13.再燃する嫌がらせ。そして動き出す歯車
翌日。
予定どおり、朝早くから最重要儀式である『浄化聖天の儀』が、本殿最奥にある神秘の間と呼ばれる儀場にて執り行われた。
この儀式は、ザルツークの町に住む人たちにとっては本当に大切なもの。
いわゆる、町全体に張り巡らされている結界を維持するためには、必要不可欠なものらしい。
通常、結界は大聖杯と呼ばれるこの神殿の至宝を介して展開されるらしく、数十人規模に及ぶ神官たちの神聖魔法力を結集することで、初めて発動できるとのこと。
頻度も月一らしく、これを怠ると結界が弱まったり壊れたりして、使い魔には効果ないけれど、町の外にいる魔物や魔獣たちに襲撃される可能性が高くなるのだとか。
つまり、わたしたちはこの結界があるからこそ、安全に都市内で暮らせているということになる。
「あ~……終わった、終わった」
約一時間にも及ぶ長丁場の儀式が終わり、儀場からは次々と神官たちや聖女候補、それからその側仕えである侍女官が退出していった。
わたしはそれを眺めながら、大きく伸びをした。
この大きな部屋の奥には地母神アイシス様を祀った祭壇があり、そこにいろいろなものが安置されている。
魔導具と呼ばれる、特定の魔術が施された祭具の数々も置かれている。
実用性のなさそうな宝飾がちりばめられた宝剣や鏡、他にも普段から使われている聖書や聖盤、香炉、燭台もある。
そして、祭壇中央に置かれた大聖杯。
近くにある六つの小聖杯とは比べものにならないくらい大きくて、煌びやかな金色の光を放っている。
わたしたちのような位の低い者が、決して触れても近寄ってもいけない宝物。
「アネット、行こう」
「うん」
祭壇の儀式具を片付ける大勢の人たちが残る中、わたしたちは足早に部屋をあとにした。
その際、わたしはもう一度、大聖杯を見つめた。
そこにはまっている一際大きな赤い宝玉が、妖しく揺らめき輝いているような気がした。
昼すぎとなり、わたしとリアは昼食を終えたあと、今度は聖女殿から小神殿へと続く通路を移動していた。
本日ふたつ目の儀式となる『聖礼の儀』に出席するためだ。
「一週間に一度の、楽しい時間♪」
お勤め嫌いのリアが、珍しくにこにこしている。
「本当に好きだよね、信者たちとの触れ合い」
「うん。好き。楽しい。いっぱいお話しできるし、困ってる人たち助けられる。だから好き」
そう無邪気に笑うリア。
なんだか本当に楽しそう。
わたしも結果的に、苦境の中から彼女に拾い上げてもらったってことになるわけだし、そういう意味でも、こういう献身的で優しい性格は素直に応援してあげるべきなんだろうな。
「リアを頼ってくる町の人たちも、本当にリアのことが大好きだものね」
初めて出会った巡礼行列のときもそうだった。
大勢の人たちに慕われていたし、何より、この間だって――
『本当にありがとうございました! やはりあなた様は、女神様が使わされた救世主に違いない。お陰様で、死を待つばかりだった母の命が救われました。ありがとうございますっ』
前回行われた聖礼の儀でも、筋肉の萎縮により手足が動かせなくなってしまうあれに似た病にかかっていたおばあさんを治療したら、ご本人やご家族の方から、本当に感謝されてたっけ。
ふふ。信者のみなさんもリアも、いつも笑顔で楽しそうだし、言うことなしってところね。
――つまり、聖礼の儀っていうのはそういう儀式。
定められた寄付金を納めることで、神の祝福や奇跡として知られている、神聖魔法による『治癒』を授けてもらえる救済の場。
設定されている値段が高いから、基本的には富裕層しか受けられないけれど、それでも、不幸から解放されて、再び明日を元気に生き抜いていけるのは幸せなこと。
まさしく神のなせる業ってところね。
しかも、他の聖女候補や神官たちと違って、リアだけは、本当に『神の奇跡』と思えるような治癒能力まで持っているし。
本当に凄いことだった。
聞いたところによると、本来なら、聖女様や大聖女様しか治せないような重篤な病まで治してしまうとかなんとか。
まだ聖女候補であるにもかかわらず。
信者たちから畏敬の念を送られるのも当然といえば当然のこと。
けれど、結果的に、それが彼女を苦しめる要因となってしまう。
