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一球入魂Girls!  作者: ぐうたらパーカー
第1章 過去との決別
3/11

一打席勝負

 思わず、え、と声が漏れる。二宮はヘルメットを被りながら右打席の地面を慣らしている。


「あの、二宮さんに私が本気で投げるってことですか。例えば、その、変化球とか使って」

「そのつもりで言った。いつもの打ちやすい球もいいが、お前の投球に以前から興味があったんだ。能力のある投手が目の前にいたら、対戦したいと思う。おかしいか」

「いえ」


 おかしいはずがない。立場は逆だが、翼も目の前に強打者がいたら対戦したいと思う。自分の持てる力すべてでねじ伏せてやりたい。

 でも、それをしたから翼は野球を取り上げられた。中学時代のことが思い出される。冷たく頑丈な扉。凶悪なまでの暑さ。流れる汗と涙。部室に閉じ込められた無力な「1」の背番号。


「私、女子ですよ」

「だからなんだ」

「女子が野球で、その、男子と……二宮さんみたいな選手と対戦するなんていいんですか?」

「怖いのか」


 二宮は構えていたバットを下ろしてマウンド上の翼を睨む。


「マウンド上で堂々とボールを投げる姿を見て、ほかのチームのエースと変わらない闘志とプライドを持っていると思ったんだが、負けるのが怖いようじゃあおれの見当違いだったようだ」


 ため息をついてバットを両手でぶらぶらとさせる。その姿は本当に気を落としているように見えた。

 二宮は、翼を「マネージャー」ではなく「投手」として見ていた。

 守備についていた選手から「マネージャー困らせんなよ、二宮」と声が飛んでくる。二宮は短く、すまんな、とだけ言ってバットを構えなおした。


「いつも通りでいい」


 翼の手のひらでボールが転がる。中学生のときに投げていた軟式球とは違う硬式の球。軟式よりも空気抵抗が少なく、そして重量がある。

 一度も全力で投げたことのない硬式球。おそらく軟式のときよりも球速は上がるだろう。思い切り投げたらどんな球が行くのだろう。

 好奇心が湧き上がる。


「行きます」


 翼は思い切り両腕を振り上げた。さきほどまでのセットポジションとは違うワインドアップからの投球。

 一度は諦めた野球だけど、やっぱり全力で挑戦したい。目の前に強打者がいるのに、逃げるなんてありえない。翼の心が熱を持つ。

 右足を軸にして片足立ちで静止する。そして力を込めるように抱え込んだ両腕を一気に開いて左足を前に突き出した。視界の端に驚いた顔をした二宮が映る。翼はお構いなしにボールを握った右腕を鞭のようにしならせて振り抜いた。指先にびりびりとした、毛細血管が切れる感覚が走り抜ける。

 翼の放ったストレートはアウトコース高め、ストライクゾーンからかなり離れた場所を、彼女のそれまでのMAXを超えるスピードで通り過ぎた。

 なんて気持ちのいい瞬間。


「二宮さん、勝負お願いします!」


 翼が笑顔で言う。


「望むところだ」


 二宮もまた笑みを浮かべる。


「一打席勝負でいいですか」

「ああ」


 まるでオーラが滲みでるようだ。二宮は試合で相手エースと対峙する時と同じ顔つきでマウンド上の翼を威嚇している。すっと立てられたバットは刀のようで、その姿は侍を彷彿とさせた。

 翼はグローブの中でボールを握り直して頭の中で投球のイメージをしている。全力投球なんて二年もしていない。さきほども思い切り投げることだけを考えて投げたら見当違いのコースに行ってしまった。

 理想のコースに投げ込むイメージ。ボールが離れるまで指先に神経を集中して、ボールを操るイメージ。できた。

 ワインドアップから今度はストライクゾーンを意識して放る。さっきより球速は落ちるが思い通りのコースに向かって行く。アウトコース低め、バッターの目線から一番遠いコースを飛んでいくボールに二宮のバットが襲いかかった。しかし、鋭いスイングはボールをかすめることもなく空を切った。

 翼の口から、よし、と溢れる。


「ワンストライクですよ」

「今のはスライダーか」


 スライダー。投手の利き腕とは逆方向に滑るようにして曲がる変化球。二宮のような右打者から見たら逃げていくように変化する。

 翼は二宮の問いには答えないまま次の投球の準備をする。勝負が終わるまで、いや勝負が終わっても相手に手の内は晒してはいけない。それが本当に勝ちたい相手なら尚更だ。

 今度はインコースの高めにストレートを投げる。先にアウトコースの球を見せ、打者を無意識のうちにホームベース側に引き寄せる。そして遠くのコースを意識させたまま、打者の体の近くにストレートを投げ込むことで上体を仰け反らせ、ストライクをとることができる。

 そのはずだった。しかし、配球を読まれていたのか、二宮は左足を三塁側に開いてインコースのストレートを思いきり叩く。

「うおっ」とサードを守っていた選手が声を上げる。痛烈な打球が三塁線ギリギリのファウルグラウンドを飛んでいった。


「いい球だが、読まれやすい配球だな」


 たしかにそうだ。二宮ほどの打者に基本テクニックのような配球はするべきではない。とはいえ、狙い通りのコースに来たことで少し気がはやったのか、打球はファウルになった。

 翼はそれから四球を二宮に投げた。その内二球はストライクゾーンから外れてボールに、あとの二球はいずれもファウルゾーンに強い打球を飛ばされた。


「そろそろ決めますね。私の全力です」

「おれも全力で打つ」

「さあ、構えてください」


 翼はまた思い切り両腕を振り上げた。吸い込んだ息を止めて、酸素をエネルギーに変えるイメージが頭を巡る。

 久々の強打者との戦いに心臓が弾み血液が身体中を駆け回る。ドキドキする。野球に対する気持ちがどこまでも高揚していくのがわかる。


 ドッドッドッドッ……

 抑えきれない鼓動の高まりと気持ちをボールに乗せる。


 強く踏み出した左足に身体を乗せて体重移動をし、指先に力を込めた。でも強く放つわけではない。翼の持ち味は、繊細さだ。指先はボールを引っ掻いて強い回転をかける。


「いっけ!」


 彼女の投げたボールはストレートよりかなり遅いスピードでストライクゾーンの真ん中高めに向かって進む。そこから重力を受けて下に落ちていくがフォークやチェンジアップとは違う。

 中学時代何球もこのボールを投げてきたが、どんな打者に投げても初見で打ち返されたことは一度もない。このボールは打者の想像よりもさらに下まで落ちていくからだ。

 ウィニングショットの名前は「ドロップ」。

 二宮は膝を柔らかく使い落ちる変化球に対応しようとした。ここまでは当然してくると踏んでいた。でも彼は太腿の高さまでの落差しか想定していないだろう。それでは打てない。翼のドロップはそこからさらに膝下まで落ちる。

 さあバット、空を切れ。


「甘いな」


 数秒、翼は正面向いたまま動けなくなった。たしかに狙ったコースに行った。落差も軟式のときと比べれば小さいがストライクを取るには十分だったはずだ。

 しかし、グラウンドに快音を響かせたバットは翼の頭上高くに打球をはじき返していた。もう何年も前に味わったきり、今日この瞬間まで忘れていた感覚。


「ホームラン。おれの勝ちだな」


 ようやく動けたときには、翼は全身から力が抜けてマウンドで膝をついていた。

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