35.冒険の前のひと休み ~おいしい食事に舌鼓を打つ~
わたしたちが宿に戻ってきたのは十九時半をすぎた頃だった。
すっかり遅くなってしまったので、宿のおばちゃんが結構心配していたみたい。
お店の扉をカランコロンって開けた途端、飛びつかれてしまった。
「あんたたち、本当に心配したんだからね。誰か悪い人に連れていかれちゃったんじゃないかってヒヤヒヤしてたんだから」
「えへへ、ごめんなさい。ついつい、いろいろ見るのが楽しくなっちゃって」
実際には手続きに時間がかかってしまっただけなのだけれど、余計なことを言ってさらに心配させたら悪いから、適当に誤魔化しておいた。
「まぁ、気持ちもわからなくもないけど、今度から、もっと早く戻ってくるんだよ?」
「はい」
「さ、それじゃ、さっさとご飯食べちゃいなさい。お腹空いたでしょ?」
「えぇ、それはもう」
「リアも、お腹と背中がくっつきそう」
わたしたちは顔を見合わせ、どちらからともなく笑った。
「一応、食堂の方も席いっぱい空いているから、好きなところに座ってちょうだい。うちの人が腕によりをかけてうまいもん作ってくれるから、好きなの頼むといいよ。だけど、あんまりいっぱい頼みすぎて、お金使いすぎないようにね?」
「はい。何から何までありがとうございます」
ぺこりとお辞儀をすると、「ありがとう、なのです」と、リアも真似して頭を下げた。
そんなわたしたちに、おばちゃんはほっぺたが落ちそうなくらい、にこやかな笑みを浮かべた。
受付の右手側に開いていた扉を潜って食堂に入ったわたしたちは、四つある丸テーブル席のうち、入ってすぐの左側に腰かけた。
店内は外観と同じで素朴な作りの、雰囲気のいいお店だった。
壁に掛けられた燭台や、天井から吊り下げられているシャンデリアみたいな照明が、店内を仄かな明かりで照らしている。
右手に設けられた窓にはすでにカーテンが引かれていたため、外の景色は見えなかったけれど、木板でできた壁の要所要所に木彫りの人形とか、絵画が飾られていて、見ているだけでも楽しめた。
「ホントにいいお店」
自然にこぼれてしまった心からの賛辞に、左側の厨房にいた髭面のおっちゃんが、
「ありがとよ、嬢ちゃん。事情は聞いてる。なんでも頼んでくれな」
「はい」
日焼けした顔に気さくな笑みを浮かべているおっちゃんに笑顔を返すと、テーブルに置いてあったメニューを見た。
「どれがいいんだろう? そういえば、野営地で豚肉がどうとか言ってたっけ」
食べたばかりだけれど、ここの名物なら食べておきたい。
他のお客さんは、奥の対面の席にいる一組の男女だけだったけれど、そちらからビーフシチューみたいな香ばしくて甘い、なんとも言えないいい匂いが漂ってきていた。
厨房からもする。
「リアは何にする?」
「ん。アネットと同じでいい」
正面に座っていたリアは、なんだか眠そうな顔をしてテーブルに突っ伏していた。
「どうしよっかなぁ」
迷っていると、
「うちで一番人気があるのはやっぱり、シチューだな。とろっとろになるまで煮込んだぶつ切りの豚肉がうまいって評判なんだぞ? この村は近くで養豚場も経営しているから特産品だしな」
「あ、やっぱり、そうだったんですね」
オープンキッチンみたいになっている厨房から顔を覗かせたおっちゃんが、得意げに太鼓判を押してくれた。
だったらもう迷うことなんてないよね。
旅といったらグルメ。
グルメといったらやっぱりご当地料理で決まりでしょ。
「じゃぁそれをふたり分ください――リアもそれでいいよね?」
「うん。任せた」
彼女はそう言って、にかっと笑いながら右の親指を立ててくる。
「あいよっ。鍋ん中に作り置きしてあるから、すぐ持ってくぜ」
景気のいい声を発してすぐに奥へと引っ込んでいったおっちゃんだったけれど、
「へい、お待ちっ」
「はやっ」
一分も経たないうちに、両手にトレーふたつ分載せて現れると、わたしたちの前に置いてくれた。しかも、
「ぅわぁぁ~っ、何これ、凄い!」
「おお~。おっにく、おっにく♪」
笑っているおっちゃんが持ってきてくれた食べ物を見て、茫然としてしまった。
わたしのよく知っているシチューとはまるで似ても似つかないような見た目。
少し大きめの木皿に入っていたのは、紛れもなく、ほぼほぼお肉の塊だったのだ。
茶色いスープ状のシチューなんて、そのお肉のソースとしてかかっているようにしか見えない。
「これ、本当にシチューですか? ステーキか何かじゃ?」
「いんや。他の地域じゃどうかしらんが、この村じゃ、シチューといったらこれだぞ?」
うそぶくでもなく、どこかいたずらっぽい笑顔を見せるおっちゃんだった。
「ま、とにかくうまいから食ってくんな。熱いから気をつけるんだぞ?」
そんなことを言いながら、再び厨房へと戻っていく。
わたしはおっちゃんから視線を目の前のご飯に戻したけれど、いまだに衝撃が収まりきらなかった。
わたしの顔くらいあるのではないかと思えるくらい大きなお肉。
これは肩ロースかな?
