シンデレラには、なりたくない
まるでシンデレラみたい。
ふっと頭にそんな言葉が浮かんだ。
シンデレラって?
こてん、と首を傾げると、身に覚えのない記憶が溢れ出し、私は目を見開いた。
頭の中に広がる、空に聳える高層マンション群。海にかかる橋に、渋滞する車のテールランプ。見上げる高速道路や行き交うモノレール。視界に小さく映る飛行機。
見たことのない、懐かしい風景。
そうか。
そうか、私、生まれ変わったのか。
すとん、と腑に落ちた。
時々感じた違和感。
私、何でこんなとこで、こんな事してるの?
逃げちゃえばいいのに。
ふとした瞬間に浮かび上がる疑問。その度、逃げてどうするの?女1人で、どうやって生きていけるっていうの?逃げたって、生きていく術もない、と諦めていた。
だけど、そうか。
前の私は、ちゃんと1人で生きていた。
手に職をつけて、がむしゃらに学んで。友達も沢山居て、仕事もプライベートも楽しかった。
こんな所で、搾取されるだけの生活、続ける意味ないよね?
「ジル!早く準備しなさい!ノロマなんだから!」
「ほんと役立たず!夜会に間に合わなかったらムチ打ちだからね!」
父親であるクロムナード侯爵が、私の母が病死した後、すぐに家に連れて来た後妻とその娘2人。名目上は継母の連れ子で義理の姉達だが、父親の実子らしい。
我が国では、きちんと婚姻の届出を出してから出来た子供でないと、実子と認知されない。血のつながりを証明する方法がないからだ。
だが、父親には身に覚えがあった…というか、母とは政略結婚で、継母とは母と結婚する前からずっと、そういう関係だったということだろう。
そして、よくある話だが、私は継母や義理の姉達によって奴隷のような扱いを受けていた。
侯爵夫人の母の部屋は、当然継母が我が物顔で占領し、母が嫁入り道具で持参したドレスやアクセサリーも全て取り上げられた。
私は下働きの部屋に押しやられ、クローゼットの中はお仕着せが2枚あるだけだ。
家族の食卓に着くことも許されず、食事を作るのも片付けるのも、私の仕事になった。ただ、給仕だけは許されなかった。多分、父親の居る前では大っぴらに私を虐げている姿は、見せないようにしているのかもしれない。
頭の中は、前世の記憶やら現在の状況把握を高速で思考しながら、手だけはいつも通り素早く2人の義理の姉のドレスアップを進めている。
あー、ヘアアイロンあれば、アレンジ楽なのに。
姉達の少しパサパサしたストレートヘアを椿油でまとめながら、そんな事を思う。
ふと、胸の奥で何がが瞬いた気がした。
多分出来る。
ヘアアイロン、魔法で、チャチャッと。
そんな考えが浮かんだ。
手にほんのりと熱が灯るのを感じた。
が、やらない。
私を虐げる事を楽しんでいる人達に、魔法を使う所を見せるなんて、リスキーだ。
絶対に知られてはならない。
いつも通り、メイクもして、アクセサリーも飾りつける。このアクセサリーも、私の母の形見だ。私から取り上げたアクセサリーやドレスを身につけて、私に見せつけるのをこの3人はとても好んでいるのだ。
義理の姉達や継母の準備が終わって、慌ただしく正面エントランスに降りて行く後を、これまたいつも通り着いていく。
茶会や夜会に出掛ける時はいつも、城勤めの父親は屋敷に居ない。性格の悪いこの親子は私を見下す為だけに、使用人達と一緒に私に見送りをさせるのだ。
今日も玄関に横付けされた馬車に向かって、使用人達が並び、親子がその前を自慢げに通り過ぎる。
だが。
今日はいつもと違う事がおきた。
停まっていた馬車の扉を侍従が開けると、父親が降りてきたのだ。
「!?」
継母と義理の姉達は顔を強張らせて私をチラッと振り返った。
「今日は特別な夜会だ。家族揃って登城するよう、言いつかっていただろう」
父親は軽く継母をハグすると、継母や義理の姉達のドレスや髪型を褒め、ふと周りを見回した。
「ジルは?」
継母の眉がピクリと上がった。
「ジルの夜会嫌いには困っていますの」
…私は夜会嫌いなのかー…
私が下げた頭を上げずに周りに視線をやると、周りの侍女や従僕達も、チラッとこちらを見ていた。
「今日は好き嫌いではなく、必ず登城しなければならないと言っておいただろう?」
いや、聞いてませんけど?
