第四話 ~ナルミ~
アンズの朝は早く、そして規則正しい。
目覚めは日の出よりおおよそ一刻前。あるいはそれよりも少し早い。
かなりの早起きであるが、幼い頃からいつか巫女となりお勤めに励む自分を志して以来、徹底して身に着けてきた習慣である。
今やその甲斐も報われて、余程のことでもない限り、必ずそれぐらいの時間には起きられるようになっている。
目を覚ましたアンズは、真っ白襦袢の寝巻のまま目をこすりつつ、まず真っ先に行水場に行く。
昨夜のうちに大釜に溜めておいた水に火をかける。それから台所へ。
あくびしながら朝食を作って、畑仕事に精を出す農民よりも早い朝食を取って。
のんびり食べていればごちそうさまする頃には、行水場の釜の中はぐつぐつに煮えている。
火を消して、その大釜の傍にある檜の桶――人が膝を丸めてすっぽり入れるほどの浴槽に、木で包まれた持ち柄のついた金属桶を使って熱湯を放り込んでいく。
浴槽半分下ほどまで熱湯を入れたら、新たに汲んできた水を井戸と往復して何度も入れ、そのまま入れば大火傷の水で埋めて冷ます。
ちょうどいいぐらいの温度になったと確かめたら、寝巻を脱いでその湯に全身を沈め、寝汗を洗い落としながら蕩けた顔で息を吐くのである。
こんなわざわざ湯を沸かして身体を清める習慣はおろか、そんな発想を持つ者自体このご時世では珍しいのだが、いつだか思い付いて以降アンズはやめられない。
だって堪らなく気持ち良くてすっきりするんだもの。
手間もかかるし、これさえしなければもう少し寝坊しても時間は余るのだが、それでもやめられないのだからすっかり檜浴槽の虜である。
湯から上がって、昨夜のうちに洗って干してあった巫女の清掃に袖を通したら、浴槽のひっくり返して家の外に繋がる排水の口から湯をざばあと捨てる。
髪をいつもの形に結うと、草鞋を履いて神社の境内に隣接する我が家から出発し、朝日の下にて境内のを竹箒で掃き、神棚に祈る。
神様に。そして、今は亡き両親に。
そして最後に、賽銭箱の隣の小さな木箱に、巫女への依頼が書かれた書簡が入っているかどうかを確認する。
ここまでが、毎朝必ずやっているアンズの日課。
普段ならばもう、この時間には巫女服の襟を改めて正し、村に繰り出しご挨拶を振り撒くのだが。
今日に限っては、この後もう一つやる事がある。
『お前も随分、神事に慣れたな。
かつては始める前から緊張した面持ちが隠しようもなかったが、今はもう堂々としたものだ』
「けっこう緊張はしてますよ?
衆目にお披露目するわけではないにせよ、拙いものを演ずるわけにもいきませんからね。
テンジン様は常に御照覧下さっているわけですし」
『今はもう充分な腕が身に付いているのだから、そう気負わずともよい。
お前の太鼓の音は、私も耳に心地が良いと認めているぞ』
「え~、でもテンジン様はお優しいからなぁ。
巫女として、それを鵜呑みにして精進を怠るわけにもいきませんしねぇ」
アンズは口ではそう言いつつも、その表情は見るからにてれてれしており、お褒めの言葉の嬉しさを隠しきれていない。
我が家はアンズにとって、声を出してテンジン様と語らえる安息の場所だ。
独り言のようになる神様との声を出しての会話も、誰にも見られていないのであれば遠慮する必要も無い。
念じて言葉を紡ぐ会話でも不満は無いが、やはりアンズは、気持ちを相手に伝えやすい気がする、声を出しての声の方が好み。
なにぶんテンジン様のことが大好きなので、それを伝えられやすい手段での対話を好むのは、ある意味で当然のことでもある。
