第一話
第一章
__________あんたはさ、ヒロとどうにかなりたいの?
それとも、ヒロになりたいの?__________
そんなの分からない、
わかんないよ_________
***
「_____さあ、次のゲストは、今若者の圧倒的支持を集めるAgeさんです。いやあ、すごい人気ですね!」
司会者の高揚した声に合わせて、スタジオの大型モニターに街頭インタビューの映像が映し出される。
『エージ? もう神。生きてるだけでファンサ。あの顔であのスタイルはバグすぎ!』
『うちらの憧れだけど、でもファッションはメンズっぽくて、そこがまたエグい。普通に恋しちゃう……』
『ほんっとに小顔で、あのデカいフープピアスのスタイルがもう守られたいっていうより、連れ去ってほしいって感じ!』
画面の中で熱狂する少女たちの瞳は、まるで唯一の救いを見つけた信者のように盲目的で、狂った様に熱い。
今の若者たちにとってエージは、自分と一緒に世界と戦ってくれている、そんな存在なのだ。
「 ご自身で、有名になった実感はありますか?」
眩いスタジオのライトを浴びてエージはぎこちない笑みを浮かべた。
「……そうですね、あの、少しは。」
ファンの言葉通り小さな顔に不釣り合いなほど巨大なシルバーのフープピアスが、スタジオの強い照明を跳ね返して白く光った。
エージが一言発するたびに観客席の方で黄色い声が上がる。
16 歳とは思えないほど落ち着いた声とそっけない返しに司会者は苦笑しながら、相変わらずクールですねと流す。
「でも、Ageさんのファッションや振る舞いのかっこよさ、どこか同じ事務所の先輩、あのヒロさんに似ているとネットでも話題ですよ。やはり意識されているんですか?」
その名前が出た瞬間エージの喉元が微かに動いた。
視線がゆっくりとスタジオの端に置かれたモニターに向かう。
そこに映される「あの人気モデル、ヒロの後輩!」というでかでかとしたテロップと、彼のビジュアルたち。
見る側を惹き寄せるような、冷たく突き放すようなその美貌。
「______尊敬はしていますが、ただ、流行に乗ったスタイリングなだけです。」
そう言って微笑む。だが、その瞳の奥は暗かった。
そのくたびれた太いデニムの履き方も、深く被った灰色のビーニーも、かつて、雑誌の表紙でヒロが見せたあのスタイルそのものだった。
彼女はそれを流行と呼ぶが、その実は、自身を彼の色で塗りつぶそうとする、痛切な、それでいて真っ赤な焦がれだった。
憧憬、嫉妬、そして得体の知れない独占欲。
16歳というまだ未熟なエージにとってその巨大な何かは、彼女の華奢な肩を絶えず突き動かすのに十分すぎるほどだった。
「それでは、AgeさんのパフォーマンスはCMの後で!」
「はい、カット! CM入りまーす!」
「Ageさん!こちらにお願いします!」
スタッフの声が響く。渡された水を飲みながらセットへ移動する。
彼女はギターの弦を無造作に弾き、さっきまでヒロが映っていたモニターに背を向ける。
「……流行、ね」
別に、間違ってないじゃない。
そう頭の中で自分に言い聞かせながら、口に残っている苦い感触をもう一度水で流し込む。
ペットボトルを見つめたままじっと動かないエージ。
ふと顔を上げると、舞台袖で控えている麗子が影の中から冷徹な瞳で自分を見つめているのに気づき、わざとらしく鼻を鳴らした。
***
「圧巻のパフォーマンスでしたね!」
歌い終わった後のスタジオには、心臓を抉るような余韻と観客の歓声が渦巻いている。しかしエージは、ペコッと一礼するやいなやその熱狂を置き去りにして足早にステージを後にした。
廊下の冷房が歌い終えたばかりの熱い体に心地いい。
汗で張り付いた首筋を拭い、楽屋へ続く長い廊下をダボついたデニムの裾を揺らして歩く。
その角を曲がった先、自販機の青白い光に照らされながら、角の壁に背中を預けている影があった。
深く被ったフードの隙間から射抜くような視線がこちらを捉える。
「_______似合ってないぞ。そのデニム」
聞き紛えるはずもない、あの声。
低すぎず、ただ心地よく響く。エージの心臓がドクンと重く跳ねた。
「――ッ、ヒロさん!?」
思わず声が裏返った。ヒロは今日、海外で撮影があるはずだと麗子から聞いていたのに。なぜここにいるのかという疑問が頭をかすめるが、それよりも先に言葉が口をついて出た。
