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第一話    ~アンズ~



 山波国(やまなみのくに)の中心に佇む"山波村(やまなみむら)"。

 野山を越えて各方面へ広がる交易路の結集地でもあり、人の出入りも常に絶えぬその村は、国一番の栄えし人里の呼称を確固たるものとする。

 平穏に、和やかに、賑やかに。

 人多くして諍い事も稀、そんな穏やかかつ慎ましい、泰平の空の下に輝く山波村は、この時代における理想郷とさえ言える村だった。


 朝になれば、米を蒸す真っ白で美味しそうな匂いが各民家から立ち上り。

 嗅いで食べて活気を得た農夫が畑へ繰り出し、暖簾を掲げた村商人の旦那が朝日に迎えられて店を開く。

 すれ違う人々はご挨拶を交わし、お互い今日も頑張りましょうと元気を分け合い、日が高くなるに連れて村は賑わいを増し。

 やがて昼前に差し掛かる頃には、元気にお外で遊ぶ子供達やそれを見守る母親、市へとお買い物に向かう大人達と、村は人の往来でいっぱいになる。

 気持ちのいい春を迎え、家でじっとしているより温かい風と花々の匂いを感じたい人々の足取りは、この季節最も村を華やかなものとする。

 大きな動乱も無いこの時代、今年もこんな幸せな春を迎えられた山波村は、現世に望める限りの最上の浄土として広がっていた。






 昼前を迎えた山波村、特に市を身近に抱く村の中央区は、今日も騒がしさに満ち溢れている。

 商売人が声を張り上げ、村に住み慣れたはずの買い物客も目移りさせられ、お食事処も席が埋まりつつある。

 そこにあるのは、平穏な日々を願いやまぬ人々の集いし村に、誰もが望むとおりの笑顔が賑やかに咲き誇る情景だ。

 当たり前のように広がるこの平穏を、今日も有難いものとして賜る人々の喜びは、今日もいっそう山波村を幸せでいっぱいにする。


 多忙を極める店の旦那が、手際よく働けと弟子を怒鳴りつける声も。

 駄々をこねる子供を叱る母親の強い声も。

 耳に乱暴なそれらでさえ、所詮は栄えた町の賑やかさを象徴する、華の一輪と称えられるべきもの。

 そうした機嫌の悪い顔や声もごく少数、その何十倍もの人々による、歓楽と笑顔に満ちた山波村は、今日も変わらず人里の楽園の様相を呈していた。


 そんな山波村の中心街、茶店(ちゃみせ)の縁台に腰かけて、昼食代わりに串団子を食む女の子が一人。

 緋色混じりの長い黒髪を、頭の後ろで一本尾に結んだ彼女は、道行く人々の目をよく惹いていた。

 十七歳のその顔立ちが、人目を惹くほど可愛らしいこともあるが、何より彼女の着こなしが、人通りの多い街並みの中で浮いている。


 橙の生地の着物姿という時点で、多くの庶民とは一線を画している。

 一般的な町民が袖を通す安価な普段着とは、基本的に藍や紺といった暗色に偏るからだ。

 その着物も袖が無く、彼女の肩や腕や腋を晒したものであり、彼女が少しでも腕を上げれば、程よく実った胸をぎゅっと締めたさらし(・・・)がすぐちらつく。

 裾が太もも半ばまでしかないのも大きな特徴で、その裾から草鞋(わらじ)履きの素足の指先まで、彼女の脚は四分の三が風晒し。

 縁台に腰かけた彼女の股の間は、短すぎる裾の着物のせいもあり、太ももの奥地が見えるか見えないかで常に際どい。