山波神社の本殿に赴いたアンズは、神前の脇にそっと置かれている皮張りの和太鼓を小脇に抱え、その太鼓のそばに揃えて置かれていた二本の檜棒を持つ。
それらを本殿の真ん中に運び、和塗りが誂えられた二本の檜棒を、細い縄でぎゅっと締めて、くの字に結んで床に置く。
その上に太鼓を置けば、斜めに立てかけられた神前太鼓の出来上がり。
アンズはその太鼓の側面に向き合うようにして正座し、背中に背負う雷神太鼓は顕現せず、両手に神様の撥のみを表して握る。
アンズが神社で太鼓を打つ"神事"は、大別して五つある。
今からアンズが始めるのは、朝太鼓と呼ばれるものだ。
準備を整え、深く息を吸って吐くアンズは、雑念を取り払い神事を執り行う巫女として、最適な心境へと自らを持って行く。
一昔前は緊張ゆえに、二度も三度も深呼吸をしていた姿を見ていたテンジンをして、なかなか堂に入った姿になったものだと感慨深くもある。
「……………………んっ」
かん、かん、かん、かん、かんかんかんかん……と、少しずつ早く太鼓を打っていく律動に始まる、アンズも打ち慣れた朝太鼓。
打ち早さを得た後も、しばしば打ち繰り返す早さを抑え、時に小気味良くかかんかんかんと叩き、静かだった本殿内にアンズの太鼓の音が鳴り響く。
神事の太鼓に、こう叩けという決まり事はない。いつも、アンズの思うがままに叩くのみ。
今日は叩く力があまり強くなく、それでいて音の途絶える瞬間が比較的少ない、音の多さが目立つ律動だ。
それはアンズが昨日の疲れを残していない、撥で太鼓を打つ回数を増やし、神耳に届ける音を重ねたい時の快活な打ちっぷりである。
昨日は手の目との戦いを経ていながら、今朝は元気が有り余っているほど健全なアンズの体調を象徴するもので、テンジンの親心にも嬉しい律動だ。
この神事によってもたらされるものは、決してアンズにも無関係ではない。
むしろ有難い力を借りるための儀式でもあり、実利という点でアンズにとっても大きなものには違いないのだ。
だが、太鼓を打つアンズの、穏やかながらも楽しそうに微笑んだ表情に、この神事により自らが得る恩恵を意識した色は一切無い。
こうした形で、最愛にして最も敬い奉る神様と通じ合えること自体を幸福に感じる、あるべき巫女の心根をありありと表した姿は、神職者として理想的。
その根底にあるものが、神職者としての使命感ではなく、真の親のように主神を愛してやまぬ本心であるがゆえに、テンジンもまた心が温まる。
必要に応じて執り行われる朝太鼓でありながら、神と巫女が太鼓の音を通じて心通わせ合うこの神事は、双方にとって胸が満たされる至福の時にも違いない。
「……ふうっ。
テンジン様、御清聴ありがとうございました」
『こうして神力を再び身に纏うと、そなたの日々の尽力が決して無駄ではないことを感じるよ。
明らかに、一年前と比較して大きな神力を身に纏えるのだからな。
成果というものはそもそもにして目に見えにくいものではあるが、そなたのおかげで信仰は少しずつ集まっていることを、この私の実感を以って保証しよう』
「んふ~、嬉しい。
そうして、迷える私に前進を実感させて下さるテンジン様、お優しくてやはり大好きですよ」
『ふふ、お前は敬意よりも好意を伝えたがるよな。
神職者として相応しいかは議論の余地があるが、わざわざ改めろと言うつもりもないよ』
テンジン様に"そなた"と呼ばれるより、"お前"と呼ばれる方がなんだか嬉しいアンズだ。
神と巫女の関係らしくあって下さるよりも、親と子のようにしてくれる方が嬉しい。