「な、なによ。似合ってないって、……これ、今のトレンドなんだから。ヒロさんだって前に履いてたじゃない」
大きなフープピアスをいじりながら、内心では彼が自分のステージを見ていてくれたのか、それだけが気になって仕方がない。
ヒロはハハッと軽く笑うと、エージに歩み寄り少し屈んで、
「冗談だよ。―――ステージお疲れ様、エージ」
そう言って大きな手をエージの頭に優しく置いた。
予想外の言葉と頭に残る熱。
エージは顔が熱くなるのを隠すように、脱ぎかけたビーニーで自分の顔を半分覆い隠した。
コクっと頷いた後ヒロの手を払いのけ、ありがとう。と一言発したが、ビーニーから覗く彼女の耳の先はどうしようもなく赤かった。
「そうだお土産。……麗子さんにここにいる事バレたら怒られるけど」
そう言ってヒロがポケットから取り出したのは海外製の可愛い箱に入った高価そうなチョコだった。
「糖分摂って、ちゃんと休め。お前、たまに無理しすぎるから」
指先が一瞬重なった。その冷たい感触にどうにも意識が向いてしまう。
「……なんなの、無理なんてしてないけど。」
「おまえ、この前ろくなもの食べずに練習漬けで倒れる寸前だったらしいじゃん、麗子さんから聞いた。……それで体壊したら元も子もないぞ。」
「……分かってるって、次はもっと上手くやる。」
エージはそう言うと、手渡されたチョコの箱をデニムの深いポケットへ押し込んだ。
「…じゃあ俺もう行くから。あ、あの人には俺がここに来た事言うなよ」
ヒロは飄々とした様子で短く手を挙げると音もなく廊下の闇へと消えていった。
その背中が見えなくなったのを見計らって、エージは大きく一つ、溜まっていた息を吐き出す。
上手くやるなんて。……なによ、
***
楽屋の扉を押し開けると、大きな鏡の前、足を組んで座っている麗子の背中が見える。
資料に目を通しながら音もなくコーヒーを口に運ぶ。
エージは無言のまま自分の席に座り鏡越しに彼女へ軽く会釈をした。
「……お疲れ様です」
「お疲れ様。少し顔色が悪いわね。外の空気が冷たかったかしら」
「いえ、大丈夫です」
そう短く返し、深く被っていたビーニーを脱いでテーブルに置いた。
「今週末の土曜、夜は空いているわね。モデル関係の大きなパーティーがあるの。エージ、あなたもゲストリストに入れておいたから、顔を出しておきなさい」
麗子は鞄から招待状と思われる一枚の白い封筒を出し、机に置いた。
「パーティー、ですか。……自分も?」
「ええ。今のあなたに必要なのは、歌の練習だけじゃない。」
麗子が椅子をくるりと回転させ、エージの方を向く。
鋭く、けれど深い瞳がじっとこちらを見つめる。
「自分がこれから戦う場所がどのような熱量で動いているのか。それを知っておくことよ」
………………面倒くさいな。
視線を逸らし内心で毒づきながら耳を貸している少女に、麗子は追い打ちをかけるように告げた。
「それにヒロも来るわ」
エージの背筋がわずかに伸びた。
「……そこで学びなさい。あんたが真似してる彼が、どんな場所で、どんな顔をして立っているのかを。それも、立派な仕事の一つよ。」
エージは少しの間を置いてから、静かに頷いた。
***
全身を突き抜けるような重低音と華やかな熱気。
それはこれまで自分がいた場所とは明らかに違う、選ばれた人間だけが許される特別な温度であることを肌を撫でる空気が物語っていた。
数え切れない香水の匂い、高級なアルコール。
天井で波打つシャンデリアの眩い光。それが巨大な鏡に反射し会場全体がまるで宝石箱の中のような、現実離れした輝きに満ちていた。
「……すごい」
エージは、髪によく馴染んでいるブラウンのジャケットの袖口を無意識に指先で整えた。
ドレスアップした大人たちがグラスを片手に優雅に笑い合っている。その騒がしささえ、今は上等な音楽のように聞こえた。
早く見つけたい。この眩い光の渦のどこかにいる彼を。
眩い光に目を細めるエージの隣で、麗子がふっと赤い唇を満足げに綻ばせた。
彼女は正面を見据えたままエージにだけ聞こえる低い声で告げる。
「ここに来ている人間は、あなたの名前なんて知らない。あなたはただ、そこに立って微笑んでいればいいの。余計なことは私が話すわ」
麗子の手が伸び、エージのジャケットの襟をわずかに直した。指先が鎖骨のあたりに一瞬触れる。