思わず首が、こてん、と傾く。
「ほんとに、私が至らないのか、我儘ばかりで言うこと聞かせられず、申し訳ありません。もう時間も時間ですから、体調不良と言うことで…」
継母が何とか私を置いて行こうと父親の袖を引く。
「王命を、体調不良で断る訳にもいかない」
困った顔をした父親に、継母と義理の姉は不満げな顔を隠しもしない。
最後に父親に声をかけられたのは継母達が屋敷に来た日だ。そこから3年、私と父親は顔も合わせていない。
普段なら、私の存在など忘れ去っている父親なのに、何で今日はこうも拘るのか。
「ああ、お前達は先に登城しなさい。私は後からジルを連れて行く」
「えっ!?」
親子3人はサッと顔を青くした。
「いえ、でもジルは行かないと思いますわ⁈」
口々に言い募るも、父親が
「…都合が悪い事でもあるのかな?」
3人の顔を見回すと、もちろん3人とも首を横に振る。
「心配しないで先に行きなさい。さあ、時間が無い。陛下や殿下がお待ちだ」
と馬車に押し込めてしまった。
走り出した馬車を見送り、
『詰んだんじゃね?』
と思う。
もちろん、継母や義理の姉達は私を虐げていたと、私が訴えると思い戦々恐々としているかもしれない。
でも、3年も顔すら合わさなかったのに安否確認もしてこない父親だ。私に愛情なんて、あるはずがない。
私が父親に現状を訴えた所で、信じてもらえるかも怪しいし改善されるとも思わない。更に私が父親に都合の悪い事を言っただろうと、継母や義理の姉に、ムチでメッタうちにされる未来しか見えない。
きっと死ぬ。
普通に死ぬ。
今までだって、何度も死にそうだったのだ。
「侍女長、ジルの部屋へ行く」
「えっ?」
父親に声をかけられた侍女長は狼狽えた。
そりゃあそうだろう。
侍女長は母が生きていた頃からこの屋敷の侍女長をしていたが、母や私の味方ではなかった。
父親に結婚前から恋人が居たのも知っていたのだろう、意地悪や仕事放棄はされなかったが、かなり事務的な態度だった。
継母や義理の姉に対しては、父親が大事にしているから、扱いは丁寧だ。また、3人の私への扱いは、他の使用人同様、見て見ぬふり。ムチ打たれて熱を出しているのにコキ使われてても、冷水を浴びせられて意識を失っても、無視して放置だ。
そんな侍女長が少し困っているのを見ると、いい気味だと思ってしまう。
「さ、早くジルの部屋へ。すぐに準備をさせなければ」
父親は馬車をもう一台準備するよう従僕に言い付け、侍女長を急かして屋敷の中へ入って行く。
私は他の使用人達と一緒に頭を下げたままでやり過ごし、父親の背中が見えなくなるとすぐ、下働き部屋(自室)へと急いだ。
侍女長がまさが、本当の私の部屋へと案内するとは思えないし、この後どうするのか興味はあるが、このままここに居ても良いことなんて一つもあるわけがない。
ここが運命の分かれ道だと思う。
逃げるなら今だ。
私は部屋に隠し持っていた、たった一つの母の形見である祖父母と小さい頃の母の肖像画入りのロケットと、買い物の度にお釣りを溜め込んでいた財布だけを手に取った。
服はお仕着せしかないし、残った私物は壁にかけてある、母が私を膝に抱き上げてる肖像画だけ。
流石にこんなに嵩張るものを持っては行けない。きっと、こんな所で奴隷のように生きるくらいなら、この肖像画を置いて行っても母は怒らないでいてくれるはず。
胸に手を充てると、魔法を思い浮かべた。
シンデレラの魔法使いって、何もない場所に忽然と現れるじゃない?
私にも出来る?
出来る。
私の質問に、私の胸の奥が応えた。
じゃあ、出来るだけ遠くに。
万が一にも見つかって、連れ戻される事がないくらい遠い所に。
この国から出て、自由になる!
ふっと、空気が揺れた。
風の匂いが違う。
湿度が違う。
気温は、少し暖かい?
日差しはまだ高く、感覚的にお昼前くらいだろうか?
