第六話 ~イナリ姫~
山波京はその広大さゆえ、南からの入り口である羅刹門をくぐってからも、皇族のおわす"内裏殿"までかなり遠い。
正直なところ、アンズにとっては山波京に入ってから、ミツサダが同行してくれるのはかなり有難いことである。
羅刹門をくぐっての都入り自体は、ナルミ直筆の書簡で果たせるため、その時ミツサダがいてくれるかどうかは関係ない。そういう問題ではないのだ。
何せ山波京という都にお住まいの方々は、綺麗な着物に身を包み、貴族の謳う気品に倣う人々であり、特に女性の振る舞いには意識高い。
つまり、農村ですらはしたないとされるような、膝上まで肌を晒すようなアンズの恰好など、裸で都を歩くにも近しき、卑しい女と容赦なく評価する。
それほどアンズの正装とは本来、男から見ても異性を惑わそうとする下劣さを、女から見ても恥知らずの痴女だと指を差される恰好なのだ。
彼女もミツサダに言っていたことだが、この意識高い都を一人で歩くのはアンズにとってかなりきつい。
いかにこれが正装だと胸を張って歩こうにも、目的地までの長い時間、ひそひそ声と後ろ指に晒されては、最後まで折れない気持ちを保てる気がしない。
そもそも自分でも、こんな恰好あり得ないって今なお思ってるのに。
皇族様にお仕えの、山波京の顔役でもあるミツサダがそばにいて、自分と楽しくお喋りして歩いてくれるから気が紛れるし。
ひそひそアンズの姿を嗤うような声が聞こえれば、俺の客に何か文句があるのかとミツサダが睨みつけて黙らせてくれるし。
周りの目なんか気にするなとミツサダが頭を撫でてくれるから、アンズもどうにか羞恥に折れかねない心を真っ直ぐに保てる。
過保護と二人に揶揄された、ナルミがミツサダの同行を促した厳命も、それがいかに救いであるかなどアンズもミツサダもわかっている。
だから、ずっと大好きなお母さんで、ずっと敬える主君なのだ。
「さて、俺が付き合えるのはここまでだ
流石に俺も、理由なくイナリ様への謁見は儘ならぬからな」
「ううん、ミツサダさん、本当にありがとう。
一緒にいてくれて嬉しかった」
「がはは、大袈裟だな。
可愛い姪のようなものじゃねえか。
わざわざこんなことを恩に着るんじゃねえぞ」
アンズに護送依頼をした姫君の待つ内裏殿に到着した二人。
山波京にはまず大内裏という、和大国でも最も格式高いとされる御殿があり、それは帝をはじめとした皇族様の御住まいの、いわば京の総本山。
そんな皇族の中でも、帝の実子やその正室や側室など、特に皇族の中でも格の高い一握りの者には、内裏殿という第二の住まいが認められる。
俗な言い方をすれば、大内裏に住まう資格を持ちながら、京に別荘すら与えられるということだ。
まさに、ただでさえ特別な皇族の中でも、格別なる立場にある者にのみ許されることであり、内裏殿とは住まう者の権威を象徴するものでさえある。
去っていくミツサダに、胸を覆うさらしが脇からちらつくことも憚らず手を振っていたアンズだが、見送ってから改めて内裏殿を前にすると息を呑む。
この先に待つのは、帝の長子の正室たる、すなわち帝の継承者として最も有力な人物の妻。
ゆくゆくは皇后とさえ意識されるその人物は、アンズよりも年下でありながら、アンズにしてみれば雲の上のような人物だ。
本来ならば、真正面から対面することさえそうそう許されぬ程の貴人と理解した上で、これから謁見せねばならぬというのは実に気が重い。
これは、依頼を受けて言葉を交わす大義を得たことでさえ解決し得ぬ、皇族という特別過ぎる存在への畏敬が為せる業である。
「……………………はぁ。
つら~~~~~い」
『ふふふ、神である私と語らう時よりも身を竦ませるとはな。
お前の中ではさぞかし私は軽い神であると見える』
(意地悪言わないで下さいよ……
すべて、謝りますから……
