第五話 ~山波京~
「忙しくしている割には綺麗なお肌してるわよね。
ちゃんと寝てるようで何よりよ」
「それお母さんが言う?
化粧もしてないんでしょ。それで本当に四十路前なの?」
血の繋がっていない親子と知られるアンズとナルミだが、二人揃って沁み一つない美人顔なので、アンズはナルミお母さんの良い所を貰ったと言われる。
無論それは冗談なのだが、お鼻の形がそっくりだったり、笑った時の目の形が全く同じだったりで、遺伝を疑いたくなるほどなのは間違いない。
それこそ本当にアンズはナルミの隠し子なのではないかと、誰も口にはしないものの、ふとそう思ってしまう庶民も実は少なくないのだ。
亡きアンズの父が神職者ゆえ、それが皇族相手の不貞行為など絶対にあり得ないという、それほどの説得力を以ってしか否定しきれない与太話である。
還暦を迎えれば長寿と言われる昨今、普通四十歳前でも迎えようものなら、男も女も老人の顔になっていくものだ。
その山を目の前にしながら、未だ二十代と自称されても誰も疑わぬ若々しいナルミの顔は、彼女の膝から見上げるアンズ目線でも目の保養になる。
庶民にはお近づきになってお顔を窺うことも許されぬ貴人を、膝枕された場所から間近に眺められるアンズは、その役得を自覚さえしていよう。
「これからが大変なんだから。
若いって羨ましいわぁ」
「私ぜったい自分がお母さんと同じ年齢になった時、そんな綺麗でいられないよ。
いつまでも綺麗なお年寄りって羨ましいわぁ」
「なにを~?
むにむに~」
「ひゃめろぉ~」
乾燥っ気ひとつない両手で、膝枕して可愛がっているアンズの頬を包み、むにゅむにゅ揉んでくるナルミ。
やめろと言っておきながら全然やめて欲しくなさそうなアンズ。
楽しそうな母親と気持ち良さそうな娘のやり取りは、成人した者同士のものだとは思えない。他人に見られたらアンズは赤っ恥もいいところである。
「ちょっとは抵抗しなさいよ」
「無理~。
お母さんの手は私を駄目にしちゃう」
揉まれている間、アンズの全身から力が抜けきっている。
妖魔の調伏や畑仕事の手伝う腕と腰、巫女としての仕事で野山をよく越える脚と、細身に見えてアンズの肢体はかなり強くて長持ちする力を秘めているのだが。
溶けている。それこそ、ナルミの指先で舐め溶かされた飴のように。
すっかり力を奪われ尽くされた今のアンズなら、乱入してきた子供の力で滅茶苦茶にされたとしても、何の抵抗も出来ずにされるがままになりそうだ。
「こんな有り様だとお仕事の依頼も心配になっちゃうわ。
私の前だけだと思うと特別な気もして嬉しいけれどさ」
「お仕事の話する?