辺りを見渡すと、自分が丘の上に立っているのに気付いた。
すぐ近くに馬車道があり、緩やかに下って港の方へ続いている。
港!
海だ!
ここがどこかは分からないが、王都の近くに海は無かった。
1番近い海でも、馬車で1週間くらいはかかったはずだ。
やった!
ひとまず、逃げ出せた!
私はぎゅっと手を握った。
さあ、これからだ。
まずは住む所、働き口探し。
何とかする、生きているんだから!
その頃。
クロムナード侯爵邸。
「…侍女長、ジルの部屋はどこだ?」
「も、申し訳ございません!」
冷や汗をかきながら、侍女長は侯爵に頭を下げる。
現侯爵夫人の連れ子達の部屋へと案内しようとしたが、流石にすぐにバレてしまった。かと言って、他に案内して納得してくれそうな部屋はない。それに、ジル本人が気を使って適当な部屋を自室のように偽装してくれるとも思わない。ジルが自分を助けてくれるような扱いをしてこなかった自覚はあるのだ。
「どう言う事だ、侍女長。ジルはどこにいる?」
侯爵の声が、だんだんと剣呑になってくる。
陛下や殿下を待たせてると言っていた。時間も本当に無いのだろう。
後で奥様達にどんな目に遭わされるか、考えると恐ろしいが、もともと侍女長が支えるのは侯爵本人だ。
もう、正直に話すしか無い。
侍女長は腹を括った。
「奥様やお嬢様方のご希望で、ジルお嬢様のお部屋はこちらへ移しております」
本当のジルの部屋へと案内しながら、近くに居た侍女達にジルを探して部屋へ戻すよう指示を出す。
薄暗い地下の、1番奥まった下働きの狭い部屋。その扉を開けて侍女長は侯爵へ頭を下げた。
「こちらがジルお嬢様のお部屋です」
簡素なベットと、小さなクローゼットしかない、ガランとした小部屋。
ただ、壁にはジルと先妻の肖像画がかかっていた。
「まさか…」
あまりに殺風景な部屋に信じられなくて、たった一つの家具であるクローゼットを開けると、お仕着せが1枚だけ下がっている。
「まさか、ジルに侍女の真似事をさせていたのか?」
「いいえ、下働きをさせておりました。奥様やお嬢様方は、ジルお嬢様に自分達の身支度や、汚れ物の掃除や洗濯をさせるのを好んでおりますので」
侯爵は衝撃を受けたような顔をする。
「あの優しい妻や娘達がそのような真似をする訳が!」
侍女長は自分の支えている主人を、少し冷めた目で見た。
あの3人の、どこが優しいのか。優しくしている所など見たこともない。特にジルに対しては。
「旦那様。ジルお嬢様を今日の夜会にお連れするのは無理でございます。ご覧のとおり、ジルお嬢様はドレスの1枚も、アクセサリーの1つもお持ちではありません」
「そんな訳ないだろう!いつも妻に娘達には平等に買い与えるよう言ってある!実際、服飾費は毎年4人分の金額が消費されている…」
「奥様は平等に仕立てておりますよ、4人分の服飾費で、自分と、自分の娘2人分のドレスやアクセサリーを」
目を見開いた侯爵が、責めるように侍女長を見た。
「なぜ報告しなかった」
「聞かれなかったからです」
「は?」
「旦那様は、3年間、1度もジルお嬢様がどうしてるか、質問されませんでした。食事に来なくても、1度も顔を見せなくなっても、心配もされませんでした」
「そんなことは…」
「私ども使用人は、奥様と旦那様がもともと恋人だったのも、奥様が身分が低かったため、妾とし、先妻様と愛のない政略結婚をされたのも知っております。そして、先妻様が亡くなって、すぐに奥様を呼び寄せ、とても嬉しそうになさっていたのも。そして、ジルお嬢様に、全く関心がなかったのも、存じ上げております」
「だから、何だと」
「奥様やお嬢様方は、常日頃からジルお嬢様をムチ打っておりました。気分次第では、発熱して何日もまともに動けなくなる程に酷く打つことも、少なくありませんでした。きっと身体中傷だらけで、とてもドレスなど着れるような肌ではなくなっていましょう。政略結婚には使えないと思います」
「なっ…!」
王族の意向でジルが必要ならば、きっと政略結婚の話でも出ているのだろう。この侯爵家の正式な娘はジルしかいないのだから。