全てが上手く済ませられましたら、山波神社に帰ってからどんな報いも受け入れますので……)
『う~む、いつもの元気が無い。
重症だな』
今からイナリ姫との対面ということで滅入っているアンズ。
皮肉に対して反撃するどころか、弱る私をいじめないでと完全に屈服した言葉を脳裏で返すのみ。
あまりにアンズが弱り過ぎていて、テンジンもからかいづらい気分である。
『そんなにイナリ姫が苦手か?』
(ええ、まあ、確執ありますので……
やっぱり、いいようには思われていませんでしょうからね……)
『お前は悪くないはずなんだがな』
(私もそうは思ってますけど、皇族様のせいにも出来ませんからねぇ……)
そもそも皇族様との謁見というだけで、一介の神職者とて相手からすれば庶民同然のアンズには気が重いのだが、イナリ姫だけは格別だ。
絶対いじめられる。向こう様はアンズのことを好いていない。
アンズはそれが、自分に全く非が無いこともわかっている。だけど、イナリ姫の気持ちもわかる。
本当ならば、ナルミからイナリ姫からの依頼だと聞かされた時点で、『さいあく……』ぐらいのことは口走りそうになったぐらいだ。
それは呑み込んで口にしなかっただけ。当人を前にして口に出せないことはアンズは我慢する。
陰口は控えたいのだ。誰に聞かれても責任を取れることしか口にしないことが、信仰という重い使命を背負う巫女として当然のことだと心掛けている。
それでもどうにか意を決し、アンズは内裏殿の門番の前へと歩み寄り、ナルミ直筆の書簡を示して門をくぐっていった。
門番はミツサダがそばにいるアンズの姿を見ているので、ほぼその書簡を見る前から、通すことを決めていたかのように話は早かった。
皇族様のお住まいであり、山波村にお住まいのナルミの屋敷たる玉依御殿にも匹敵するほど広く、大きな敷地を有した稲荷姫内裏殿。
イナリ姫の待つ居室へ向かうまででも、それなりに歩くほど広い。
それ相応に長く歩く時間を以ってしても、これから会う相手に対してアンズが腹を括りきるには不充分。
たとえ半日の時を貰ったとしても、その時間でイナリ姫に会うことに覚悟を決めろと命じられたとて、アンズはきっとそれが出来ない。
徹頭徹尾、アンズはイナリ姫が怖い。妖魔よりも、親よりも。
水原稲荷。
倉鎌幕府の大将軍、水原朝実の遠縁にあたり、政治的な実権は無いものの名家の中の名家とされる武家の姫君である。
彼女は現在、現帝の長子たる皇殿に嫁いだ身であり、山波京に居を移している。
倉鎌幕府と京の政争は終わりを迎えた昨今、どちらも今さら表立ってこれ以上の政権簒奪を企てていないため、両陣営の融和においても利のある婚姻関係だ。
政略結婚には違いないが、おしどり夫婦で良好な縁を結んでいるようで、自由恋愛など許されぬ地位の姫君としては、幸せで最上の縁を結べたと言えるだろう。
しかし、この婚姻が結ばれる前にひと悶着あったせいで、アンズとイナリ姫の関係は拗れに拗れている。
イナリ姫はアンズのことを蛇蝎の如く怨み、一目見るどころかアンズの名を聞いただけで、たとえどれだけ上機嫌でも一気に激昂するほど。
この件、アンズもイナリ姫も悪くはないのだが。誰が悪いかという話をすると、それはまた二人以外の別のところにある。
事情はちょっと複雑なのだ。二人が和解できないのはそれだけの理由がある。
イナリ姫が折れて、アンズのことを赦し入れれば済む話なのは確かなのだが、彼女の心情を鑑みるに、それにはまだまだ時間がかかりそう。
アンズもイナリ姫の気持ちはわからなくもないから、今は京の姫様からの憎しみを一身に耐え続けねばならない中にある。
仕方ないと思う。アンズに言わせても、私がイナリ姫様の立場なら、巫女アンズと仲良く接するのは難しいかもしれないと思うのだから。
さて、それにしたっていざ対面するとなれば怖い。