 僅かにずれても危うい服ゆえ、細い帯のきつさは相当に入念であり、それは彼女の腰の細さが服の上からでも明確であることからも察せられる。

 遊郭ならば歓迎されよう露出の多さだが、つまり斯様な着こなしで天下の往来を歩くことは、本来ならばそんな年頃の女人がはしたないと顰蹙を買うことが専らだ。


「旦那、ごちそうさま。

 今日も美味しかったですよ」

「まいどあり、"アンズ"ちゃん。

 土産も出来てるぜ、持ってきな」


 串団子二本をたいらげた彼女は、裸になった串を置いた皿を、茶店の店主のもとへと返しに行く。

 皿を受け取った店主はそれと入れ替わりに、串団子四本を収めた包みを少女へと差し出した。

 "アンズ"と呼ばれた彼女は串団子計六本を店主に注文しており、二本は今ここで食べ、四本は土産としてお持ち帰りする買い物をしていたようだ。


「土産を持ってってことは、今日は"玉依御殿(たまよりごてん)"に里帰りか?」

「里帰りっていうかお仕事なんですけどね。

 実家に帰るような感覚でもありますけど」


 アンズは土産の団子を受け取り、いつもと変わらぬ明るい笑顔で店主との会話を楽しんでいた。

 お天道様の明るさにも負けない素敵な笑顔の女の子だと、山波村の誰しもが言う彼女である。

 語りかければいつだって、この可愛らしく快活な笑顔で応えてくれる、それが目当てで店主もアンズに雑談を持ちかけたと言っても過言ではない。

 妻子ある団子屋の旦那様、こんな姿を家内に見られると良くないのだが、今日もついやってしまう。


「お屋敷のみんなも、このお店のお団子、お気に入りですよ。

 変わらない味に安心する、ってみんな言うんですから。

 旦那も働き過ぎて体壊したりせず、この味をずーっと大事にして下さいよ?」

「がはは、そいつぁ光栄なことだ。

 いっそう励ませて頂かにゃあ店主の名が廃るってもんだ」

「んへへへ、無理しちゃ駄目だって今まさに申し上げてるのに。

 話が噛み合ってない」

「商売人なんてのはそんなもんよ。

 いいもん出し続けるために健やかにあれ、って言われて、いっそう張り切れない奴がどうかしてるぐらいだ」


 わかって冗談を述べてくれている店主に、はっきりと笑い声を出して応じるアンズとの会話は、店主も楽しくて気持ちがいい。

 笑いを取れたからではない。自分の言いたいことが全て伝わっている。これが楽しい会話の真髄で、人の話をちゃんと聞ける双方がそれを成り立たせる。

 疎通にすれ違い無く、お互い笑顔で語らうだけで、どんな些細な会話でも楽しい時間の花開かせるものになると、アンズも店主も知っている。


「冬が過ぎてみんな薄着になってるけど、まだまだ夜は冷えますから。

 風邪を引かないよう気を付けて下さいね?」

「おう、心配するな。

 不養生で臨時休業なんて、格好の悪いこと出来ねぇよ」

「むふぅー、かっこいい。

 それじゃ、行ってきます!」


 最後まで明るい笑顔満天のまま、会話を締めくくったアンズは、店を離れて街を歩いていった。

 あぁ、もう一言か二言ぶんぐらい、あの笑顔とお喋りしていたかったのに。

 愛想よく微笑んで手を振り見送った店主は、内心ちょっと寂しげである。


「ちょっと、あんた」

「いでででで!

