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Green-tinted Sixteen's Mind

ガトーショコラ

作者: おーじ

 夕方の海辺には、風が吹いているらしく、木々が揺れていた。私は電車の窓越しにボーッと外の景色を眺めていた。夕方の帰宅ラッシュ時であっても、各駅停車の普通電車は人がまだらであった。

 海辺を走る子供や併走する自転車の列を、物凄いスピードで追い越したり、ゆっくりと近付くようにしてすれ違ったりしながら電車に揺られる。最寄り駅に到着したことを伝える車掌の声が聞こえてきたので、ゆっくり席を立った。ほんの1時間程人の多い電車に揺られていたため、駅のホームに立った瞬間に香った潮の香りが、この上なく心地よく感じられた。

 改札を通り、駅の近くのバス停からバスに乗り込む。こちらもまたそんなに人が多くなかったので、空いていた1人がけのシートに腰掛けた。

 カバンから携帯電話を取り出す。新着のメッセージが数件届いていたので、それらに目を通す。上司からの業務連絡にはさっさと義務的に返事を送信し、もう1件届いていたメッセージを確認した。君からのメッセージであることを確認し、内容を見る。


『おつかれ。今日はいつ帰るの?』


 たまにこういうメッセージが君から来る度に、お前は嫁かと返したくなってしまう。が、言っている自分が妙な恥ずかしさを覚えてしまうから、いつも言わずに黙っている。


『バスに乗ったところ。もうすぐだと思う』


 私は素直に現在の状況を伝えた。もうすぐという言葉よりも、具体的な数字を伝えた方が恐らくは相手も助かるのだろうけれど、面倒くささが勝ってしまい、いつもざっくりとしか伝えていない。


『分かった』


 メールを送るとすぐに返事が来た。君は恐らく、家で暇しているのだろうか。レポートや課題があるだろうに、大丈夫なのだろうか、という過保護気味の親のような感情を覚える。

 バスを降りた私は、家まで5分ほど歩いた。坂道が多くて妙に入り組んだ地形になっている住宅街の一角に、私の家がある。家と言っても、五階建てのマンションなのだが。


 元々は私が大学進学した時に地元を離れて一人暮らしを始めた時に住み始めた家だった。君が私の家の近くの大学に通うようになってから、たまに家に来たりするようになっていった。いつの間にか、実家にたまに帰るようになっていった。

 君の親御さんとは一度顔を合わせている。君が「俺ここに住みたい」と言ってみたら、はじめこそビックリされたのだが、案外あっさりと許してもらえたのだ。そんな訳で、今まで同棲してる。


 自宅のドアを開けて「ただいま」と言うと、奥の部屋の方からバタバタと物音がした。特に気にせず靴を脱いでそのまま居間に上がった。君は座卓の近くに座っていた。私が入ってきたのを見て、君は立ち上がってこちらに近づいてきた。


「おかえり。誕生日、おめでとう」


 気だるげな低い声でこう言う君は、こちらを見て微笑む。私は、今日誕生日だっけ、と答えながら部屋のカレンダーに目を向ける。今日の日付のところには赤い丸がついていた。


「日付感覚吹っ飛んだの? 俺は先週くらいからずっと今日が来るの楽しみやったんやけど」


 社会人となって働くようになってからというものの、同じ事をこなして同じ時間に家に帰るというルーティンワークの日々が続いていた。

 日々が規則的に、それでいてすぐに過ぎ去ってゆく。ここ数年はそんな調子であるから、些細なイベントや出来事などを気にすることがあまりなくなっていた。


「まあ……あんまり祝ってもらうの嬉しい年齢でもなくなってきたかなって」


 二十歳になるまでは、毎年ものすごく誕生日が待ち遠しかった。様々な人に、無事に歳を重ねることが出来たことを祝福されることが楽しみだった。

 就職してからというもの、そういった有難味を感じることが無くなってしまったように思う。若い頃とは完全に変わってしまったようだ。


「そう? 俺はいくつになってもあなたと一緒にいれたらいいなって思ってるよ」

「リップサービスもいつもよりやばくない? 誕生日仕様?」


 普段はよく冗談を言ってくる君だったけど、こういう甘い言葉などをたまに投げてくる。不意打ちに近いものが多いせいで、毎回素直に「ありがとう」と言えずに、ふざけて返事したり顔を赤くすることくらいしか出来ないのが悔しい。しかし君の方はというと、言いたいことを言いたい時に言うような態度だから、特に気にしてはいないらしい。


「通常運転ですけど? まあこうやってあなたが俺の隣で眠ってるの眺められたらそれでいいかなって」

「またそうやって……」

 君がどういうつもりでこうやって甘ったるい高校生カップルのようなことを言ってくるのか、考えようとも思わないのだが、それでもたまにどういうつもりなのかと問いただしてみたくなることもある。