姫君様と仲良くさせて頂きたいとまでは言わないが、やはり本心、いじめてこない程度には態度を軟化させて欲しいと強く願う。
呼ばれたから来ただけなのに、何しに来たと顔を蹴られる覚悟をしなきゃいけないぐらい、アンズはイナリ姫が恐ろしくて仕方ない。
相手は帝の長子の妻、要するに次期帝の皇后となり得る人物かつ、現時点でも皇太子妃である。
何をされても文句ひとつ許されない相手。権力者に蛇蝎の如く嫌われている立場というのは本当につらい。
「ううぅ……ほんとにお腹いたい……」
内裏殿の最奥、イナリ姫が待つ部屋の襖は、アンズからすれば閻魔大王様の間への血塗られた門にすら見える。
生唾を呑み込んで、お腹を押さえ、きりきり痛むそこを撫で、脂汗までだらだらだら。
膝をついてしゃなりと座り、ご挨拶の第一声を放つまでにも時間がかかる。
どうせ何を言ってもいい反応はされないのだが、少しでも負う傷の少ないご挨拶をなんとか絞り出したい。
『気性の激しい姫君だからな。
お前に対してのみだが』
(去年の年始、京に赴いた時のこと覚えていらっしゃるでしょ……
私、本当に腰抜けましたから……)
昨年、新年のご挨拶として上京したナルミに同行したアンズだったのだが、イナリ姫と対面した時のことは今でも忘れられない。
優雅に貴族らに微笑んでいたイナリ姫の形相は、珍妙な巫女正装の女がアンズだと理解した瞬間に鬼と化し、癇癪のような怒鳴り声で場を凍らせたのだ。
まくし立てるようにアンズに呪詛めいた言葉を向け、その中に"消え失せろ"とまでいう言葉が含まれていたことに、憎しみの闇深さを思い知るには充分だった。
いくらなんでもひど過ぎるので、ナルミもイナリ姫を叱って場を収めようとしたのだが、イナリ姫はナルミを慕っているにも関わらず聞かなかった。
元々イナリ姫は淑女の理想としてナルミのことを心から尊敬しており、普段は彼女の言うことなら素直に聞くのだが、それでもこれだけは譲れなかったらしい。
アンズはアンズでイナリ姫が去った後、賀正のめでたい場で腰を抜かし、這うようにして部屋の隅に行ってから、放心状態で天井を仰いでいたそうな。
色々と相当にひどいことを言われまくったが、何一つ具体的な単語は頭に残らなかった。
ともかくイナリ姫の剣幕があまりに凄まじく、恐怖すら感じ、すっかりそれに呑まれて、頭が真っ白になってしまったというところである。
腰を抜かしている間も身体ががくがくに震えていたし、今でもあの時のイナリ姫を思い出しただけで、ぶるっと身体が震えて背筋が寒くなる。
逆らえばどうなるかわからない皇家の姫君だとか、そういう話は一切関係なしにして尚、イナリ姫はアンズにとって偏におっかない人物なのだ。
(テンジン様……骨は拾って下さいね……)
『はっはっは、信仰が足りぬ今の私では何も出来ぬよ。
せいぜい廃人化して恥をかかぬよう努めることだ』
(いけずぅ……)
なけなしの神力を授けて下さる時は頼もしいのだが、こういう時にはまったくあてにならないテンジン様。
むしろ最近ちょっと生意気なアンズが、身体的に傷つかない範疇でけちょんけちょんにされるぶんには、面白がってくるきらいすらある。
わかっているのに助けを求めてしまうなんて、アンズもテンジン様に懐き過ぎ、お話したがり過ぎではなかろうか。
元々ナルミに対してもそうだが、アンズは親無き寂しい幼少時代を送った反動なのか、自分を大事にしてくれた相手には依存的ですらある。
しかし、いつまでもここで躊躇っていても何も始まらない。
ぐっと決意を固め、アンズは顔を上げて襖を真正面に見据える。
アンズにとってはこの襖が、恐れ見上げられる羅刹門よりも余程怖い。
「…………恐れ入ります、水原稲荷様。
仰せ仕りました任に応えるべく参じました、山波神社の……」
「はよう入れ!!
