第四話
困ったことになった。廊下を歩きながら、ロルフは大きなため息をつく。
結局断り切れることはできなかった。
あの少女は、後ろからついてくる。
足音も呼吸音もしない。まるで生を感じさせないような雰囲気だ。唯一、着ている服の衣擦れ音だけが聞こえる。
「なぁ」
振り返り、彼女の目を見る。
「何でしょう?」
「君、名前なんて言うの?」
尋ねると、首を傾げた。まるで名前という単語の意味を理解していないかのように。
「名前だよ名前。君の呼び名だよ」
「私の識別番号は、S2048型000──OZです」
「S……なんだって?」
尋ねても同じことを繰り返されるだけだ。一々そんな長い名前をロルフは覚えられていられない。そして、呼ぶときも面倒だった。
「……わかった。取り敢えず、オズって呼ばせてくれ」
OZだからオズ。自分でもひどく安直なネーミングセンスだと思う。
しかし、彼女は右手を胸に添えると、しばらく考えるように目をつぶっていた。口元で反芻するように何回もオズって呟いている。
「分かりましたマスター。私はオズです」
何だかわからないが、気に入った様子である。
まぁ、彼女をどうするかの間、呼び名がなければ困るからつけただけのものなのだが……。
喜ばれるのは悪い気はしない。
「ロルフぅぅぅう!!」
そんな二人の会話を、大きな怒号が邪魔をした。
廊下の奥から姿を見せたのは、カレルだ。彼の形相は、怒りに歪んでいる。
「よくも俺をはめやがったな!?」
完全な責任転嫁だ。しかし、口答えをすると、もっと痛い目に遭わされる。
覚悟を決めて立ち止まった。しかし──
「敵対反応確認。マスターに対して、かなりの敵意を見せています。これから、排除行動に移行します」
「は? いやいや、ちょっと待て!」
歩き出そうとするオズの手を捕まえる。
彼女はこちらを振り返ると、小首を傾げた。
「なぜ止めるのですかマスター? あの者は、マスターに危害を加えようとしています」
「そうじゃない! いや、そうだけどそうじゃない! とにかく大丈夫だから大人しくしててくれ!」
「……ご命令ならば」
言うことを聞いて、大人しく止まってくれた。
どうやら彼女の優先順位はロルフに固定されているらしい。
そんな一悶着をしている間に、カレルが目の前まで迫っていた。
彼はロルフの襟首をつかみ上げる。首が締まって苦しそうな声を上げる。手の震えをごまかすように、喉の奥から掠れた息を吐き出そうとした。
「お前、いい気になってんだろ?」
カレルの瞳は、“本当にロルフが悪い”と思ってる瞳だ。こういう目をしたものは、絶対に自分の非を認めない。
だったら大人しく殴られたほうが早く済む。
「何とか言えよ! おい!」
頭を揺さぶられ、喉の奥からうめき声が漏れた。
何とか言ったら納得するのかよ。心の中で悪態をつくが、口には出さない。
カレルは絶対に納得しない。
それが分かってるからこそ、早く終わるために黙っている。廊下を通る生徒は、見て見ぬふりだ。自分が巻き込まれたくないと、足早に過ぎ去っていく。
「クソが、見下しやがって!」
右の手が振り上げられた。一発殴ったらきっと満足してくれる。その思いで、拳を見つめる。
しかし──
「これ以上続けると、制圧することにします。いくらマスターの命令と言えど、“マスターに危害を加えようとしているもの”を放っておくわけにはいきません」
オズがカレルの振り上げた右腕を掴んだ。
「……あ?」
止められるとは思っていなかったのだろう。眉根を寄せながらカレルはオズの方へと向いた。
「なんだお前? 邪魔すんな?」
「でしたら、マスターから手を離してください」
「マスター? ふは! こんなちんちくりんを従えているのか!? お似合いだな!」
オズは黙ってカレルのことを見つめている。
彼はわかっていない。その少女は、魔物の群れくらいなら一瞬で蒸発させてしまうことを。
だから、やめろと止めようとした。しかし、首を絞められているため言葉が出ない。
「マスターから排除するなと命令が出ています。だから、制圧させてもらいます」
「は? やれるものなら──」
カレルの表情が苦痛に歪む。オズが手をねじり上げていた。
彼は暴れているが、抜け出せないでいる。ただ、痛そうに悲鳴を上げるだけだ。
解放されたロルフは、喉の圧迫感から解放されて咳き込む。地面に手をつきながら、顔を上げた。
「やめろオズ!」
「はい、マスター」
カレルは解放された。腕を押さえたまま立ち上がる。
彼の表情は怒りに燃えている。何も言わずに去っていったが、絶対にあとで何かしてくる気配をまとったままだ。
嫌になり、ロルフはその場で蹲る。
「なんてことしてくれたんだ……?」
「危害を加えたから止めたまでです。暴力で訴えるなら暴力が解決します」
「そういうことを言ってるんじゃない!」
叫ぶロルフに、オズはただ小首を傾げるだけだった。




