アドルフィーネとアドルフ 完結編
アドルフ・アドルフィーネ視点
随分と長い間、熱で朦朧としていた気がする。ぞの間もずっとすぐ側でフィーの気配を感じて、少しだけ安心した。
男の俺が守ってやらなきゃいけないのに、情けないって、ぼーっとした頭で少し落ち込んだ。
どれだけ時間が経ったのかわからないけど、やっと頭がはっきりとしだして、どうにか立ち上がれるようになった。
俺が壁に縋って一人で立つと、フィーが不安そうな目で見る。少しでも俺が視界からいなくなるのが耐えられないみたいで、偶に縋るような眼で俺を見ている時がある。
何だか、手足も痩せた気がするし、こっちを見ているのに何も見てない、みたいな目をしている時がある。
はやく何とかしないと、何かが手遅れになる。分からないけどフィーを見ていてそんな漠然とした不安が、常に俺に付きまとう。
俺とフィーは、窓のない部屋に押し込められている時以外は、常に縛られていて身動きが取れなかった。残されたのは耳だけで、だから必死で耳を澄まして男たちの声を拾った。
男たちの話からいくつかわかった事がある。
男たちは売るために俺たちを捕まえたこと。俺たちを、すぐ近くで売り払うのは何か不味かったらしいこと。
今一緒にいるのは、俺たちを捕まえた男たちじゃなくて、奴隷商の男たちで、俺たちはすでに一回、そいつらに売られたんだってこと。
俺たちの事はバレたらなにか、ヤバいらしいってこと。
初めは少し離れた所にいる金持ちの貴族に売る予定だったけど、双子は珍しいから、対にして、もっと金払いの良い上得意の貴族に持って行くんだってこと。
その貴族は遠い所にいるから、何日もかけて俺たちを運んでるってこと。
それから、上機嫌で酔っ払った男がわざわざ俺たちの前に来て、これからどうなるのかを楽しそうに話していった事がある。
俺たち翼人族の中でもとくに綺麗な羽を持っている者は、一部の貴族が観賞用に飼いたがる。
貴族によっては、風切羽を折って飛べなくして飾る者もいれば、飛べるまま首輪をつけて、苦しむのを眺めて楽しむものも居るらしい。
真っ青になって震えていると男は楽しそうに、お前たちはどっちだろうなぁって、笑いながら出て行った。
その日はフィーとぴったりくっついて眠った。あまり眠れなかった。
もう、何日たったかわからないけれど、とても賑やかな所にやってきた。
馬車の中からじゃ何も見えないけど今までとは全然気配が違う。もしかしたら、上得意って貴族の所に着いたのかもしれない。
俺の包帯はまだ取れていないけど、どうにか歩けるまでになった。がんばれば少しぐらい走れると思う。多分、貴族の所に連れて行かれたらもう逃げられない、そんな気がする。機会は一度、もう、今日しかないかもしれない。
落ち着いて、今までに分かったことをゆっくりと思い出す。
あいつらは俺たちが人に見られる事をひどく嫌がること。俺たちを建物の中に運びこむときは必ず真っ暗になってから運ぶこと。それまでは馬車をほとんど人の来ない所に止めて、見張りが一人か二人残ること。
多分逃げられるとしたら馬車が止まって、俺たちが運ばれるまでのほんの数刻。
自分が出来る事、今使えるもの、逆に出来ない事を考える。
今自分たちは縛られていて、周りには武器になりそうなものは何もない。一緒に積んである荷物も武器になりそうに無いものばかりだ。
今使えるものは、俺の身体と、ほんの少しの魔術。
翼人族の中では、偶に風の魔術を扱えるものが生まれるらしい。
俺はまだ、小さな旋風を起こすぐらいしかやったことないけど、何とかそれで縄が切れないか試してみよう。他にも見張りの気を引くくらいは出来るかもしれない。
そういえば昔小さな風を起こしてフィーをからかったら、ずるいって拗ねて宥めるのに大変だった。思い出したら少しだけ笑えた。うん。俺、まだ大丈夫だ。
慎重に外の気配を探って、フィーに逃げ出すつもりだって言う。不安そうに俺を見るから、大丈夫だって、任せろって笑ってやった。
