23.旅立ちの朝 ~あがる凱歌、そして明日の再会への誓い
翌早朝。
わたしたちは旅支度を整えると、身体にちょうどいい大きさの背負い鞄を背負った。
軽量化魔術や空間拡張魔術がかかっているらしく、結構いろいろものを詰め込んでいるのに軽かった。
もらった杖も杖留めに留められるので本当に便利。
わたしたちは忘れ物がないかもう一度確認してから、無言のまま部屋をあとにした。
その際、リアはしばらく自室を眺めていたけれど、結局一言も漏らすことなく歩き始めた。
途中、しばらく過ごした神殿の通路で誰かと鉢合わせすることはなかった。
何事も起こらず、神殿玄関口大扉を潜って外に出た。
五メートル以上ありそうな横幅の階段をゆっくり下りて、石畳の地面まで来て足をつけた。
空を見上げる。
雲ひとつない青空。
新しい旅立ちにぴったりの朝だった。
「ふたりとも、大丈夫ですか?」
昨夜、餞別としてもらった白のローブを着用したリアと、同じく黒のローブを着込んだわたしを心配そうに見つめてくるジョアンナ。
「はい。大丈夫です」
わたしはそう元気よく笑顔で返した。そして、
「短い間でしたが、いろいろとお世話になりました。ジョアンナ様に教えていただいたことを忘れずに、しっかりと生きていきます。今まで本当にありがとうございました」
大恩ある彼女への最大限の感謝を示すために、笑顔を浮かべながらお辞儀した。
けれど、そんなわたしとは対照的に、リアはどこか仏頂面だった。
「リア?」
ジョアンナが不安そうにリアの肩に両手を置くと、「大丈夫」と、か細い声が発せられた。
「もともと、ここに来たいと思って来たわけじゃない。大聖女様に無理に連れてこられただけ。だから大丈夫。これで、面倒なことから解放される。おやつもお昼寝も満喫できる」
「そう……」
「それに、アネットもいる。一緒にいれば、たぶんいつも、楽しい」
俯き加減だった彼女はそこで顔を上げた。
さっきまであった仏頂面は消えていたけれど、よくわからない顔をしている。
「でも、でも……やっぱりジョアンナとさよならするのは、ちょっと悲しい。離れたくない。だから、少しぎゅ~する」
そこまで言って、彼女は文字通り、本当にぎゅっと、抱きついた――小さな幼子が母親に甘えるみたいに。
「……そうですね。わたくしもですよ、リア。あなたと過ごした日々は、わたくしにとって、かけがえのない宝物のような毎日でした。いなくなってしまうと思うと、胸が張り裂けそうでとても苦しいです。ですが、わたくしも前を向いて歩いていきます。ですからあなたも、胸を張って生きていくのですよ? そして決して忘れないでください。わたくしは何があっても、ずっとあなたの味方だということを」
別れを惜しむように抱擁しながら、優しくさとすジョアンナに、リアが顔を上げる。
ふたりは互いに何かを確認し合うように小さく頷き合ったあと、微笑んだ。
そんなふたりを見ていたら、自然と、わたしの胸にもいろいろな思いが去来してきた。
新しい生活に馴染めずに困っていたとき、誰よりも早く手を差し伸べてくれたのはジョアンナだった。
ときにはリアとふたり、一緒に怒られたこともあったけれど、今ではそれもいい思い出。
本当に楽しかった。
「アネット。あなたもいらっしゃい」
そんなつもりはなかったけれど、どうやら物欲しそうにしていたらしい。
無理やりハグされてしまった。
わたしたちはしばらくの間、そうして別れの抱擁を交わしていたけれど、やがて、名残惜しさを振り払うように、誰からともなく離れていった。そして、
「そろそろいい頃合いですね。旅立つにはちょうどいい時間帯です。あの人たちが来ないうちに、早くお行きなさい」
そう言い、ジョアンナは貴族令嬢らしく、毅然とした態度で送り出してくれた――しかし、そんなときだった。
突然、わたしの服をリアが何度か引っ張った。
彼女は、徐々にいたずらっぽい笑みへと表情を変えながら、大扉の方角を顎で指し示す。
つられてそちらを見たわたしも、思わず笑ってしまった。
――神殿長をはじめとする悪意の権化。
「たく。朝っぱらからようやるわ。湿っぽい挨拶はもうすんだのか?」
それまでの清廉な空気を汚すかのように、突然、野太いしわがれ声が耳朶を打った。
階段を一歩一歩、悠然と下りてくる彼らの表情には、小さな獲物を踏み潰そうとするかのような、底意地の悪い笑みが浮かんでいた。
終始勝ち誇った愉悦の笑みを浮かべている神殿長と、そのあとから続いて歩いてきたシュレーゲンや一部のお偉いさん方――そして、エヴリンたち。