「そのブラウン、よく映えてる。ヒロと同じ景色の中に立つためのチケットだと思って、今日は死ぬ気で背伸びしておきなさい」
「……はい」
エージはぎこちない笑みを浮かべ、わずかな首元の緊張を飲み込んだ。
広い会場の中心に足を踏み入れると、さざ波のように周囲の視線がこちらへ向くのがわかる。
「――あれ、麗子じゃない?」
「本当だ。今回のプロジェクトも彼女が……」
けれどその視線のほとんどは、エージを通り越して隣を歩く麗子へと注がれていた。
業界のルールを塗り替え続けている若き実力派、麗子。彼女が歩くたび、道が開け、熱を帯びた視線がその背中を追う。
エージはその強烈な磁場の中に一歩遅れて寄り添っていた。
「麗子さん、お久しぶりです!」
次々と声をかけてくる有名プロデューサ―やモデル達。
エージはただその影に隠れるようにして、手渡されたシャンパングラスの冷たさに意識を集中させていた。
「……私の秘蔵っ子よ。エージ、挨拶して」
低く落ち着いた声に促され、エージは笑みを作り昨夜から何度も練習した角度で会釈をした。
麗子が誰かと短く言葉を交わすたびその視線の端がついでにエージの全身をなめ回していく。
「期待の新人って彼女のこと?」
「麗子が囲ってるんだから、相当でしょ」
「私あの子知ってる!この前テレビ出てたよ!」
エージはジャケットの襟を再び整えた。
視線を浴びるたび自分だけが中身のない空っぽな人間になったような、変な感覚が募る。
麗子の隣は一番安全で、同時に一番息苦しい場所だった。
***
麗子がプロデューサーとの話に夢中になっている隙にエージは人混みの隙間を縫うようにして会場の端へと逃げ出した。
華やかなメインフロアから少し外れた、テラスへと続く廊下の隅。そこは照明が少し落とされ開かれた窓からは遠くの海が見えた。
手すりに体重を預けると、止まっていた肺がようやく動き出す。
手に持ったままだったシャンパングラス。中の液体はぬるくなっていて弾ける泡はもう消えかけていた。
「……はあ」
自分は今ヒロと同じ場所に立っている。
けれどこのブラウンのジャケットに袖を通せば通すほど、居心地が悪くなっていく様に感じられた。
「――なんだ。もうバテてんのか」
ふいに頭上から降りてきた声。
ゆっくりと首を巡らせると、そこには退屈を絵に描いたような顔でこちらを見下ろすヒロがいた。
グラスさえ持たず、ポケットに手を突っ込んだだけの姿。それだけで彼はこの豪華な会場の誰よりも圧倒的な主役としてそこに成立しているみたいだった。
ヒロの視線がエージの長い髪から丁寧に仕立てられたブラウンのジャケットへとゆっくりと滑り落ちる。
「……ヒロさん」
緊張で固まった肩の力が彼の名前を呼んだ瞬間にふっと抜けていく。
「まさかお前が本当に来るとは思ってなかったけど。どう?ここ」
自分と同じように窮屈に感じるタイプだと知っているからこその確認するような問いかけ。
「……麗子さんに仕事だって言われたから。それに、ヒロさんがいつもいる場所がどんなもんか見たかっただけよ」
ヒロが少しだけ歩み寄りエージの目の前で足を止める。
そのまま大きな手で、エージが何度も気にしていたジャケットの襟を、無造作に、しかし少しだけ優しく掴んだ後、
「顔、真っ白だぞ。」
そう言って軽く笑った。
その一瞬で、なんとも言えない感情がエージの心臓を覆っていく。
「――本当。そんなに肩に力入れなくても、その色、ちゃんとあなたに似合ってるわ」
どこか、日向で干したリネンを思わせるような柔らかい声がエージの鼓膜を撫でた。
ヒロが振り向くとそこには一人の女性が立っていた。
このギラギラした会場の中にいながら、彼女の周りだけが昼下がりの公園のような穏やかな空気を纏っている。
彼女は優しい微笑みを浮かべながら二人に歩み寄ると、突っ立ったままのエージの瞳をじっと見つめる。
「……あ、ありがとうございます」
そして戸惑うエージの頬に熱を測るような手つきでふっと手の甲を寄せた。
「頑張りすぎ。……このままだと、綺麗な目が曇っちゃうよ」
顔を覗き込む様にしてそう言った彼女の手から伝わる、ひどく柔らかく、優しい体温。
エージの喉の奥が子供のようにきゅっと鳴った。
「――っ、エージ!?」
限界だった。
ヒロの焦った叫び声を遠くに聞きながら、エージの身体は糸の切れた人形のように崩れ落ち、そのまま日向の香りがする柔らかな腕の中に沈み込んでいった。