ちゃんと巫女の顔するよ」
「ううん、もう少しあなたをおもちゃにしたい。
後回し、後回し」
「ひやあぁぁ」
掌でほっぺたをすりすり、うなじをなでなで、おでこをさすさす、顎をこちょこちょ。
きゅっと目を閉じたアンズの首から上を、ナルミは楽しそうに撫でまわす。
自分が可愛がるだけでこんなに幸せな顔をする愛娘は可愛さに余り、ナルミの胸を満たすのだ。楽しくて当たり前である。
内股気味に膝を閉じ、ひくひく震えるアンズの体全体を見渡せば尚更に。これは悪い楽しみ方だとナルミも自覚があるが。
「でもお仕事の話を後回しは良くないよぉ。
ずっとこうしてて欲しいけど、そろそろちゃんとお話しようよぉ」
「もう~、つれないなぁ。
お仕事っていうのは、山波京からの依頼なんだけどぉ……」
「なんでそれを後回しに出来るの?」
幸せいっぱいの顔で蕩けていたアンズも、ナルミの言葉を聞いたら遊んでいづらい気分になった。
真顔を通り越して苦笑の表情に変わり、ナルミの手首をぽんぽんと撫でる。
もう終わりにしよう、という手つきであり、ナルミが名残惜しそうに手を引っ込めると、アンズはひょこりと上体を起こしてナルミに向き直る。
きちんと正座して、背筋を伸ばしてだ。表情は親子同士のそれのままではあるが、姿勢は仕事の内容を聞く巫女のそれである。
山波京というのは、山波村の北、山波国の中心に位置する、帝おわす御殿を擁した都のこと。
帝というのは、多数の国が集う海に囲まれたこの大陸そのものの頂点に立つ人物を指す。
すなわち、山波国はおろか、隣国どころか遠き国をも含め、和大国と称される大陸全土の中でも最も地位高い存在なのだ。
隣国の国主であろうとも頭が上がらぬどころか、謁見すら儘ならぬほどの人物のお膝元として、和大国一の都とされるのが山波京である。
「どちら様から?
なんだかんだお母さんも皇族だし、依頼者様が皇族でないなら扱い軽いのも少しはわかるけど。
そんなこと絶対ないよね」
「稲荷姫からよ」
「う゛っ」
ナルミは山波神社の巫女アンズへの依頼口として、山波国のみならず他国からもアンズへの依頼を広く受け付ける立場だ。
こんなに若くてもアンズは神職者。客観的に神職者というのは、やはり庶民が頼みごとをするには敷居が高いものである。
そこで山波村では、村主にも等しいナルミが村の外から山波神社に依頼があるなら、という立場を引き受けてくれている。
ナルミもナルミで山波京におわす帝と血縁者である、歴とした皇族なのだが、別に彼女と謁見するわけでもないので、敷居はナルミの地位ほど高くはない。
文を寄越して使用人を介し、ナルミに直接言上するわけでない形だから、多少の遠慮は挟まっても依頼そのものは届きやすくなっている。
そんなナルミのおかげで、広い間口で巫女への依頼を受け付けたいアンズの希望も叶うのだから、つくづくナルミはアンズにとって親でもあり恩人である。
しかし、山波京にお住まいの皆様方の間では、やはりナルミが帝の血縁者であることは忘れようがなく、軽視するなどもっての外という風潮がある。
そうなると、ナルミ様に言上するなどなど畏れ多いと思うのが普通の思想であり、山波京に住まう庶民からアンズへ依頼が飛んでくることはまず無い。
そもそもアンズに依頼が来るとすれば、神職者としての祈祷であるか、その神力を頼りにした荒事前提の物騒なものである。
まさか京からの依頼で、前者は絶対にあり得ない。儀式に神職者が必要なら、京には若輩のアンズでは足元にも及ばぬほどの高僧がいる。
皇族もお住まいの京で神事を執り行うことになった時、お膝元に相応の高位神職者が育っていないなんてことはあってはならない。
そして、京には武士も、妖魔の調伏の専門家である"陰陽師"もいる。
どちらも京仕えという時点で、それに相応しいだけの実力がある者達であり、京の外から巫女一人雇ってくるより世間一般的には余程に頼もしい達者揃いだ。
それらを差し置いて、わざわざ京の外から巫女を荒事に雇うという発想が、少なくとも京の庶民にあるわけがない。