 な、なんだよお前!?」

「ずいぶん鼻の下を伸ばしてたじゃないの。

 よその女に目移りするのは勝手だが、あたしにわからないようやってくんないかねぇ」


 耳をつまんで引っ張られた店主が振り向けば、呆れ顔の女房が目の前に。

 アンズの背中が小さくなっても、ずっと店先に目を向けずそっちばかり見ているものだから、流石に家内も癇に障ったらしい。

 別に真剣に妬くほどではないにせよ、客前で一人の女の子にいつまでもでれでれした顔してる旦那を、制して叱るのも良妻の務めである。


「みんなのアンズちゃんだよ。

 忙しい子なんだから、すけべ心で引き留めないの」

「わかってる、わかってるって。堪忍してくれよ」


 どこの時代もどこの世も、妻というものは夫よりなかなか強い。

 苦笑いでたじろぐ旦那を、はん、と一瞥した家内だが、その目は小さくなったアンズの後ろ姿を一目に入れている。

 今日も元気で明るい若者の姿を眺めるのは、すべての大人に許された楽しみの一つだから。


 みんなのアンズ。

 そう言われる程度には、この団子屋夫婦が共々彼女を可愛がって見るように、アンズは山波村の皆々から愛されていた。











 山波村には"玉依御殿(たまよりごてん)"と呼ばれるお屋敷がある。

 

 かつては京にお住まいだった御貴族様の一人が、今はこの山波村に居を移されている。

 格式高い血筋のお方を迎えるにあたり、村大工総出で造られたそのお屋敷は、意図的に壮大に造り上げられた。

 表と裏の御門二つを擁する外壁の内に、広々とした中庭と複数の造り家を建て、それらを長廊下で繋ぐ豪勢なお屋敷である。

 あくまで一介に過ぎぬ村に、京に生まれ育った公家の御貴族様が移り住まわれるなど異例のことであり、不必要なほどの規模さえ望んで造られたということだ。

 使用人含め多数の人が住まうお住まいだが、それでも余り過ぎるほどの部屋も擁した大きなお屋敷は、住まわれる方の地位を強く主張する意義が最も大きい。


 本来このような場所、庶民が近付くのも憚られるような聖地である。

 少なくともアンズのような、若年十七歳の女の子が一人で向かっても、普通は門前払いされるようなお屋敷に違いない。

 そんな場所に、向かうにつれ近付くにつれ気持ちがふわふわし、足取り軽やかになっていくアンズは少し特別な立場にある。


「お?」


「"トキ(にぃ)"、おはよう!」


 そんな玉依御殿の正門を守る門番の男は、小走りで近付いてくる橙色の姿にすぐ気付いた。

 この村で、あんな色のお召し物の女の子はアンズしかいない。

 気付いて目を合わせたら、後ろ結びの髪を揺らしたアンズが近付いてくる足も速くなり、ぱあっと明るむ笑顔で大きく手を振ってくる。


「もう昼だぞ。こんにちはだろ」

「お勤め先の目上の人へのご挨拶は"おはよう"だよ。

 合ってる合ってる」

「それを徹底するなら、おはようございますが正解だな」

「んん~……

 そうしようとは思うんだけど、なんだかどうしてもそこまでは」


 阪田(さかたの) 時金(ときがね)

 格式高い大鎧と兜で身を固め、長槍を片手に立つ、玉依御殿正門の門番を務めるこの男は、かつては勇猛なる武士としても名を馳せた人物だ。

 背高くがっしりとした体格は、この男の力強さを一目見ただけで誰にでもわからせる説得力がある。

 しかし三十代半ばながらに若い顔立ちは、アンズを前にして朗らかに微笑んでおり、この(つら)から戦場での彼の勇猛さなど想像するのは難しいだろう。

 アンズも彼を前にして見上げるほど、そんな屈強かつ背高いながらも好漢の彼は、大きくて力持ちという親しみやすい肩書きが誰よりもよく似合う。


「とりあえず、言っておくわ。

 おかえりさん」

「いたいいたい、やめてやめて」


 "時金(トキガネ)"は、にかっと笑ってアンズの頭に手をおいて、乱暴なほどくしゃくしゃと撫でてそう言った。

 トキガネの指先に引っかかる。きちんと括った髪が乱れる。

 痛い痛いと言いながら逃げるアンズだが、手荒な歓迎も彼女にとっては嬉しいもので、片目を細くしつつもその表情の本質は笑顔である。


 玉依御殿で長らく育てられた過去を持つアンズにとって、ここは第二の実家とさえ言える場所。

 屋敷に長らく仕える一人であるトキガネは、同じ屋根の下でアンズと過ごしてきた家族のような人物だ。

 荒っぽいところもあるが、優しくて頼もしい、年はかなり離れているがお兄ちゃんのような人。

 だから今でもアンズはトキガネを"トキ兄"と呼ぶし、かつてと同じく接してくれる彼の態度が、実家に帰ってきた心地のアンズを喜ばせてくれる。


「一応私も、この家を離れて一人立ちした"巫女"だよ?