彼らが一番下まで下りてきたとき、わたしとリアは顔を見合わせくすっと笑った。
「あぁ~、嫌だ嫌だ。本当にじめっとしておる。まるで神聖なる神の地が、貧民街の淀んだ臭気に汚染されてしまったようではないか」
そう言って、神殿長は大仰なまでに顔をしかめ、鼻を摘まんだ。
しかし、わたしたちはまったく意に介さなかった。
リアとふたり、くすくす笑うのみ。
ジョアンナは眉間に皺を寄せていたけれど、こちらも平気な顔して何も言わない。
それをどう解釈したのか、神殿長が派手に舌打ちした。
「まったく。クソガキどもめ。ほんに生意気で礼儀知らずな下民どもめが。これだから貧民はなってないというのだ。この高貴なるわしが話しかけてやっておるのに、なんたる態度。こっちを向かんかっ」
いきなり罵声が飛んできたけれど気にしない。
昨日までは本当に腹が立って仕方がなかったけれど、今日限りでこんな最低な人とおさらばできるかと思ったら、最高に気分がよかった。
ワクワクして仕方がない。
だってこのあと、あれを実行するのだから。
わたしはにこっと笑いながら神殿長に向き直った。
「神殿長様? ひとつご助言をさしあげます。わたしたちはもう神殿の関係者じゃありませんから、あなた様の言葉に従う理由も必要もございません」
「な、なんだと貴様っ。このわしを誰だと思うておる。この国の上級貴族であるぞ!」
切り返したわたしに対して、予想どおり、お酒を飲んだあとみたいに顔を真っ赤にした。
でも、お澄まし顔でツ~ンと、知らんぷり。そっぽを向いてあげた。
それを見てさらに腹を立てたみたいだったけれど、そのとき何かに気づいたらしく表情が消えた。
横目でチラッと確認してたけれど、どこかわたしたちを舐めるように見回していて、そのあとすぐ、ジョアンナを睨みつけていた。
――そういうことか。
わたしたちがかなり上等な旅装束と道具を持っているから、ジョアンナに対して「余計なことしやがって」とでも言いたかったのだろう。
ていうかこの人、神殿から追い出されて、行く当てがなくなったわたしたちが、本気で野垂れ死ぬことを望んでいたってこと?
なんかちょっとカチンときたけど、我慢我慢。
わたしは愛らしく――と勝手に思っている最上級の笑顔を浮かべた。
「それでは神殿長様。それから皆様方。これ以上遅くなると、ご迷惑おかけすると思いますのでそろそろ出発します。ごきげんよう」
わたしはそう合図を出し、リアと頷き合った。しかし、
(ちょっと。あんたたち本当にやる気? 大事になるわよ?)
突然念話でクロニャンが話しかけてきた。
でもわたしとリアはそれを無視。
あんな酷い目に遭わされたんだもの。
何も仕返ししないとか、絶対にあり得ない。
相手が貴族だろうとなんだろうと知ったことではなかった。
どうせ最終的には神殿からだけでなく、この国からも出ていくことになるわけだしね。
(まぁ、暴れさせてくれるのであれば、我はなんでもよいがな)
と、同じく使い魔のヴィー。
(あんたねぇ。わたしたちがちょっとでも暴れたら、本当にこの辺一帯灰になるわよ? 軽く殴っただけで、とんでもない大惨事になるんだから)
そんなことを二頭がブツブツ言い合っていたけれど、構わず、わたしとリアは少しだけ緊張しながら意を決してそれを実行に移した。
「我、黒き玲瓏なる世界の真理を紐解く者なり。我が召喚に応じ、隷従の頸木を受け入れよ!」
声高に叫んだ瞬間、地の底から這い出るように、白と黒の凍てつく魔の息吹が吹き荒れた。
渦を巻くように空を舞い、やがてそれが周囲の人間すべてを圧倒していく。そして――
「のあぁっ――」
誰かが叫んでいた。
「……バカなっ、どうしてこんなところに化け物どもがおる! いったいどこからわいて出おったっ。ここは結界の中だぞ!?」
素っ頓狂な声色を吐き出し、顔面蒼白となりながら慌てふためいたのは――神殿長だった。
酷く焦ったように、思いきり後方に飛び退く。
他の人たちもすっかり表情を消して、茫然となっている。
わたしは、突如として目の前に現れた、負のオーラを漂わせる巨大なそれを見つめた。
――伝説の魔獣。
そう。青白い稲光を迸らせながら、幽鬼のようにす~っと足もとからわき出でたのは、凶悪な姿をしたわたしたちの相棒――幻獣クロニャンと聖獣ヴィーのふたりだった。
久しぶりに目にする黒豹猫と、白銀の巨狼が撒き散らす威圧、狂気、隷属の息吹。
そのどれをとっても、ただの人間には抗えない凄絶な風格が立ち込めていた。
「ひ~~~!」
誰かが悲鳴を上げて腰を抜かした。
……え? あれって……もしかして神殿長?
