5話
俺のアパートにはテレビが無い。余裕が無いからではなくて、テレビの必要性が感じられないからだ。当然新聞も取っていないし雑誌も買ったことが無い。情報を知ろうと思えばネットがあるし、そのほうが無駄なものを見なくて済むから効率的だと思う。
会社の同僚連中への説明は、いつもこう言っている。
けれどまぁそれは建前で、正直なところ本音は「ただマスメディアが死ぬほど嫌いだから」だったりする。それ関係の場で真面目に勤めている人には悪いけれども、俺は彼らの行う報道のあり方がどうしても許せない。十七年前、父親が死んだ俺に「どんな気持ちですか」とマイクを突きつけてきたあの時からどうしても。当時俺はまだ八歳ではあったが、質問の無神経さに唖然とし、どんな気持ちか本当に聞かなければ解らないのかと心底に呆れた。哀しい以外の何があるというんだろう、家族が死んで俺が喜ぶとでも思ったのだろうかと。
「あぁ、君もそのクチ?ほんっと迷惑だったよなぁ」
彼の手が氷を掴み、ぽいとグラスに放り込む。
薄い飴色の液体が揺れて、落ちた氷がからからと鳴った。―――ウチと同じく新聞もテレビも無い彼の部屋、あるのは立派なオーディオ機器とパソコンだけだ。
「俺もアレが切っ掛けでテレビ嫌いになった。参ったよ、学校に問い合わせは殺到するし個人情報は全国ネットで放送されるし――《事故機副操縦士の息子が空自の士官候補生予備軍》だろう?エサにするには格好の素材だったと思うよ」
「それ、見た覚えがある」
"事故機、悲劇の畑副操縦士の息子は航空自衛隊士官候補生予備軍"。
確か見出しはそんなだったと思う。顔を顰めてそれを言うと、彼は良く覚えてるねと肩を竦めた。
「俺は防大の学生舎っていう閉鎖的な場所に居たからね、それ程騒ぎを直視できた訳じゃないんだ」
「閉鎖的?防衛大学が?」
きょとんとする俺に、彼が笑う。
「閉鎖的でしょう。"防衛大学校入学と同時にその身分は国家公務員となり、入学金・学費は国から出るため無料。また毎月《給料》学生手当金が支給され、半年事に《賞与》期末手当が支給される"―――知ってた?」
「・・・え、えええ?マジで?そうなの?」
「そうなの。そして途中で辞めてもそれら支給金を返金する必要は無い。なので中退の身では税金ドロボーと言われてもちょっと言い返せない」
くつりと苦笑する。
――まぁでも。
グラスを煽り、彼の手がまた液体を注いだ。濃い飴色が回る。
「航空機系統に居るのが辛いからって、二学年で辞めたのは勿体なかったかも。あそこ一番キツイの一学年なんだよ」
そう言って、彼は防大一年生のスケジュールをずらずらと口にした。
――曰く、一日は六時半に始まり十七時まで基礎やら専門やらの課業を行う。その後クラブ活動があり十八時から十九時までに入浴と食事を済ます。
十九時から二十時までは基本的に自由時間だが、実際はパレード訓練や非常呼集、ミーテイング等がありほぼ自由は無い。二十時から二十二時十分までは自習時間で、二十二時三十分に消灯。一応二十四時まで勉強が可能らしく結構ぎりぎりまで励んでいる者も居るが、しっかり睡眠を摂らなければ体力が追いつかないので早めに寝るに限る。
この時点で俺はもう絶対に無理だと断言できる。なのにこれは毎日続く一日分のスケジュールでしかないのだ。やってられるかという心境だ。
因みに一学年の間は外出時制服着用が義務付けられ、ついでに外泊は不可との事。二年になると年間十二回の外泊が許され、三学年は十六回、四学年は無制限と回数が増える。が、何年であろうが基本的に特別な理由がない限り平日外出は許可されず、つまり普通の大学だと思って入学しようものなら地獄を見るという事だ。実際あまりのきつさに入学式前で既に十数名が辞めていくそうで、一学年夏休み終了後はそのまま帰ってこない人も多いと言う。
俺だったら三日耐えられるかどうかも解らない。例え夏休みまででも、そんだけ我慢できればもう充分なんじゃないだろうか。
「す――すげぇ・・・むしろソレ軍隊じゃん・・・」
「"自衛隊"だよ。日本は軍隊を所持できません」
憲法第九条、と彼は笑ってグラスをひょいと煽った。
空になったグラスでからりと氷が鳴り、綺麗な目が懐かしげに細められる。彼はアルコールには強い人だが、今日は気のせいでなくピッチが早いと思う。
「・・・俺は和樹君が凄いと思う」
「―――は?」
大丈夫かなと思っていると、彼がぽつりとそんな事を言った。
凄いと言われても、今話していた事と何の繋がりがあるのか解らない。それに凄いのは俺ではなく彼ではないか。何を言っているのかさっぱりだ。
首を傾げていると彼がまた酒に手を伸ばすのを見て、俺はアレと眉を顰めた。――今気付いた。今さっきこの人ブランデーをロックで飲まなかったか。
「は、畑さんストップ!飲み過ぎ!せめて水で割ってから・・・!」
「ん?大丈夫」
「全然大丈夫じゃないってば!やめやめー!」
「大丈夫って。俺酔えないんだ」
朗らかに首を降る仕草はいつもより陽気だ。
でも言葉が嘘ではない証拠に、眼鏡のない瞳は理性的な色しかない。
――酔えない、って。
「俺ね、情けない話しだけど逃げたんだよね。航空系に携わることが怖くて全部放り出してさ。――でも君は逃げなかったんだな」
"家族の事と君の仕事を聞いて――"
「はた、」
「航空整備士だなんてね」
彼の手がテーブルに落ちた。
こつりと微かな音がして、彼は微笑んで目を伏せた。
「俺は空自どころか航空関係すら拒否して貿易会社に入社した。なのに君が選んだのは事故の起きた原因である整備士だ。――凄いよ」
――俺には出来なかったから。
・・・そうじゃない。
彼の手は真っ白だった。
俺はそれを見つめ、無意識で手を伸ばしていた。違う。触れた手はひやりと冷たい。思わず強く握り込んだ。――そうじゃないのだと、言えないまま。
「・・・会ってみたかった」
静かな部屋に彼が言った。互いが互いに、探したことはないし探そうともしたこともない。
それでも。
握りしめていた手に、俺の手が逆に包み込まれていた。
「会ってみたかった、君に」
握ってくる手の力は強くて、その優しくも冷たい感触に目を伏せた。
探さなかった。でも会ってみたかった。それを言われるのはとても不思議だった。
『彼』に会ってみたかったのは俺の方だからだ。