 他人行儀な話し方されると寂しくなっちゃうけど、あんまり子供扱いもしないで欲しいなぁ」

「まあ、確かに子供の身体はしてねぇけど」

「どこ見てんの、すけべ兄」

「そんな月並みな返ししてるうちは、俺から見ればまだまだ子供だよ。

 襟を下げて、子供じゃないよ見てよって俺を困らせるぐらいのことしてみやがれ」


 結った髪を引っ張り整え、乱された髪を整えるアンズと、腋を晒したアンズの上半身をじろじろ眺めるトキガネ。

 顎を指先でこねながら凝視してくる視線に晒されると、流石にアンズもちょっと恥ずかしくなって片手で胸を隠す。両手を使わないのはちょっとした意地。


「私がそんなこと出来るわけないのわかってるくせに」

「そのくせその恰好ははしたねぇと思うんだがなぁ。

 それだけ肌見せて天下の往来を歩く、そんな年頃の女はお前だけだ」

「しょうがないでしょ、これがうちの神社の巫女の正装なんだから。

 うちの主神の"テンジン"様、ちょっとすけべ過ぎると思うんだよね」

「かはは。

 神様に仕える巫女が、主様に苦情言っていいのかよ」

「ずーっと思ってることだもん。

 嘘はつけませんねぇ、この辺は」


「大変だな、巫女さんも」

「そうだよ、大変なのだよ。

 お仕事、あります?」

「おう、届いてるぞ。

 今日は"桑原村(くわばらむら)"への護送依頼だ」


 トキガネは懐から一枚の木札を取り出し、それをアンズに渡すことで返答した。


 "真昼時 稲荷御像発 桑原村至"


 木札に筆字で書かれた短い文字列は、それだけで充分アンズには理解に足る内容である。


「最近、お前に護送を頼む依頼が増えてきたな。

 評判もよく聞くぞ、『山波神社の巫女様の護送は、妖魔や山賊も怖くない頼もしいものだ』って」

「嬉しいな~、そう言って貰えるようになってきたんだ。

 出来ればうちの神様のことをもっと信じて貰えたら嬉しいんだけど」

「うーん、どうだろうなぁ。

 今は人の手で拓く農耕や医術、あるいは陰陽術が信じられる御時世だしよ。

 今時、神様に縋ろうって考えの人は少なくなってるしな」


 巫女である自分を頼ってくれる人がいることは、アンズにとってもとても嬉しいことだ。

 しかし、巫女としての仕事を全うせんとするアンズには、それによって叶えたいもう一つの目標がある。

 それこそが、彼女にとっての一番の本懐であり、それが叶うには困難な世の中だから、しばしばアンズもその日々明るい表情にしばしば陰を得てしまう。


 信心。

 得るは難く失うは早きものを求める、そんな神職者の苦境はさながら宿命だ。


「そんな顔するな、俺達は"信"じてるから。

 可愛いお前が切実に、信じて信じてって言ってんだからよ」

「むへへへ、ありがと、トキ兄」


 木札に目線を下向けるアンズの頭を、トキガネは柔らかく撫でた。

 さっきのような乱暴な撫で方ではなく、悩む妹を慰めるような、優しく温かい掌である。

 逃げないどころか、もっとしてとばかりにアンズはじっとしている。

 こうして優しくして貰える幸せを噛み締めるアンズの胸中は、見るからに安らいだその表情からも明白だ。


「じゃあ行くね、トキ兄。

 それと、これお土産。

 ナルミ様やナベ爺にもよろしくね」

「かはは、一丁前にお行儀のいいこって。

 わかった、お渡ししておくよ。

 たまには門前止まりじゃなく、元気な顔をお二人にも見せに来るんだぞ」

「うん、約束する!