「まあまあ。それよりケーキ買ったから食べる?」

「いいね」


 君はスイーツの類は苦手だというのに、わざわざ私の為にケーキを買ってくれたのだろうか、等と自分でも自意識過剰だなあと思いつつそんな事を考えていた。


「めしあがれ〜」


 私は、君が冷蔵庫からケーキを取り出して、それを皿に乗せている様子を眺めながらぼーっとしていた。白いケーキ皿にはガトーショコラを乗せられていた。美味しそうである。


 いつからともなく、君には沢山のものを貰ってきたと思う。誕生日や記念日を逐一覚えていてくれる君のことを、照れ隠しに「女々しい」とからかって機嫌を損ねたこともあった。特に付き合ってすぐの頃なんて、毎月のように嬉々として電話を掛けてきたものだった。よくもまあ飽きないものだなぁと思いつつ、でも悪い気はしなかった。

 しかし、貰いっぱなしというのはなんとも申し訳ない気持ちが込み上げてくる。だからと言ってどうすれば良いかなんて全くわからないのだが。


「美味しい?」

「大変美味しゅうございます」

「そりゃ良かった」


 生地はほろ苦かったが、チョコレートの甘みもあり非常に濃厚で上品な味わいであった。ケーキの中で最も好きなのがガトーショコラであるのだが、誕生日に君から食べさせて貰えるというのが一番に嬉しかった。


「美味しそう……一口だけくれる?」


 そこそこ甘いことを一応注意はしておいたが、君は「一口だけだから大丈夫っしょ」と言って笑うだけだった。断る理由もないから一口分をフォークに刺す。私が「あーん」と言うと、君が口を開ける。口の手前までケーキを持っていくと、君はそれを食べた。


「甘い……」

「そりゃそうでしょ」


 暫く口をモグモグさせていた。適当なところで飲み込めたみたいだが、口に残る甘さに耐えきれなくなったのか、君は台所に向かい、コップに水を注いでそれを一気に飲んだ。


「味は悪かないけど……俺には無理」


 台所から戻ってきた君は、私の隣に座った。


「仕事大変そうやね」

「顔みながら言うのやめてくれない? 直訳したら顔ヤバイってことやろ?」

「今日くらいゆっくり寝て」


 遠回しに老けた? と聞かれているような気がしないでもないが、23歳は世間的には若いかと言われると、微妙なラインではある。私の母親に言わせると、24を過ぎて結婚してない女は行き遅れと呼ばれるらしい。現在の社会は母が見てきた世界より大きく変わってしまっているものの、私の周りで結婚した同級生というのはやはりかなりの数いる。


「23歳なぁ……はぁ……老けたな〜……」

「あなたのお母さんの前で同じこと言える?」

「ごめん」


 ケーキを食べ終えた私は、少し胃がもたれるのを感じた。ケーキが少し濃厚過ぎたのかもしれないけれど、多分自分の胃も少なからず衰えているのだろう。高校生くらいの時には、ケーキバイキングで元をとれそうな程の食欲だったのに。


「てことは付き合って何年になるんやろ」

「えー……3年か4年?」


 君と出会ったのは、私が高校生の頃だった。告白されて付き合うという形ではなく、気が付いたらお互い惹かれあっていたし、気が付いたら君が家に転がり込んできていた。そういえばいつになるのだろうか。


「もうそんなに経つのか」

「そうね」


 私は相槌のついでに欠伸をひとつかました。満腹感を覚えると眠気に襲われるという、どうしようもない体質なので悪気があって出た訳では無い。


「眠いの?」


 君が少し苦笑いをしながら尋ねてきた。疲れているのかもしれない、と私が答えると、君は立ち上がってクッションを2つ取って来た。君はそのうちの一つを私に投げる。


「いい匂いがする…」

「あ、それ今日カバー洗って、中身も日光浴させたんだ」


 柔軟剤の柔らかな香りが鼻腔をくすぐる。その時ふと暖かな気持ちに包まれた。


「君も寝るのかな?」


 クッションに顔を埋めながら、私は君の方を振り返る。君は私の真後ろに座り、私を抱きすくめる。かすかに整髪料の匂いがした。


「寝かせない〜」


 冗談っぽく君は笑った。君の吐く息が、耳に当たってくすぐったかった。その反応を楽しむかのように君がまた笑う。それが悔しくて、思わず「おやすみ」と言って顔を背ける。


「ねぇ」


 しかし君は逃がしてはくれなかった。私を捕らえる腕の力がさらに強くなった。しかし決して乱暴ではなく、とても暖かいのがまた悔しい。


「……なに」


 少しだけ顔を君に向ける。君の左手がそっと、私の右の頬に触れる。ほんのり暖かくて心地が良かった。時折わざと耳に触れてくるのがくすぐったかった。そんな私の様子を満足そうに見つめる君が、少年のようで可愛らしかった。

 ふと君の親指が、唇に触れるのが分かった。思わず君の目を見て、そして少しドキッとした。この年になったって、こういう感情を抱くことが非常に恥ずかしい。

 私は恥ずかしさでそっと目を閉じた。その後君の唇が私の唇に重なる感覚を覚えた。先程食べたもののおかげで、少しほろ苦く甘い匂いがした。


「誕生日、おめでとう」


 年をとるのも、案外悪くないのかもしれない。そんなことを思いながら、知らぬ間に眠っていた。

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[一言] 仕事疲れが癒されました
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