5.神殿の片隅で ~二人だけの秘密の「天国」~
「さてっと、こんなものかなぁ」
ひととおり草むしりと石畳の上のゴミ拾いをし終えたわたしは、五歳児のくせに、軽く腰をトントンと叩いてから周囲を見渡した。
「うん。ばっちり。すっかり綺麗になってる」
我ながら素晴らしい手際のよさ。
いつも掃除しているからあまり代わり映えしないけど、この神殿にとっての鬼門――正式名称は天雷門と言うらしいのだけれど、あそこにはあれがあるからね。
わたしたちにとって、大切な場所が。
だから特に念入りにお掃除しておかないと。
わたしは集めたゴミを麻袋に入れて、所定の場所に持っていった。
結局、薬の材料にしようと思っていたあの草も捨てた。
神官が踏んづけちゃったからね。
なんか良薬が毒薬になったような気がして、使う気になれなかったのだ。
「これで朝のお掃除は終わりかな。あとは例によって、お掃除よりも大変なお仕事が待っている」
考えるとちょっとだけ溜息が出てきてしまうけれど、でも、決して苦ではない。
こんな嫌みな人たちばかりの世界でも、あの子と過ごしているあの部屋の中だけは、正真正銘の天国だったから。
さすがにここに来たばかりの頃は、父のことや貴族社会のこととかいろいろあったから、天国どころの騒ぎではなかったけれど。
新しい環境についていくだけで精一杯だったし、あの子も結構独特だから、理解が追いつかないことも多かったから。
しかも、なぜあの子がわたしを助けようとしてくれたのか、いまだによくわかっていないし。
「このままじゃ死ぬ」って言ってたあのときの言葉の意味すら、ろくすっぽ教えてくれないからね。
だから最初は本当に戸惑った。
自分がどういう立ち位置なのかわからなかったから。
庇護された身として、あの子と脳天気に仲良く過ごせばいいのか。
それとも、侍女官として働くことになったわけだし、あくまでもあの子の側仕えとして勤めるにとどめ、それ以外の感情はすべて捨て去るべきなのかと。
けれど、そういった苦悩や混乱もすぐになくなった。
あの子と一緒にいたら、なんだか余計なことを考えている自分が滑稽に思えてくるくらい、毎日が楽しくなってしまったから。
わたしはこれまでのことを思い出して思わず笑ってしまった。
身の回りのお世話をしようとすると、逆に必ず「アネットのお世話するの、リアの仕事!」と言って、躍起になるおかしなご主人様。
お仕事が忙しすぎてご飯が食べられなかったとき、こっそり食べ物を用意してくれたこともあったっけ。
毎晩ベッドの上で、今日あった楽しかったことを手足をバタバタさせながら、一生懸命話してくれたこともあった。
もちろん、全力で守ろうとしてくれた彼女の優しい真心も知っている。
だからわたしは、そんないじらしくて愛らしい、純粋なあの子を見ているうちに、自然と立ち位置とかいろいろなことが気にならなくなっていた――
そういったわけで、今はもう平気。混乱も不安もない。
「助けにきた」という意味不明な謎は残っているものの、それでも、あのときはただ幼いながらも必死になって、あの子なりに考えて、劣悪な環境からわたしを救い出そうとしてくれただけ。
ただそれだけのこと。真意とかそんなこと、考えなくていい。
父とのことも……うん。仕方がなかったんだって、そう思うようにした。
わたしは、にこにこ笑顔がトレードマークの、天使みたいにかわいらしいあの子のことをもう一度脳裏に思い描きながらも、軽く深呼吸したあと、少しだけ弾むように一直線に聖女殿へと向かった。
そこにわたしのお仕事部屋であり、あの子の居室がある。
たぶん今日も、女神様みたいなあの人もいるはず。
ふたりの笑顔を思い出すたびに、自然と少しだけ頬が緩んできてしまう。
わたしにとってはかけがえのない癒やし。
いつも和やかで笑いが絶えない幸せ空間。
「――と、いけない、いけない」
再び気を引き締めながらも、わたしは迷うことなく歩いていった。
天真爛漫でちょっと天然が入っている、初めてできた大切なお友達が待つ、あの場所へと。
「オル=レーリア様、起きてください。もう朝ですよ」
わたしは部屋に入るなり、毎日の日課となっている、お寝坊さんの聖女候補オル=レーリアを起こそうと、彼女を揺さぶった。
けれど、まったく反応がない。
猫みたいに布団の中で丸まっていて、ピクリとも動かなかった。
「もう……」
本当に朝が弱くて困る。いつもこうなのだもの。
わたしは溜息をつきながら、部屋を一瞥した。
白で統一された部屋の中は、文字通りお姫様みたいな居室になっている。
衣装類は全部クローゼットの中だけれど、鏡台やサイドテーブル、仕事机のすべてに精巧な意匠が凝らしてある。
しかも、サイドテーブルの上には、なぜか、いろいろな形をしたぬいぐるみまで置かれていた。