 それじゃ、行ってきます!」


 姿勢よくトキガネを見上げ、とんと自分の胸を叩いたアンズは、めいっぱいの笑顔を見せつけるように笑った。

 私は今日も元気だよって。いつもこうして笑ってるよって。

 そして、持ち掛けられた約束を、任せておいてと胸を叩く仕草は、必ず今と同じ元気な私で帰ってくるよという、故郷の家族に示した心構えの表れだ。


 去っていくアンズを、トキガネは微笑ましく見送っていた。

 しばらく離れた場所で振り返ったアンズと目が合うと、ちゃんと自分を見送ってくれているトキガネに喜ぶかのように、大きく手を振る彼女の姿が見える。

 応えて小さく手を振るトキガネは、退屈な時間も多い門番の仕事も、可愛い妹と関わる時間が他の家人より多いなら、悪くないものだと常に思っていた。






『う~む、響かんなぁ』

(も~、"テンジン"様。

 わかっています、お気持ちもわかりますからぼやかないで下さいよ。

 重々承知してはいますから)


 やや上機嫌で歩いていたアンズだったが、水を差す声が耳に入る。

 アンズにとっては――彼女にとってのみ、聞き慣れた声だ。

 その声に対し、露骨にむっとした顔になりつつも、アンズは口を動かして声に発することはせず、代わって脳裏で明確に言葉を紡いだ。


 のし、とアンズの頭の上に、ちょっぴりの重さを持つものが姿を顕した。

 生まれたての赤子ほど、小さな小さな人の姿をした、それでいて人にあらざる存在だ。

 短い烏帽子を頭に乗せ、公家の方々が纏うようなお召し物で身を包んだ、身恰好だけは格式高い座敷童のような御尊様。

 些か、小さいが。威厳なるものを感じろと言うのは無理がある御姿だ。

 胸を張ってしゃんとした姿勢で歩くアンズの頭の上、胡坐をかいて頬杖つくそれに対し、アンズは敬語を使っている。


『やはり、神の実在が広く信じられる時代の再来は難しいな。

 奴はお前には優しいからああして付き合ってくれるが、真なる意味での信心は未だ感じられぬ』

(ですから私がいるんじゃないですか。

 テンジン様に、信心を集めるための巫女として)


 "天満雷(てんまんらい)真道(さねみち)天神(てんじん)"。アンズいわくは、テンジン様。

 山波神社の主神であり、巫女たるアンズが奉る神様は今、アンズの頭上に御座(おわ)して悩ましげだ。

 胸を張って姿勢よく歩くアンズの頭の上は、ぶれが無くてテンジンも座りやすい。


 頭の上に小さな神様を乗せて歩くアンズだが、すれ違う人々はそんなアンズに特別な光景を確かめない。

 今のテンジンはいかに人前に姿を顕さんとしても、アンズ以外の誰にもその姿を視認できないのだ。

 テンジンがアンズに向けて発する言葉も、他の誰にも聞き取れぬものであり、アンズだけがその声を聴くことが出来る。


『なけなしの信仰を神力に変え、お前に行使して貰う形で神の力をこの世に顕してはいるものの、それが最後の生命線といったところか。

 お前の身内ですら神の存在を信じぬようになっておるようでは、いよいよ私にとっては世も末だなぁ』

(後ろ向きなお言葉はお似合いじゃないですよ。

 本気で滅入るほどであるならば、しげしげお話をお伺い致しますが)

