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第三話    ~桑原村~



 手の目。

 見た目は町人のような着物の出で立ちであり、ただの人と概ね変わらぬ姿でありながら、その恐ろしさは多くの人が知るところだ。

 山波国にはよく姿を見せる妖の一種であり、ゆえにこそ名高く、アンズも幼い頃からその名を大人達から何度も聞いたものである。


 その名が表すとおり、両手の掌に一つずつの目を持ち、代わりに顔には目が無く、その異質さだけでも充分に人々の恐怖心を煽るのだが。

 最も恐れられるのは、人のようでいて人ではないゆえ、斬りつけようが射抜こうが、体勢を崩したり体の一部を欠損こそしつつ、死には至らぬ点。

 ある日の夜、一人の侍が手の目に遭遇し、決死の想いで刀を抜き、手の目の両脚を切り落としたという話は実に有名だ。

 それは武勇としての意味ではなく、血を流しながらも痛みさえ感じぬかのように、手の目は脚を失ったまま這ってでも侍に迫ったこと。

 たまらず逃げた侍は、脚を失った手の目から逃げきれたものの、ゆえにこそ広められた生存者の口伝は、妖の恐ろしさをいっそう世に広めただろう。


 それこそ逃げ延びることが出来なければ、ぞっとするような死に方をするのだ。

 とある商人の口伝によると、夜の山道で遭遇した手の目から逃げようとするも、丁稚が手の目に捕まってしまったという。

 力自慢でどんな荷物も軽々と運んでくれた体格のいい丁稚が、そんじょそこらの町民のような細腕の手の目になすすべもなく押さえつけられ。

 手の目に握りしめられた場所をはじめとして、血を吸われるかのように太い丁稚の腕が枯れ果てていき。

 怖ろしくなって逃げた商人が後日、日の高いうちにかの場所を訪れた時、そこには干からびた丁稚の姿があったのだ。

 着ている服、髪の長さ、何よりも彼が故郷のお袋さんに来月届けるはずであった簪。

 手の目に襲われる前はあんなに頼もしいほど屈強だった彼が、骨と皮だけの亡骸と化していた姿は、手の目の尋常でない恐ろしさを物語るには充分であった。


 駆ければ若々しい速さ、人外の膂力。

 そして捕らえた者の血を枯らし、即身仏のような変わり果てた姿に変えてしまう命の奪い方。 

 遭遇すれば逃げるしかない。ただの人には滅することも退けることも叶わない。

 山波国に出没する手の目とは、そうして人々に畏れられて長い存在である。


 さあ、そんな恐ろしい存在に遭遇したアンズ達の運命や如何に!