確かに武士も陰陽師も、お仕事を頼むにはお値打ちの高い方々ではあるが、じゃあ山波村の巫女様はお安くつくからそちらを、なんて話になるだろうか。
そんな動機で神職者を雇うような罰当たりなこと、教養ある京の皆様には出来るはずのない話である。
だから、山波京からナルミを介してアンズに依頼が来るという時点で、依頼主が皇族であり、荒事有事の依頼であることまでアンズには想像がつくのである。
「イナリ姫様って、帝様のご長子殿に正室として嫁がれた姫様だから、このままいけばゆくゆくは皇后様と言われてるお人でしょ。
お母さんがまだ山波京にいたとしたって、がっつり上の人だったお方じゃん。
その下知、何よりも迅速に私に伝えるべき立場なんじゃないのお母さんは」
「ふふふ、そうかも」
「たまにお母さんって神様になるよね」
ナルミは既にあらゆる官位を返上し、この山波村を治める者としてこの地に骨を埋める立場であるため、彼女に皇族としての実権は一切無い。捨ててきたのだ。
それでも畏敬を集めるのが皇族というもので、未だ庶民からナルミが崇め奉られているのは、村主としての彼女の辣腕によるもののみではあるまい。
ナルミですらもそうなのだから、現時点で実権を持つ、山波京にお住まいの皇族の皆様など、はっきりナルミよりも上の立場になる。
そんな皇族からの依頼を、急ぎもせずに遊んでからアンズに伝えるという態度は、ばれたら不敬と槍玉に上げられて然るべきで、お茶目どころの騒ぎじゃない。
皇族にそんな態度を取れるのは神様ぐらいのものだろう。
たまにお母さんって神様になるよね、というのは的を射た例えである。
「依頼を失敗できないのはいつものことだけど、今回ばかりはちょっと重いなぁ……
どんな依頼?」
「護送、かな。
詳しいことはさておいて、簡潔に言えばそんなところ」
「うえぇぇ、勘弁してよぉ!?
それイナリ姫様に何かあったら確実に神社取り潰しでしょ!?」
「なんであれ未来の皇后様の依頼をしくじれば、巫女ないし神社そのものの存在意義に疑問の烙印を押されるのは一緒だと思うけど」
「御身まで懸かってたらそれどころの話じゃないでしょお!?
っていうかなんでお母さんそんな圧かけてくるかな!?」
「慌てたあなたも可愛い」
「どちくしょ~!」
頭を抱えて天井を仰ぎ、大袈裟に首をぶんぶん振って嘆くアンズ。
感情表現を敢えて行動に出すきらいのあるアンズらしい行動ではあるが、嘆きの深さは割と真剣。
護送依頼は今までだって何度もやってきたし、その失敗とは最悪護衛対象の命にも関わるので、絶対に失敗してはいけないという覚悟は常々ある。
たとえ護衛対象がただの庶民であれ、その人物には家族もいるし、守り切れなかったという結末を迎えようものなら取り返しがつかないものだから。
実際、アンズは自分の手に余るような依頼が来た時は、苦渋の決断としてきっぱり断るのだ。
他に護衛を雇う銭を惜しんだ商人に、十人超の商人団の山越えを一人で護衛するよう依頼された時だとか。
隣国から、山に巣食う妖魔の群れを一網打尽にして欲しいと依頼された時だとか。
波が立たないようお断りの返事はナルミの威とお言葉を借りるのだが、到底果たせる気がしない依頼はちゃんと断っている。背負えないものは背負えない。
今回だって断りたい。いかにも手に余る。
しかし皇族様の依頼など、仮に無償でもお断りしようが無いことぐらいアンズにもわかる。
かつて一度だけ例外があったのは、皇族相手の見合いを申し込まれた時ぐらいのものだ。
あれは仮にもアンズが神職者であったから、ナルミがそこから圧倒的な弁を紡いで突っぱねた、水面下でぎりぎりの攻防あってやっとのお断りだった。
当時十二歳の愛娘を嫁によこせと言われたナルミの激昂ぶりは、未だ玉依御殿の語り草でもあるのだが。
「頑張って頂戴。
どうせごねてもどうにもならないって最初からわかってる時は、より早く受け入れちゃうのが全てを丸く収める秘訣なんだから」
「わかってるけど!