文字通り、この人はお姫様みたいな女の子だった。
「ちょっと。起きてくださいってば」
再び懸命に起こそうとするも、無駄だった。
「う~ん」と、小さな唸り声が聞こえてくるだけ。
まったく起きる気配がない。
「まったくもう、本当に相変わらずなんだから」
今日はいつにも増して、てこずりそうだった。
ただでさえお世話係の仕事は雑務が多いというのに、この人の場合、のっけから大変なんだもの。
本当なら、侍女官三人以上で役割分担しながら作業するらしいのだけれど、彼女にはわたししかいないし。
神殿に来たばかりの頃、神殿長が言っていたけれど、どうやら誰も彼女の侍女官にはなりたがらないらしく、彼女の方も誰ひとりとして、近づけようとしなかったらしい。
そんな中で、なぜか気に入られてしまったのがわたし。
つまり、朝のお勤めもお掃除も、食事のお世話もその他諸々のほぼすべてを、ひとりで行わなければならず、目が回るくらい忙しかった。
「アネット、毎日ご苦労様です」
溜息つきながらも、どうしようかと悩んでいたら、突然声をかけられた。
わたしが住んでいたボロ小屋とは比べものにならないくらい小綺麗で広いオル=レーリアの居室には、現在、わたし以外にももうひとり、大人の女性がいた。
「いえ。これがわたしの務めですから」
白いカーテンを開けて、朝の明るい日差しを屋内に取り込もうとしていたジョアンナ・クロイツという上位神官に、わたしは微笑みを返した。
この人が例の、女神様みたいな女性だった。
わたしがここに来たばかりの頃、神殿長たちの悪意に晒されたときに味方してくれた、とても高潔で慈愛に満ちた人。
立場的には下級貴族であり上位神官でもあったから、本来であれば聖女候補たちのお世話をするような人ではない。
けれど、オル=レーリアには侍女官がいなくて誰もお世話をする人がいなかったから、それを気にしてずいぶん前から世話係や教育係として務めてきたらしい。
三歳くらいの頃、ここへと連れてこられた元孤児だったからということも、理由のひとつかもしれない。
ともかく、現在二十三歳のジョアンナとはそういう女性。
不慣れな環境に身を置くことになったわたしも含めて、ずっと気にかけてくれている人。
本当に、貴族とは思えないくらい優しいお姉さんだった。
いつもありがとね、ジョアンナ。大好きだよ。
「ん……? アネット……? むにゃむにゃ……」
ようやく起きてくれたオル=レーリアは、眠そうに目を擦り、あくびした。
白くて愛らしい寝間着姿のまま、上半身を起こしてしばらくぼ~っとしていたのだけれど、
「……!? アネット! おはよう、です!」
「ひゃっ……」
まん丸の綺麗な瞳をキラキラ光らせたと思ったら、ベッド脇にいたわたしへといきなり飛びついてきた。
「ちょ、オル=レーリア様! 寝ぼけてないで、早く着替えてくださいっ。今日も大事なお勤めがあるんですから!」
「うふふ。今日もアネット、かわいい。魔力の匂い、いい感じ」
相変わらずよくわからないことばかり言っている。
魔力が綺麗とかいい匂いとか、どういうこと!?
「と、とにかく。早く離れてください!」
「ダメ。リア、今日もアネットと遊ぶ。お勤めいらない。それと、敬語もダメ。リアと呼んで」
そんなことを言って、ひたすら首にむしゃぶりついたまま、じゃれてくる彼女だった。
本当に自由気ままで猫みたい。
捉えどころがなくて、扱いに困ることも多いけれど、でも、不思議と嫌じゃないのよね。
むしろ、こういったじゃれ合いの時間がとても居心地がよかったりする。
無邪気な彼女のことを守ってあげたくなってしまう。
が――仕事が絡んでいる以上、話は別。
「ジョ、ジョアンナ様ぁ……!」
こうなってしまうともう収拾がつかないので、助けを求めようと動かせる首だけ後ろへ向けた。
「本当にあなたたちは仲がいいですね」
窓際にいた綺麗なお姉さんは、くすくす笑うだけ。
「ちょっとっ。笑ってないでなんとかしてください! 朝の儀式に遅れたら、神殿長や他の神官たちに何言われるかわかりませんよ!?」
みんなお貴族様だから、ちょっとでも隙を見せると、これでもかって言わんばかりに突っついてくる。
あんなの、いちいち相手にしてられない。
「ふふ。そうですね。ですが、その心配は無用です」
「え?」
「本日は予定が変更となったため、儀式はなしと、先刻通達がありました。ですので今日は、わたくしの方で別の儀式を行おうと思っております」
「別の?」
意味がわからずきょとんとしていると、先程まで笑っていたジョアンナの表情から笑みが消えた。
「今日はアネット。あなたのことをいろいろ調べさせていただきます」
「え?」
徐々に細くなっていく切れ長の瞳を受け、わたしとオル=レーリア――リアは、お互いに見つめ合い、きょとんとした。