火鼓(ひつづ)春告(はるのつげ)!」


 すぐ終わった。

 その手の輝く(ばち)で自ら後方、右肩から少し離れた位置にある"火"と記された太鼓を叩いたアンズが、逆の手の撥を手の目へ指し向けたその瞬間。

 どどん、という太鼓音に続いて薄暗い山に響いたのは、誰しも耳にしたことがあり心にも残る、雷鳴にも近しき轟音。

 それに伴い撥の先から発した、太き光の真っ直ぐな光線が、手の目に向けて矢を超えた速度で突き進むのである。


 さながら、人の手から放たれる、目視できる稲妻が手の目を直撃するかの光景だ。

 それに撃ち抜かれた手の目が背を逸らせ、全身を強張らせながらもひくつかせて。

 やがてアンズの放ったそれの光が消えるとともに、手の目はぐらりと前のめりに倒れ、地面に溶けゆくように消えていく。

 見届ける立場であったコナツが、想像を超えた超常的な力に目を見開き、唖然として山波神社の巫女の後ろ姿を眺めるのみになるのも無理はない。


「うへへへ、どうだ。

 やってのけたぜぇ」


「なんでお前が偉そうなんだよ」

「見たでしょ? うちの神様の凄いとこ。

 ちゃんと地元に帰ったら言いふらしてよ」


 腕の立つ武士でも仕留められない妖を、あっという間に調伏してみせたアンズは、たいそう得意気な姿でコナツに振り返っていた。

 張った胸に手を当てて、天を仰ぐかのように顎を上げ、閉じた目は自らの見せ場を示せた恍惚を表したかのよう。


 本質的にその言動は、自分本位ではなく神様本位。

 これだけのことが出来る私すごいでしょ。でもこれって私の神社の神様が、それほどの力を私に授けてくれているってことなんだよ。

 今の自らの偉業を誇るのではなく、その本質が何に依るものなのか、決して誤解されぬよう言葉を紡ぐアンズの姿は、巫女としての使命に尽くしている。

 まして無垢なアンズの得意顔は、仕事で立てるべき人を立てるその様ではなく、心から心酔する誰かへの賞賛を欲しがる様そのもので、それもまた偽りでない。


「私について来れば山道も安心!

 さあ行こ! 桑原村はもうすぐだよ!」

「……なるほどな」


 誇れることを、巫女として成し遂げて見せた直後のアンズは、大袈裟なほど手をぶんぶんと振り、行こう行こうとコナツを行き先へ向けて呼びつける。

 一度置いた俵をよいしょと抱え直す、コナツの労働さえをも急かすほど。


 十七歳というのは大人として認識される。

 その数年前から働き手となり、仕事も覚えて、かつて以上に成長した身体で労働者の準主役とも見做される年齢だからだ。

 それにしてはアンズは子供っぽく、あの無邪気さは同じ年の頃の中では珍しい方とさえ言えるだろう。

 そう見れば、アンズを値踏みするかのような目をしていたコナツも、もうここからはやめにしようと眼差しを改め、無邪気に先行する巫女を神経を遣わず追っていく。


 ああいう裏表の無い奴を、色々見極めようと眼力を凝らしても時間の無駄だ。

 その風体からも容易に察せられるとおり、それなりに荒んだ日々を歩んできたコナツは、警戒対象を見誤らない現実視に秀でた目が養われている。

 そんなコナツをして、余計なことをわざわざ深読みする必要無く、表情と言動だけ見て聞いて話すだけでいい相手と確信できると、疲れなくていい相手だと思う。

 護送を頼んだのも、実は一抹の他意あってのコナツであったのだが、アンズが同い年であるのも含めれば尚、いい出会いに恵まれたような気がしている。


 仲良く出来そうだし、仲良くしていきたい奴だなとコナツは感じた。

 アンズは最初からそうである。きっと、良い関係になっていくだろう。











「ありがとうな。

 おかげで何の心配も苦労もなくここまで来られたよ」

「いえいえ~、お構いなく!