如何ほど妾を待たせれば気が済むのじゃ!!」
ものすごい声。襖越しなのに耳元で叫ばれたかと思うほど。
内裏殿じゅうに響き渡るその声が、一気に屋敷内の空気を硬直させる。
かつての初対面の記憶が一気に蘇り、胃痛が三倍になったアンズは既に汗だくの顔でそっと襖を開いた。
手元が震えていることなど言うまでもない。
さあ、御対面。
十二単に身を包み、十五歳ながらあまり背が高く育たぬ上に幼顔の、実年齢よりも五歳幼く見えるイナリ姫。
しゃなりと座した御姿は、十年に一度の会心の出来たる雛人形の可愛らしさすら凌ぐ、誰もが抱きしめたくなるほどの華やかな輝きを発している。
お形相がああでさえなければ。
無表情のようでいて、両の目だけは恐らく本人が意図せぬままにくわっと見開き、眼力だけでアンズの胸を刀で貫くような鋭さがある。
眼だけで殺されそうだ。呑む唾もとうに沸かず、アンズはからからの口から声を搾り出すだけで相当な労力を要する。
ひたすら唇が渇くので、発言前に舌で唇を濡らすという、貴人を前にあるまじきことまでついやってしまう。
すぐに気付いて、やってしまったと顔面蒼白になるアンズ、色んな意味で消えてしまいたい。今すぐ打ち首にされてでもいいから現実から逃げ出したい気分。
「こ、この度は……
誉れ高きイナリ姫様の護送を仰せ預かり、恐悦の至りに御座います……
微力を尽くさせて頂きすので、何卒……」
「何が言いたい!! 次は妾に任の仔細でも語らせる気か!!
貴様の顔などもう充分!! 見るも不愉快じゃ!! 直ちに失せい!!
次に妾の前に顔を見せようものなら、髪を全て毟って裸の頭を砂利道に擦りつけるぞ!!」
「っひ……!?
す、すみませんすみません、申し訳ありましん……!
し、失礼いたひましたぁ……っ!!」
立ち上がることさえ出来ず、膝をついてお座りしたままの姿勢で、ずざざざと畳の上を後ずさってアンズは逃げていく。器用な動きだ。
敷居を越え、襖をぴしゃっと閉め――いや、音を立てたらまたその失態を突かれそうなので、ぎりぎり隙間を残して最後だけそっと閉じる。
自分とイナリ姫の間を襖で隔て、向こうに自分の姿が視認されなくなるや否や、震える足ですぐに立ち上がり、小走りめいた足の速さで逃げていく。
どたばた足音を立てるのもまずいので、速い足の割には上手な忍び足で足音を立てない。器用な動きだ。
『案外余力が残ったではないか』
(全っ然! 全然ですよぉ!
あ゛ぁ~~~~~怖かったああああああああぁぁぁ!!
本気で怒った時のお母さんよりもよっぽど怖いよおおおおぉぉぉ!!)