わかってるけどぉ~!」
くすくす笑う素振りを見せながらも苦笑い混じりで、気の毒そうな目で共感してくれるナルミが、他人事だと思ってくれていないのはアンズにもわかる。
厳しいが、年長者として世渡りの基本を説いてくれているだけだ。
だからアンズも、間もなく腹を括るだろう。
これだけ重い話に対しても、比較的早く腹を決められるアンズの肝はそれなりに太い方である。
とはいえ、お腹の奥がきりきりと痛み始める程度にはやはりつらい。
アンズの頭上から離れ、天井隅の当たりから彼女を見下ろすテンジンは、巫女らしい思考で切実に喘ぐ彼女にたいそう面白げな顔であった。
主神に対しては献身的で、なんだかんだでテンジン目線でも可愛い巫女ではあるとはいえ、最近ちょっと生意気だし。
苦しむ彼女に少し溜飲が下がった気がする程度には、テンジン様もなんだか神様にしては人間的である。
「はぁ~~~……しんどしんどしんどしんどしんど……」
『こらこら、いい加減うるさいぞ。
そんな念仏があるか』
空を北上するアンズと、その頭の上で頬杖ついて呆れ顔のテンジン。
神力で生み出した雷雲に乗って空を飛ぶ力は、巫女としての仕事を果たす時にはとても便利。
遠き依頼地までだって、野山を越えてひとっ飛びなのだから。
「テンジン様、もしも上手くいかなかったらごめんなさいね。
神社潰れます。私も廃業です」
『やる前からそんな弱気でどうする。
お前は私の信仰を取り戻すことに御身を尽くすと誓った身であろう』
「え~……身売りしてでも信仰を稼げと……?
そんな形で稼いだ信仰なんて水物ですよ」
『既に廃業したわけでもなかろうに、どうして失敗する前提で話を進めよる。
最悪想定というものは常に必要なことでもあるが』
こんなに便利な力を行使して、晴天の下心地良い風を受けながら、アンズの気落ちっぷりは半端なものではなかった。
なにせ、雲の上であぐらをかいて座っているほどである。
アンズはあぐら座りなんて、家で一人の時でも絶対にやらない。
裾の短い巫女正装なので、股を開いた座り方なんてしたら、真正面から見た時に太ももはおろか畚褌まで丸見えになる。
人前どころか、一人の時でさえそんな恥ずかしい座り方は出来ないのだ。
雲に下半身が埋まる今なら、たとえば人目があったとしても、恥ずかしい所が見られることがないのは確かなのだが。
それにしたって家でも絶対やらないほど、痴態とすら自覚しているだらしない座り方をせずにはいられないほど、今のアンズは滅入っていた。
「はぁ~~~……だるいだるいだるいだるいだるい……」
『もういい、わかった、わかったから黙れ。
坊主の説法より意味不明で退屈だ』
「無理ですよ、山波京までまだちょっとかかりますからね。
それまでずーっと無言でこの苦悩を封じるのは心がもちません」
今回の仕事は重い。今までで一番重い仕事の類。
なにせ皇族様の護送である。失敗したら色んな意味で終わり。
巫女としての信用を失って商売あがったり、だとかそういう次元の話ではなく、万が一のことがあれば責任を追及されて本当に神社ごと終わる。
それは、生涯を巫女としての使命に捧げると誓ったアンズにとって、人生終了宣告に等しい。
良くも悪くも、一つのことしか出来ない者というのは、その分野においてのみは能力的にも心情的にも強いが、それが出来なくなった時に致命的すぎる。
「はぁ~~~あ……きついきついきついきついきつい……」
『あぁ~、今がきついきつい。
主神の耳を呪詛で苛む巫女がどこにおるか』