ていうか、あれだけ威張り散らしていたのに、真っ先に腰砕けになっちゃうの?
思わず笑いそうになってしまったけれど、耐えた。
目の前のクロニャンが大きすぎてよく見えなかったけれど、他の上位神官も固まったまま動けなくなっている。
エヴリンたちも最初何が起こったのかわからないといった感じで思考停止していたけれど、すぐさま「キャ~~~」と悲鳴を上げて、お互いに抱き合いながら震え始めた。
「ニヒヒ」
さっきまで浮かない表情をしていたのに、リアが物凄く悪~い顔をして笑っている。
しかも、どうやら面白くなってしまったらしい。
「ヴィーっ、やってやるのです!」
(ちっ。本当に仕方がない奴だな)
そう一声発したかと思った次の瞬間だった。
――ガアァアアァアァアァ!
いきなり、耳をつんざくような咆哮が周辺一帯に轟きわたった。
「ぐあぁぁぁ~~!」
「ぐくっ……なんだこれはっ――まさかっ……」
早朝の朱空を引き裂く、烈風のような凄まじい響き。
聞く者すべての心臓を恐怖の痛みで締め上げ、刺すような鋭さを耳朶に打ちつけてしまうような声色。
たまらず神殿長が大気の振動に吹っ飛ばされ、両耳塞いで暴風に耐えていたシュレーゲンもまた、後方へとはね飛ばされていた。
「ぃやぁぁぁぁ~~! ママ~~!」
悲鳴を上げるエヴリンたちや、他の人たちはもっと酷い。
身体を一回転させながらきりもみ状態となったあと、派手に石畳の上に叩きつけられ転がってしまった。
まさに一瞬の出来事だった。
生きる糧すべてを奪われたかのような顔をしている彼らを見て、楽しそうにくすくす笑っているリア。
「やばすぎる……」
逆にわたしは一瞬にして血の気が引いてしまった。
指向性だったからよかったけれど、吠えただけで吹っ飛ばされちゃうとか。
この子たち、本当に大丈夫なの? わたしたちに扱いきれるの?
そんなことを考えながら、ひとり頬をピクピクさせていたら、
「イタッ」
小憎たらしい大人たち同様、先程まで、切れ長の瞳を目一杯見開き唖然としていたジョアンナに思いっ切り睨まれ、腕をつねられてしまった。
ちょっとっ。今のはわたしが悪いわけじゃないんだからね? 怒るならリアに――
そう思い、小声で文句を言おうとしたのだけれど、
「くそっ――おい、お前ら! まさかその魔獣は――聖書に出てくる、あの伝説上の化け物どもではなかろうな!?」
唯一ヴィーの咆哮で恐慌状態に陥らなかった神殿長補佐官のシュレーゲンが、よろめきながらも立ち上がった。
「なんだと……? どういうことだ、シュレーゲン」
「い、いえ。あの圧倒的で凶悪な威圧感と咆哮――わたしが知る限り、あのような化け物はただのひとつしか存在しません。あれは――史上最悪と謳われた、古の厄災です!」
ヴィーの威圧によって、それまでわたしたちの周りを支配していた悪辣な空気感はすでになく、あるのはただ、焼け爛れた焦土を思わせる戦慄一色のみだった。
ヴィーの正体を知って、慄然と顔を引きつらせたシュレーゲンだけでなく、神殿長も他の人たちも固まっている。
(ほら、言わんこっちゃない)
それを見て、すかさずクロニャンがツッコミを入れてきたけれど、わたしが反応するより早く、正気を取り戻した神殿長が、
「バカなっ。貴様は何を申しておるのだ。世迷い言も大概にせいっ。そのような化け物がこんなところにいるわけなかろうが!」
「ですが、事実です! でなければあの禍々しい風体、まったく説明がつきませんっ」
そう叫んで一歩後退するシュレーゲン。
彼を見ていた神殿長がこちらを向いた。
「お、おい、貴様ら! どういうことか説明せよっ。なぜ、そのようなものが突然――て、まさか……貴様ら! それを使い魔として従属させておるとでも言うつもりか!?」
どうやら気づかれたみたい。
だけれど、「さぁ?」と、わたしたちは適当に答えた。
神殿長が激怒する。
「おい、ジョアンナ! 貴様、このことを知っておったのか!?」
「まさか。わたくしも今日、初めて知りました」
ジョアンナもそう答えて、にっこりと余裕の笑みを浮かべた。
さっきまであれだけぎょっとしたり、怒ったりしてたのに。
ホント、適応能力が早い。
でも、いい笑顔!
