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 おかしな夢を見るようになったのは、六回目の誕生日を迎えた夜のことだった。


 それまでの夢は覚えていることもあったけれど、時が立てばぼんやりと不鮮明になっていくものだったのに、それらは違って。

 例えるなら過去の記憶。誰といつ何をしていたのか。会話の内容や相手の顔まで、仔細に振り返られる。ただし、その夢の中で自分は十七ほどになっていて――住んでいるのも今の屋敷ではなく、どこかの寮。

 同じ場面を毎日連続で見ることもあれば、夢の中でも現実と同じように日々が進んでいくこともあった。


 それを繋げると一年間の記録になると気付いたのは、十一の途中。あまりにも不可思議な夢を繰り返すものだから、朝起きた時に日記帳に覚書代わりにつけてはじめてみたのだ。本当は内容なんて反芻したくなかったけれど、どうにか吐き出さなければ頭をかきむしってしまいそうだったから。



 ――夢は、通っている学院に一人の少女が転入してくるところから始まっていた。






 こんなにも寮の自室から出たくないと感じるのは初めてだ、と、テレジアは緊張で汗ばんだ手でドアノブを掴みながら、しかし冷静に思った。



 王立の上級学院――国から認められた身分ある十二歳から十八歳までの子女子息が集まる、全寮制のそこにテレジア・トゥルニエは籍を置いていた。紫がかった長い黒髪はきつく結い上げ、青の瞳は目尻があがりきつい印象を与える。父親は伯爵位を持つ貴族であり、厳格な領地統制を買われている。


 長い夏の休暇が終わり、今日から一つ学年があがる。五年にあがるテレジアは今年十七。それは、テレジアにとって最も憂鬱な数字だ。

 初めて学院の門をくぐった時から憂鬱ではあったけれど、本当に心の底から今日は出席したくなかった。しかし、トゥルニエ伯爵令嬢としてそれが許されないことも、よくわかっていた。

 父は、常に背筋を伸ばして周囲の模範たれと、テレジアに言う。隙も弱みも見せず、伯爵家を背負うものとして自覚を持って行動しろと。

 いやなことが起こる予感がするから仮病使って休みますなんて、許されることではない。この迷いすら父が見ていたら、きっと鞭打ちのち夕食抜きが罰としてあたえられただろう。


 目をつむって、感傷を押し流す。冷静になれ。いつもの、冷たいとさえ言われるテレジアへ。

 目を開けて扉を開けた時、手汗は治まっていた。



 テレジアには繰り返し夢見る一年の記憶がある。それの始まりが丁度今日、五学年に進級した日の放課後だ。


 内容はとても苦しいものだった。やってる転入生がテレジアの婚約者と仲良くなり、それをよく思わないテレジアが手ひどく手段も選ばず転入生を傷つけ、最後には大事になり糾弾される。婚約者からは婚約破棄を言い渡され、テレジアのみっともない行動に恥をかかされたと激昂した父親が、お前は伯爵家に相応しくないと己を勘当。家を追い出されて街へ向かう途中、乗っていた辻馬車が事故にあって命を失う。そんな、一年の流れ。

 流石に夢の中でも死ぬというのは辛いもので、次にみたときはせめて流れを変えてみたいと思うのに、夢の中のテレジアは絶対同じ行動をするのだ。自分のことなのに、大事な場面でいつも同じ激情に駆られ寸分違わぬ言動をとってしまう。


 夢だとわかっている冷静な自分が物語を俯瞰で見ているような、そんな感覚。


 夢は夢。そう気にしたくはないけれど、夢でテレジアはこの学院に通っていて、今身につけている制服も着ていた。寮の家具の配置や机の小さな古傷の数が一致しているのは、もしかしてとテレジアの血の気を引かせるのに十分だった。

 もしかしたら、自分はこれから起こることを夢見ているのかもしれない。

 処理しきれなくて吐き出しのために書き付けた夢の内容の日記を前に、テレジアは十四の時にそう結論づけた。そして考える。どうするべきなのだろう、と。


 人に相談なんてもちろんできない。頭のおかしいやつだと思われたら終わりだ。夢の実現を前に、父親に捨てられるかもしれなかった。だから、恐怖に身をすくませながらも思案して、そして決めたのだ。


 もしも。今日。夢の中のあの子が現実にも現れたら。

 そしたら、自分から全て手放そうと。


 ――あの人はきっと、こちらでも彼女に恋をするだろうから。


 私には、彼を愛し愛される資格なんてないとわかってしまったのだ。

 悲しむ気持ちは、何回目かの二人が寄り添う姿を見て、夢から覚めた時に凍えてしまった。



 寮は学院の中の敷地に収まっているが、男性寮と女性寮は離れた場所にある。これは住む場所を近付けることによって起きる成人前の間違いを極力減らすための施策らしい。授業を受けるクラス分けも、男と女では一部の授業内容が違うので性別に準じて備えられていた。

 夢を長く見ているのが怖くて、睡眠時間を極力短くしているテレジアは、人より早く登校している。今日も例に漏れず、むしろそれよりも早めに女子寮の門をくぐり静まりかえった道を歩く。休暇前と何も変わらない光景なのに、いつもよりも暗く淀んで見えた。


