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11話


 熱の正体は分からない。

 あついというのと高揚というのと、その二つの前提の間を行き来して、

 ・・・結論は未だに、出てこないのだ。



 青空の下銀色の車体が光を閃かせて、けたたましい音と共に一番ホームに滑り込んできた。時刻は七時十二分、時間としてそう喚き立てるほど早いと言うような時間でも無かったが、反して俺の目は半分しか開いていなかった。現実問題、寝不足だったのだ。

 ぷしゅう、と気の抜けるような音がして、列車の扉が開いた。俺は降りてくる乗客を待って半眼で乗り込んだが、どんと前方から衝撃があって気付けば体は駅にまた逆戻りさせられていた。しかも目が捉えたのは光彩陸離の青空で、何で空がと思ったところで―――がし、と。

 掴まれた腕により、俺は寸での所で駅に転倒せずに済んだ。


「・・・朝から駅ダイブはきついよ、和樹君」

「・・・は、はは」

「眠そうだねぇ?」


 車内から俺の腕を掴んでくれた手の主が苦笑し、ノンフレームのレンズ向こう、からかいを滲ませた目が瞬いた。誤魔化すように乾いた笑いを零す俺を彼がぐいと強い引っ張り、おっとっとと中に再び入った俺の体をトンと軽く抱き留める。

 その動作に一瞬どきりとしながら、けれどすぐ離れてしまった体温に落胆している自分に首を傾げた。・・・最近こうなのだ。意味が解らないが、こう言うとき妙にがっかりしている自分が居る。

 ぱしんと背後でドアが閉まると、列車が緩やかに動き出した。車内は週始めとあって混んでいて、彼に促されて俺は隅の方へと寄った。


「あ、オハヨ畑さん。マジありがとー、助かった」

「いーえ、別にそれはいいけど―――寝不足だね?さてはあの本読んだんだろう」


 ふ、と見透かす笑みで見下ろされ、俺はぐぅと詰まった。がたごとと揺れる車内、捕まる場所が見あたらず釣り革に手を伸ばす。


「ぜ、――全部読むつもりは無かったんだ・・・途中で止めるつもりだったんだ!」

「で、読破しちゃった訳ね。だーから言ったのに、ミステリは寝る前に読むなって」


 人の言うこと聞かないからだよ、と意地悪げに言われ、反論できない俺は憮然として彼を恨めしげに見遣った。くつくつと笑う彼はぱりっとした濃紺のスーツに身を包み、相変わらずのスマートさで俺を見下ろしていた。


 あの一件から、一ヶ月が過ぎていた。

 独り善がりな俺の不安や恐怖、喪失を恐れて逃げ回っていた自分勝手な行為を彼は責めず、ただ逃げることは悪くないと言った。彼の喪失を恐れる事には首を振り、むしろ離れてあげられないと笑ってくれた。

 翌朝目覚めた俺が見た、カーテンの隙間に零れる光、耳に落ちる柔らかい鼓動、何ものにも代え難い体温はどれだけ時がだっても忘れることが出来ない。朝起きて抱き締められていることには確かに驚いたが、本音を言えばあの暖かさに俺は安堵していた。意味は良く、俺にも解らない。解らないけど多分、俺はあの時思ったのだ。ここにいても良いのだ、側にいても、大丈夫なんだと。

 あれ以来、俺と彼は休みの度に会うようになった。

 特に約束や予定なんかを話し合ったりしている訳ではないが、何となく電話をしてやっぱり何となく一緒にいる。生活が重なるようになれば行動も重なり、日用雑貨などの買い物に出ると当然のように彼が居て、勿論その隣には俺が居るのである。何とも不思議な関係と言えばそうだけれども、それを互いに心地よいと思っているから尚更のこと不思議なのだ。何でだろうとか思ったことも言ったことも無くて、彼からも疑問の声など聞いたことはない。一緒にいることが自然なのだから、疑問になんか思う余地が無いんじゃないかと俺は思う。だからある一点を除き、俺と彼は実にのほほんとその自然を満喫していた。

