序 -朱-
かねてから準備をしていた、というか書きたかった異世界バトル物です。
まだまだ拙いと思いますが、生易しい眼差しで見守って頂けると嬉しいです。
熱い。熱い。熱い。熱い。熱い。熱い。熱い。熱い。熱い。熱い。熱い。
口から絞り出す息が、体中が、頭が、目の奥が、ありとあらゆる身体の全てが熱い。
熱い。熱い。熱い。熱い。熱い。熱い。熱い。熱い。熱い。熱い。熱い。
身体の熱さとは裏腹に、必死に動かしている足元は震え、膝もとはがくがくと定まらず、もし止まろうとすれば疲労と乳酸に蝕まれたそれはもつれ、二度と立ち上がることはできないだろう。
だから、彼は必死に足を動かす。歯を食いしばり、時折後ろを振り返りながら、額から滝のように噴き出す汗をぬぐうこともせず、ただただ足を動かす。
鬱蒼と茂る森。陽の光が木々の葉に隠れて届かず、仰いでみれば何処までも聳え立つ大木ばかり。足元は木々の根によって不安定な物となり、動かす足は容易くとらわれて走る速度を上げることができない。
熱い。熱い。熱い。熱い。熱い。熱い。熱い。熱い。熱い。熱い。熱い。
思考を埋め尽くすのは『熱い』という単語のみ。疲労や『止まったら』などと言う言葉はもはや浮かんでくることはない。忘れているというよりは、本能的な部分へとシフトして、それを行うことが当然という意識になっているのだ。
生存本能、というべきか。生きる為に必要な行為として認識された『走る』という行為は、今現在彼が持ち得ている全ての力をそこに集約させていた。
熱い。熱い。熱い。熱い。熱い。熱い。熱い。熱い。熱い。熱い。熱――
ぐらり、と彼の体が突然よろめき、走っていた勢いのまま、すぐそばにあった木の幹に激突する。全力で走っていた為にその衝撃は相当な物で、肺から一気に空気が絞り出され、それなりの痛みを与えてくるはずだったが、それでも自分が感じるのは『熱い』という認識のみだった。
堪えるように顔を歪め、ずり落ちそうになる身体を叱咤し、左肩で木の幹を押しのけるようにすると、なんとか身体は動き、その反動で足を前に出すことに成功する。
彼が離れた木の幹には、べっとりと、赤黒い粘り気のある液体が広範囲に付着していた。
鉄の匂いさえ感じ、生臭い、どろりとしたそれは、彼が今まで動いてきた軌跡を辿るように点々と地面にその存在を残していた。
顔が歪む。歯を食いしばる。痛みはもはや感じない。そんな次元などとうに通り越してしる。
歯を食いしばるのは、意識が断絶するのを回避するためだ。足を動かすのは、動かしていなければ即座に止まってしまうからだ。
だが、その足掻きももはや限界に近い。血液は人の命を支える大切な物。ある一定量を失えば失血死に至るし、そうでなくとも、その前に自身の体が言うことを聞かなくなる。
熱い、と感じる意識さえも途切れがち――左腕を抑える右手にも、力がない。
流れ落ちる血液すらも、その勢いを減衰させる。
――そう、彼の左腕は、二の腕の半ばから、まるで獣に食いちぎられたかのように失われていた。その中心にある白い骨も、半ばからへし折られており刺の様な鋭利な破片が構成されていた。
「――は、――ぁ、ぐ――」
紡がれる声は途切れ途切れで。
失われた左腕は、勢いを失った血を流しつつ、熱さしか伝えてこない。
時折頬を撫でる黒い風が、そうなってしまった元凶が未だにこちらを狙っているのだと、逃げることなどできないのだと、最後通牒を突きつけてくる。
――わかっている。わかっているのだ。そんなことは。
だが、それでも足を止めないのは、肩を叩く恐怖から逃れるためか。それとも、ただひたすらにもがき、探り、縋ろうとしているのか。
生きるのびる事が出来る、という希望に。
あるいは、反撃の機会を窺っているのだろうか。
いや、そのどちらでもなく――追いすがるその全てを殲滅するつもりなのか。
やがて、視界が開ける。鬱蒼とした木々を抜けたその先にあったのは、何もない、青々とした雑草が生い茂る小高い丘だった。