『はっは、こんな話で滅入ることもあるまいよ。

 所詮この世は諸行無常だ、永遠に変わらぬものなど存在しないし、神とてその例外であろうはずもない。

 その日が訪れるならば、私とて役目を終えたとして眠りにつくまでだ』


 "山波神社"の主神テンジンは、こうして常にアンズのそばにある。

 周りに人がいなければ、アンズも口で言葉を発してテンジンと語らうが、天下の往来ゆえに今はこうした形で対話する。

 アンズの頭上にお座りのテンジン様は、周りにその御姿が見えないのが実状なので、アンズが声を出して語らうと痛い独り言のようになってしまうからだ。

 評価が固まらぬうちは、してよいこととすべきではないことがある。


『今はもはや(あやかし)に抗うにせよ"陰陽術"という力もあり、人が人の力で世を生きられる時代にある。

 神になど頼らずとも泰平の世が続くというなら、それも私の本懐だ。

 私への信仰が途絶えようとも、そんな世が続くのであれば……』

(だーめーでーすー。

 そしたらテンジン様はいなくなってしまうんでしょう?

 私がいるうちは、ぜえったいそんなことにはさせません)

『信仰を失った神は実在し続けることなど出来ぬ。

 時代は移ろうものであり、今はそれに近付いた時代であり、それもまたやがては必然であったこと。

 私は、別に構わぬぞ?』

(私が嫌なんですってば。

 私のことを見守り、育て続けてくれた親のような方でもあるんですよ?

 そんな父親の早世を望む子がいると思うのなら、神力使い果たしてでも探してきてみて下さいよ)


 飄々とお気楽なことを仰る主神の言葉に、子の心親知らずという想いでアンズも反発する。

 表情こそ衆目ある村の中にあって揺るがせていないが、上機嫌とはいかず無表情だ。

 いつも明るい巫女の姿を見せていたいアンズとしては、これでも望ましくない顔色である。そうなってしまうぐらいには、今の話題は面白くない。


『ふふ、お前も随分と口答えすることが増えたな。

 主神に仕える巫女が、神の振る舞いを箴言するとは足元を見失っておるのではないかなぁ?』

(お怒りでしたらどんな罰でも受けますし、死して詫びろと申せられたとしても受け入れます。

 でも、口答え出来るうちが華だとも私は最近思うんですよ。

 常に傅き、ひれ伏して、申し上げるべきことも言えぬまま、二度とお言葉を交わせぬようになれば、きっと悔いが残ると最近思うようになりましたから)

『何年か前に、神社の近くの爺が体を壊して亡くなった頃からか?

 お前はたびたび、私には言っていたな。

 百薬の長とはいえ、酒の飲みすぎは体を壊すから心配だと』

(溺愛していた娘さんと喧嘩別れしてしまったからって、お酒に溺れたお気持ちは一切理解できないとは思わなかったんですけどねぇ。

 でも、少しはお酒を控えるように言っていればと思うこともあるんですよ。

 お付き合いこそあったとはいえ、言って何かが変わったとも限りませんが……

 言うべきことを言わなかった悔いは、今もちょっと残ってますね)


