リクエスト:最期の言葉
リクエスト短編です。
超短編にいろいろ詰め込んでしまったので展開は忙しないかもしれませんが、その点はご容赦頂ければ幸いです。
新しい表現技法を試したりしているので、読んでいて違和感等ございましたらお知らせください。
私の理想の愛、少しでも知っていただければ。
何かが焼ける嫌な匂いが、瓦礫の山を必死に駆ける私に纒わり付く。
肉の焦げる匂い、ゴムの焼ける匂い、漏れ出たガスの匂い。絶望を連想させるそれらを振り払うように、私はただひたすらに彼の元へ走る。
幾つか傷の走った肌は人間のそれとは微妙に違っていて、いわゆる血色というものに欠けている。髪の色や瞳の色もそうだし、何より常軌を逸した身体能力が、私が人間でないことを告げている。
精霊。人間と共に戦うことを目的に造られた、ヒトの形をした異形。
人間でない私が人間の為に戦う、そんな矛盾を今更思い出して無理に笑おうとする。
絶望まで、あと80m。
私が見つめる先には、1匹の怪物と1人の男がいる。怪物の振り上げる爪を見ているのか、跪く男の視線は怪物の右手に縫い止められていた。体格差は歴然としていて、まるで大の大人が子供のように見えた。
絶望まで、あと50m。
私の足では数秒の筈の30mが、やたら長く感じられた。
あの怪物に、仲間は何人もやられている。死んでも意識は別の体に導かれる私たちにとって「死」という意識は薄いものだけど、それでも何人もの仲間が「死んだ」事実は胸に重くのしかかっていた。
死んだ仲間には、私より強い精霊は何人もいた。そんな仲間達を殺した怪物に、私は1人で立ち向かおうとしている。
……絶望以外の、何が残っているのだろう?
絶望まで、あと30m。
絶望しかないと分かっていても、足掻いてしまう。きっと彼の心に感化されているのだろう。私を「精霊」とは扱わず、1人の女として見てくれた彼。
そんな彼が、私の目の前で殺されそうになっている。
私にとっての「絶望」は、彼の死だ。
私が死ねば、彼も死ぬ。私に戦って勝てる道理は無い。つまり、この先待受けるのは絶望のみ。
でも、私は諦められなかった。
相手を自分の間合いに入れた私は、大きく息を吸う。
(可能性が、少しでもあるのなら……ッ!)
右手に握る剣を、強く握り直す。踏み出した右足に力を込め、重心を下げる。
(私は、戦うッ!!)
恐怖心をねじ伏せて、私は叫んだ。
絶望の口が、開いた。
「よぉ、お前が俺の相棒かい?」
初対面の彼は、やたらと馴れ馴れしくて鬱陶しかった。どうせこの人も私のことを道具としか見ないのだろう。そう思っていた私には、彼の馴れ馴れしさが少し衝撃的だった。
「馬鹿野郎、前に出過ぎだ!死にてぇのか!? 」
戦場においても、彼の私に対する態度は驚くべきものだった。
私の身を心配しているらしい彼に、私は頓珍漢ないらえしかできなかった。その後数時間にわたって説教を食らったのは、いい思い出だ。
「生き残れる僅かな可能性に賭けろ!生還を諦めたその瞬間に、そいつは死ぬんだ!」
死を覚悟するような状況でさえ、彼は生きることを諦めなかった。あろう事か、彼は明確な「死」の無い私の命を守ろうとさえした。その時の私には、彼が考えていることが理解出来なかった。私を囮にでも使えばより安全なのに、などとしか考えられなかった。
「結婚してくれ」
死の淵から生き延びた後、彼は私にそう言った。
この時、彼が私の命を守ろうとしていた理由がやっとわかった。その瞬間から、私の命は精霊のそれとは違った存在になった。
彼が、私を作ってくれた。造られた体に宿る、作られた心。
歪な形の生き物だけど、私は彼を愛している。
そんな彼を、失ってたまるか。
「やめろォォォォォォッッッ!!!!」
踏み抜いた右足が地を穿ち、私の体は弾丸のように一直線に飛翔する。ビルだったもの、民家だったものが高速で視界を流れてゆく。
一撃目は不意打ちの刺突。これが決まれば、最短最速で脅威を排除できる。
しかし、怪物は素早く私の声に反応した。首だけを動かして私を認識するなり、そいつはゴーレムを連想させるような体をするりと動かした。
チッ、という音と共に、剣先が岩のような肌を掠める。
(外した、っ……でも!)
