38.森の異変、闇深い森の奥底で待ち構えていたもの
森の中に入ってどのくらい経っただろうか。
懐中時計を確認してみたけれど、たぶん、一時間近くは経過していると思われる。
クロニャンに結界の効果時間を詳しく聞いてみたけど、連続使用は三時間くらいが限界らしく、万が一敵に襲われ戦闘に発展した場合、相手に攻撃されたら、もっと短くなってしまうのだとか。
しかも、一度解除されてしまうと、しばらくは使えないとのこと。
つまり、三時間以内にすべてを終わらせて村まで帰らないと、相当にやばいことになるという話だった。
一応、クロニャンとヴィーのふたりが同時にかけているわけじゃないから、たぶん交互に使えば六時間くらいは持つかもしれないけど、万全を期すなら最悪の事態を想定しておいた方がいいとのことだった。
――だけれど、相変わらず周囲の景色は一緒なのよね。
後ろを振り返っても前を見ても、薄暗い森の中。
ずっと同じ場所を歩き続けているような気分になってくる。
諦めて戻るにしても、今どの位置にいるか見当もつかないから、どれだけ歩けば外に出られるのかもわからない。
(……これ、大丈夫なのかな……)
奥に進めば進むほどに、剥き出しの地面のでこぼこが酷くなり、歩きにくくなっている。
自然と歩くペースも落ちてきて、それが一層、わたしの心細さを助長していた。
あとどれくらい進めば辿り着けるのだろう。
そう、胸のざわめきが一段と酷くなり始めた頃だった。
「う……」
強烈な臭気がどこからともなく漂ってきた。
これまでにも感じていた獣臭さや腐敗臭の比ではない。
息を吸っただけで胸が痛くなり、そのまま気を失いそうになるほどの、毒気を帯びた臭いだった。
「これ、なんなの……?」
「くさいのです……」
わたしとリアがふたりして顔をしかめる中、クロニャンが鼻を鳴らした。
(どうやら目的地に到着したようね)
(え? 目的地? なんで目的地まできたらこんなに臭いの?)
(まぁ、行ってみればわかるんじゃない? あとちょっと歩けばすぐだから)
どうやらクロニャンは何かを察知しているらしく、それ以上は何も教えてくれなかった。
それはヴィーも一緒らしく、立ち止まって、わたしたちの方に顔だけ巡らせている。
わたしとリアは顔を見合わせたあと、頷き合って再び歩き始めた。そして、
「な……」
「うぅ……」
そこへと到達したわたしたちは思わず絶句してしまった。
巨木立ち並ぶ大樹海にあって、そこだけ一際開けた場所。
事前に聞いていた話だと、そこだけは樹木が生えていなくて、太陽の光が差し込む綺麗な泉と巨大な岩石が出迎えてくれるはずだった。
しかし――闇。
そう。目的地に光はいっさいなく、目の前すべてを支配していたのは、毒々しく揺らめく闇の塊だったのだ。
「これ……いったいなんなの? 話と全然違うじゃない」
「なんか……くさいし、真っ暗。リア、ここ行きたくない……」
目的地入口で顔をしかめながらも、一歩も前に進めなくなってしまったわたしたち。
(ふむ。これは相当に厄介なことになっておるな)
わたしとリアに前を譲ってくれたヴィーが、渋い声を出した。
(そうね。これ、普通の人がここに来たら、それだけでおそらく、死んじゃってるでしょうね)
「へ?」
わたしの右側に移動してきたクロニャンが、事もなげに恐ろしいことを言い始めた。
「死んじゃうってどういうこと?」
(言葉通りの意味よ。あんたたちは今、わたしたちの結界に守られているから問題ないけれど、目の前にある、あのどす黒いのは瘴気なのよ)
「瘴気?」
(そ。言ってみれば、毒素が含まれている空気みたいなものかしらね。多少吸い込む程度であればなんてことないけれど、長時間吸い続けると毒に汚染されて、そのうち死ぬわね。しかもこれだけ濃度が濃いとなると、結構一瞬じゃないかしら?)
「い、一瞬って……」
なんか凄く軽い感じで言われたけど、それ、物凄いやばいのでは?
(とはいえ、結界も万全じゃないからね。あんたたちが悪臭に悩まされているとおり、空気は普通に少しずつ流入してくるから、長時間いたらまずいことになるかもしれないわね。わたしとヴィーはこういう毒とかまったく効かないから平気だけれど)
「なるほど……て、なるほどじゃないわよ。本当にそれ、大丈夫なの? 毒入り込んでるってことでしょ?」
すかさず突っ込んでみたけれど、返事はなかった。
もう……。
だけれど、これ、本当にどうするの?
長時間いたらまずいとか言われたけど、鉱石採取するにはここの中に入らなければいけないし、どれだけかかるかもわからない。
わたしは目を凝らして前方を見つめた。
本来であれば、この先に大きな泉があって、その向こう側に、数メートルくらいの高さがある、地面から突き出た岩石の姿が拝めるはずだった。
だけれど、空から降り注ぐ陽光と、地面から立ち上っている感じの瘴気とやらが溶け混ざり合った結果、まったくそれらを望むことができないくらい、おかしな光景になっていた。
見えるのは薄ぼんやりとした地面と、少し行ったところにある巨大な泉の縁。
それから周辺一帯の樹木が微かに見渡せるくらい。
ていうか、なんか例の泉、ぐつぐつ泡立ってない?
かろうじて見えたその姿は、想像していた美しさとはかけ離れた、まるで毒沼みたいな見た目となっていた。
「なんか、野営地で見た井戸水みたいね……」
そうぼそっと呟いたとき、わたしは瞬間的に「あっ」と声を漏らしていた。
「そうだった。ねぇ、クロニャン? あの瘴気って言うの、なんか泉から出てるみたいな気がするけど、あれをリアの魔法で浄化したら全部綺麗になるんじゃない?」
悪臭に悩まされながらも、突然生まれた閃きに笑顔が戻っていったような気がする。
(浄化ねぇ……)
「ん? アネット、何か浄化する必要あるです?」
わたしの発案に、クロニャンとリアが同時に反応したけれど、わたしが説明する前にクロニャンが首を横に振った。
(ダメね。確かにリアの浄化魔法を使えば、この周辺一帯を漂っている瘴気も、その一番の原因となっている毒沼もすべて浄化されて綺麗になるでしょうね。だけれど、問題はそれだけじゃないのよ)
(え? どういうこと?)
クロニャンが何を言っているのか理解できず問い返すと、
(アネットよ、あれを見よ)
そう言って、ヴィーが上を見上げるようにした。
わたしはつられるようにして、視線を空へと向けていった。そしてそこで息が止まった。
胸にドキッとした痛みが走るとともに、一瞬にして鳥肌立ってしまった。
「ん? ……ぉお~……なんか、変なのいっぱいついてる」
生唾飲み込み茫然としていると、リアがのほほんとそんなことを言った。
わたしと同じように彼女が見ていたもの。
それは、遙か樹上高くに無数にぶら下がった、白い繭みたいな何かだった。