「無理無理、我慢して下さい。
はぁ~~~つらいつらいつらいつらいつらい……」
主従の関係とは思えぬやり取りを継続しながら、アンズとテンジンは空を行く。
口やかましく妥当な主神の苦情を聞き流しながら、アンズは憂鬱な目でより高き空を見上げて溜め息を繰り返すのだった。
どんな時でも最悪想定は必要だ。護送や妖魔調伏など、一歩間違えば取り返しのつかない仕事をしているなら尚更に。
アンズは今からもう、失敗したらどうやって生きていこうか、最悪本当に身売りでもするしかないのかと考えて、ひたすら落ち込む始末である。
最悪想定は結構だが、まだそうなってもいないのに極端な発想で今現在の自分の心を暗くし過ぎてしまうのもどうかと。
一つのことしか出来ない人が罹ってしまい得る、よくない心の病の一つである。
帝おわす山波京は、和大国西部の政治の総本山だ。
現在、和大国東部の政治の総本山と言われる倉鎌幕府と並び、この和大国全体の治世の双璧を為す。
ほんの少し時代を遡ると、帝と山波京の貴族が和大国全体の政治の実権を掌握しており、山波京としてはその頃を懐かしむ声も未だ根強い。
今は事実上、武士を中心とした倉鎌幕府と、その中心におわす大将軍が政治面で強く、最盛期と比べれば山波京の実権はやや弱い。
しかし、未だかの大将軍とて京の帝の意向を完全に無視した独断執政は行えず、京と帝の政治に対する影響力は失われてなどいない。
今この国で誰が一番偉い? と聞かれれば、模範解答は大将軍様となるが、帝と答えても不敬にはならぬ程には、その存在感と影響力は途轍もなく大きいのだ。
山波京は、その真ん中に皇居たる大内裏と据えた、山波国の北部に和大国でも今なお最大級の都として鎮座する都。
百人超の農民が住まい、畑をも擁するような村でさえ、山波京を囲う四角い城壁の中にすっぽり入れたとして、十も二十も平然と入るほどの広大さだ。
大昔に南の大奈国から遷都されてきた時以来の、碁盤の目のように精密に建物と大路を並べた、空から見ずとも整然と美しい街並み。
その規模、華やかさ、そして何より由緒正しさ。
この山波京の帝と貴族から、政権の半分をもぎ取った倉鎌幕府の威光はまさしく和大国一番だが、未だ京の放つ威光も民に忘れ去られはしていない。
むしろ倉鎌幕府の今の権威は、この山波京に仮にでも打ち勝ったからこそのものであり、むしろ山波京の威を借りているに過ぎぬという声すらある。
まあ、それはあくまで西国贔屓の西の民の弁であるのだが。
"仮にでも"という、実質完全勝利して討ち滅ぼすことは出来てないでしょ、というちょっとした負け惜しみ感がたいそう人間臭い。
それだけ今でも山波京は多くの民に、和大国の中心たる相応しさを失いきってはいない、という世間の認識を表した一例なのも確かである。
「相変わらずおっきいですね~。
地上で見上げると壮観です」
『空から見下ろせるのは神を除けば、鳥とお前ぐらいのものだがな。
人の子にこの"羅刹門"は、相対しただけで息を呑む迫力であろうよ』
広大な領地を一囲いの城壁に囲われた山波京であるが、この城壁が非常に高い。
どの方角からこの京を攻め込もうとしても、見上げるほど高き壁に阻まれて、余程の策が無ければ立ち往生するしかない堅固さを匂わせる。
倉鎌武士との争いでは敗北した山波京だが、未だここが滅びていないことからもわかるように、実際にここが攻め滅ぼされたわけではない。