 そう言ってくれることが何よりのご褒美だよ!」


 桑原村へ到着したアンズ達。

 まだ日は高さを残しており、空に赤さが含まれる時間帯よりも少し前。

 コナツの想定よりも遥かに早い到着であり、山中を突っ切る旅程による足の速さと、その上で一切の脅威が無かった進行の合わせ業である。


 アンズはコナツに受け取った報酬の文銭より、安心できる旅だったと言われることの方が余程に嬉しそうだ。

 今は崇め奉られることも殆どなくなってしまった主神テンジン様、忘れられしその尊ばしさを、再び世に知り渡らせるのがアンズの最大目標。

 神様の力は頼もしかったでしょ、とばかりに歯を見せて笑うアンズの表情は、口ほどにものを言う彼女の表情豊かさの一端だ。


「コナツはこれからどうするの?」

「村長さんとこに泊めて貰うよ。

 元々お土産は持ってきてるし、歓迎はして貰えると思ってる」

「宿賃にしては破格すぎるぐらいだけどね」

「俵そのものっていうか定期交流の駄賃代わりってとこだけどな」


 山波村と桑原村は、山を挟んでの隣村だが定期的に物資のやり取りを交わしている。

 商業的な意味ではなく、あげる、貰う、を繰り返しているだけ。

 自分の村での畑の育ち具合を顧みれば、隣村の今頃の穀倉事情は明確な情報が無くてもある程度わかる。

 近いだけに、山波村が豊作であれば桑原村も豊作、不作であれば隣村も不作と概ねの推察が立つのだ。


 人口の少ない桑原村は食糧の消費も少ないが、働き手もそのぶん少ないため、不作の年は山波村以上にひもじい想いをする。

 朝から晩まで少ない飯で、しかし毎日の畑仕事は休めない。さもなくば次の収穫が無くなってその時に飢えてしまう。

 働くためには糧による健康がまず必須なのに、その前提が無くなると、働くことさえ満足に果たすことも困難になるのにだ。

 一度不作に陥ると、その飢餓による負の螺旋が始まるのが農業である。

 山波村はそんな時、自分達の台所事情も鑑みた上で、ささやかであっても山波村に食料を分け与えることを厭わない。

 見返りなど一切求めない。代わりに豊作の年には桑原村から、いつぞやの礼とばかりに同様のものが返ってくるが、それを期待してのことでもない。

 商いではないのだから、いつどれほどの量を相手に恵んだか、恵み返されたかなど、誰一人として帳簿など付けていないし覚えてもいない。


 ただお隣さんだから助けているだけだ。飢えた時の苦しみは誰にだって経験がある。親しい隣人にそんな想いはさせたくない。

 困った時はお互い様。たったそれだけの話である。


「帰りはどうする?

 迎えに来てもいいけど。そのぶんはお金も取らないよ」

「いや、俺は明日には北へ向かうからいいよ。

 今度は街道を使ってのんびり行くからさ」

「北っていうと"山波京(やまなみみやこ)"?」

「まあだいたいそっち方面ではあるよ。でも(きょう)はないだろ。

 俺みたいないかにもな流れ者が、京に用があるようには見えねえだろよ」

「コナツお金持ってるから、身なりの割には育ちいいのかな~と。

 別に山を突っ切らずに回り道してもよかったのに、私を雇ってまでこんな短い距離を歩くんだもん。

 裕福じゃないって言う割には、お金の使い方が奮発してるなぁとは思ってる」

「ん~まあ、俺にも色々事情があるんだよ」

「そうなんだ。

 気になるから、機会があったら教えてね」


 やっぱりそれぐらいのことは感じ取られていたか、とコナツも思う。

 一方で、お喋りな割に詮索してこないアンズに対しても少々の意外性は感じる。

 山賊や妖に自分達のことが察されれば面倒な山の中でさえ、話しかけてきてはコナツの生まれた村のことなど、声を出して色々聞いてきたアンズなのだから。

 他人のことには興味津々な性質(たち)なのは明らかである。

 それでいて、濁した事情には一切踏み込んでこないのだから、性分を自制しているんだとはコナツにもわかる。


「……そのうちきっと、俺達はまた会うよ。

 そしたらその時は、俺の事情ってやつも話せると思うから」

「ふーん?

 わかった、楽しみにしとく。また会えるんだね」


「そんな嬉しそうに笑うようなことか?」

「だってコナツ、さっき教えてくれたけど、私と生まれた日が一緒なんでしょ?

 そんなぴったり同い年の友達、いないもん。

 神様がもたらしてくれた素敵な縁なのかも、って思ってる」

「なんでもかんでも神様だな」


「好きなものを信じ続けて、嬉しいことがあったらそのおかげでいいんだよ。

 私は巫女だからさ。神様は実在するよ?

 良いことあったら神様のおかげ。やなことあったら全部神様のせい」


『こらこら』

(ぷふふ、許して下さい)


 前半はともかく後半は信奉者のそれじゃない。

 流石にテンジンも、笑い声混じりだが突っ込みを入れている。アンズは反省していなさそうだが。

 それを許容してくれるというのも、アンズが主神に神職者たる本分以上に懐いている根拠の一つなのだろう。


「アンズは飛んで帰るのか?」

「あ、知ってるんだ?

