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桜エッセイ

桜舞い散る記憶

作者: 千羽稲穂

 先日、母校の桜が咲いているのをパシャリと写真に写しました。もうずいぶん取っていなかった桜です。夜も陰りおどろおどろしくなった妖艶な桜は、たった一本の電灯に照らされて、淡いピンク色を灯していました。ピンク色の桜が花びらを散らしながら、立っている姿はまさに荘厳といってもいいでしょう。


 私の母校は桜で彩られた綺麗な場所に咲いていました。そのため、春はいつも窓から満開の桜が見えていました。隣のクラスでは花見をしたよ、私のクラスもしよう、そう言って両組が桜を見ながら給食を食べたことがあります。そのころの記憶は今では覚えていません。ただ、あるのはそういった事実があったこと。


 それというのも、記憶が薄れているせいかもしれません。

 私は人間です。過去の記憶も、過去の思いも薄れていきます。そうして残るのは、そう言うことがあったのだなあという悲しい事実だけです。


 窓から見えた桜はもうありません。学校を建て直し、校舎を移動する過程で、母校の桜は、そのほとんどは伐採されてしまいました。かつては、数十本もその土地に咲いていた桜も片手で数えられる程になってしまっていました。かつてあったあのぼろぼろの校舎の姿は既になく、今は違う建物が立っていました。その建物は冷たい寒色の壁をしていて、どこか病院ように感じられたものです。


 今では姿を変え存在し続ける、その土地にどこか名残おしさを感じました。


 そう言えば先日同窓会に出席したのですが、その時にこんなことを聞きました。

「俺のクラスだけ花見したよな」

 事実さえあやふやになっていました。事実としては、給食は私のクラスだけ食べたそうです。その瞬間いろんなことを思い出しました。


 旧校舎の不憫さ。トイレがとても怖かったこと。あそこには必ず幽霊が居るよね、と笑いあいながら昼休み中ずっとトイレ掃除をしていたこと。そんなトイレでも何回か人が閉じ込められたこと。それは建てつけが悪かったせいもあるのでしょう。時折トイレのカギは滑るが悪かったことがあります。教室の床はいくつか踏み抜けましたし、木が黒ずんでいました。それでも縦長の教室にはいつも、窓から桜が覗いてました。


 大きな木でした。

 枝は太く、風が来ても倒れそうにない、とても逞しい桜の木でした。その木を中心に学校の庭が広がっていました。よくそこに鹿やサルなんかが下りてきて、急遽下校させられたことがあります。植えたさつまいもは全て鹿に食べられてしまい、理科のそういった畑を使う授業はいつも尻切れトンボで終わっていました。そんな庭はその大きな木で象徴されているようなものでした。


 そんな木でも一回台風で枝が折れたことがあります。その枝は萎れているように見えました。それは重たげに木は手を下げている老木のよう。本当は死が近かったのかもしれません。本当はもうとっくにこの木は疲れて、眠りたかったのかもしれません。


 校舎が変わる時、その木は切られ、切り株になっていました。


 あの時、虚しさは感じていませんでした。あの綺麗な桜をまた見たかった。そんな残念はありますが、その前にあの美しい景色は脳裏にこびりついていましたから。私の代で、あの桜の姿を収められましたから。この光景を独り占めできた、そんな嫌な感情がありました。

 今、そんな感情さえなくなっています。薄れているのですね。


 桜で沢山遊びました。花びらのベッドを作り、その上で寝たり、友達を花びらで埋めたり、あの美しい遊びも、ターザンごっこをした冒険心も、じめじめと石積みをした、あの場所も、もうないのです。涙も出ないのに、不思議な悔恨が名残惜しく胸にあります。楽しい思い出も私はもうできない。大好きだった友達も、その多くが連絡が絶たれています。大人になってしまった。あの頃の子供の気持ちも、きっともう思い起こせません。もうあの時の友達との関係も築けません。


 今年も桜の花びらが散っていきます。私は多くの事柄を忘れ、諦め、薄れ、残った何かに思いを浸します。どうして忘れるのだろうかと、思い立った時、私は筆を執るのです。あの頃の光景はどうだったでしょうか。あの感情を表す語はどう書けばいいのでしょうか。この一瞬を忘れたくないのです。


 ざーっと花びらが風で押し出され、私の前を押し寄せた時、ふと思うのです。


「ああ、美しい」


 これだけでもいいのかもしれません。忘れても美しいと思えるものを脳裏に焼き付けたら、それだけでいい、そう思うときもあるのです。私はそれでも思い出します。この世界が美しいもので溢れていたころを忘れないために。


 綺麗なものはもう過ぎ去っていきました。私は多くを見て、悲しみました。それは一種の美しさだったのかもしれません。それが大好きです。はかなげで虚ろ気な今を想い、過去を懐かしむ。美しさに酔いしれるのです。それがある意味私の『美』です。

 春にはあの頃の大木の桜を想い、夏には樹齢何百年のメタセコイヤの葉を思い出し、秋には黄色い銀杏と紅葉した落ち葉を見るのです。そして冬には乾いた空気を吸って、寄り道をしたあの頃を。

 輝かしい思い出を。

 

 ーー今日も。


 先日、パシャッと写真を撮りました。この光景を収めるために。もう戻らない今を思い起こすために。

 電灯で照らされている、残った数本の桜の木はあの頃よりも枝が逞しくなっていました。まるであの時の窓から見えた桜の木です。たくさんの思い出をこの桜がまた残していくと考えると、この写真も無意味かもしれませんが、それでもこれを持つことに、思うことに意味があるように思います。


 その後に寄ったコンビニにはあの時遊んだ年上の女の子がレジ打ちをしていました。

 今もまだあの時遊んだ私だと思い出してはいないでしょう。

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