厚みもたぶん、五センチ以上はありそうな。
それが深めのお皿に入っていて、他のお野菜なんかも茶色のシチューの中に溶け解れている。
見ているだけでも涎が出てきそうなお料理だった。
わたしは緊張に手を震わせながら、フォークを入れた。
「柔らか!」
なんの抵抗もなく、お肉が切れた。
一口サイズに切り分けたそれにフォークを刺し、口元へと運ぶ。
湯気とともに香り立つ、まろやかな匂いが鼻腔をくすぐった。
わたしはふうふうしたあと、軽く深呼吸してからそれを一気に口の中へと放り込んだ――が、
「んんん~~~!」
思わず椅子から跳びはねてしまった。
「何これ!? メチャクチャおいしいっ。全然噛まなくてもお肉が溶けちゃうし、シチューもお肉も出汁やコクがしっかりしてて、甘みと塩味のバランスもちょうどいい。口当たりもまろやかで最高すぎる! こんなにもおいしい食べ物、生まれて初めて食べたよぉ~~。生きててよかったぁっ」
思わず感極まって叫んでしまったわたしに、
「おいひ~のれす!」
すでに目の色を輝かせてお肉もシチューも付け合わせのマッシュポテトも硬い丸パンも片っ端からがっついていたリアが、口をもごもごさせながらわたしに同調した。
そんなわたしたちを見ていた厨房のおっちゃんだけでなく、他のお客さんたちにまで微笑ましげに笑われてしまった。
はうぅ~。
正気に返ったわたしは急に恥ずかしくなって、静かに椅子に座り咳払いをしたあと、改めて、一口一口味わうように食事を再開した。
かなりの量があったから食べきれないかもと思ったけれど、ペロペロいけてしまう。
飽きる気配もまるでなく、食欲が止まらなかった。
わたしは黙々と食べ進めながらも、自然と浮かんできたこれまでのことに、思いを巡らせていった。
貧民街にいた頃は、まともな食事になんか滅多にありつけなかった。
神殿でも、多少は食生活が改善されたけれど、それでも薄味であまりおいしくなかった。
野営地でもらったお肉も、あんなにも豪勢なものを食べたのは初めてだったから、凄くおいしかったけれど、それでもやっぱり少し味が薄かった。
だからこの国、この世界の食べ物は、みんないまいちなものしかないと思っていたのだけれど――
「やっぱり世界は広いってことが、これで証明できたってことよね。ジョアンナの言ってたとおり。世界には、本当にたくさんの素敵があふれていたのね」
呟くようにそう声を漏らすと、
「うん。世界は大きい。だから、これからも、いっぱいおいしいもの食べる」
本当に幸せそうに笑いながら、リアがそう、親指を立ててくるのだった。
お腹いっぱいになったわたしたちは、そのあとすぐ、宿の裏手に併設されていた湯浴み場に向かった。
この国のお風呂は湯釜に沸かしたお湯を使って、身体を洗うのが主流。
神殿でもリアの頭や身体を毎日洗ってあげていたから、その流れで、今日もさくっと洗ってあげた。
今はもう、神殿でのしきたりを気にする必要もないから、ついでにそのままわたしも綺麗さっぱりした。
そうして部屋に戻ったときにはすでに二十一時を越えていた。
明日は早めに出発しないと、その日のうちに帰ってこられない可能性があるとのことだった。
なので、すぐにお布団に入ることにしたのだけれど、
「アネット。一緒に寝る。ついでにお話も聞く」
例によってお話をせがまれてしまった。
この部屋は出入口正面にある小さな窓を挟んで、左右に大きなベッドがふたつ設置されているような比較的広い部屋だったから、本当なら別々に広々と寝ようと思っていたのだけれど。
「ま、いっか」
大人用だから、小さなわたしたちが一緒に寝てても全然狭くないし。
部屋の灯りを消して、ベッドに潜り込んだわたしたち。
明日のことを考えながらも即興で作ったお話を聞かせてあげた。
ここ連日、ずっと歩きっぱなしだったから、リアはすぐに寝てしまった。
星や月明かりだけが差し込む室内はとても真っ暗。
窓の外から、村中央の大樹が風にそよぐ音とともに、虫が奏でる涼やかな音色がわたしの耳元へと運ばれてくる。
わたしはそれを子守歌にしながらウトウトし始めた。
明日はいよいよ、本格的に未知の領域へと足を踏み入れる。
ただの旅ではない、危険な冒険へと。
だけれど、それでもきっとなんとかなるって、わたしはそう自分に言い聞かせながら眠りについていった。
――遠くの空から聞こえてくる、不吉を知らせる獣の鳴き声を聞きながら。