 うちの神様もなんだか遠いとこまで噂届いてるね」

「本当に飛ぶんだったら見たいな」


 アンズの嬉しそうなこと嬉しそうなこと。

 雷を喚ぶ神様の加護を授かるアンズは、雲に乗って空を飛ぶことも出来る。

 山波村では周知の事実だが、隣国生まれ育ちのコナツにまで主神の話が届いているのは、テンジン様の知名度を欲しがるアンズにはたいそう朗報だ。

 しかし、空飛ぶ自分を見てみたいというコナツの気軽な言葉を聞くと、それだけ嬉しそうな顔だったのを、急に強張らせてじとりとコナツを睨みつける。


「なに? 覗きたいの?」

()っげぇよ!

 雲に乗るんだろ、そもそも覗けねーじゃん」

「どうだかなぁ。

 私の空飛ぶ姿を見てみたい、って言ってくるのっていっつも男の人だもん。

 噂半分でもあわよくばの匂いぷんぷんするんだよね」

「違うってば! そんなわけねーから!」


 太もも半ばの短い裾、地に足着けていても姿勢を間違えたら、あっさり尻肌が人目に触れてしまうアンズである。

 下から覗き込まれたら一発で終わりだ。石段を上る時でさえ、手癖のように片手でお尻の後ろに掌の壁を作るのが恒常化している。

 空を飛ぶところを見せろと言われたら、やらしい真意があるとしか思えない。


 実際アンズの言うとおり、何故かアンズの飛びたいところを見たいと言ってくるのは、全部が全部そうではないといえ圧倒的に男性が多かったのである。

 邪推あるいは自意識過剰だろうか。いや、男はみんなそっち方面には馬鹿で素直だから、存外的外れでもないと思われる。


「コナツの"すけ "……」

「おいこら! それ以上言うなよ!

 それ言ったら本気で怒るからな! 冗談じゃ済まないぞ!」

「二度とそんなこと言わないって誓うなら許す」

「わかったわかった、言わねーよ!

 だからその不名誉な呼び名だけは勘弁だからな!」


「何かの間違いで私が飛んでるとこ見たら、ちゃんと目を逸らす?