テンジンは文脈次第で使い分けているが、アンズが声を出しての会話を可能な限り繰り返し、心を伝え続けた結実であるのかもしれない。
朝太鼓。
それは、昨日消費した神力を回復させ、今日も万全の神力を振るうための、必要とあらば欠かせぬ神事の一つである。
神様は、自らの存在を信じ、崇め、奉る人々の信心によりこの世に実在し、その信心によって得られる"神力"を以って、超越的な事象をも引き起こす。
例えばアンズが手の目を討った時の、人の手により妖魔を調伏する稲妻を放つこともまた、神力によって成し遂げられる超常的事象の一つであろう。
アンズはテンジンの神力を借りることで、巫女として、稲妻や雲を生み出して、戦うことや空を飛ぶことを果たしているのである。
神力にも限りがあり、まずその総量は信仰の多さによって定まる。
和大国全土の人々にその存在を信じられ、敬い奉られるお天道様なんかは、万人の信仰を背負うだけあってその神力は千という値でも例えられ得る。
それで例えるなら、ここ近年では人々の信仰が少なくなった今のテンジンが擁せる神力とは、五十程度と表現できそうだ。
その神力は、使えば使うだけ消費されるし、その日すべての神力を使い果たせば、アンズは神様の力をこの世に顕現できなくなってしまう。
仮に神力を使い切ってしまったら、明日以降はどうすればいいか。
その解答が、天満雷真道天神においては、雷神の神名になぞらえた朝太鼓そのものである。
朝太鼓とは、その信仰によってテンジンが得る神力の上限まで、神力を回復させるための儀式なのだ。
仮に昨日、アンズが神力を多大に使い、五十あった神力を一や二、あるいは零まで減らしたとしても、朝太鼓を執り行うことで神力は五十に回復する。
昨日は手の目の調伏と、山波村に帰るための雲を作る程度にしか神力を使っていないが、それでも神力を最大限まで回復させておく備えはあって良い。
つまり朝太鼓とは、昨日少しでも神力を使った時、翌朝アンズが神力を全快させるために行う神事ということである。
寝起き間もなくの雑念の少ない時間帯でしかどうも上手くいかないらしく、一日に一回の寝起きにしか行えないことなのだが、やれる時には必ず執り行う。
アンズにとっては、太鼓打ちを通じてテンジンとの心の通わせ合える楽しみでもあるが、その実巫女としても必要とあらば欠かせぬ儀式であるのも確かである。
「さて、今日も元気に参りましょうか!
巫女として、勤しんでいきますよ!」
太鼓を元の場所に片付けて、神前たる本殿内でアンズは元気いっぱいに声を張った。
体力満天、神力満天。それ以上に、使命に対する強い意志も、どんな苦難が目の前にあっても負けないという志がはっきりとわかる表情。
明るく元気なだけでなく、その溌剌として胸を張った姿は、主神に言わせても頼もしい。
一日のはじまりを、何ら計算一つなく、主神の前にこうした姿を見せつけることが、アンズの日常的な振る舞いだ。
巫女を志して七年、正式に山波神社の巫女を襲名して二年。
ただの女の子でしかなかったアンズが、今はもうこれほど頼もしい存在に育っていることには、つくづく彼女を見守ってきた主神も感慨深い。
気付けば、子供はあっという間に育っているものだ。いつの時代も変わらない。
朝太鼓を終え、鳥居をくぐり神社の外に足を踏み出した頃には、村にもざわざわ賑わいが増している。
早朝時間をいっぱいに使い切れば、朝一番のご挨拶を交わし合う村人の輪の中へ、自身も朝一番の仲間入り。
完成された、巫女アンズの朝の習慣である。
「おう、アンズちゃん!
今日も綺麗だな!」
「髪はちゃんと乾いてるかい?