本当なら、どこの神殿にもひとりはいるはずの聖女様が、なぜかここには誰もいなかったから。
だから、余計に彼女は聖女様の代わりとなって働かなければならず、結果、多くの信者に慕われ、他の神官たちからは逆に嫌われる。
はぁ……本当に世知辛い。
わたしは世の中の不条理に、ほとほと呆れ果ててしまった。
こういうの、ホント、なんとかならないのかな? 嫌いなんだけれど。
うんざりしながら溜息をつくも、どうにもならない現実もまた理解しているため、やるせない気分のまま歩き続けた。
そして、儀式場となっている本殿と侍女官宿舎との間に位置する小神殿を黙々と目指す。
しかしそんなときだった。
ふと、左手首を触って、そこでようやく失態に気がついた。
「あ……いっけないっ……ブレスレット忘れてる! ――リア、わたし取りに戻るから、先に行っててっ……」
「ん、わかった」
わたしはリアひとりを残し、大慌てで自室へと戻っていった。
部屋に戻ったわたしは周囲を見渡す。
相変わらず狭い部屋だったけれど、私物はほとんどないからものが散乱することはない。
粗末なベッドと作業机、小さな棚があるだけの部屋。
置かれているものといえば、仕事道具や、ときどきリアとジョアンナがくれる木彫りの人形や髪留めくらい。
「ふふ。素朴で味気ない贈り物だけれど、それが逆にわたしの心を満たしてくれる思い出の品なのよね」
わたしは棚やベッドの上に置かれたそれらを眺めながら、くすっと笑った――て、そんなことしてる場合じゃなかった。
ブレスレット、ブレスレット……って、
「あれ?」
何これ?
扉のすぐ右端に、朝には見かけなかった何かの破片が落ちていることに気がついた。
拾ってみると、親指くらいの長さしかない、金色の欠片。
「壺?」
一見すると陶器のような気もしたけれど、金属片なのかな?
「なんだろう、これ?」
小首を傾げたとき、鐘撞き堂の鐘が鳴った。
「あ……まずいまずい。早く行かなくちゃ……!」
わたしは拾った破片をゴミ箱に捨てると、小さな机の上にあった儀式用のブレスレットを手に取り、慌てて飛び出していった。しかし、
「きゃっ」
外に出てすぐ、いきなり激しい衝撃に見舞われ、頭がスパークした。
天地が逆さまにひっくり返り、気がついたときには床に叩きつけられていた。
「ぐっ……」
何が起こったのかまったく理解できなかった。
何かにぶつかった左肩と、転んだときに打ちつけた右半身に、抉るような鋭くて熱い痛みが走っている。
あまりの激痛に一瞬、鼓動や呼吸すら止まったような気がして、まったく声を出すこともできなかった。
それでも、かろうじて左目だけは微かに開けられた。
少しだけ焦点の定まらないぼやけた視界でじっと見つめる。視線の先にいたのは……。
「あ~ら、ごめんなさい? ぶつかってしまったわ。あまりにも小さすぎて目に入らなかったみたい」
「ていうか、薄汚いドブネズミがいきなり飛び出してくるから悪いのよ。ま、自業自得よね」
そんなことを言いながら「キャハハハ」と、大笑いし始める二十歳くらいの女性たち。
……何言ってるのよ、この人たちは……。
痛みに顔を歪めることしかできなかったわたしを見て、獣みたいな顔して笑っている。
わたしと同じ灰色の神官衣を着ている彼女たちの服装は正装だから、シミも汚れも何一つない小綺麗な格好。
だけれど、あの、どう考えても体当たりしてきたとしか思えないくらい派手にぶつかってきた人だけは違った。
右の袖口に独特の刺繍をあしらっていて、少しだけほつれがある。
……いつも得意げに、お気に入りのお貴族様に褒められたって自慢してきたっけ。
わたしはそんな彼女たちを見て、記憶の片隅に封印していた胸くそ悪さを追体験するはめに陥っていた。
――エヴリンという下級貴族出身の聖女候補生の手下、つまりそのお付きの侍女官たちだった。
……はぁ……なんでこんなときに……嫌な人たちと会っちゃった……。
彼女たちのご主人様は、五、六人いる聖女候補生の中でもとびきり気性が荒く、陰険な女としても有名だった。
聖女候補であることを鼻にかけて、侍女官全員をいびり倒しているどうしようもない人。