 それで互いに日曜の休み、買い物に行ったのが昨日のことだ。そもそもは食料品の買い出しで行っていたのだが、途中寄った本屋で彼が一冊のミステリ本を勧め、俺は物珍しさも手伝ってそれを購入した。正直言うと俺はミステリがあまり得意でなく、途中で読むのを放棄するのが大概だったので、今回もそのつもりだった。だから彼が寝る前は読むなと言ったのを適当に流し、昨夜本を読み始めたのが二十三時過ぎ、はっと気付けば三時半を過ぎていたというわけだ。

 読破できて気分は良かったが、代わりに俺の瞼は両目に鉛を付けることになった。言うことを聞いていればと反省は尽きないが、まさかあんなに面白いとは思わなかったのだ。・・・あんな面白いもの勧めたんだ、責任の一端は彼にもある。


「うぅ、畑さんが面白い本紹介すんのが悪いんだ・・・!」

「俺ー?オヤオヤ責任転嫁ですか和樹君」

「・・・すいません俺が悪かったです」

「素直で宜しい。・・・―――ん?」


 楽しげに笑っていた彼がふと窓の外を見遣り、怪訝な顔で目を瞬かせた。列車は停車駅のホームへと滑り込んでいて、徐行しながら流れる景色に俺も視線を巡らせる。

 ・・・ん、んんん・・・?


「・・・な、何か・・・多くねぇ?」

「あ、やっぱ思う?――団体さんが来てるみたいだね。感じとして旅行客ってところだと思うけど・・・あー、まずいこの車両に当たるな」

「げッ」

「和樹君こっちおいで、危ない」


 ぷしゅう、とドアが開いた。

 停車駅に並んでいた乗客は、普段の二倍はあろうかという人間で溢れかえっていた。通勤時間帯に旅行者の集団とは良い度胸だと思うが、派手なおばさんで構成された集団は多分何も気にしていなかった。車内の人数をものともせずどやどやと中へ乗り込み、あちこちでちょっと入れないわよ、痛いどきなさいよと怒声が飛んでいた。・・・最強だ。


「あら鈴木さァん、こっち入れるわよ!ほらこっちぃー」

「――お、わ!」

「あらホント入れるわねぇ。よいしょぉーっ」


 いや入らない!入らないから!

 叫んだ内心の声は当然聞こえず、俺はその鈴木さんとやらに押されて潰された。さ、最強だ、最強過ぎる・・・!無いスペースを力ずくで造りやがった!

 が、挟まれて呼吸が出来ず俺は慌て、和樹君と呼ばれた方へ反射的に手を伸ばした。その腕を彼がぐいと引き、どうにかこうにか隅のスペースへと移動することができた。・・・死ぬかと思った。

 安堵し、だがしかし、は、と入り込んだそのスペースに息を呑む。

 何かどうも、俺が今居る場所ってのは、どちらかと、いうと。

 ・・・その、


「・・・大丈夫?」


 腕の中、の、ような。

 その、つまり、―――彼の。


「見事に潰されてたでしょう。ああいう客は容赦ないからなぁ」


 くすくすと笑う声の振動が、体を伝って俺に響いてくる。

 ―――俺は知っている。

 ふわりと香る僅かなコロンに、長身で細身ながら実は結構逞しい胸板とか。

 耳元で囁き落ちる低い声とか。

 とくとくと少し早めに打たれる鼓動、とか。

 俺は、知っている。

 だから、余計に俺はその瞬間凄まじい羞恥心に見舞われた。


 ・・・ど、どうしよう・・・!


 パニックだ。

 この事実だけでも俺は内心パニックだったのだが、背丈と言い体形と言い、何かどうしようもないくらい俺は丁度良く彼の腕に収まってしまっていた。ぎゅっと背中に回された腕が異様に俺の熱を煽り、状況を理解した俺の鼓動は爆発的にスピードを上げた。


「和樹君?」

「は――、はいっ」


 いいいいかんいかん、意識したら逆に失礼だ、彼は助けようとしてくれてるだけなんだと言い聞かせ、俺は懸命に返事をした。普通にしたつもりがやっぱりその声は裏返り、太鼓並の心音を聞かれたらどうすればと焦った。

 ―――和樹君、とまた彼が耳に囁いた。


「落ち着いて。凄いよ、心臓」

「あ、――」

「大丈夫だって、多分あと三つ先の駅あたりで降りるはずだから」


 くすくすと笑い、俺のパニックを宥めるように背中の手を上下させた。実際はパニックを煽った訳だが、俺は懸命にこくこくと頷いた。――あ、穴があったら入りたい・・・思い切り心臓の音聞こえてるし!