風邪なんか引いちゃいけないよ」
「あははっ、大丈夫ですよ~。
おじさんもありがとうございます~、今日も綺麗な巫女ですよ~」
アンズがひとたび人通りのある場所を歩けば、誰もが視界に入った彼女を一目する。
みんなのお姉さん、あるいはみんなの愛娘。
明るく可愛らしいアンズの姿は、生きるために日々の仕事に勤しむ農民や商人を、お天道様のように明るい気分にさせてくれる。
声をかけてくれる者も多く、アンズは必ず一人一人に言葉を返すから、彼女に語りかける機会を得られた者は特に心地良い。
毎日湯浴みをするような庶民などどこにもおらず、行水するにしたって基本は仕事を終えた夕頃だ。
その点アンズは、毎朝湯浴みをしてから出かけることもあり、綺麗に保っている髪からも良い匂いを漂わせている。
そもそもアンズの朝必ず身を清める習慣は、巫女の正装で肌を多く晒す身分、土ずんだ色の肌よりも白い肌であった方が人に愛されるだろうという初心による。
農民社会の真ん中にあって、早起きしてでもそれを徹底してきた意識高さもまた、村人達に愛される遠因に違いあるまい。
はしたないとされる露出の多さに対し、軽蔑ではなく、ひとえに美しいものを見る視線が注がれているのが何よりの証拠であろう。
長らく着続けならがも、今なおちょっと恥ずかしさが残るこの巫女服で、辛うじてアンズが胸を張れるのもその自負があるからだろう。
羞恥心とは相反するが、注目されることもまたアンズの望みだ。
神様の実在を世に広めんとする立場にあって、見向きもされぬでは話にならない。
「今日は土産のぶんだけかい?
いつもご贔屓にして貰えるのは有り難いし、もっと買えとは言いづらいが」
「へへへへ、今日はいいんです。
たまには節約しないと」
「見るからに既に上機嫌だな。
そんなに今から楽しみか?」
「死ぬほど楽しみです!」
行きつけの茶店にて折り包みの団子を買ったアンズは、これからどこに向かうのかを茶店の旦那に見抜かれている。
アンズがお土産の団子を買う時、どこへそれを持っていくかなど誰もが知っているところだ。
だから、今から行く場所で誰に会えるのか、それを考えただけで今から笑顔が溢れてならないアンズの心境も、茶店の旦那には知れている。
茶店の旦那も、アンズが土産団子を買う時だけは、定価かつ今日最も上手く作れたと思う団子を折に収めているのだ。
誰がそれを食べるかを考えれば、下手なものは出せない人物ということである。
「よろしくお伝えしておいてくれよ。
お口に合えば幸い、ってな」
「はぁい、勿論。
大丈夫ですよ、旦那さんのお団子は絶品ですから」
折に詰められた団子を手にアンズが向かうのは、彼女にとっての第二の実家。
忘れ物が無いよう、今一度懐に仕舞った書簡を確認し、改めて歩を進めて。
やがて彼女が辿り着くのは、山波村一番の豪邸――いや、京を除けば山波国一番のお屋敷とさえ断言できる、貴ぶべき人物がお住まいの本殿だ。
「おっはよ~、トキ兄ぃ。
今日もなんとなく男前だね!」
「褒めてねえ褒め方をするな。
普通に男前だって言ってくれや」
「たぶん男前なんだよ、トキ兄ぃは。
でも私は見慣れ過ぎてもうわかんない。
悪戯する時の憎らしい顔とかも全部知ってるし」
"玉依御殿"と呼ばれて名高いお屋敷の門番、阪田時金はアンズにとって、面倒見のいいお兄さんのような人物だ。
対面一番から冗談を飛ばし、呼応も早く、会話を弾ませるまでが本当に早い。
二人の親しさと、両者ともにお調子の良い会話が出来る口が噛み合えば、挨拶代わりの談笑すら日常会話の一幕である。
「ま、ごゆっくりな。
巫女の仕事も結構だが、たまにはお袋さんに甘えてやれ」
「え~、やだよ恥ずかしい。
私もうそんな年じゃないよ? 大人だよ?」
「どうだか。
膝枕して貰って猫のように頬ずりしてる姿が目に浮かぶわ」
ごく限られた人物しか通さぬ門を、門番トキガネはアンズ相手にはあっさりと開く。