両陣営の決着はそうではない形で訪れたわけだが、倉鎌武士とて山波京が落ちるまで徹底抗戦されるのは、正直望ましく思っていなかっただろう。
それは勿論、倉鎌武士とて無辜の民多き都を戦場にしたくないという想いもあったが、何しろ山波京の周壁自体の防衛力が高い。
大勢が決した上で徹底抗戦されても勝てる戦とて、都攻めだけで半端でなく手を焼き、武士側にも多大なる犠牲を伴うことが目に見えていたのも大きいのだ。
天下分け目の争いとて、両陣営に犠牲が多すぎる結末はどちらにも好まれない、というそもそもの余談である。
果たしてそれほど名高い防衛力をも持つ山波京ではあるが、あくまでそれは対人戦争においてのみの話。
有り体に言えば、どんな高い壁も空より飛来する妖魔に対しては万全ではない。
ゆえに、あくまでアンズのような特別な力を持つ者に対してのみ限った話だが、城壁の上をすーっと飛んで越えられるような力は京に好まれない。
それは城壁の一部を破壊して侵入する、侵略行為と似たものと見做されるのだ。
だからアンズも当然の配慮として、京の南部離れた場所にて地に降りて、街道をしばし歩いて山波京に辿り着くという手順を踏んでいる。
さて、山波京の南部に位置する、羅刹門と呼ばれる名所。
本当はもっとこんな物騒でない正式名称があるはずなのだが、かつて数千の兵を迎え撃ち、相応の死体の山を築いた逸話から、そう呼ばれて畏れられる門だ。
実際のところはそんな血生臭い門ではなく、都を訪れる者を明るく迎える、朱塗りの美しさとその雄大さで尊ばれる大門なのだが。
赤いのが血を想像させてよろしくないのだろうか。朱は掛け値無く美しい色であるはずなのだが、稀に損な印象論を与えられることもあって不憫。
「お、来たか来たか」
「"ミツサダ"さん?
もしかして迎えに来てくれたの?」
そんな羅刹門へ、離れた所から徐々に首を上げながら近付いていけるような雄大さに、惚れ惚れしながら歩み寄っていたアンズ。
そうして門の前に立つ人物が誰なのか視認できた途端、アンズの足は急に機嫌を良くしたような、ぱたぱたとした駆け足になる。
彼女が近付き、声の届く場所に至った頃合いを見て、手を振って迎えてくれた四十過ぎの男性は、アンズにとっても馴染み深い人物の一人。
臼井光貞の名で知られるこの人物は、山波京の兵を統べる武人として非常に名高い。
かつてナルミが山波京に身を置いていた頃は、彼女の側仕えかつ主衛を務めており、ナルミに対する忠誠心が最も高い人物の一人である。
今時の武士と異なり、大鎌を武器とする異色の戦い方を取る武人であるが、刀の扱いにも秀でており京で剣術の指南役をも務める身分。
今が全盛期と言われるその実力は、彼が全盛期の時に将として倉鎌との戦争の矢面に立てば、結果は違っていたのではと実しやかに囁かれるほどだ。
勿論、京贔屓の西国側でのみの話であるが、かつて対立した東国の倉鎌武士達の間でも、彼に対する武人としての評価は極めて高いので一定の説得力はある。
「ナルミ様からの文で、お前を"内裏殿"まで案内せよとのことでな。
俺としては仰られずともだが」
「気持ちは嬉しいけどお母さんの過保護が痛い。
私そんなに道に迷うような子だと思われてるのかなぁ」
「内裏殿までは真っ直ぐだろうが。
いかにお前が方向音痴でも迷うわけがあるか。
ま、ただの過保護だわな」
「告げ口していい?
ナルミさまを過保護呼ばわりとか忠臣としては不敬だぞぅ」
「がははは、構わんよ。
もう主従の関係ではないからな、言いたい放題だ」
「あははは、知らないぞ~?