でもジルは使えない。
婚家でドレスを脱げば、この3年でついた醜いムチの跡が無数にあるはずだからだ。
侍女長はだんだんヤケになってきていた。自分の支えている旦那様で、尊敬できる方だと思っていたが、まるで人を見る目がない。奥様にする人も、自分を含めた使用人も、心無い人ばかりだ。
ため息が出た所で侍女達が慌てて走ってきた。
「侍女長!ジルがどこにも居ません!」
「普段だったら、皿洗いしてる時間のはずなのに、サボってんですよ!」
「今日はまだ奥様やお嬢様方に言い付けられた用事も残ってるのに、何処に行ったんだか使えないったら…っ、だ、旦那様⁉︎」
ジルへの悪態をつきながら部屋へ走り込んで来た侍女達を、侯爵はなんとも言えない顔で見ていた。
「使用人が、主人の娘に対して、なんという態度だ…」
侍女長はまた、ため息が出た。
「旦那様や奥様方が軽んじ、喜んで虐げている人を、大事にしようと思う使用人はおりません」
呆然としたような侯爵に、侍女長は今夜中に荷物をまとめて出て行こうと思いながら言葉を紡いだ。
「ジルお嬢様は先ほど私達と一緒に、奥様方の見送りに出ておりました。気付きませんでしたか?1番端にいた、細くて小さい使用人がそうでした」
「…小さい、子供が居たような…。だが、ジルは14才だ。あんな小さな子供では…」
「ジルお嬢様は働き詰めなのに、奥様達から、まともな食事は与えるなと命令されておりました。よくムチで打たれて熱を出していましたが、休むのも許されておりませんでした。何度も生死の境を彷徨われておりましたし、今頃何処かで倒れていても不思議はありません。今までもそうでしたから。」
ひた、と侯爵の顔を見る。
「女の嫉妬は、恐ろしいですね、旦那様。奥様やお嬢様方は、ジルお嬢様が死んだら、さぞ喜ばれるでしょう。先妻様が亡くなった時には、それはもう笑いが止まらないご様子でした」
侍女長はスッキリした思いで頭を下げ、侯爵をその場に残して下がって行った。
心の中では、
『結婚出来ないのに子供2人も作って、他の女と結婚して。関係を清算もせず、でも妻とも子供作って。妻やその子供には愛情もかけず、かと言って離縁して恋人を正妻にする訳でもなく、どっちつかず。妻が死ねば、これ幸いとばかりに恋人と婚外子を家に引き込み、挙句、女にとって憎い先妻の子の養育を丸投げ。最初は恐る恐る虐めてたけど、完全にほったらかしで、まるで好きに料理しろと言わんばかり。1番旦那様が悪いわ。そして、1番の貧乏くじはジルよね』
そして思う。
『ジルは逃げたのかしら、死んだのかしら』
もう、どうでもいいけど。
こんな家、支える価値ないわ。
残された侯爵はすぐに執事や侍従長にジルを探すよう言い付け、その際に侯爵家の長女として丁重に扱い、必要あるならば医者も呼ぶよう言い付けた。
そして自身は馬車に乗り込み、急ぎ王城に向かった。
馬車の中では頭を抱える。
今日はジルのデビュタントだった。
14才になり、初登城し、陛下や殿下方からお声をかけてもらう日だ。
妻には前もって言ってあった。
「ジルのデビュタントの準備をするように」と。
それが何故、こんな事に。
本当に、あの優しい妻は、ジルを虐げていたのだろうか?
ドレスの1枚も仕立ててないと侍女長は言っていたが、ジルの部屋だというクローゼットには、部屋着の1枚すら入っていなかった。アクセサリーも一つも持っていないと言っていたが、ジルの母親が実家から持ち込んだ物は、全てジルの部屋に移してあったはずだ。あのアクセサリーに使われる宝石類は、ジルの母親の実家である太公領から取れる特別な宝石で、門外不出の物だ。太公の、つまり王族の血を引く者しか継承を許されていない物。
ふと、嫌な予感がよぎった。
ジルと顔を合わせると嫌な気持ちになるだろうと、先に馬車に押し込んで王城に向かわせた妻と娘達を思い出す。
華やかな、今年流行のドレス。
それに合わせていた、豪奢なネックレスに、揃いのイヤリング。鮮やかな色彩の宝石が沢山付いていたそれは、いつか見た覚えのあるもので…。
最近ではない、もっと、ずっと前、確か王城の夜会…?