勝手口から通すことも可能だが、敢えて重い門をわざわざ開くのは、玉依御殿にいる者の総意としてアンズを歓迎することの表明でもある。
トキガネは、それを自己判断で許される立場にある。それだけ信頼されて門番を任されている事実からも、彼がどれほどの要職かは推して知るべし。
門番と言えば守衛に比べて格の低い役職と捉えられがちだが、実際の所は屋敷に仕える者達の中でも、一か二を争えるほど重要な役職である。
「ふんっ、トキ兄ぃが一生独り身のまじないかけといてやる」
「おいおい勘弁してくれよ。
神様が味方のお前に言われちゃ洒落にならねえや」
門をくぐりながら捨て台詞のように言い捨てていくアンズに、トキガネも額を押さえる仕草とともに返しを口にしておく。
アンズの背中を見送るトキガネに、彼女の表情は見えないが、付き合いも長いので今のアンズがどんな顔をしているかなど想像がつく。
言ってやった言ってやった、多分トキ兄ぃ困ってるぞぉと、にししと悪戯っぽく笑っているに違いない。
そして、合っている。トキガネに言わせれば、あんなわかりやすい子は他にいない。
アンズのことなんてトキガネにはだいたいお見通しである。
このぶんでは、もう大人なんだからお袋さんに甘えたりしないよ、と主張したアンズの真相も怪しいものだ。
なんでもお見通しのトキガネが、それを否定したのだから。
広い庭、敷地、そして長廊下。
広大な玉依御殿は、初めて足を踏み入れた者なら道に迷いそうなほどである。
もっとも、屋敷の主の地位高さゆえに御殿そのものの敷居も高く、ここに住まう者以外が初来訪する機会そのものが殆ど無いのだが。
あるとして、京からのお偉い様がご訪問されるぐらいのものである。
そんな屋敷を進むにあたり、アンズの足取りに迷いは無かった。
玄関口に真っ直ぐ向かい、草鞋を脱いで、何度も曲がり、枝分かれも多い長廊下を案内者も無く歩み進んでいく。
使用人らとすれ違うたび、お互い慎ましやかな笑顔と共に会釈を交わすアンズの姿からも、彼女がここにいることに屋敷の者達も一切の疑問を感じない。
アンズを迎える使用人らのその態度は、出入り自由な特別な客人に対するものと言うよりは、久しぶりに皇居に帰ってきた姫様を迎えるかのようですらある。
「…………」
やがてアンズは、屋敷の最奥にあたる一室の前、襖の前に立つ。
その襖を開いた先に御座す人物というのは、たとえば農民が許し無く声をかけることさえ罪深いとされる、極めて貴ばれて然るべき人物。
そう、本来ならばアンズでさえ、その例に漏れない。
神職者であるアンズですらだ。それほどの人物がこの襖の向こう側には待っている。
アンズは緊張しきりに深呼吸をし、襖の前にてまず両膝を着き、それから今すぐにでも床に額を漬けられる丁重な姿勢を取る。
向こうからは自分の姿など見えてもいない中でだ。
まして声ひとつかける前なのだから、まだ件の貴人はこちらの存在すら認知しておろうはずもなかろうにである。
「"玉依鳴御"様。
畏れ多くも、御招致に預かり賜った身分とし参じました」
主神に礼じる時と比較しても遜色無いほどの、最も礼節高い言葉を選んでご挨拶するアンズ。
自ずより声を発するにあたり、まずは失敗の無い言葉遣いである。
相手の地位が地位だけに、相手の気分次第では難癖をつけられることはあり得るものの、ひとまず模範的な挨拶は果たせたはずである。
なのだけれども。
「痴れ者が!!」
襖の向こうから聞こえてきたのは、張りの強い怒声である。
貴ぶべき人物にそんな第一声を向けられたアンズの背筋は一度正され、襖を向いていた顔も、咄嗟のように少し伏せる。
私、何か間違えた? アンズの心に不安が生じる。
そんなアンズを遠目に見守る使用人や庭師は、微笑ましくにやにやして見守るばかりだが。
ああ、またアンズちゃんが御館様にからかわれてるなぁと。
「妾を誰と心得る!