 そこまで誓ってくれるなら謝るし撤回もする」

「わかったってば」

「よかったコナツが男気あって。

 ごめんね、ちゃんと信じるよ。誓ってコナツはそんな人じゃないって信頼する」

「ったく」


 すけべ、は男女問わずかなりの侮辱である。

 貞操観念が非常に強い人間社会において、性に対してだらしないと言われるのは、社会不適合者の烙印を押されるにも等しい。

 性にやたら旺盛で好意的に捉えられる者がいるとすれば、あくまで血筋を残すことを暗黙の使命とされている、武家の頭や貴族のみである。

 だからアンズも、流石に"すけ"で止めて、コナツからの反応を待つ間を待ったのだ。ぎりぎり冗談で済ませられる最後の一線。

 三文字目まで言ってしまったら、喧嘩が始まっても仕方ないほどの単語であるとアンズもわかっている。トキガネぐらい親しい相手でなければ遊びで使えない。

 だから謝罪の言葉に続き、コナツの名誉を損なわないよう言葉も厚くする。


「私、桑原村に来たらどうしても会いたい子がいるんだ。

 神社を長く空けられないから、この村にいられる時間も短いしさ。

 コナツも来ない? せっかくだし、コナツのことも紹介したいんだけど」

「お誘いは嬉しいけど遠慮しとくよ。

 村長さんとも話すことはあるし、寄り道して縁を半分にしたくもないしな」

「そっか。

 確かにそういうとこもあるよね」


 コナツが桑原村に運んできた半俵は、今季も行われるであろうと予測される、山波村から桑原村への穀物の譲渡の一端。

 今年もいまいち山波村の実りは、つまり桑原村の作物の実りも良くない。

 どうせ近々桑原村への輸送はあるし、コナツは余所者ながら桑原村へ向かうついでに、その手伝いを早めに取った形になる。

 そうしておけば後日、山波村の荷物が減るのだ。桑原村への提供も一部が先んじて届く形になるので、どちらの村にとってもコナツの好意は助かる。

 半俵そのものより、その輸送駄賃が村長の家に泊まる対価として充分なのだ。


 とはいえコナツも、お世話になる方との時間を削りたくはない。

 ご挨拶に行くのが早ければ早いほど、畑仕事の手伝いなども出来る。

 縁を重んじるなら時間を無駄にしてはしたくないのだ。

 一緒にいる時間が長ければ長いほど、その人に尽くせる。これを軽視する者は誰もいない。身分が貴くない者であればあるほどにいっそうに。

 いつ、誰が、明日にでも災いや妖の手にかかり命を失うかわからければわからぬほど、いついなくなるかわからない誰かとの時間の重みと価値は増す。

 親孝行はしたいと思ってからでは遅くて足りない。そう言われるのとよく似た話だ。


「俺もう行くよ。

 ありがとな、ここまで送ってくれて。本当に助かったよ」

「ううん、全然。

 また会おうね! そしたら今度は、もっと仲良くなろ!」


 半俵を担いだまま会釈するような仕草を見せ、逆の手をふいと上げてご挨拶するコナツに、アンズもいつかの再会を見越した笑顔でうなずく。

 お互い、行く先へ。コナツは村長の家へ、アンズは親しき者の家へ。

 ふとコナツが振り返れば、歩きながらも自分を見送っていたかのようにこちらに首を向けていたアンズと目が合って。

 そしたらアンズは離れた場所から、ぶんぶんと手を振ってまた笑顔を浮かべてくれるのだ。


『はしたないぞ。

 正装の巫女服に不平を垂れる者がそれでは説得力があるまいが』

(わかってますよ。

 でも、せずにはいられないんです)


 頭の上まで右手を振り上げた時点で、腋もさらしも相手に見えてしまうのだ。

 距離があると言っても相手も目がいいし、見られている自覚はアンズもある。だからちょっと頬を赤らめてもしまうけど。

 それを言ったらコナツもそうである。細腕、柔肌、白く艶のある女体の一部、まして腋に加え乳房の一部とも見紛うさらし。

 女性がこうも肌をあらわにすることなど無い一般常識に基づいて、コナツも俵を持たぬ手を二度振る程度に収め、耳まで赤くなった顔をすぐアンズから逸らす。


 あの巫女、恥ずかしそうな顔しながら、それでも我慢できないかのようにあんな振る舞いで。

 お前俺のことをすけべ呼ばわりしかけてたけど、お前も相手をその気に誤解させる仕草してるぞ、とコナツは内心では毒づきたくなるというものである。


『まったく、私ははお前をそんな奴に育てた覚えはないだがな。

 淫ら巫女め』

「はあ!?!?!?」


 神様の言葉がアンズの逆鱗を直打。

 念じる言葉で対話できることも一瞬で吹き飛び、声が出た。

 すけべが最上級の侮蔑なら、テンジンが今言った言葉もまた最大級の侮辱。

 みだら、とな。淫乱、と言われるにも等しい悪口。


(っ、今すぐ取り消して下さい!

 さもないと私、明日から神社のお掃除しなくなりますからね!)

『はいはい、取り消す取り消す。

 これでよいか?』

(心が籠ってない!

 ちょっとはコナツの誠実さを見習ったらどうですか!)

『はっはっは、なぜ人なんぞ見習わねばならん。

 お前の要望には応えたのだからこれでよかろ』

(態度さいあく~!

 ほんと神様じゃなかったらぶっ飛ばしてますよ!)