依頼の詳細だとか、聞かなきゃいけないことが沢山あったのだけど。
駄目駄目、無理無理、あれ以上は話せない。話そうとしても怪我するだけ。
依頼を受けた身としてご挨拶だけ済ませられたという、唯一の実績を残せただけでもよくやったと自分を褒めちぎりたい。
イナリ姫がいつ京を発ち、どの道のりでどの方角へ向かい、自分以外の護衛はどれほどいるのか。
そうした詳しい事情、頭に入れておかねばならない重要な情報は、他の所からしっかり集めるしかない。
まあ、そうなるとミツサダさんに聞けば何とかなるはずだ、という逃げ道があるだけ、アンズは恵まれている方だと自覚している。
つくづくナルミお母さんとその縁に支えられて、私はどうにかやってこられているんだな、と。
「お、来たな来たな。
寝坊しなかっただけでも随分と偉いぞ」
「だいぶ早起きしましたよ~。
そのぶん、昨日はかなり早く寝てますから体調はばっちりですけどね」
さて、翌朝。
イナリ姫から逃げた後のアンズは、迎えに来てくれたミツサダに護送依頼の詳細を聞き、そのまま蜻蛉返りで山波村へと帰った。
適度に村の皆様の畑仕事を手伝って、普段よりも早く神社に帰って早寝して早起き。
お日様の気配も無い早朝前の深き夜に、肌寒い中我慢してもう一度身を清め、また雲に乗って山波京へと参じたのが今である。
既にお日様も良い高さに達した青空の下、羅刹門の前で待ってくれていたミツサダにアンズが駆け寄ったところだ。
「そんな忙しないことせず、京に泊まっていきゃあいいのによ」
「お小遣いがすっからかんになっちゃうじゃないですか。
それに巫女は身綺麗にするのもお仕事ですから、きちんと湯浴みが出来る(お高い)宿なんてとてもとても」
「姫様に小間を借りられれば話は早いんだがねぇ」
「無理です、無理無理。
認められるかどうか以前に、私には頼む勇気すら出せません」
毎朝身を清めるのが巫女としての責務ゆえ帰ったとアンズは言うが、そもそも京にお泊まりはしたくなかったというのが大きいのだろう。
普通、護衛依頼した相手を依頼した側が泊めるなり、宿を紹介したりするのはままある話なのだが、アンズ相手のイナリ姫にそれは期待できない。
ご挨拶への対応だけであれなんだから、宿を頼むなんてことアンズもしたくない。ふざけるな厚かましいと陶器でも投げつけられるんじゃないかとぞっとする。
「やっぱりそれなりに厚い護衛ですね。
私いらないんじゃないかって思うぐらい」
「……さあ、どうだろうな。
周知されていないだけで、お前さんは充分に一騎当千だよ。
いてくれるだけで相当に安心感が違うから、胸を張ってくれ」
「?
えっと……ありがとうござい、ます?」
さて、このたび遥か東の倉鎌の地まで、里帰りする運びとなったらしいイナリ姫。
大将軍様の親族たる姫君の長旅とあって、既に羅刹門の前に集まっている護衛兵の数たるやそれなりのものだ。
アンズが随分早い時間にここを訪れたため、今はまだ二十数人程の兵しか集っていないが、まだまだここから増えるだろう。
それも賊やならず者を退ける侍だけでなく、妖魔を退ける陰陽師と呼ばれる者達も多数いる。
たった一人の護衛のためだけに、これだけの兵力が集う様は、やはり京仕えではないアンズの目には壮観と映る。
朝も早くて人が集まりきっていない上でこの兵力と見たアンズとしては、百人超の護衛団となる予見であり、自分がいなくても、と感じるのも不自然無い。
だが、ミツサダの態度は少し煮え切らない。
もっと言えば、彼と親しみある関係でその表情を複数見たことのあるアンズとしては、懸念の色すら感じ取れてならない。
「でも私、近滋国までの護衛でしょ?