ここまでは予想通り。勢いはそのままに、1度怪物の横を通り抜ける。瓦礫を撒き散らしながら勢いを殺し、そのまま進行方向を逆転させる。
(二撃目、どうだっ!!)
パッと見、奴の表皮はかなり硬い。しかしさっきの一撃で、私の力で断てないほどの硬さではない事がわかった。それなら。
(全力の一撃、見舞ってやる!!)
その瞬間、私の頭からはある事実が抜け落ちていた。
『自分より強い精霊が何人も殺されている』という事実が。
「、ッッッ!!!?」
振り返ると、目の前に奴の顔があった。
(速い、ッ!?)
尋常ではないスピード。私の刺突を避けてから私が振り向くまでの間に、私が跳んだ距離を詰めてきたのだ。
(まず──ッッ)
右手の爪が振るわれる。
幸いな事に、左から切り払う横一線の軌道を予定していたために剣は振るわれる爪と同じ側にあった。無理やり手首の動きを制御し、爪を受ける。
ガギィィィィィンっ!!!という金属質な高音。
「きゃあッ──」
剣を持つ右手が変な方向へねじ曲がり、勢いを受け止められなかった私の体が宙へ舞う。
怪物は、あくまで冷徹だった。
奴は地面に落下しつつある私の体を再び爪で切り裂く。
無防備な私の体に、三条の傷が刻まれる。
「がふ、っ」
勢いを殺す術の無い私の体は、まるで銃弾のように瓦礫の山へ叩き込まれた。
ズガァァァン!!という破砕音が耳元で響く。
「──かはっ」
胸元から下腹部まで走る大きな裂傷から、血がどぼりと零れる。
口の中も既に血塗れで、不快な匂いと感触が充満していた。
怪物は、じっとこちらを見ている。
私がこのまま力尽きるのを待っているのか、はたまたどうとどめを刺すか思案しているのか。
……実際、私の体はもう限界に近い。放っておいても間もなく死ぬだろう。
今まで幾度と無く経験して来た「死」の感覚。それがどんどん近づいているのがわかった。
けれど、私はそのまま死を受け入れることはしなかった。
「──ッ」
瓦礫の山から這い出し、右手にぶら下がっていた剣を口に咥える。
(──少しでも、時間を……)
私の目的は、彼を死なせないこと。
最悪私が死んでも、彼が死にさえしなければ目的は達成されるのだ。
(……逃げて、お願い)
混濁した視界には、彼の姿は映っていない。彼は今どこにいるのか、全くわからない。
それならば、「取り敢えず」時間を稼ぐのが得策だ。
かたかたかた……と剣が鍔鳴りを起こす。
私の顎が震える音だ。
力が入っていないからか入りすぎているからかは、麻痺した感覚ではわからない。
その音に触発されたのか、怪物が動き出した。先のような速い動きではなく、1歩1歩躙り寄る死神のような動きだった。
私も、1歩を踏み出す。
足には力が入らず、力を込めると傷から血が吹き出す。死神より死神に近いような歩き方だけど、それでも足を動かす。
1歩。
また1歩。
無限にも感じられるような距離を詰め、ようやく奴が私の間合いに入った。
私は、首を回し剣を振りかぶる。
怪物は、腕を振り上げることすらしなかった。
かきん。
振るわれた剣は、怪物の肌に触れて小さな音をたてただけだった。
怪物の腕が動く。
がすっ。
頬を殴られ、咥えていた剣が弾き飛ばされる。
倒れこそしなかったが、体を支える力もない私は大きくふらついた。
かしゃん。
剣が遠く離れた地面に落下する。
私から抗う術が失われた音だ。
(……終わりか)
もう私には何も出来ない。このまま死を待つ他無い。
思えば、この体での一生は楽しいものだった。愛する人とも出会えたし、今まで出来なかった経験もできた。
そう思うと、少し物悲しくなる。
(──終わり、なんだね……)
いつの間にかこの体に愛着が湧いていたらしい。どうせ死んでも別の体で生き返れるのに、何故か悲しくてしょうがない。
頬を涙が伝う。
(もっと、色んな事をしたかったなぁ……)
人間らしいことを、もっと沢山したかった。恋人らしいことを、あの人ともっと沢山したかった。
叶わない光景が、次から次へと脳裏を過ぎ去る。
──生き納めだ。
ふと目を上げれば、ぼんやりと怪物の腕が振り上げられるのが見えた。
あの爪に引き裂かれ、私はこの一生を終える。