 何てこったと内心で羞恥に叫ぶ俺に、「それにさ」と彼は言った。



「そんな意識されたら、俺変な気分になるじゃない」


「―――――」


 がたん。


 列車が揺れ、俺は硬直した。

 ・・・え?

 脳が痺れたようになり、耳にぼそりと言った声、それが確かに掠れたような音だった事だけをかろうじて思い出してぽかんとした。い、今何て・・・へ、変な気分って―――


「流石にねぇ、俺も鉄道警察に捕まりたく無いし」


 ね。

 低く、耳に吹きかけるようにして言った言葉に、ぞくりと体を震わせた。

 あ、あああ、あー、その、そういう、事ですね。あはは、とどもりながら訳の解らない納得をし、それは確かに捕まりたくないと俺は思った。そして何か違うと思いながらも気付けば彼の背に俺の手はしっかとしがみついていた。

 ―――ていうか、お、俺は何をしているんだ。

 そしてやっぱり混乱する中、困ったように笑った気配が直ぐ側から落ちて。

 和樹、と名を呼ばれた。



「あのね、煽るんじゃないよ。俺もそう紳士じゃない。…気持ちはもう知ってるんだろ?」 



 がたん。


 ―――あぁ、そう。


 それが、除いた一点だ。


 ・・・熱があるのだ。

 とても、あついのだ。彼が触れると鼓動が跳ねて、妙な高揚に襲われる。彼はあつい。彼は俺をかき乱す。ところが同時に高揚させる。嬉しく、させる。

 そしてそれは、彼を相手にしたときだけである。

 前提は次の推論を、推論は更なる推論を。いくら考えてもそればかりは結論に達しなくて、俺の思考はいつも堂々巡りの果てにこんがらがって止まってしまう。それで結局、解らない。

 でも。

 会うたびにふと触れられる指だとか、見下ろしてくるレンズ越しの瞳だとか、・・・時折こうして抱き締めてくる腕だとか。そういうのを勘定に入れて推論から最低限の結論を導き出すならば、それは俺が彼を嫌いではないという事だ。

 彼を見ると高揚する。彼に触れると鼓動が跳ねる。彼が笑うと喜びが増す。

 そしてそれを、喪いたくないと思っている。

 しかるに俺は、彼を唯一と思っている。

 したがって――――


 がたん。


「和樹」


 列車が揺れて、俺は彼に自らの意志で身を寄せた。

 名を呼んだ声は困ったような色を帯びていたが、シャツごしに聞こえた鼓動、それが早くなったのも俺はしっかり聞いていた。

 あぁもう、と彼が囁いた。


「勘弁してよ。―――離せなくなるでしょう」



 ―――会社なのに、と。

 背中に回った腕に力がこもり、俺は多分茹で蛸よりも赤く染まった顔を彼の胸に押しつけた。満員電車だからって朝から何て恥知らずなことをしてるんだと思いはしたが、別にいいのだとも思う。

 何故なら俺は寝不足だ。寝不足というのはつまり、ぼけているのだ。

 だから、この先を口にするのもきっと今は許される。

 "したがって―――"



「"     "」


「…………え」



 がたん。


 電車が揺れ、車掌が次の駅の到着を知らせた。籠められた腕の力がまた増して、ちょっと痛いほどに抱き寄せられる。

 俺はそれ以上何も言えなくて、そして彼も何も言わなかった。けれどその腕の強さがそれ以上に気持ちを表していたので、俺も彼も問題は無かった。

 あついのだ。

 そしてその正体は分からない。熱が増して鼓動が早まって高揚する。けれど正体は分からなくて、解らないなりにも導き出せることはあるから、それを俺は真と見る。

 すなわち、"したがって―――"



 "俺は、畑さんが好き"である。



 多分、思うにそれだけなのだ。




<了>




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