 ぎりぎり理性で以って途中から念話に切り替えたが、それも一瞬忘れて大声が出たほどには、淫乱呼ばわりは耐え難い。

 冗談で言ったんでしょうとも。ええわかってますとも。テンジン様は私のことからかうのも大好きですもんね。

 片手団扇でけらけら笑って楽しそうですし、こうして顔真っ赤にして怒る私を見て面白がるなら、神様を楽しませる務めを果たせた巫女とも思いましょうとも。

 巫女と神様の関係じゃなったら本気でぶん殴ってるけど。


 あらゆるぎりぎりが通用する特別な関係なのだ。

 アンズもそれなりに軽口を叩かせて貰っているし、ある程度はお互い様である。






 コナツと別れた後のアンズは、自ずと集まってきた村の子供達と一緒に遊び、夕食時まで楽しい時間を過ごした。

 山波村でも幼子らには懐かれているアンズだが、訪れることの多い桑原村でもそれは同様だ。

 アンズが来たことを聞きつけた子供達は、日頃会えない大好きなお姉ちゃんに群がってくる。


 そうして集った十数を上回る子供達と一緒に広場に向かい、みんなと一緒に遊ぶのみ。

 かくれんぼう、追いかけっこ、蹴鞠遊び、木登り競争。遊び方なんていくらでもある。

 楽しいことに対しては体力無限の子供達に振り回されながらも、それさえ心地良いアンズは、息を切らして汗を流しながら、至福の時を嗜めたものだ。


「お早いお帰りじゃのう。

 村の子供達も寂しがりますぞ?」

「くぅ~、その言い方はやめて下さいよぉ。

 胸が張り裂けそうになっちゃうじゃないですかぁ」


 アンズが言っていた、どうしても会いたい人というのも、この子供達の輪の中にいる。

 その子が、アンズが村を訪れたのを知って駆けつけるのも一番早かった。

 この村で一番、誰より、あるいはこの世で最もアンズに懐いている子供と言ってもいい。


 正直、もっと遊んで帰りたいのだ。泊まっていきたいぐらい。

 子供達に別れを惜しまれて張り裂けそうだと称する胸を押さえ、腰をくねくねして剽軽な態度を見せているが、冗談で隠しきれない本音も溢れている。

 子供好きのアンズの性格をよくわかっている村長も、相変わらずだなと微笑ましい。


「お姉ちゃん早過ぎ~。

 次はいつ来てくれるの?」

「そ、それはちょっとわからないなぁ……

 近いうちにまた……」

「だめ。いつ来てくれるの?」

「く、クマリ~、お姉ちゃんを困らせないでぇ……」


 しかし、楽しい時間にも終わりは訪れる。

 アンズは山波神社の巫女であり、可能な限りは山波村に帰るべき立場だ。

 日は既に沈み、西の山の頂にほのかに赤みが残る程度の、星が光らなければ真っ暗な空模様の時間帯、そろそろ村を発たねばまずい。

 神社に戻って、遅めの夕食の後に湯浴みをし、普段よりも遅い就寝となる計算をすると、帰りが遅くなればなるほど明日の朝に健康的な目覚めが難しくなる。

 睡眠不足で本日のお務めに身が入りません、では巫女など務まらない。


「また来るって"約束"するからさ。

 それで許して? ね? ね?」

「約束してくれる? それならゆるすっ!」

「もう~、単純なんだから」


 アンズを囲う子供達はいずれも名残惜しそうな目。

 そんな中にあって"クマリ"と呼ばれた、髪を両耳よりも少し上で二つ結びにした少女が、この村でアンズが最も愛する子。

 孤児なのだ。そうなったいきさつもアンズは知っている。切実に。

 家に帰ればお父さんかお母さんが待つ他の子よりも、アンズに対する依存度は高いのだ。

 本来わがままさが残る他の子供達でさえ、クマリを差し置いてアンズを独り占めしようとすることは無いほど、桑原村では誰もがそう認めている。

 今宵も親が遺してくれた家に帰り、独り寂しい夜を眠ることになるクマリの境遇は、親を亡くしたアンズにとっても他人事ではない。

 だからアンズも、特定の子供を贔屓目に可愛がることはしない基本姿勢でありながら、クマリに対してだけは少し甘い。


「はい、クマリ。

 ゆ~びき~りげ~んまん、嘘ついたら?」

「え~っとね、え~っとね……肥溜めにうめるっ!」

「ひええ、それは約束破れないなぁ。

 わかった、約束する。みんなも聞いてたね?