 足早に進んで辿り着いた校舎の前で、テレジアは意外な人物を見つけて一瞬息を飲んだ。


「おはようリザ」

「…おはようございます。エリオット」


 テレジアの愛称を呼び笑みを向けて歩み寄ってくる男子生徒に、テレジアは軽く頭を下げる。動揺は、隠せているだろうか。


 エリオット・オステルヴェルクは公爵家の次男でテレジアの一つ上。美形揃いの公爵家の中でも一際整った顔立ちで、柔らかな赤髪と優しげに笑む金の瞳は、同年代の令嬢の憧れの的。そしてテレジアの、小さい頃からの親に決められた婚約者だ。

 娘一人しか生まずに若くして亡くなった伯爵夫人を嘆き、トゥルニエ家の将来に危機感を覚えた父が、家の繁栄のために繋げた自身よりも位の高い家との婚約。選ばれたのは、王家の信頼もあついオステルヴェルク家。

 五歳の時に出会って、何か粗相のないようにと緊張しながら挨拶をしたテレジアの手を握って、優しく笑いかけてくれたエリオットに――テレジアはずっと恋をしている。息の詰まる父の教育の日々の中で、ただ一つの温かさを見つけた気分だった。


 けれど、テレジアは知っている。エリオットが自分を愛してくれることなどない、と。夢の中で彼と仲むつまじげにしていた彼女は自分とは似ても似つかなかったし、エリオットもこの婚約が家のためのものだと理解している。一つの家にしか嫁げず不貞の許されないテレジアと違って、エリオットはトゥルニエ家のための男子さえ作れれば、何をしてもよいのだ。テレジアを見ずに、外に本命を作っても。


 現に、同じ上級学院に入学したからといって行動を共にするのは少なかった。三年の春からたまに理由をつけて一緒にいてくれることは増えたけれど、誰とも馴染まずに独りでいるテレジアに同情したからだろう。

 どうせ彼女が現れたら何もかもを手放すことになるのだから、テレジアは学院で友人も作らなかった。


「早いですね。どうしたんですか」

「入学式の準備があってね。早く出たんだ」

「あぁ、執行部の」


 学院は、将来国を背負って立つための教育の一環として、執行部を設け、生徒にある程度の自治を任せていた。執行部の役員に任命されるのは、主に高い爵位を持った家柄の生徒である。

 公爵の息子であるエリオットはもちろん選ばれていて、入学式の運営も執行部の仕事の一つだった。


「君も早いね」

「ええ、普段からこの時間にきているので」

「え、そうなの?」

「……静かな朝のうちに予習を済ませたほうが、捗るので」


 まさか夢見が悪いから極力寝ないようにしているとは言えない。かといって勉強をしているのも本当のことなので、そこだけをつまんで答えた。


「本当に君は真面目だね」

「トゥルニエ伯爵家のものとして、当たり前のことをこなしているだけです」


 つん、と鼻をあげると、エリオットが苦笑した。もっと令嬢として可愛らしい態度を取るのが、彼にとって好ましいというのはわかっていたけれど、そんな風にはできないししても意味がない。どうせ、エリオットには今後疎まれるのだ。

 ふと、エリオットがテレジアの頬に触れた。目元を親指でなぞり首を傾げる。


「隈が出来てる。顔色もよくないし、無理して早起きしてないか?」

「む、りはしてません。自己管理はきちんとしていますし、早起きは習慣です」


 今日が怖くてここ数日いつも以上に眠りは浅かったし、食事も無理やり採っているような状態ではあったけれど、取り繕えていると思っていたので、先ほど抑え込んだ動揺が出そうになってしまう。

 まさか、エリオットに指摘されるなんて。彼にバレるほど、切羽詰まっているのだろうか。


 そっと彼の手を外させ、安心させるためにじっとハチミツみたいな金の瞳を見つめる。暫くすると、納得したのかエリオットはテレジアの前髪を軽くすいて、校舎内に入るのを促した。





 新入生の入学式がある日は、授業はほとんど行われない。式に出席する上級生は六学年の生徒だけだが、執行委員や先生は学年問わず式に参加するため、軽く新学期の挨拶をして後は自由だ。

 夜から行われる寮での顔合わせまでに帰寮すれば、週一の休みの日しか許されない外出もこの日は許可されているし、早々に帰って休んでいてもよい。


 ――彼女は、その顔合わせ時に転入組だとやってくる。


 それを考えると憂鬱で、とても寮にいる気になれなくて、テレジアは暗くなるまで図書館に避難することにした。遅々として進まない時計に、せり上がる不安をどうにか押さえながら、息をひそめる。

 あの夢が未来の出来事なのか、それともただ繰り返し見るだけの不思議なものなのか、今日でわかるのだ。ただの夢だと思いたい気持ちとは裏腹に、どうしてだかテレジアには絶対に起きるだろうと、根拠のない自信があった。


 そして、帰寮して。



「ご、ごきげんよう。明日からここで学ぶことになりました、ノエル・ヴィッテンブルグ……です。以後、お見知りおきください」


 慣れない貴族の言葉使いでたどたどしく挨拶をした彼女。緩くウェーブを描いた貴族の子女にしては短めのストベリーブロンドに、空を落とし込んだような澄んだ水色の目。ほっそりとして、愛嬌のあるとてもかわいらしい顔。

 六歳の頃からずっと、会ったこともないのにテレジアに強烈な印象を残す女の子が、そっくりそのままの形で現れた。


 夢で何十回と繰り返し、何度も何度も目の当たりにした光景に、テレジアは目を伏せた。


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