今回の計画、内緒にしておいてよかった。
なんとなく感づかれていたような気もするけれど、結果よければすべてよし。
これだったら、関与を疑われて怒られることもないよね。
わたしとリアはお互い笑いながら頷き合って、クロニャンたちの背中に飛び乗った。
そろそろ潮時だ。もう十分。
「おいっ、貴様らどこへ行く!」
わたしたちが方向転換して敷地の外へ向かう素振りを見せた途端、神殿長が吠えた。
「どこって、決まってるじゃないですか。出ていくんですよ」
「出ていくだと!? 待て!」
「はぁ?」
何言い出すんだろう、この人。
「おい」
「はい」
状況の成り行きに困惑していると、なんだか知らないけれど、神殿長とシュレーゲンがひそひそ話をし始めた。そして、
「お、おい、小娘どもっ。いったん、破門を取りやめとする。追って沙汰を出すゆえ、一度神殿内へ戻れ!」
「は?」
わたしは彼らのあまりにも移り気やすい態度に、呆れ果ててしまった。
今更何を言っているの?
戻れってどういうこと?
ひょっとしてこれって、ジョアンナが懸念していたとおりになったってこと?
クロニャンたちを見て、利用価値があると判断したから?
そんなことを考えているうちに、恐慌状態から回復したお偉方やエヴリンたちまで立ち上がった。そして、
「貴様らぁっ。あいつらを今すぐ取り押さえろ。絶対に逃がすな!」
そう下知を飛ばした神殿長の命を受け、彼ら全員、オロオロしながら近寄ってきた。しかし、
――シャー!
「どわぁぁっ」
遠巻きながらに包囲を狭め、わたしたちに取りつこうとしていた人たちに、クロニャンがいきなり猫パンチしながら威嚇した。
発生した旋風により、再び吹っ飛ばされてしまい、派手に尻餅をつく神殿長たち。
今にも失神しそうなくらい怯えきっていて、中には泡を吹きかけている人や、悲鳴を上げて逃げてしまった人までいた。
「おい、貴様らっ、どこへ行く気だ!?」
先程わたしたちに向けた台詞をそっくりそのまま上位神官たちに向けたけれど、とん走の流れを止めることはできなかった。
「ぃや……いやぁぁ! 誰かっ……誰か助けてっ、まだ死にたくない!」
何度も張り倒されたことで、すっかり埃まみれの薄汚い格好となってしまったエヴリンが、一目散に逃げ出していった――滑稽すぎる。
「ま、待ってくださいぃ――ひぃ~~!」
手下の侍女官たちも慌てて追いかけていく。
結局、最後に残ったのは神殿長とシュレーゲンのふたりだけだった。
わたしとリアは、青ざめ腰を抜かして動けなくなってしまったふたりを見て、くすって笑い合ったあと、改めてジョアンナに向き直った。
「ジョアンナ様」
これが本当に最後の挨拶になる。
「えぇ。どうかお元気で。身体には十分気をつけるのですよ」
「はい。いつか必ず、また会いに戻ってきますから、それまでジョアンナ様もどうかお元気で」
「絶対、また来る。だから、リアのこと、忘れないで」
「もちろんですよ。忘れるはずがありません。だってあなたたちは、わたくしにとっては大切な生徒であり、そしてかけがえのない妹たちなのですから」
わたしたち三人はクロニャンたちの背中に乗ったまま、軽く抱き合った。そして――
「それじゃ行くよ、リア! わたしたちの明るい明日をつかみ取るために!」
「ん。出発なのです!」
そうしてわたしたちは、一度も振り返ることなく、お互い笑いながら走り出した。
凄まじい勢いで駆け抜けていく街並み。
風切り音と、冷たい風が後方へと流れていく。
神殿長たちの呼び止める叫び声が聞こえてきたけれど、それすら楽しい門出の凱歌となって、わたしたちの背中を後押しした。