うんって頷いてたけど、顔は強張ったままだったから、あんまり信用されてないかもしれない。
父さんが、男は30才からが勝負だって昔言ってたから、それまでに何とかしよう。
父さんに、勝負って何の勝負って聞いてみたけど、大きくなったら分かるって教えてくれなかった。まだ分からないから、だからフィーも安心できないのかな。
がんばってもっともっと大きくなって、いつか分かるようになったら、もっとちゃんとフィーの事守れるのかもしれない。
父さんを思い出して泣きそうになるけど、今泣いたらもっともっとフィーが不安になって、安心出来なくなるから我慢した。
日が落ちて辺りが静かになる。俺とフィーは息をひそめて、いるはずの男の気配を探る。馬車から少し離れた所で誰かが話してる声がする。喋っている時なら、何とか誤魔化せるかも知れない、と俺は慎重に風を起こす。
今まで、悪戯に少し使ったぐらいでこんな使い方、した事がなかった。もっといろいろ試しておくんだったって後悔する。
後ろ手に縛られているから、感覚がよく分からなくて腕に痛みが走る。構わず続けるけど、やっぱりなかなか切れてくれない。
何度も何度も繰り返すうちに、縄よりも腕のほうが脆くて、血みどろになってた。それでもやめずに繰り返すうち、縄も少しずつブチブチいってくれて、やっと切れた。
ほっとしてフィーの方を見ると、フィーが青くなって震えてた。しまったな。また、心配かけてる。
足の縄とフィーの縄もほどいて、周りの様子をうかがう。どうにか気づかれなかったみたいでほっとする。
幌の隙間から周囲を窺うと見張りは二人、今まで俺たちがずっと大人しくしていたから安心しているのか、少し離れた所の壊れた木の箱に座って二人で何か話してる。
少し広めの道は男たちの前を通らなくちゃ行けないけど、反対の方にも細い道があった。あそこなら気付かれずに入り込めるかもしれない。
慎重に月が陰るのを待つ。
俺の羽は茶色いからあまり目立たないけど、フィーの羽は真っ白くてとても綺麗だから、月に照らされると優しく光るんだ。
いつも綺麗だって思って見ていたけど、まさかそれを邪魔に思う日が来るなんて考えた事もなかった。
ちょうど夜空に浮かぶ三つの月が上手く雲に隠れて、辺りが闇に包まれる。俺はフィーの手を握って慎重に馬車から降りる。
馬車から小道まではほんの数歩、だけど念を入れて男たちの気をそらす。昼に考えた通りに、男たちの反対側に小さな旋風を起こしてぶつけた。
たいして威力は無いけど、びっくりして完全に向こうを向いてる。俺はフィーの手を掴んだまま慎重に、でも出来る限り素早く細い小道に身を滑り込ませた。
※ ※ ※
私たちが動けなくなるのはあっという間だった気がする。
アドは縄を切るためと、見張りの目を引き付ける為にたくさん魔術を使った。ただでさえ怪我がまだ治って無くて、身体がフラフラなのに。
必死でアドの肩を支えながら、どこをどう歩いたのか。細い路地、嗅いだ事の無いおかしな匂い、ゲラゲラと笑う男たちの声、それに絡む女の声。
なぜかそれが怖くて、アドを支えて必死に声のしない方へしない方へ歩いて行った。
どれだけ歩けただろうか。それとも歩いたのも気のせいでほとんど進んでいなかったのか、足がもつれて必死に支えていたアド諸共に路地の奥、せまい暗がりへ倒れこむ。
ずっと縛られたままで過ごしていた身体も心も、自分が思う以上に弱ってた。
今まで必死で耐えていた糸がぷつりっと切れるように、一筋の涙が白い頬を流れておちた。
かすれる声で下敷きになってるアドに向かってごめんね、と呟く。
その呟きはアドに届いたのか、確かめることなく意識が遠のいていく。
そのちょうど、眠りに落ちる瞬間。温かい手に頭を撫でてもらった気がした。
とても温かくて、大きな、大好きな手。
―――ああ、おとうさん。やっと迎えに来てくれたのね……。