 神様とは、人の手に余る難題に直面した人々が、救いを求めて奇跡を願う想いにより生まれる存在だ。

 人々のために存在し、人の願いや信仰を存在の拠り所とし、その想いに応えて恵みや奇跡を(もたら)される、偉大かつ有難い存在である。

 そんな神様に敬意を払い、崇め、奉る人々の信仰心と、それに応えて下さる神様という形で、人と神様の関係はこの世に成立する。


 神とは、神様は存在するという心からの信心によってのみ存在をこの世に繋ぎ留められ、時には超常的な力さえこの世に顕すのだ。

 逆に言えば、神様などこの世にいない、あるいはいたところで意味などない、という人が増えれば増えるほど、神様の存在力は失われていく。

 突き詰めれば、神様の存在を信じる者がいなくなった時、それが神様の消える瞬間だ。

 それは消滅。あるいは身近な言葉で表すならば、さながら、死。

 かつてのように天満雷真道天神、テンジン様が、人の世を救う神様だと思われなくなって久しい昨今、テンジンはその存在そのものを危ぶめている。


 昨今、人類史が進むにつれて生じた新たな農法の確立などにより、厳しい飢饉に見舞われぬ限り、農作物の確保はしやすくなった。

 少しの失敗で作物も取れず、命懸けで山まで何度も食べ物を採りにいかねばならなかった時代よりも、遥かに人類の生存率は上がったのだ。

 比較的安定した収穫による備蓄があるため、天災に見舞われたとしても村一つが生き残る可能性も高まった現代。

 村を襲う賊や獣に対しても、兵力や防備で抗える。

 人智の及ばぬ(あやかし)という存在に対しても、テンジンが口にした"陰陽術"と呼ばれる力により、戦う力があるのだ。

 神様の力になど頼らぬとも、人類は生きていくことが出来る。万人が天寿を全う出来るわけではないが、そんなことは古来より変わらぬ必然。

 神様への信仰が失われつつある今の流れも、時代の移ろいの象徴なのだろう。


『そうは言っても私とて、お前が良縁に恵まれて白無垢を纏い、やがては我が子を抱いて満面の幸せに笑む姿を見たくもある。

 それを見届けるためにも、信仰の獲得には頑張って貰いたいところだ。

 存分に励んでおくれ、我が巫女よ。はっはっは』

(もう~、言われなくても存じていますが、軽く仰いますねぇ。

 私いっつも、それで頭いっぱいなんですよ?)


 幼い頃に両親を喪い、それからというもののずっとそばにいてくれたテンジンは、まさしくアンズにとっての第二の父。

 そんな親に早死にして欲しい子供などいない。

 そしてアンズは、そんな父の命を長らえさせられるかどうかが、巫女たる自分に懸かっている。

 自分が主神への信仰を集められるかどうかに、父すなわち主神が生き長らえるかどうかが直結しているのだ。

 彼女が巫女としての使命を果たさんとする意気には、私情がはっきり噛んでいる。

 だからこそ、ただの神職者以上に必死でもある。


(達観されるのも神様らしくあり格好いいとは思いますが、諦めないでも下さいね?

 私はまだまだ、テンジン様とご一緒にいたいですから)

『私に心意気まで命じてくるとは、つくづくお前は神職者らしくないな。

 いやはや、距離を近く付き合い過ぎたかな?

 反省することは神にも必要だな』

(謙虚が美徳なのは人類のみですよ。

 神様なんてのは、きっと偉そうなぐらいが丁度いいんです。

 テンジンがふんぞり返ってても大丈夫なぐらい、信仰を回復させてみせますから。

 見とけっ!)

『うむ、頼もしい!

 その調子で頼むぞ! はっはっは!』


 元気を取り戻したアンズの念じた声を確かめて、ぽふんとテンジンは姿を消していた。

 死滅を目前にしながらも、こうして竹を割ったような態度でいてくれる様もまた、アンズが滅入らずに済む一因。

 明るく元気な巫女でいようと努め続ける、アンズの根底的な生き方に影響を及ぼしたものの一つにも違いあるまい。

 その一方で、そんな彼女の明るい生き様が、たとえ彼女が巫女であろうがあるまいが、村人達に愛される人格者であることもまた事実。

 テンジンは、そんなアンズを育て上げた良い父でもあるのだろう。

 そしてそれを自覚するアンズもまた、そんな父を、たとえ主神でなかったとしても尊敬しているであろうことは、なんら想像に難くないことだ。


 信仰を失い存在すら危ぶめられた神様、テンジン。

 そんな神様にいなくならないで欲しい、敬愛する神様への信仰を求める巫女、アンズ。

 そんな一柱と一人は、今日もいつものように軽口を叩き合いながらも、互いに求め合う間柄であると深く通じ合いながら日々を過ごしていた。

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