畏れ多くも帝の血を引き、山波村の平定の為に遣わされた玉依鳴御なるぞ!
どこの馬の骨とも知れぬ小娘に、そのような無為に畏まった言葉で媚びられて腹を満たすような器ではないわ!
妾の許しも無くそのような気軽な口を利きたくば、玉依の血族と称されるに等しき資格を得てから、嘘偽り無き情念を以って訴えよ!」
ものすごく小難しい言葉を多く含んだ長台詞が襖の向こうから跳んでくる。
文脈上も強い声も果てしなき激怒の気配を匂わせたものだが、アンズが感じる所感はそうではない。
相手の性格はわかっている。こんなことを本気で言う人じゃない。
とりあえず、自分が出方を間違えたらしいことはわかるのだが、深刻な危機感を抱くような状況ではなさそうだ。
「あのぅ、でも~……
ナルミ様はこの山波村の……」
「妾を誰と心得る!
畏れ多くも帝の血を引き、山波国の平定を目的に遣わされた玉依鳴御なるぞ!
どこの馬の骨とも知れぬ小娘に、そのような無為に畏まった言葉で媚びられて腹を満たすような器ではないわ!
妾の許しも無くそのような気軽な口を利きたくば、玉依の血族と称されるに等しき資格を得てから、嘘偽り無き情念を以って訴えよ!」
苦笑い気味に正論を言うアンズに、襖の向こうからさっきと同じ長台詞が返ってきた。
しかもさっきより早口である。
アンズからして、私はそれをその速さで噛まずに喋れる自信は無いってぐらい。
「あの、私アンズ……」
「妾を誰と心得る!
畏れ多くも帝の血を (略) 嘘偽り無き情念を以って訴えよ!」
口答えしたらまた同じ長台詞が返ってきた。さらに早口になって。
この問答はもういいという態度。
「お……………………お母、さん……入るね?」
「はぁい、どうぞ~」
馬鹿馬鹿しくなって、すっと立ったアンズは片手でぴしゃんと襖を開けた。ちゃんと両手で慎ましやかに襖を開くのも作法の無駄遣いだとさえ思えた。
襖の向こうは畳敷きの広い部屋、十人前後の会合をするにも困らぬ広さにして、このお屋敷の主がおわす謁見の間。
公家の御偉い様への謁見の間と比較しても遜色無き広いその部屋の奥には、見目美しき長い黒髪を携えた淑女が鎮座している。
いや、鎮座していると言っていいものかは疑問だが。
真綿の詰まった大きなふくら座布団、農民には手にも届かぬような一品に肘と耳を預け、ぐでんと横になった女性の姿は、一見すれば権力者のふてぶてしい寝姿。
首に力なく寛ぐその姿は、単にだらけたものでしかなく、貴人の風格などこれっぽっちもない。
姿勢を正して表情を正せば、一瞬で庶民も思わず跪く気品を漂わせる人物と知れて名高いのに、たいそう残念な美人という言葉が今の彼女にはよく似合う。
そんなだらけきった姿勢と表情でも、大人びた美しい御尊顔に幼さを再び宿した若々しさを共存させ顕すのだから、お顔立ちの完全無欠さは健在だが。
「ふふふ、お母さんと呼ぶのは恥ずかしいお年頃になった?」
「私もう十七歳だからさぁ。
いつまでもお母さんお母さんって、あなたのような偉い人に甘えていい年頃じゃないと思うんだ」
「元が甘えん坊さんだもんね。
別に何歳になっても……」
「誰が甘えん坊さんかー!