 お姉ちゃん、約束は守るよ!」


「見てた~!」

「こえだめ覚悟~!」

「ぜったいまた来てね!」


 破った場合の罰が、クマリの気分次第で毎回変わる指切り拳万を交わすアンズ。

 自分達の寂しさを代弁してくれるクマリとアンズのやり取りを見守っていた他の子供達も、僕が私が証人だよときゃあきゃあ騒ぐ。

 この約束はアンズには破れない。約束破りは汚物まみれに直行だ。

 それにしても、どうして幼い子供達というのは、こんなにうんちの話でやたら喜ぶのだろうか。ずっと謎である。


「よ~し、みんな最後によく見ててね。

 私の大好きな神様の力、とくと皆様ご照覧あれ」


 わかりやすい言葉に続いてお決まりの言葉を紡ぎ、アンズが左手に(ばち)を、そして背中に八つの輝く太鼓を顕す。

 今から歩いて山波村に帰ったのでは時間がかかり過ぎる。

 となればやはり、子供達に神様の力をお披露目し、その実在を示すことを兼ね、便利な足を使わせて貰わねば。


伏鼓(ふつづ)木棉(このわた)


 八つの太鼓のうち、自分の腰の右横にある低い位置の太鼓、"伏"の字が書かれた太鼓をアンズが撥で叩く。

 すると、彼女の後ろの背中ほどの位置に黒い雲がもくもくと生じ始め、それは彼女一人が乗れそうなほどの大きさまで膨らむ。

 ちょっと腰を沈めた程度から、ぴょこんと跳んでその後方の雲に飛び乗るアンズは、予備動作も少なくそれだけの高さを後ろ跳びする脚力も何気に披露する。


「すごーい!」

「アンズお姉ちゃん、神様の巫女さんだー!」

「今度わたしたちも乗せてね! 空を飛んでみたい!」


「あははっ、いつか、出来たらね?

 それじゃあみんな、いい子にして待っててね!

 必ず、また来るから! "約束"だよ!」


 稲妻を放つ"火"の太鼓による第壱の神力。

 そして、雷雲を生み出しそれに乗り、空を駆ける"伏"の太鼓による第弐の神力。

 アンズが巫女となったその日、テンジン様から授けられた最初の力であるこの二つは、アンズにとって神様との繋がりを最も意識できる力だ。


 アンズは雲を高い位置まで浮かせていきながら、子供達に空から手を振り、ずっと自分達を見上げて手を振る子供達を見下ろす。

 雲にお尻を沈め、下から下半身を覗かれない姿勢を作ることには慣れているが、そうする節度を捨てて身を乗り出してでも、子供達を眺めたい衝動がある。

 やがて、名残惜しいが雲を回して子供達に背中と雲に隠れたお尻を向け、山波村へと真っ直ぐ雲を走らせるのだ。

 障害物の無い空を、素早く駆けるこの雲で真っ直ぐ進めば、山波村に辿り着くまで半刻もかからない。


『約束、か。

 安請け合いは勧められたものではないのだがな』

(いいんです。

 必ず、約束は守りますから。

 それであの子達が明日以降を楽しみにしてくれるなら、それが何よりです)


 当たり前のように空にある星の美しさなどわざわざ誰も有難がらない、暗い夜空を駆ける中、テンジン様の苦々しい言葉がアンズの脳裏に響く。

 そう、わざわざ誰も意識しないようなことなど、この世に他にもいくらでもある。

 "先のことなんてわからない"