そして、目の前にいるこの人たちも、主と一緒で気違いみたいに性格が破綻していた。
ホント嫌になる。
「ねぇちょっと。あなたたち油売ってないでさっさと行くわよ。遅れたらまた何言われるかわからないわ」
「それもそうね。ホントあの高慢ちき女。いい加減にしてほしいものだわ」
彼女たち三人は散々悪態をつくと、すぐさまその場を去っていった。しかし――
な~にがいい加減にしてほしいよ。それはこっちの台詞なんですけど……。
あまりにも不愉快すぎて、思わず毒ついてしまった。
わたしは少しだけましになってきた痛みに耐えながら、なんとか壁に手をつき立ち上がる。
そして、姿を消した彼女たちの背中を睨みつけるようにした。
いろいろなことが脳裏をよぎる。
……神殿に来たばかりの頃、露骨なまでによく絡まれたっけ。
他の神官たちは、リアとわたしに侮蔑の視線を送ってくるくらいだったけれど、あの人たちは事あるごとに嫌みと嫌がらせのオンパレードだった。
差別意識と、リアが持つ才能や人気への嫉妬。
最近は、わたしが下手に出てまるっきり相手にしてこなかったからということと、リアたちが以前から守ってくれていたということもあって、すっかり悪質な嫌がらせは鳴りを潜めていたというのに。
「もしかして、また再燃したってこと? めんどくさすぎる……」
最近感じていたおかしな気配も、もしかしてあの人たちなのかな?
「はぁ……なんかお先真っ暗だよ……またずっと、あんなのに悩まされなければならないの?」
心の奥底に刻まれた傷が開きかけて、地の底深くへと引きずり込まれそうな、重苦しい気持ちになってしまった。
けれど、それ以上に今のわたしに占める感情は――怒りだった。
「あぁ、もうっ。本当にむかつく。さっきのあれなに? 絶対わざとぶつかってきたっ」
飛び出したわたしも悪かったけれど、あの人たち、離れたところにいたから避けられたはず。
それなのにぶつかってくるとかあり得ない。
ホント、いらいらする。
どうしてくれよう。
ジョアンナに教えてもらった炎魔術で、髪の毛焦がしてあげようかしら?
それともクロニャンけしかけちゃう?
痛みが引いていくたびに、どんどん怒りが増してきて、不穏なことばかり考えてしまう。
教えてもらった詠唱呪文が勝手に脳裏に再生される。しかし、
(やめときなさいよ)
突然頭の中に声が聞こえてきた。
黒豹猫こと、クロニャンの声だった。
(そんなことしたら、大騒ぎになって困るのはあなたよ?)
呆れたように忠告してくる彼女に、わたしは唇を尖らせた。
(言われなくたってもわかってるわよ。ただちょっと言ってみただけじゃない)
仕組みはわからないけれど、彼女は普段、わたしの足もとに別空間を作ってそこで待機しているらしい。
声も彼女の意志で、自由自在に他の人やわたしの頭の中に念話として届けられるのだとか。
ちなみに心も読めるらしい。
(それより……ちょっとまずいことになってるわよ?)
(え? まずいって?)
しかし、わたしが問い返すまでもなかった。
「――あんたって、本当に最低ね! だからわたしは散々言ってきたのよ。こんなどこの馬の骨ともしれないクソガキなんか、さっさと追い出しちゃえばいいって!」
どこかで聞いたことのある金切り声が、小神殿へと続く通路の向こう側から聞こえてきた。
「あれは……」
嫌な予感しかしなかった。
あの高飛車で独特なしゃべり口調。
貴族が多いこの神殿内で、ああいう品のない声を出す人なんてひとりしかいない。
(行ってみよう)
わたしははやる気持ちを抑えながらも、先程の女性たちが消えていった方へと駆けていった。
そして――
どんっ。
「リア……」
さっきのわたしがそうであったように、リアもまた、背の高い赤毛の女性に突き飛ばされていた。
――エヴリン・キンセル。下級貴族の聖女候補にして、強欲。貴族至上主義の権化。
わたしたちのことが大嫌いで、事あるごとにずっと嫌がらせしてきた張本人。
つまり、わたしたちの潜在敵。
そんな彼女が、顔を醜く歪めながら嘲弄している。
小神殿前通路の石床に、激しく腰を打ちつけ尻餅をついてしまった小さな女の子。
わたしは、痛そうに腰を擦っている彼女を見て――無意識のうちに使い魔召喚の呪を詠唱し始めていた。