お母さんうるせぇですよ!」
別に二十歳を超えようが親は親だし、大人になっても親を今までの呼称で呼ぶことに恥は無い。
とはいえ、一人前と呼ばれる年頃になれば、老いた母をお母さんだとか母ちゃんだとか呼ばず、母上と呼ぶようになっていく風潮はある。
"お母さん"は、子供が母を呼ぶ呼称として認識されて広いのだ。
そしてアンズは、昔からこの人物にはべったべたに甘え倒してきたため、"母上"と呼び方を変える機会を見失ったまま大人になっている。
だから、変えきれずにお母さんと呼び続けている自分が子供っぽくて少し恥ずかしいし、甘えん坊さんだった過去を突かれると顔を真っ赤にしてむきになる。
ああ、出来れば二年前ぐらいには呼び方を変えておけばよかった、でも十五歳の自分もまだ全然甘えん坊だったしなぁと、アンズは過去の自分を躾けたくなる。
玉依鳴御。
幼い頃に両親を喪ったアンズ、山波神社の唯一の忘れ形見である彼女を、屋敷に引き入れ養ってきた人物だ。
傍流とはいえ皇族の血を引く貴人には違いなく、庶民はおろか名高き侍でも頭を垂れる貴人であるが、アンズにとっては二人目の母とも呼べる存在。
優しく、そして時には怒ると怖いほど厳しく、天涯孤独のアンズを真っ直ぐに育ててくれた掛け替えのない恩人である。
「私はお母さんと呼んでくれた方が嬉しいよ?
ほら、もう一回呼んで? 母上なんて呼んじゃ嫌よ?」
「むぐぐぅ……恥をかかそうとしてるな」
アンズはナルミに近寄る前に、今しがた開けて入ってきた襖をぴっちりと閉める。
屋敷の最奥、貴人の私室の利点は、一声もかけずに入ってくる者が誰もいないというところ。
だから一度閉め切ってしまえば、どれだけだらけても、居眠りこいても、極論全裸になろうとも、誰の目にも触れないということである。
だらしない姿を下々の者に見せられないナルミが、アンズ以外に見られることがない中、だらんだらんの姿勢で寛げる根拠でもあろう。
逆に言えば、ナルミはアンズを相手に限り、これだけ力を抜いた姿を晒してくれているということだ。
使用人にも毅然とした姿しか見せぬナルミが、自分だけにはこうした姿を見せることを許しているから、アンズが甘えん坊と言われるほど懐くわけである。
「…………ただいま、お母さん」
「ふふ、おいで。
あなた、好きでしょう?」
体を起こしたナルミは正座して、自らの太ももにアンズを招き入れる仕草を見せる。
それが何を意味するかはアンズもわかるし、それに甘えるのはもう大人としていっそう恥ずかしくなる。
だけど、吸い寄せられる。抵抗があっても、足と心が向いてしまう。
ナルミの目の前で腰を下ろし、間近で母の微笑みを前にしたアンズはもう、巫女としての顔をすっかり失い、ふにゃふにゃの顔で母を見上げる子供の顔。
こうなってしまったらもう、仮にテンジン様にしゃんとせいとお小言を向けられたとしても、今さら大人の顔には戻れない。
へへ、と照れ臭く笑ったアンズは、畳の上で仰向けに寝て、自分の頭をナルミの膝の上に乗せる。
太ももの間にほんの少しの隙間を開いた、着物越しの谷間は後頭部のおさまりがよく、アンズにとってはどんな枕よりも幸せで心地よい。
まして、そこに頭を置いたらすぐ、見上げた目線の先で慈母の微笑みを浮かべるナルミが、優しくアンズの頭を撫でてくれるのだ。
これをされたらもう終わり。心も、身体も、母に全て委ねて。
思わず目を閉じ、身も心も溶かされる心地を揺蕩うアンズのだらしなく緩んだ口元を、ナルミにくすくすと笑われて尚、それすらくすぐったくて気持ち良い。
明るく快活な女の子として広く覚えられたアンズではあるも、今や巫女としての自覚も強く、しっかり者だと認識される評に揺るぎはない。
誰も知るまい。未だ、こんなに誰かに甘えるアンズの姿など。
それさえもこの封ぜられた一室でのみの姿であり、第二の実家とも呼べようこの屋敷で育った彼女を見てきた使用人ですら見たことはない。
それだけナルミは、アンズにとって特別な人物だ。
血も繋がらぬのに母と呼び、憚らぬほどの関係とはそれほどだ。




