偶然と運命
東京の大学に上がり覚えた趣味が古本をあさること。
そしていつものように神保町の古本屋巡りで洋書を探していた時のこと、突然後ろから声をかけられた。
「こんにちは、和宏君」
ぽそぽそとしたしゃべり口で明瞭には聞き取れるかどうかだったが確かにそう聞こえた。
振り返ると僕と同じ年頃と思える女の子。
ショートカットの外国人、明るいブラウンの髪に同じ色の瞳。
下世話で悪いがかなりの美少女だ。
とりあえず英語は通じる取ろうと思って返事をする。
すると彼女はくすりとも笑わず言葉を返した。
「減点1。私は日本語で声をかけた。意味はわかる?和宏君」
頬がかあっと燃える。
それにしても何故名前を知っているのだろう。
大学友達にもこんな子はいない。
すると彼女は眉をしかめまた言った。
「減点2。こんな知り合いにいたっけという顔をしている。女性の顔は必ず覚えておくこと」
にこりともせず彼女は言い放つ姿に何か見覚えがある気がするのだが、誰だろうと声を返す。
「あ、えーと、ごめんなさい。どこかでお会いしましたっけ?確かに僕は渡辺和宏ですが」
すると彼女は僕の手を握り返事には答えず店の外へ連れ出した。
「いや、ごめん、ほんとごめん。だからもうちょっと店の中の棚を見せて」
という僕の言葉を無視して。
古本屋の外に出ると相変わらず無表情で彼女はきょろきょろと周りを見ながらこう言った。
「喫茶店」
「へ?」
「喫茶店、どこかある?」
どうやら僕を喫茶店まで引きずり出したいらしい。
「バー併設のお昼は喫茶店の店はあるけれど、行ってみる?」
瞬時に頭をフル回転させ、なるべくお洒落でコーヒーの美味しい店をたたき出す。
「案内して」
「了解、そこまで行くのね」
彼女はこくんとうなずくと逃がすまいとするかのようにもう一度その手をきゅっと握った。
喫茶店へ行く道すがら何度かどこであったのか聞きただしたのだが彼女は無言でうつむくばかりだった。
喫茶店でブレンドを二つ頼むと彼女はこう切り出した。
「この喫茶店で私を思い出してくれたら減点はチャラにしてあげる。思い出せなかったら一つ私の言うことを聞いてもらう」
「あー、わかった。けど無理なことは無しね」
「人によっては無理な注文かも。でも聞いてもらう」
「へいへい」
軽口を叩いているとコーヒーが運ばれてきた。
お世辞じゃないがここのコーヒーは美味しい。
だがしかし、まずいコーヒーというのをあまり口にしたことがない。
味音痴かも知れないと内心思うことのある僕だ。
「ブレンド、ね」
彼女はそう言いながら僕と同時にコーヒーを口に運ぶ。
結構緊張する一瞬だ。
コーヒーを口に含むと彼女の小鼻がぷくりとふくらんだ。
あ、美味しいと思ったな、などと思うがいかんせん思い出せない。
「スターバックスより美味しい」
店の人が聞いたら激怒しそうな台詞だ。
小声で彼女に言葉を掛ける。
「値段が違うんだよ。美味しくて当たり前」
彼女はふむふむと頷きながらもう一度口に運ぶ。
「東京の町は広すぎるし、ぼったくりのような味の喫茶店が結構ある」
「そうかな?ファミレスでもそこそこだと思うんだけど」
「味音痴は相変わらずなのね。あの餌としか思えない食事をいつもむさぼり食べていた頃と変わってない」
そう言いつつも彼女は再びコーヒーを飲む。
結構気に入ったんだなと思いつつもヒントを要求しようと切り出す。
「煙草吸っていい?あと出来ればどこで僕と知り合ったのかなーと」
彼女は無言で頷いた。
それから一言言った。
「これがヒント。心当たりはない?」
頭を切り換えるためにキャメルを取り出し火を付けるとゆっくりと肺腑に煙を行き渡らせる。
「なんかこう、頭がちりちりするんだよなあ。顔整形したりした?俺に君みたいな美人の知り合いいたら覚えてるし」
すると彼女は少し頬をふくらませたまま喋った。
「美人はどうもありがとう。でもそれで覚えてないとは心外。あと整形はしてない」
そうかあなどと生返事をしながら煙を吐き出す。
「えーとね、僕もちと忙しいんだわ。古書店街にせっかく来たってのがあるし」
彼女はこくんとまた頷くと聞いてきた。
ささやくような声で探している本は何かと。
うーんこの頷き方としゃべり方はどこかで覚えがあるんだが。
「ダンセイニ卿の洋書なんだよ。洋書でも見つかり難いのわかる?わからないか」
彼女は口数少なく言った。
「何冊か持ってる。日本語版も持ってる。あともう降参?」
僕は手を挙げて答えた。
「出来れば両方貸して。英語に自信がないから。あと降参だね」
彼女はそこでふっと笑うと要求を突きつけてきた。
何故か邪気を感じさせない笑みで彼女はとんでもない要求を突きつけてきた。
「部屋貸して。2ヶ月ほど。あと付き合って」
一瞬頭が真っ白になったが煙草の灰がテーブルの上にぽとりと落ちて我に返った。
「いやいやいや、まずいでしょ何処の馬の骨とも知れない人間のうちに来るのは」
「私は知ってる。思い出せない和宏が悪い。あともう家族は日本にいないから本当にお願い」
うーんと首を振って考える。
「ま、いいか。君ってどんな子?悪人?万引き自慢をするような人間だと困るんだけど」
それから店を出るように促し、割り勘でコーヒー代を払うと声が後ろからする。
振り向くと彼女は首をふるふる振り小さなソプラノの声で言った。
「万引き自慢もしないし単なる凡人。あえて言えば運命論者」
どこがと聞くと彼女はまた笑みを見せ答えた。
「これ覚えてる?『アメリカ人のくせに金髪じゃないんだな?』って言葉」
それでつながった。
「えーと『アメリカ人じゃないからあえて染めるようなことはしない』確かイギリス人だったっけか」
確か中学時代の交換留学生だったよな。
うん、覚えてなくて当然だ。
蚊帳の外で話した言葉と言えばそれくらいだったものな。
そのことを話すと彼女は話したかったけれど話せなかったと前置きし一言言い放った。
「でも、初めて会ったときにまた会えるし、きっと好きになるだろうと思っていたの」