 当たり前すぎて、誰もそんなこと普段は口にしないし、きっとこれからもそうだ。


 昨日まで元気だった誰かが、病に蝕まれ、あるいは足を滑らせ山で転げ落ち、あるいは妖に襲われて、明日を迎えられなかったことなど枚挙に暇が無い。

 明日の生存など保証されていないのだ。厳しく言えば、半日後すら。それも、現実的に。

 だから、未来のことである"約束"が果たされることがどれだけ価値あることなのかなど、子供達ですら薄々わかっているはず。

 そんなこと、アンズとの指切り拳万を喜んだクマリこそ――ある日突然、両親を喪った彼女こそ、一番よくわかっているはずだ。

 物心ついた時からそばにいてくれた、大好きだったお父さんとお母さんが、ある日自分の目の前からいなくなってしまうことを想像できた子供などいない。

 少なくともアンズとてそうだったし、想像できなかったそれが現実になったのだから。


 仮にアンズが二度と桑原村を訪れず、約束を破ってしまったとしても、肥溜めに沈められる罰など受けることはない。つまり、一生会わないんだから。

 そんな理屈はクマリだってわかっている。生きて、再び会えることを誓ってくれたことが嬉しかった。

 意地でも、絶対、何が何でも、どんな小さな約束でも必ず守り通してきてくれたアンズだから、クマリも他の子供達もアンズを"信"じる。

 明日のことすら何一つわからない世界で、嬉しい未来のことが信じられるなんて、どれだけ楽しみで心躍ることか。

 子供相手の小さな小さな約束だなんて、そんな軽んじられた言葉は言語道断。

 守れない約束はしない。約束したなら必ず果たす。どんな些細なことだって。

 その当たり前を破らないことが、先の見えない不安の潜伏する日常に、掛け替えのない希望をもたらしてくれる。


『まったく、万が一守れなんだらどうするのだ?』

(赦されないですねぇ。

 私の生涯と魂における汚点とし、冥府にて永劫その罪を雪ぐしかないんじゃないかなぁ)

『ふふ、わかっているならよい』


 命は軽い。喪われる時は呆気なさすらある。

 だからこそ、生は重い。一日一日の生存が何よりも貴い。

 ゆえに、未来は眩しいのだ。希望を抱いて明日を目指せる人生以上に素晴らしいことなど無い。

 子だくさんの農民が多いのはきっと、本能的に、我が子一人一人が大人になれずに世を去ることも、何ら珍しくないことを皆知っているからだ。

 それが常識でなければ、親より先に早世した子供が、賽の河原で永遠の苦行を強いられるという話が、ここまで広く世に知られることもあるまい。

 子供達を怖がらせてでも、俺達私達よりも先に死なないで欲しいという、そんな親心の切実さなど想像に難くない。


『せいぜい破らぬようにな。

 お前の命は、お前だけのものではないのだからな』

(もちろんです。

 テンジン様のものでもあるのは言うに及ばず、私を可愛がってくれる全ての方々の命でもあるんですから)


 極めて重要な心掛けを、アンズは何ら負担なく笑顔で口にする。

 約束を果たすためには死んではならない。そして、テンジン様もそうするようにと言ってくれている。

 そこには、巫女を失いたくないという動機ではなく、アンズの長生きを望んでくれている主神の親心を確信できるからだ。


 多くを語らず、その本懐のわかりにくい神様ではあるが、アンズにとっては十年以上も一緒にいて、親の代わりに自分を育ててくれたひと。

 この付き合いの長さでわからぬようでは、巫女失格はおろか、親の心子知らずを地で行くと言っても過言ではあるまい。


『よろしい』

「…………ふふっ♪」


 アンズは嬉しい。たまにお小言も仰るが、優しい神様だと知っている。

 信じる自分の描く神様像は、間違っていなかったんだと確かめられる。

 好きな相手のことがもっと好きになる。きっと、明日もずっと好き。

 保証された明日は、長生きが約束されていないこの世界で、何よりの幸福だ。

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