そこまで考え、ザッと血の気が引いた。
まさか。
まさか、ジルのアクセサリー?
我が侯爵家では、ジルにしか着用を許されていない、特別な宝石。
それを、ジルから取り上げて、よりによって王城の夜会へ?
まさか!
いや、まさか、見間違いだ。
あの、妻と娘達が、そんな事…。
嵐のように感情がグルグルと渦巻く。
早く、早く王城に着け!
そしてすぐにでも確かめなければ。
どうか3人が身に着けているのが、ジルのアクセサリーではありませんように。
でなければ、いくら知らなかったとはいえ、不敬罪で何かしらの処罰を与えられてしまう。
そもそも今日のデビュタントだって、太公が事あるごとに外孫であるジルの様子を知りたがり、ついに会わせろと陛下を通して言ってきたからだ。
今までだって、茶会だのと招待されてきたが、ジルが茶会が嫌いだ、行きたくないと我儘を言って断る羽目になっていた。
我儘などうしようもない娘だと、疎ましく思っていたが…
本当にジルが、我儘を言っていたのだろうか?
『旦那様は、3年間、1度もジルお嬢様がどうしてるか、質問されませんでした。食事に来なくても、1度も顔を見せなくなっても、心配もされませんでした』
『旦那様や奥様方が軽んじ、喜んで虐げている人を、大事にしようと思う使用人はおりません』
侍女長の言葉が頭をよぎった。
いつの間にか馬車は停まっており、扉がノックされた。
ゆっくり扉が開けられるのを待てず、自分で中から押し開き、飛び降りるようにして王城のエントランスに降り立った。
出来る限り急いで夜会が執り行われるホールに足を踏み入れると、どうも雰囲気がおかしい。
不安を抱えながら、皆の視線の先、人垣が出来ている方へと足を向ける。
「何をなさるんですか⁈」
「やだ、触らないで!」
沢山の人がざわめく中に、聞き慣れた声がした。
侯爵は、ハッとして足を早める。
最悪の事態になっていないよう、願いながら。
「遅い登場だな、クロムナード侯爵」
低く張りのある声が、怒気を孕んで自分の名を呼ぶ。
「あなた!」
「お父様!助けて!」
妻や娘達は床に座らされ、後ろ手に拘束されている。
その首や耳に目を走らせ、侯爵は目の前が真っ暗になった。
「お前達、何故ジルのアクセサリーを着けているんだ?」
自分の声が遠く聞こえる気がする。
どうか、これ以上事態を悪化させないでほしい。そんな願いを込めて、務めて優しく問いかける。
「ジルのじゃないわ!これは私が貰ったものよ!」
「ちゃんとお願いしたら、全部くれたのよ!だから、私達のものよ!」
悪びれもせず言い募る。
だが、お願い?
お願いして、譲ってもらっていい物ではないし、妹のアクセサリーを取り上げなくても、沢山買い与えていたはずだ。かなりの予算を使っているのは、侍従長から報告を受けている。
「それはジルの母親の形見だ。ジルにしか所有の権利がない。返しなさい」
今なら、まだ間に合うかもしれない。
だから、空気を読んでくれ。
差し出した手に、3人は嫌な顔をした。
「あら、ジルが譲ってくれたのだから、私達のものでしょう?」
「こんなに素敵なアクセサリーは、あの子より、私達の方が似合うわよ。お父様も、そう思うから、お出掛け前に褒めてくれたのでしょう?」
「!」
最悪だ!
終わった…!
恐ろしくて太公の顔が見れない。
「侯爵、ジルが居ないようだが」
!
「ジルは、その、体調が、」
「ジルはいつも体調が悪いのだな。娘が亡くなってから、体調が良くなった事がない。医師は何と言っている?」
「医師は…」
冷や汗が出る。
医師など呼んだ覚えはない。
調べられてしまえばすぐバレる嘘だ。
「お前の所は信用出来ない。今夜にでも、ジルを引き取りに行こう」
「は、いえ!困ります!」
ジルはまだ見つかっていないかもしれない。見つかっていたとしても、無事ではないかもしれない。それに医師に見せるとなると、侍女長の話が本当なら、ムチの跡がついているはずだ…!