本当に告げ口しちゃうからね。怒られるかもよ~?」
ナルミが山波村に移り住むことを決め、彼女の主衛の任を解かれて以降、確かにミツサダとナルミの間の主従関係は無くなっている。
そうした事実を事実として語り笑う風なミツサダだが、これが全く心にも無い冗談であることなど、アンズにだってわかるから笑って話に乗れる。
皇族との直接の主従なんて、武人にとっては余りある光栄であり、むしろミツサダでなければ今でもこんなこと冗談でも言えまい。
それだけナルミとミツサダが親しかった証左である。
何せ、ナルミが幼少の頃から側仕えしてきた、任を超えて兄妹のような間柄だったというのだから。
山波村にナルミが移った際、我も付き従い、何がなんでもお従いしましょうと固辞したミツサダが、死罪覚悟で帝の勅命にすら首を振ったのは有名な逸話だ。
それだけミツサダは、彼が京を離れることを帝にさえ惜しまれるほど優秀で、ナルミがそれを必死で説くことで、ようやく彼が折れたという話である。
自分にとっても大好きなお母さんを、これだけ慕ってくれる年長者なのだ。それと話せるだけでアンズにとっては心地よい。
「お前は京でうろうろするには目立ち過ぎるからな。
俺がそばにいて招かれし要人だと周知させる意義は大きかろう」
「そうだね。
私ぜったい、一人で京になんて来れないから。
お上品な京の皆様には、私の恰好なんて顰蹙ものだもん。けっ」
「お前はお前でお仕着せの主神に平然と反抗的だな。
俺と違って現在進行形で主従関係だろうに」
「大丈夫ですよ、常々言ってることですから」
『大丈夫ではなかろ。
いい加減、正装に対してぐちぐち言うのをやめなさい』
(あー、無理ですね。
全然慣れてないですから。奇異の目で見られる女の子の気持ちを理解して下さい)
「おい! 何をぼさっとしている!
俺が迎えた客人をいつまでここで立ち往生させるつもりだ!!
さっさと門を開けんか小僧ども!!」
朗らかにアンズと語らっていたところから急変、アンズの身恰好を見て訝しげだった門兵を、ミツサダは凄まじい怒号で叱りつける。
アンズから見ればお母さんの友達のおじさんで、ミツサダも未だ主君と認めしお方の愛娘アンズを可愛がる間柄だけれども。
山波京の兵としては最強の一人かつ、厳しく兵をしごき上げるミツサダ将のおっかなさなど、すべての兵の常識だ。
門兵という重要な仕事を任された、三十路前の腕っぷしの強い大人が、びくぅと肩を跳ねさせて大慌てで門を開きにかかる姿がそれを象徴する。
二十歳の兵など子供扱いするような壮年の練兵ですら、ミツサダからすれば小僧呼ばわりなのだ。
そして、誰もそれに逆らわない。逆らう気も起こさせない威がある。
「ミツサダさん怖いねぇ」
「がははは、お前も女の子なら少しはびくつけよ。
俺もお前みたいな肝っ玉持ちとだけは喧嘩したくねえわ」
「それは女の子に対してひどくないかなぁ。
私テンジン様の御力を借りてなかったら本当にただの女の子だよ」
「どの口が言ってんだ」
開かれた門を、談笑しながらくぐり進んでいく二人の背を眺めながら、門兵達も様々な感情が沸く。
ミツサダ様もあの巫女に対する優しさをほんの僅かでも俺達に向けてくれれば、とはまず思うし。
それでアンズに、お前はいい立場だなと嫉妬できれば話は簡単なのだが、それもそうはいかないのが本心である。
だってアンズ、あのど迫力のミツサダの怒鳴り声を間近に聞き、鬼の形相の横顔を見ておきながら、まったく怯みも怖がりもしていない。
いかに親しい人だとて、それがあれほど目の前で急変したら、びくっとするのが普通じゃないのか。ましてあんなあどけない女の子が。
確かに毎日ミツサダの怖さに触れてきた兵と、たまにミツサダの怖さを見る程度のアンズでは、その怒号への反応に差が出るのは当然かもしれない。
それにしたって、アンズの据わり過ぎた度胸を目の当たりにしては、年経た兵であればあるほどに感じる取れるものも多い。
あの肝は、十七歳のそれではない。本職の武人がそう感じるなら、それは立派なお墨付きだ。