出番なんか無いと思うけどなぁ」
「そうは言っても妖が最もよく沸くのはこの山波国だ。
お前の力が最も求められ得るのもそこだぞ」
「まぁたそんな手厳しい……
一生懸命信仰を取り戻そうと私も頑張ってるんだよぉ」
「そういうつもりではなかったんだがなぁ。
悪かった悪かった、軽率だったよ」
そんな中にあって、アンズがイナリ姫に同行するのも道半ばまで。
山波国の隣国である、近滋国との境目までイナリ姫を送り届けたら、あとはそこでさようならである。
姫君の目的地である倉鎌は東に遠く、ここ山波国からは国三つを跨ぐ長い旅路だ。
そもそも山波神社の巫女であるアンズは、何日も神社を空けられない立場である。流石にそこまでは神職者として付き合えない。
それに山波国から一歩でも外に出れば、妖魔との遭遇も随分と減るというのが実状であるため、隣国以上までアンズが付き合う必要性も実際薄いのだ。
なにぶん山波国は今、国の守護神とも言えようテンジン様への信仰が弱まっているため、国全体に神様の加護が行き届いていない。
おかげで山波国は、和大国において最も妖魔が多い国であるとさえ言われており、テンジン様を主神に奉るアンズにとっては常々、忸怩たる想いである。
それもあってか、妖魔に抗う力を持つ陰陽師の数も多いため、充分に人の世として栄えてはいるものの、それもまた神様への信仰を削ぐ一因。
人の手だけでどうにかやっていける、と人が認識すればするほど、神様を必要とする人もまた減るのだから。
妖魔多き山波国が、陰陽師らの活躍もあり平定されていること自体はアンズも良いことだと思うが、父も同然のテンジン様から人心が離れるのはやはり寂しい。
「がっつり信仰集めて、テンジン様の力を取り戻して、山波国の妖をぐっと減らしてみせるんだから。
陰陽師さん達だって、仕事が減った方が絶対いいでしょ?」
「まあ陰陽師は仕事が無くても存在意義だけで飯が食えるから、仕事を奪っちまうことになったとしても後腐れはねえよ。
頑張れよ、俺は応援してるからよ」
「でもミツサダさんも神様のことあんまり信じてないよねぇ?
私そういうのわかるんだよ?」
「信じてるっつの。
お前の信じてる神様だろ? 疑ってはいねえさ」
応援してると言いながら信心薄きミツサダを、じとーっとした目で見るアンズ。
アンズと親しいから彼女の言い分を尊重し、神様はいると"考えて"くれているミツサダだが、逆に言えばそうでなければ神の存在などあまり信じていない。
それでは真の意味で、神様の力を取り戻す信仰たり得ないのだ。
お気持ち程度の"信じています"ではなく、"神様どうか我々にも救いを"と願ってくれる想いこそが、神様にその願いを為す力をもたらすのだから。
「自分の力で自分の人生を切り拓いてきた、尊敬してやまない人が私のそばに沢山いるのは、幸せなことだってわかってるんだけどなぁ。
そういう人達に限って今さら神様を頼らないから、私の立場からするとたいへん複雑なんだよね」
「まあ、そんな顔をするな。
可能な限りは俺もお前に尽くしてやりたいが、俺は俺、お前はお前だ。
わかって貰いたい」
「ううん、ミツサダさんは信仰とか関係ないところで、たくさん私のことを助けてくれる優しい人だよ。
ごめんね、忘れてくれていいからさ」
未練無き明るい笑顔に少しばかりの申し訳なさを込めた笑顔で頬をかき、アンズはミツサダに会釈程度の頭を下げた。
切り替えの良い子で、充分に大人だとミツサダも思う。
それでも多少は弱音が出るぐらいには、彼女にとってはテンジン様というのが特別過ぎる存在なのだろうと、ミツサダも理解している。
自分には信じられない、神様の存在を仮に実在することにしてでもの理解だ。アンズの言うとおり、優しい年長者である。
「あー、ただ今回の護送には、外からの雇われ者もごく僅かに混ざっていてな。
もしかしたらイナリ姫様は、流れ者からも有能な人物を拾い上げ、何らかの形で職を与えるつもりなのではないかって噂も立ってるよ」
「へえ、そうなんだ。
私は絶対そうじゃないけど」
「たまの京仕えも悪くないんじゃないのか?
銭は稼げるし、お前ならしばしば呼ばれても雲に乗って駆けつけられるだろ」
「イナリ姫様が私のこと重用すると思う?
