1ー1話
僕の名前は真中優樹。
この街で生まれ育って二十二年になる。
とは言っても僕について述べることは特になく、少しばかり絵を描くのが好きな平凡な男子だ。
それ以外に僕の身体的特徴や性格などを列記したところで、何の意味も、面白味もないから、代わりにこの街について少し紹介しておこうと思う。
この街は、ぐるりと山々に囲まれた盆地にあり、商業施設や住宅の大部分が、街の中心部から南部にかけての地域に集中している。
東西の山々を貫いて、外部との主な行き来の役目を果たすのが、今僕の居る駅のある鉄道高架橋だ。
街の中心よりもだいぶ北寄りの位置で街を横断するコンクリート製の橋は、街の境界線も兼ね、その南北で風景を全く別のものにする。
橋の南側では、新しいオフィスビルやマンションが次々に建ち、日ごと、月ごとに景観を変え続け、それに対して橋の北側は十数年間ほとんど姿を変えず、子供の頃よく遊んだ公園や、自然豊かな山道が、そのままの形で残されている。
時代に置き去りにされないよう目まぐるしく都市化を続ける街と、何かにしがみつくように、まるで変わろうとしない街。現在と過去、変化と安定、そんな相反する二つの均衡の上に、この街は成り立っている。
そしてその恩恵を最も受けたのが、街の中心付近にある美術大学だった。
両極端な二つを併せ持つこの街の特色は、少なからずそこの学生達の創作に影響を与えた。
学生達は自身の苦悩や葛藤を、この街の在り方に重ね合わせ、作品を完成させるたびに何かしらの答えを見出し、少しずつ前に進んでいく。
やがて才能を開花させた何人もの在学生や卒業生が、この街を題材にして、立て続けに賞を取った。
運や偶然も重なったのだろう、その結果、この街はいわゆる《聖地》として崇められるようになり、全国的にも有名になった。
元はと言えば、予算的な都合で北部の開拓にまで手が回らないだけだったが、それも今では《自然と芸術の街へようこそ》などという垂れ幕をあちこちに掲げて、観光客を呼び込むためのものとして利用されている。
あまり派手にし過ぎると、街の景観や雰囲気を損ね、学生達の創作活動に悪影響を及ぼすのではないかと心配する声もあったが、それほど大きくないこの街にとって、経済的な潤いは何より魅力だった。
さて、かく言う僕も、二年前まではその美術大学に通う学生だった訳だけれど、二回生になったばかりの頃、僕は美大を辞めた。
僕の場合、別にそれらの悪影響があった訳でもないし、辞めなくてはならない特別な事情があった訳でもない。
でも、何かそれらしい理由は欲しかったから、僕はとりあえず『理想と現実のギャップのせい』だとか、格好つけて言い訳をしていた。
誰にも言うことはなかったけれど、僕が美大を辞めた本当の理由は、ただ逃げ出しただけに過ぎない。
多くの優れた学生達の中に混ざって、本当に自分には才能があるのか分からなくなった。
例えば静物デッサンや写真模写。皆同じモノを描く訳だから、多少の巧拙はあっても、完成した絵はどれも似たり寄ったりで、僕の絵も、僕の絵というよりは、全体を構成する一つでしかないように思えた。
いくら才能を認められた人間を何人も輩出したといっても、それは全体で見ればほんの一握り、数千人のうちの何人かだ。
だからこのままでは僕も、数千人の中に埋もれてしまいそうで、怖かったんだと思う。
僕は他のやつらとは違う。
僕は僕のやり方で才能を認められてやる。
そんな突っ張った思考で美大を辞め、僕はアルバイトをしながら、この街で絵を描き続けていた。
美希と出会ったのは、そんなある日のこと。
昨年の秋口のことだった。