やっぱり女子だから
「ふふ、ふふうふ、くふ」
悔しい。悔しいはずなのにどうしてか笑いがこみ上げてくる。
マウンドに両膝をついてグローブで顔を覆って不気味な笑い声をあげる女子高生。なかなかに気持ちの悪い光景だと自分でも思う。
「すごいすごい、やっぱり二宮さんすごい。ふふ、あんなの打たれたの初めてだよ」
「風野、大丈夫か」
気がつくと目の前に二宮が立っていた。少しだけ口の端を引きつらせながら。
「大丈夫です。すみません、真剣勝負も久々だったし、ホームラン打たれたのなんてもっと久々だったので、なんかおかしくなっちゃって」
ようやく振り返ったときには打球はグラウンドの外に消えていたが、軌道は見ていなくてもその飛距離でとんでもない打球だったことが容易に想像できた。
なにをどう鍛えたらこんな打球が打てるのだろう。いや、そんなことより、初見でドロップにバットをジャストミートさせるなんて。
すごいです、とつぶやきながら右手の人差し指を親指の腹でさする。
「ありがとう。再戦はいつでも受け付けるからな」
それだけ言って二宮はバットとヘルメットを片付けに行ってしまった。あえて、いい球だった、だとか言わないあたりが彼なりの優しさなのだろう。全身全霊でぶつかっていって負けた投手に、そんなことを言ったって惨めな気持ちにさせるだけだ。
それに、二宮は今「再戦はいつでも受け付ける」と言った。それは遠回しに翼の実力を認めたということだ。
嬉しくてまた笑みがこぼれてしまう。また対戦できるんだ。翼はグローブで顔を覆う。
「おーい、マネージャー。次投げてくれ」
いつの間にか次の打者が打席に立っていた。翼は慌ててセットポジションからバッティング練習用のストレートを投げこんだ。
陽が傾きグラウンドが真っ赤に染め上げられる。選手たちはそれぞれ自分のポジションのグラウンド整備を終えて道具を片付けているところだった。翼もボールやヘルメットなど一人で持てる道具を部室にしまいながら今日の対戦のことを思い出していた。
中学生のときのあの事件以来、自分が野球を頑張ると頑張るだけ、誰かのプライドを傷つけて、やがて自分の心すらも傷つける結果を招いてしまうのだと思って、プレイヤーの道を諦めていた。それは翼が女子だから。
しかし、二宮は性別など関係なしに翼を評価し、対戦を申し出てくれた。あの頃は翼を含めみんな気持ちが幼かった。だからあのような事件が起こってしまったのだろう。それに、ここにいる選手たちはみんな実力のある人たちだ。つまらないプライドを守ろうとする人なんかいない。
翼はもう一度野球をやれるかもしれない、と思いにやついてしまう。
「でもさあ、さっきのすごかったよな」
翼がボールの入ったカゴを部室の棚に上げたとき、外から声が聞こえてきた。翼と同じ二年生の二人。セカンドの野田とピッチャー真中の声だ。
つい聞き耳を立ててしまう。
「二宮さんが強打者なのはわかってたことだけどさ、それでも風野さんのあの変化球。えぐい落ち方してたぞ」
「うん、まあたしかにな」
翼の話だ。
「ストライク二つとってから、おれセカンドから見ててドキドキしちゃったよ。もしかして三振取るんじゃねって」
「まさか。さすがに過大評価だろう」
「いやいや、あの投球間近で見たらわかるって。コントロールもいいし変化球も、曲がり始めが遅いからよっぽど反応が早いバッターじゃないと打てないって」
「そんなすごいのかね。おれは奥のブルペンにいたからわからなかったよ」
「すごいんだって。もしかしたらお前よりもすごいかもしれないぞ」
野田は冗談のつもりで言ったのかもしれない。しかし翼は、嫌な予感がした。
「なんだと」
直後聞こえてきた真中の低い声に体が震えた。やめて、やめて。心の中で何度も祈るように唱える。
いっそのこと今すぐ二人の前に飛び出して会話を中断させてしまった方がいいのかもしれない。真中がこのあと発するであろう言葉を絶対に聞きたくなかった。
しかし、怖くてその場から動けないまま、真中の言葉を両耳でしっかりと聞き取ってしまう。
「おれが女に負けてるって言うのかよ。ふざけんなよ」
「そんな、冗談だって。マジになんなよ」
「大体、マネージャーが投げてることがおかしいんだ。二宮さんの口車に乗せられて真剣勝負とか何考えてんだよ。中学時代にどれだけすごかったか知らないけどな、なんでマネージャーが二宮さんと勝負してんだ。調子に乗るのも大概にしろよ」
「おい、言い過ぎだろ。というかおれに言ったってしかたないだろ」
体の震えが止まらない。ここでも結局同じことだった。性別が違うというだけで、相手のプライドを傷つけてしまう。
野球をやらない方がいい。マネージャーとしてサポートだけをしていればいい。
一時頭によぎった自分にとって都合のいい期待が崩れ去った瞬間、翼はなにもできずに立ち尽くすしかなった。
女子だから。男子ほど体が大きくないから。なんなら女子の中でも小さい方だから。だから勝っちゃいけない。目立っちゃいけない。
泣くな泣くな泣くな。
必死に言い聞かせるほど目頭が熱くなる。今にも涙がこぼれそうだった。両手で自分の震える体を抱きしめて歯を食いしばっても、頭の中に甦ってしまったトラウマが消えてくれない。
「風野さん」
ふいにかけられた声は、野田のものだった。二人はバットを数本ずつ持って部室の入り口に立ち尽くしていた。
「もしかして今の聞いてた」
野田の声は緊張を押し殺して、無理やり柔らかくしているような声だった。真中は居心地悪そうに野田の横でうつむいていた。
翼は精一杯の笑い顔を作ってとぼけて見せた。
「なんの話? 恋バナとかかな」
陽も沈みかけ薄暗くなった部室のおかげで、頬に残ってるはずの涙の跡は二人には見えていない。きっと、見えていない。