「それは困るだろうな。ジルの母親の形見を盗む継母達を放置していたんだから。どれほどジルが虐げられていたか、わかるというものだ」
太公の怒気に押され、一歩下がる。
「盗むなんて人聞きの悪い事を!」
妻達が騒ぐ、その口を塞ぎたかった。
何て事をしてくれたんだ、本当に、何て事を!
もう、取り返しがつかない所まで来てしまった事も、ジワジワと理解出来てきた。
はくはくと喘ぐように口を開き、言葉にならない言い訳をしようとして、諦めてがくりと頭を垂れた。
「ちゃんと説明していなくて悪かった」
妻や娘達に目を向ける。
「そのアクセサリーに使われている宝石は、王族の血を引く者しか身に着ける事が許されない、特別な物だ。貸し借りも許されないから、お前達が身につけているというだけで、不敬罪だし、犯罪だ」
3人はびっくりした顔をした。
「ジルの母親は太公の娘。現国王陛下の従姉妹で、王位継承権も持っていたのだ」
愕然とした、3人の顔。
そして、ようやく思い至る。
妻が下位貴族の出身で、高位貴族の常識に疎い事を。
ああ、そんな妻や娘達を、きちんとした教育も施さずに王城の夜会に連れ出してしまった。
私の落ち度だ。
「連れて行け」
太公の声かけで、3人が喚きながら連れていかれる。何と品の無い、浅ましい姿か。
周りに洗練された紳士淑女が居なければ、妻や娘達は、愛嬌があって可愛らしかった。素直で、感情がすぐに顔に出て、振る舞いも無邪気に思えた。
だが、こうして高位貴族に囲まれると、余りにも愚かで、目を背けたくなる。
私は今まで、何を見ていたのだろうか。
「侯爵、さあ、ジルの元へ連れて行ってもらおうか」
威圧してくる太公と連れ立って城のエントランスから馬車に乗り込み、自分の屋敷に向かいながら、ジルが見つかっているよう祈っていた。
「どこにも見つかりません」
やはり希望は打ち砕かれた。
淡々と報告してくる執事に、太公が怒気を更に膨らませる。
「大事な侯爵家の一人娘が行方不明なのに、落ち着いたものだな」
「は。ありがとうございます」
頭を下げた執事に、太公の髪が逆立っていく。
誰も褒めていない。
我が家は使用人も、こんなにも愚かなのだろうか。
冷や汗が出る。
「侍女長は?」
きっと彼女の方がジルの事をわかっているだろう。
そう声をかけると
「先程退職致しました」
「は?」
「侍女長は、先程退職して、屋敷を出ました」
執事はまた、淡々と答えた。
何て日だ。
何もかも終わった。
どこで、何を間違えたんだろう。
この後、私も今日知ったばかりのジルの境遇や部屋に太公が怒り狂い、妻や娘達の部屋から、前妻の私物で今はジルが引き継いでいるはずの物が出てくる出てくる…
そして沢山の種類のムチ。
妻達の日記で、ジルがどれほど悲惨な目に合っていたか知り…
こうしてクロムナード侯爵家は子爵家に降格。妻や娘達はそれぞれバラバラの修道院に送られて、一生を奉仕に捧げる事となった。
結局ジルは見つからず、当時の使用人達の話から、生きている可能性は少ないだろうと思われた。
私は諦めたが、太公はまだ、ジルの事を探しているらしい。
ジルの部屋にあった肖像画は太公が持ち帰った。
妻や娘達の肖像画を全て外して処分し、代わりの絵をどれにしようか見ていて気付く。
前妻や、ジルの肖像画が、この屋敷に1枚も無い事に。
前妻は金髪に緑がかったアースアイだった。ジルも、確か金髪だったように思う。
だが、顔もよく思い出せない。
目の色だって、前妻似だったのか、自分似だったのかもわからない。
それ程に、自分はジルに関心が無かった。
悪い父親だった。
後悔はいっぱいしたが、どんなに悔いても時は戻らない。
ならばせめて。
どこかで生きて、元気にしていてくれれば
そう考えて、これも自分の罪悪感を減らす為であると気付き頭を振った。
いつか太公と会えますように。
それが一番、ジルが幸せになれるだろうと思えた。
拙い文章ですが、最後まで読んで頂きありがとうございました。




