9.今度は私の番
じゃれ合うのをすっかり止めたリアとヴィーのふたりが、部屋の入口付近でじっとしている。
まじめな顔をした彼らがこちちを見つめてくる中、わたしは緊張しながらも、待機していた部屋の片隅から一歩ずつ、そこへと歩いていった。
ジョアンナがわたしのために描いてくれた召喚用の魔法陣。
すべてが完成したそれは、能力測定のものと異なり、青紫色の淡い光を放っていた。
一歩近づくごとに、バチっと爆ぜるような音がする。
心なしか、室内の空気まで、息苦しさを伴う濃密な淀みに汚染されてしまったような気がした。
次第に鼓動が早くなっていく。
……ねぇ、これ、本当に大丈夫なの?
正直、ちょっとどころではなく、かなり怖くなってしまった。
なぜか近づけば近づくほどに、描かれた紋様から稲光が迸り、勢いを増してきたから。
けれど、それでも。
わたしは自身にカツを入れて、一歩ずつ歩み続けた。
あと三歩、あと一歩。
そして、次の一歩で魔法陣の中へと踏み入る――まさにそんなときだった。
「これは……アネット。少し待ってください。中断した方がいいのかもしれません。魔法陣がおかしい……!」
「え?」
おかしいって何? 魔法陣がおかしいってどういうこと!?
土壇場になって、切羽詰まったような声のジョアンナに呼び止められた。
だけれど、少し、声かけるの遅いのよね。
上げていたわたしの右足はすでに魔法陣の中。
当然、こんな体勢のまま固まっていられるはずもなく――わたしの足は慣性と重力の法則に従い、思いっ切り床を踏みつけていたのでした。
そして――
「きゃ……!」
それまでバチバチッと爆ぜていただけだった魔法陣のすべてが、強烈な閃光を発して爆発してしまった。
「アネットっ」
ジョアンナだけでなく、リアとヴィーも事前に異変を察知してくれていたみたい。
爆風に吹き飛ばされる前に、大急ぎでわたしのもとへと走ってきて、何かの魔法をかけてくれた。
ジョアンナも両腕で抱きかかえてくれて、慌てて後じさる。
「いったい何が……」
ただでさえ埃ぽかった部屋に焦げ臭さまで加わり、悪臭感が半端ない。
真っ白な煙が充満し、部屋の三分の一ほどもある巨大な魔法陣周辺一帯が何も見えなくなってしまった。
「こんなことって……まだ召喚魔術も使っていないというのに――まさか、失敗したというのですか?」
「え……失敗? どういうことですか?」
「わかりません。ですが、極まれに、制御できないくらいの強大で邪悪な使い魔が召喚されることもあると言われているのです。わたくしは一度も経験したことがありませんが」
血色のよかったジョアンナの顔が、青白くなっている気がする。
ていうか、そういうことは早く言ってほしい。
ただでさえびっくりしすぎて心臓がバクバクしてるのに、失敗とか邪悪って、怖すぎる。
確か、呼び出される子って、安全って言ってなかった?
部屋の隅まで避難し終えたジョアンナが、わたしを床の上に下ろしてくれた。
彼女はリアとふたりして、背中に庇うようにしてくれる。
そんなふたりの前にはヴィーがいて、身体を低く身構えている。
(まったく……)
状況がまるでわからず、恐る恐るふたりの背中から顔だけ出して様子を窺っていると、ヴィーのときみたいにおかしな声が聞こえてきた。
彼が上げた地響きのような野太い声とは違って、凍てつく冬の寒さを思わせるような、甲高い声色だった。
「だれ……?」
「アネット?」
少し白い靄が晴れてきたので、もしかしたらそこに何かいるのかもしれないと思い声をかけてみたら、ジョアンナが不思議そうにわたしを振り返った。
「……ん?」
「いえ、今、誰? という声が聞こえたものですから」
「え? ジョアンナ様には、さっきの声が聞こえなかったのですか?」
「はい?」
きょとんとされてしまった。
どうやらわたしにしか聞こえなかったらしい――と思ったのだけれど、珍しくまじめな顔をしたリアが振り返って頷いてきた。
「リアも、聞こえた」
親指を立てながらそれだけ呟くと、彼女はすぐに向き直った。
腰を低くして今にも飛びかかりそうな体勢になっている。
て……ちょっと待って――リア、あなた何する気……?
まさかヴィーと一緒に特攻する気じゃないでしょうね!?
……勘弁してよ……。
さっきから高鳴った鼓動が全然収まってくれていないのに、そんな状態で危険なことされたら、わたし、死んじゃうから!
心の中で悲鳴を上げつつも、恐る恐る、改めて前方を凝視した。
相変わらず、煙のせいで視界は確保できていない。
だけれど、何か目に見えない力に威圧されているみたいで、はっきりと、怖気がかき立てられている。
目の前の魔法陣には確実に、何かやばいのがいる。
動物的本能が、今すぐ逃げろって肌をピリつかせている。
――こわい。
正直、それが本音だった。
目の前の何かが突然暴れ出したら……。
わたしが呼び出したもののせいで、リアとジョアンナにもしものことがあったら……。
最悪の事態が脳裏をよぎり、動悸が最高潮に達した――そんなときだった。
それまで覆われていた煙が完全に消え、そこにいたそいつの全容が目の前に晒された。その瞬間、
「そんなっ」
わたしを守ってくれていたジョアンナが甲高い悲鳴を上げ、床に尻餅をついた。
彼女と同じようにそれを視界に捉えたわたし。
全身を駆け巡る悪寒を前に、ただただ、身体を縮こませることしかできなかった。




