クリスマスの夜には
「20代男性、意識障害のため友人が救急要請。既往歴なし。JCSⅡ-30。血圧135の82、脈拍88、SpO2 99。ウォッカの一気飲みをしていたようです。受け入れOKですか」
「はい」
佐伯知夏は答えた。
今年はインフルエンザの猛威が、秋から今に至るまで続いている。例年より早くて長い。
そして、時々新型コロナウイルス感染も混じっている。
もちろん、ここ最近の冷え込みにより他の風邪も多い。
そのため、ERは発熱患者でごった返している。
心不全の救急搬送患者を内科病棟に送り出したところで、すぐにホットラインが鳴った。
息をつく暇もない。
「大丈夫?」
研修医2年目の山本先生に声を掛ける。
「うっす」
言葉は良くないが、フットワークの軽い頼れる後輩だ。
外傷患者の縫合中。一針縫うところをちらりと見たが、手技は全く問題ない。
「佐伯先生、来ましたよ」
武田さんは若いが救急外来を上部に回せる看護師だ。ただ、彼女と一緒の時はやっぱり混む。
「さすが、引きの”武田”ですね……今日も眠れない気がします」
ばしん、と背中を叩かれた。サイレンの音が止まった。到着だ。
「縁起でもない事言わないの。本当に寝れなかったら、佐伯先生がそう言ったせいだからね!」
あっという間に返り討ちにされた。
二人で搬送患者を迎えに行く。
知夏ははっとする。ストレッチャーに乗っている男性……
さすがに、帽子はかぶっていないものの、身につけているのは赤と白のあの有名な服。
サンタクロースの恰好なのだ。
そうか、今日はクリスマスイブだった。
この仕事をしていると関係ないが、確かにハロウィンやクリスマスは急性アル中に出会いやすい。
急性アル中とは急性アルコール中毒のこと。ただの酔っ払いではない。命を失うこともある危険な病気だ。
そういえば、この前のハロウィンでは魔女のコスプレをした女性が搬送されて来たな……
いかん、いかん。仕事に集中。
バイタルは少し頻脈だが問題なし。
武田さんが男性の肩を叩き、声を掛ける。
「本山さん、分かりますか?」
反応はない。
知夏は「ごめんね」と思いながら、横たわる男性の胸の骨をグリグリと拳で押さえた。
「本山さん」
うっすらと目が開いた。しかしすぐにまぶたが閉じる。
付き添いの男性を見ると、こっちはトナカイのかぶり物を着ている。楽しいクリスマスパーティーがぶち壊しになってしまっただろう。ただ、飲酒量を聞くと致し方ない。
「18ゲージでルート取れました」
「輸液、全開で。バルーンもお願いします」
「あいよ」
かわいそうだが、彼のあそこには尿の管を入れなくてはならない。尿が出るかどうかが大事だからだ。
採血で特に問題なく、無事尿も出てきた。
急性アルコール中毒の患者は病棟に移動となった。
明日には意識も戻るだろう
そして、山本先生の所に顔を出す。
めまいの患者を診察している。明らかな中枢性のめまいの所見はなさそうだ。
こうやってイブの夜は終わりを告げた。
*
深夜1時を回り、一瞬ERを訪れる患者が途切れた。
「今しかないよ」
武田さんの許可が出た。
「じゃ、行ってきます」
遅い夕食を食べに、控室に向かった。
こんな時間に食事をとるから、太ってしまうということは分かっている。
分かっているが、食べないとこの夜を乗り切ることはできない。
控室の扉を閉じて座ると、突然部屋の明かりが消えた。
窓のないこの部屋は明かりがなければ漆黒の闇だ。
手探りで電気のスイッチを探す。
壁がこの辺りにあったはず。手を伸ばすが、え?ない?
こんな広かった、この部屋?
もっと手を伸ばすと、自分の体が突然傾いた。
傾いただけでなく、逆さになって落ちて行く。
風を感じて、自分がどんどん落ちて行くのが分かる。
そのうちに、きらきらと星のような瞬きが見えてきた。
え?ここは宇宙?
でも息はできる…
どうなっちゃうの?どうなっているの?
星のようなきらめきはどんどん光を増す。
まぶしくて思わず知夏は目をぎゅっとつぶった。
*
まぶたを透かして白い光が差し込んでいる。
もう、落ちていない?
体の向きはというと、頭が上、足が下のようだ。
おそるおそる知夏は、張り付いたかのように重たいまぶたを開いた。
そこは、
え?小学校だ……
樋口先生が教壇に立っている。
樋口先生は5年生の担任だった……
えー!!
横を見ると、あいつの顔があった。浜中だ。
腐れ縁で小学校にあがってから奇跡のように毎年同じクラスだ。その割に、いつも何かと突っかかってくる。
目が合うと授業中なのに、声を掛けてきた。
「佐伯、まだサンタ信じてるんだって?」
「は?」
そういえば、休み時間に何をサンタさんに頼んだかって友達と話してたっけ。
「そこ、しゃべらない!」
浜中のせいで、好きな樋口先生に怒られたじゃないか。
浜中をぐっと睨みつけると、舌を出してきた。どこまでも嫌な奴!