むかついた時に殴りつける為だけの巻き藁代わりに雇われるならあるかもだけど」
「いや、側仕えは無いだろうけど親戚の誰かに紹介するとかだな……
つーかお前の中でイナリ姫様はそんな極悪非道なのかよ。告げ口はしねえが」
「私に対してだけはね……」
イナリ姫は山波村を平定するナルミを見倣うだけあり、民草にもお優しく、聡明で、名君の器だと既に評価される人物である。
アンズに対する態度だけが過剰なほど特殊なだけで、基本的には人格者かつ、へたを打たない慎重さと賢さに溢れた姫君なのだ。
だから、万が一があってはならぬ身であると自覚あるはずの彼女に、信頼性で劣る流れ者まで護衛に雇い、兵力の足しにするのは些か軽率な話である。
流石にそうした人材は、姫君から少し離した場所に配置されるであろうが、極端な話、賊でも招き入れてしまったらどうするのかという話には違いない。
アンズも京仕えでないので、形式的には外からの雇われ者には違いないが、絶対にイナリ姫を害さないとだけは信頼できる点でそれらとは一線を画している。
「私あんまりその人達とは関わらない方がいい?」
「別にそんなことは無いんじゃねえか?
流石にイナリ姫様だって、お前が裏切らないことだけは確信してるだろ。
誰と話してようが、護衛の穴を探そうとしている間者とは見られねえよ」
「そこまで信頼されてるのは光栄だけど、だからってなんで私が招かれたかな……
それが一番わからないし、わかんないのが一番怖いんだよね……」
「お前は本当にイナリ姫様が絡むと駄目だな」
「ミツサダさんも知ってるでしょ、あの人は私のことあの一件以来……」
「――――あっ、やっぱりいた」
イナリ姫様のご出立までの待ち時間、ミツサダとお喋りして時間を潰そうとしていたアンズ。
ミツサダは京の護りを司る将にも近しい立場なので、この護送には同行できない。お喋り出来るのも出発するまでの間だけ。
アンズは愚痴と弱音ばかりになっているので、今のうちに話を聞いて貰っておきたい模様。
と、そんな彼女にこの場に参じた護衛の一人が、よく目立つ服色のアンズを真っ先に見つけ、アンズの方へと歩み寄ってきた。
元より橙の着物自体が珍しく、初めからここで待つ護送兵らの奇異の目に晒されているアンズだから、遠目からでも一発でわかる身なりである。
「よ、アンズ。
言ったとおり、また会ったな」
「え……ふあっ!?
コナツ!?」
思わぬところで、思わぬ相手との再会に、振り返って相手のことを目に入れた瞬間アンズもびっくり。
先日、桑原村への護送依頼で巡り会ったばかりの、藍色染めの旅着の若者がそこにいたからだ。
背丈が低く童顔なせいで、いかに同い年だと主張されたとて、コナツはアンズ目線では今改めて見ても年下の少年に見える。
「なんだ? 知り合いか?」
「う、うん、つい最近知り合ったばかりだけど……
え、なに? コナツももしかして護送任務に雇われたの?」
「ああ、ちょっと前に声がかかってな。
やっぱりアンズもいるんだろうなって思ってた」
早い頭の回転で、どうしてコナツがこんな所にいるのか正解を紡ぎ出したアンズ。
同時に、先日は護送を頼む側であったはずのコナツが、今度は護衛する側としてここにいる不可思議さに、目をぱちくりせずにはいられない。
それも、京の姫君の護送である。生半可な者が招かれるはずがないのだ。
「……もしかしてコナツ、こう見えて強いの?」
「さあ、どうだろな。
一言多いことには目を瞑ってやるよ」
「あっ……ふ、ふへへへ……」
疑問が多くて頭が回っていないから失言する。こう見えて、というのは若干見くびり気味。
あの日のようにごまかし笑いを浮かべるアンズは、わからないことだらけの護送任務に、とうとう頭が追い付かなくなり始めていた。




