きします」
「……リザっ?」
「は!? マジで言ってる!?」
どよどよと、先ほどよりも大きな驚きが部屋に広がった。特にユリウスは大げさに瞠目したのち、机に半ば上半身を預けるようにして身を乗り出してきている。
この驚きは無理もないな、とテレジアも我ながら思う。もしも夢でこの流れがあったのなら、同じように起きてから声を上げていたかもしれない。
「冗談でこのようなことを述べるのは、好みません」
「いやいやいや。あの社交嫌いのトゥルニエ伯爵令嬢が、義務以外でそういった場を持つとか! どういう風の吹き回しだってなるでしょ」
「ミス・ヴィッテンブルグが本来参加すべき機会を、なくした責任を負おうとしているだけのことです」
「それにしたって」
まだ信じられないとばかりにテレジアをまじまじと凝視するユリウスは、ふと隣で同様に困惑しているエリオットにも交互に視線を送り、口の端をにやりと吊った。
「なるほど? ふぅん。ま、いいんじゃないの、そういうことなら」
「ありがとうございます。……そういうわけです、ミス・ヴィッテンブルグ」
「えっ、あ、はい!」
「よろしいですか?」
ノエルの意志を無視しては決められないので、最後になってしまったが確認する。最初はぽかんとしていたノエルは、少しずつ頬を赤らめて大きく首を振った。
予想以上の反応に、テレジアの方こそ呆気にとられそうになる。了承は得られると思ってはいたが、ここまで嬉しそうにされるとは思っていなかった。
「トゥルニエ様こそ、いいんですか」
「先ほどご説明差し上げた通りです。問題なければ候補日など決めてお知らせいたします」
「ありがとうございます…! よろしくお願いしますっ」
笑顔で礼を述べてきたノエルに、テレジアはわずかに肩から力をぬいた。
――よかった、なんとかまとまった。
少なくとも、夢のアレは防げた。代わりのお茶会でどうなるかはわからないけれど、そこまでひどくはならないはずだ。
「では殿下、書類の受理をお願いいたします。私的なお茶会の方は、また別途使用許可証などお持ちしますので」
「わかった。面白そうだから、うまくいったら次はオレも呼んでよ」
「……ご命令なれば、ご随意に」
「ホントかってぇなぁ。少しは柔らかくなったと思ったんだけど?」
「申し訳ございません、私にはわかりかねます」
そういうところが固いのだと眉を寄せながらも笑うユリウスに、黙って頭を下げる。用が終わったとテレジアは部屋から退出するために他の執行部員にも目礼して、扉に向かって歩き出す。しかしそれに、続いた人間がいた。
「待ってリザ、送るよ」
「エリオット? いえ、必要ありませんが」
「いいから。少し抜けるよ、ユリウス」
必要ないというテレジアのいうことを聞かず、エリオットもそのまま部屋から出てしまう。学院内で、送るも何もないだろうに。
人気のない廊下に出て、テレジアはエリオットの意図をつかもうと思案した。まさか、あの食堂の時のようにまた注意でもしてくるのか。庇ってくれはしたけれど、思うところがなかったわけではないのかもしれない。
エリオットからの切り出しの前に、テレジアは口を開く。
「また、お叱りでしょうか」
「え?」
「お茶会からミス・ヴィッテンブルグを外したこと、私は悪いとは思っていません」
だから何を言われても気にしないぞ、と顎を上げて示せば、エリオットは慌てて否定した。
「どうしてそうなるの。むしろ気遣わせてしまって、こっちが謝らなければならないくらいなんだから」
「では、何故? お忙しいのでは」
「忙しいといえば忙しいけど、君との時間が取れないわけじゃない」
たしなめるのでなければ、何が目的なのか。不可解さに眉を顰める。
ただ送るためだけに出てきたなんて、そんなこと。
探る視線を送るテレジアに、エリオットは眉尻を下げて笑んだ。
「この間、結構歩き回ったりしたから、その後体調とか大丈夫だったかなと思って」
「平気です。馬車ではみっともないところをお見せしてしまいましたが、休息は十分取りましたから」
「ならいいんだ。もしちょっとでも不調が出てきたりしたら、言ってね」
「……わかり、ました」
ちょっと待ってほしい。エリオットは、もしかしてそれだけの心配のためにここにいるのだろうか。部屋でも一言二言かわせば十分に確認できた内容に関して、わざわざ?
説明を受けたにもかかわらず混乱はより深まり、横を歩くエリオットを盗み見る。こっそりと気づかれないように視線を投げたつもりだったのに、すぐに気づいたかのように目を細めて視線を絡められ、目を瞬かせた。
「どうしたの?」
「いえ、なんでも…」
「あ、そうだ。今度、サンルームで俺ともお茶しよう。いつもうちで飲んでる茶葉を、母上が送ってきてくれたんだ」
「あなたと、おちゃ」
学院でエリオットと卓を囲むのは、別段珍しいことではない。学院に入る前にお互いの家に赴いて交流していた時と同様に、定期的に行われる婚約者としての義務の一つだ。
けれど、それも季節ごとに一度あればいい方で、先日一緒に王都へ出かけたのも加味すると、今までにない頻度の誘いになる。だからその提案は思いがけず、たどたどしく言葉を繰り返しても咀嚼が難しかった。
「今年で俺は学院を卒業してしまうけど、リザはまだ一年あるだろう。そうすると中々会えなくなるから、学院にいるときにできることはなるべくしようと思って」
「…………」
咄嗟に言葉を返すことが出来なかった。
エリオットは、当たり前のようにテレジアとの一年先もある未来を口に出す。今はまだ、彼の中でノエルへの気持ちは育っていないのか、むしろ育ってきているからあえて自分に言い聞かせているのかは判断しかねるけれど、まだ心の中にテレジアのスペースはあるらしい。
でも、遠くない先に、それはなくなる。むしろテレジアに悪印象を抱けずにノエルとの気持ちで板挟みになるのであれば、率先してテレジアが手放さなければ。
気にかけてもらえるのが嬉しいのに、その先に待っているものを思うと苦しくて、瞳を揺らさないようにするのに苦労しながら、なんとか口を開いた。
「すぐに寒くなりますから、サンルームを使うなら早めにしなくてはいけませんね」
「……そうだね。じゃあ、空いてる日を見て、よさそうな時にしよう」
「わかりました」
もう冬になる。
エリオットと過ごせる一年のうち、秋が終わってしまった。
大事に、一つ一つ確実に手の中に収めたいのに、なんとか夢よりも穏便な道を選ぼうと必死になってしまって、それが難しいのを歯がゆく思う。
静かに息を吐いたテレジアの肩に、エリオットがそっと触れてきた。
「リザ」
「なんでしょう?」
「困ったことがあったら、頼ってね」
「………はい」
どうしてか心配そうなエリオットに、テレジアは頷いておいた。
――一生、言えないだろう。
困っています。貴方が離れていく夢を見て、ずっと苦しいです。
彼女がいい子だから嫌いきれなくて、二人並んだお似合いさに納得してしまう自分が嫌です。
親が決めた婚約者だからじゃなくて、テレジアとして本当の意味で貴方からの好意がほしかったです。
言ってしまったら、それこそ困って、あのいつもの眉尻を下げた笑顔になるのだろう。別にエリオットを困らせたいわけではないし、夢で見たなんて言って頭のおかしさを心配されたくもない。夢だからどうした、と気にしない強さをテレジアが持っていないのが悪いのだ。
一年後ここから離れて、独りになってようやくこの辛い気持ちが薄れていくだろうことが、今のテレジアにはせめてもの救いのように思えた。