初めての挫折
※ 一人称です
これは俺が『ディーン』と呼ばれる事になるずっと前。
まだ違う名で呼ばれていた頃の事。
順調に料理人としての腕をメキメキと上げていた俺は、その当時こう思っていた。
―― 俺に作れない料理はねぇ。どんな料理だって再現できる。
―― どんな料理でも俺のこの絶対味覚と、磨き上げたこの腕でモノにして見せるぜっ!
俺も若かった。
そしてその当時、まだ敗北という名の挫折を味わったことのなかった俺は意気揚々と海外へ飛び立った。
当然料理修業の旅だ。
日本にいたんじゃ本場の味は学べねぇ。
狭い日本の料理界に少々物足りなさを感じていた俺は『本物』を求めて日本を旅だった。
広い広い世界へ向けて。
……ああ、俺にはまだ覚悟か足りなかったんだ。
今にして思えば、その頃の俺はまだまだ精神的に未熟だった。
俺が初めての料理修業に選んだ国は中国。中国四千年の食の歴史。
この国の食は、深いっ!
俺はその広大な中国の地を彷徨った。まだ見ぬ未知なる料理を求めて。
未知なる味の深みを求めてっ!
俺は彷徨った。
嶮しい山も越えた。荒野も渡った。辿り着いた秘境の地。わけのわからん部族の連中も、人身売買も、臓器売買も、怪しげなブローカーどもも俺は全て蹴散らし乗り越えた。
そうして俺は蜂も幼虫も蛙も何やらよくわからない食材も、全て料理したし食いもした。成長したら何になるのか想像出来ないドデカイ芋虫も、教わるままに料理した。
結構うまかった。タンパク源の補給になる。うん。
俺の料理への情熱はこんなものに負けはしない。どんなにグロテスクだろうと、気持ち悪かろうと、料理さえしてしまえばこっちの物だ。どんな食材だって俺の手にかかれば美しく食欲をそそる料理に早変わりっ!
―― さあ、次に見せてくれるのはどんな料理だ。
―― 何でも持ってこい。どんな料理でも俺は再現し、自分のモノにして見せるぞっ!
ああ、何と俺の浅はかだった事か。
そう、この地は中国。どんなものでも食材へと変えてしまう、恐怖の胃袋を持つ国。
俺の前にぐいっと突き出された、その食材。
俺を見上げる、つぶらな瞳。
その潤んだ瞳が真直ぐに俺を射ぬく
自らがこれから何をされるのかわかっていないのだろう、キョトンとしたその表情。
生れて何ヶ月くらいたったのだろう、まだ成長しきっていない柔かな身体。
お馬鹿さ丸だしの、愛くるしいその挙動。
鼻の頭がほんのり赤い、それは……。
『赤犬っ!』
犬の中では美味いと評判の、赤っ!
それが俺の目の前、触れれば切れそうなほどに砥がれた包丁を見上げて尻尾をパタパタ振っている。
お前……馬鹿だろう。
お前はこれからこの包丁で……。
それに尻尾を振ってどうするっ!
極めつけに、そいつは俺を見上げて……、
―― きゅふうぅぅぅ~んっ、くぅくぅ~っ
やっ、やめろぉぉぉーっ。なんて愛くるしい声をーっ!
ああ、こんな所に落とし穴があったなんてっ!
ダメだ。
ああ、何たる事だ。
俺には出来ねぇ。
俺にはこの愛くるしい子犬を捌く事など、出来ねぇーっ!
俺の初めての挫折。
今思い出しても辛く、悲しい敗北の一ページ。
中国。
そこは底知れぬ深さを秘めた食の国。
俺に料理人としての器の小ささを突き付け、驕り高ぶった俺の目を覚ましてくれた大国。
それ以来俺はこの時の教訓を胸に刻み、驕る事無く謙虚に食の道を突き進む。
俺などまだまだだ。この広い世界にはこんな小さな器の俺など、太刀打ちできない様な料理がきっと沢山あるに違いない。
さあ、今日も俺は長く険しい料理への道を一歩一歩確実に踏みしめよう。
俺なんて、まだまだだ。
その言葉を心の中で唱えながら。
完
………いや。充分すぎるほどに突き進んでるから、そろそろ引き返してくれないかな。