寂しいが、変えられない事実。諦めて受け入れるほかない。
両手を広げ、その爪を受け入れる姿勢をとる。
(じゃあね、また会えたらいいな……)
愛する人に心の中で別れを告げ、暝目する。
どん、という衝撃が走った。
「──え?」
何故か、私の体は地面に倒れていた。
「──え……?」
怪物の体が、何故か目の前にない。
「え、?」
ふと自分が先程までいた場所に目を向ける。
血溜まりが、そこにあった。
「──ッ!?」
脳が処理を拒む。
だって。
だって。
だって。
守りたかったヒトが真っ二つになっていれば、誰でも目を背けたくなる筈だ。
「ぁ、あ、ああああ!!」
這いずり寄り、変わり果てたその体に触れる。
乱雑な切断面からはどす黒い血が絶え間なく流れ出し、周りを紅に染めてゆく。
「ああああああああああああああああ!!!!!!」
絶叫し、縋りつく。
まだ辛うじて息はあるが、彼がこの先を生きることは不可能だろう。
何故。そんな言葉が頭の中をグルグルと回る。
「──…、…」
微かに彼の口が動いた。
──君が殺されるところを、見たくなかった。
私の耳には、そうはっきり聞こえた。
「何で、何でよ!何で逃げてくれなかったの!!?」
八つ当たり気味に叫ぶ。だって、私はあなたを逃がすために戦ってたんだから。
──さぁ、何でだろうな……
「私は、あなたに生きて欲しかった!!私の生きる理由は、そこにあった!!それなのに、何で私より先にッ!!!!」
閉じかけた目が逸らされる。
「……ぐすっ、ぅうう、ぁ……」
死にゆく彼に八つ当たりしか出来ない私が情けない。めちゃめちゃに攪拌された頭の中から出てくるのは、ただ嘆きだけだった。
血と油と埃に汚れた髪に、力無い手が触れた。
──ごめんな。
「待って!!逝かないで!!!!お願い、私を置いて逝かないで!!!!」
──きっとまたいつか、君に会えるさ。
──泣かないでくれよ。
滂沱と流れる涙が彼の頬に落ち、飛沫を上げる。
その飛沫は彼の瞳に飛び込む。
彼の目から、一筋涙が流れた。
最初で最後に見る、彼の涙だった。
ふうっ、と息が漏れ、瞼が落ちてゆく。
──またな。
微かに動いていた唇も、これを最後に動かなくなった。
愛する人の命が、かけがえの無い大切なものが喪われた瞬間だった。
いつまでそうしていただろうか。
死体の傍に跪いていた私は、力なく立ち上がった。
「──」
何かがうわ言のように漏れ出すが、私には自分の発した言葉を理解することは出来なかった。
振り返る。
怪物。
目が合う。
「──お前が彼を……」
再びうわ言。
「お前が、あの人を……ッ!」
自分でも、何を言っているのかわからない。
わかるのは、この後には破滅が待っていることだけだ。
「絶対に、殺す……ッ!!骨身も残さず、消し飛ばすッッッ!!!!」
ああ、私は何をしているんだろうか。
私の体を形作る力を解き放つなんて、私たちにとって本当の「死」じゃないか。
怪物は、動かない。
一体奴の目的は何だったのか、それを知ることはもう無い。
私の周りに、黄緑色の輪が形作られる。
精霊の精霊たる力──霊力だ。
「お前が犯した罪、その命を以て償えッッッ!!!!」
ああ、本当に私は何を言っているんだ。「罪」だなんて、傲慢が過ぎる言い方じゃないかな。
視界が光に覆われる。
感覚が無いのでよく分からないが、きっと凄く熱いのだろう。
よく分からないが。
視界の先で、怪物がどろりと溶けるのを見た。
──ああ、きっと私は自棄になってたんだな。
──バカなやつ。
私の意識は、そこで途絶えた。
意識が無くなる直前、「またな」という彼の言葉を思い出した。
その瞬間、私は「死にたくない」と思った。
どうだったでしょうか。
読後感は人によって異なるかと思います。
この話がハッピーエンドなのかバッドエンドなのか、という点でも。
実は設定にかなり苦労したため細かい部分がぼかされたり放っておかれたりしていますが、違和感や不満な点はございましたでしょうか?
ありましたら、私の未熟の致すところでございます。一層の精進を約束し、また皆様に作品をお届けできたらなと思っております。