世界の果てまで続くのではないかと錯覚させるようなその草原、その中心と思わしき場所には紅く浸食された血溜まり――まるで地獄の底に存在する処刑場の如くその存在を主張する。
絶え間なく溢れ出るそれは、蒼を、緑を、世界を蝕み、全てを取り込もうと増殖を続ける。
もはや前のめりに倒れるように足を動かし続けて、その赤へと朱へとアカへと、光に引き込まれる蝶のように、吸い寄せられていく。
もはや熱さは感じない。その代わりに言いようのない寒気が全身を包んでいる。
冷たい。寒い。苦しい。寒い。寒い。寒い。痛い。
視界が歪む。紅く歪む。ぐにゃり、ぐにゃりと、形がなくなる。
小高い丘に見えたのは、既に数えるという領域を遥かに超えた数の、肉の塊だ。折り重なり、束ねられ、まとめられ、粗大ごみのようにうず高く積まれた、手で、足で、胴体で――しかし、首だけがなく、乱雑にねじ切られた断面から流れる血が滝のように地面に吸い込まれていく。
ああ、そうか、と。
半ば、諦め交じりに理解した。
いずれ、ではなく、もうすぐ。自分も、あの中の一つになってしまうのだと。
足元に感じた衝撃によろめき、血溜まりの中へと頭から突っ込んでしまう。躓いたのが、腕や脚でなく、ただの指先であったのが、横倒しになった視界に入って理解する。
もう、それを回避できるような状態ではなかったのだと。一度倒れてしまえばもう起き上がれないと考えていた通り、限界をすでに超えている身体は、起き上がろうとする精神に対し、右腕は反応し、身体を無理やり起こそうとする。しかし、数センチほど上半身を起こしたところで、かくん、と腕の力が抜ける。
何が、と視線を向ければ、細い針の様なものが関節部分を貫通し、肘の反対側にまで突き抜けていた。神経そのものが傷つけられたらしく、もう動かそうとしても動かない。だが、痛みはない。痛みを感じる余裕がないのではなく、いよいよ、感覚そのものが鈍くなってきている。
そう判断した瞬間、そう思ってしまった瞬間、急激な睡魔が襲ってくる。瞼が重い。呼吸することも苦しい。息はか細く削れ、もう、冷たさも、暑さも、何も感じることができない。何か、大切な目的があって動いていたはずなのに、靄がかかったように、そのことを思い出すことができない。
何だっただろうか。確か、とても大切なものだったはず。
「――数は、――ったか?」
「――、今―ヤツ――後だ」
声が聞こえる。複数、男の声のようにも聞こえる。それが、何を意味するのか、もう、理解しようとする意識さえ働かない。
「しか―――だけ――を揃え――要が―――のか?」
「――な、そ――お偉―と―の―狼に――てく――」
好き勝手な事を言っている気がする。何を目的としているのかはわからない。ただ、一つだけ、わかることがある。今、この状況に、ではなく。
今の今まで追いかけられていたのは――あいつ等のせいなのだと。
僅かに心にともる怒り・憎しみ・恨み・つらみ。しかし、それを維持できるほど、彼に時間は残っていなかった。
塗りつぶされるように、押しつぶされるように、視界に、頭の中に、その奥に、赤が、アカが、朱が、しみ込んでくる。侵入してくる。入り込んでくる。
「――るぞ」
「――った。――行くぞ」
声に呼応して、視界が全てアカに染まる。
ああ、熱い。熱い。熱い。熱い。熱い。
燃える、燃える。全てを灰にする炎が燃える。
綺麗な、キレイな、きれいな――朱の――
――なんじゃ、久方――に詠ばれ――ば。こんな――粗末な――にえで――
アカに交じる朱が。綺麗な、キレイナ、きれいな、朱が。
――む――んだのは――つか――
見つめる。見つめられる。
――ほう、中々――しい――眼じゃ――
ああ、吸い込まれ――いや、ちが――入り込んで――く――る――。
朱と、一つに――
タイトル通り、序、です。
これから“彼”がどうなっていくのか、彼に語りかけた存在は何なのか、追い詰めていた者達はいったい-―それはまた次回以降のお話にて。
異世界戦闘絵巻、始まり始まり。