*
家に帰ると、お母さんがケーキを作っていた。
といっても、市販のスポンジケーキにクリームを塗って作る楽ちんケーキだが。
「食べる?」
泡立てた生クリームを一番に試食するのが、毎年の知夏の楽しみだ。
妹の春奈と競い合って食べる。
「そこまで!無くなっちゃうよ」
お母さんが笑う。
春奈と一緒にイチゴをのせたらケーキの完成だ。
*
今年はサンタさんに、お願いする物をどうするか迷った。
本当に欲しいものがあるが、自分の年齢を考えるとためらわれたからだ。
枕元に置いた「ほしいものリスト」には
指輪物語 全巻
ニットのワンピ―ス
家庭用プラネタリウム
少し背伸びしたものを幾つか書いておいた。
サンタさんを見たい!と思って、起きていようと思うのだが毎年、失敗に終わる。
今年こそは……
*
まぶたを透かして、白い光が差し込んできた。
知夏はバッと目を開く。
朝だ。
枕元を見ると、意外なものが目に飛び込んできた。
それはこっちを見ていた。
キラキラと光る、つぶらな瞳で。
抱きしめると抱きしめ返してくれるような、見るからにやわらかい体。
そう、私が本当に欲しかったのは「大きなクマのぬいぐるみ」だったのだ。
あの日、おもちゃ屋さんで見つけて、目がくぎ付けになった。
でも知夏は首を振った。もうすぐ11歳になる。子どもっぽいものは……
そう思って自分の気持ちを押し込めていた。
あのリストにも書いていなかったのに。
「くーたん」
名前を付けたが、さすがに声に出して言う事はしなかった。
ぎゅっと抱きしめるとやわらかいさわり心地にうっとりとなる。
知夏はくーたんを抱きしめてまぶたを閉じた。
*
プルルルル
プルルルル
知夏はバッと体を起こし、反射のようにPHSの電話マークを押した。
「先生、診察お願い」
周りを見回すと電気はついている。ここは、控室だ。横には食べかけの焼きそばパン。
食べながら、眠っていたようだ。
夢だったのか……
*
ERに来ているのは、6歳の女の子。息苦しさで受診。問診票には喘息の既往ありと書いてある。
「田上さん、どうぞ」
入ってきたのは母親だろう女性と、女の子。
そして、その腕に抱えられていたのは
(くーたん!!)
あのクマのぬいぐるみと同じだ!
知夏は目を一瞬見開いた。
心は動揺しているが、今は仕事中。すぐに冷静さを取り戻す。
「胸の音、聞かせてね」
「うん」
女の子の胸に、手で温めた聴診器をそっと当てる。
吐く時に笛が鳴るような音。
女の子の指につけたパルスオキシメーターには「96」とある。
「半年以上発作は出てなかったんですが」
母親の顔には不安がにじんでいる。
「まずは、吸入しましょう」
「お願いします。この子が持って行くと聞かなくて」
そう言って母親はクマのぬいぐるみの腕を握った。
このままだと取り上げられてしまう。女の子は一気に不安を顔にうかべる。
「あんまりよくないですよね」
母親は知夏に聞いてきた。
正直言って、ダニアレルギーがある場合、ぬいぐるみは喘息に良くない。
しかし、この子にとっての安心毛布なのだろう。
そして、ここは内科外来ではない。ERだ。
そして、ぬいぐるみを取り上げることはこの子にとって”今は”逆効果だと知夏は判断した。
「安心するようでしたら、今は一緒でいいですよ」
医者として正解ではないかもしれない。でも、この子の気持ちを考えると……
*
吸入が終わったと聞き、知夏は女の子の元へ向かう。
女の子はぬいぐるみを抱いて眠っていた。
知夏がパジャマの隙間からそっと聴診器をあてると、苦しそうな音は聞こえない。
パルスオキシメーターも「99」だ。
時計を見ると針は3時を指している。
クリスマスの朝、女の子が病院で朝を迎えなくて済むことが、知夏には少し嬉しかった。
*
転倒して大腿骨を骨折した80代の女性を、整形外科の先生にお願いした。
それで、やっと知夏の長い夜が終わった。
救急搬送口から外に出て、朝の凛とした空気を吸う。
くーたん……
まだ、実家にあったはず。
実家を出て、すっかりその存在を忘れてしまっていたのだ。
というか、このネーミングセンスのなさ。
でもそれが子どもの時の自分。
今となってはかわいい、と言ってあげればいい。
年末年始に連休はない。
そして、帰るつもりはなかったが……
急に母に会いたくなった。
忘れていた家族と過ごす温かい時間。あの夢が思い出させてくれた。
1月の土日に実家に帰ろう。
一泊二日なら帰る方が面倒だと思っていたが、それでも十分じゃないか。
知夏は携帯を開き、メールを打つ。
「1月10日に帰るわ。あのさ、クマのぬいぐるみなんだけど……」




