(2)
村での契約締結後、私たちは実地での栽培指導を始めた。
「この薬草は、朝の光を好みます。だから、東向きの斜面に植えてください」
私は村人たちに説明しながら、自ら手本を示した。土を掘り、種を蒔き、水をやる。単純な作業だが、魔力の流れを感じながら行うことで、成長速度が変わる。
「貴女、本当に貴族なのか?」
ある農夫が不思議そうに聞いてきた。
「なぜ?」
「その手つき、農民のようだ」
私は自分の手を見た。確かに、処刑後の変装で荒く見せているが、それ以上に――過去の記憶が、体に染みついている。
奴隷時代、私は様々な労働をさせられた。畑仕事もその一つだった。
「昔、少しだけ農業を学んだことがあるの」
私は曖昧に答えた。
夕方、村人たちとの作業を終えて宿に戻ると、エルヴィンが窓辺で何かに没頭していた。
夕陽が差し込む部屋。光の粒子が舞う空間で、彼の指先から繊細な魔力の糸が紡がれている。それは、まるで見えない織物を作るかのような、静かで集中した作業だった。
「それは?」
私は彼の肩越しに覗き込んだ。
彼が作っているのは、小さな木箱だった。内側に、複雑な魔術陣が彫り込まれている。線と円が織りなす幾何学的な美しさ。だが、それは単なる装飾ではない。魔力の流れを制御するための、精密な数式が込められている。
「冷蔵呪具の試作だ」
エルヴィンが、仕事の手を止めずに答えた。
「薬草は、収穫後の保存が重要だ。適切に保管しないと、有効成分が――ゆっくりと、静かに、失われていく」
彼の声には、植物への敬意が滲んでいた。
「冷蔵呪具――魔力で温度を下げる装置?」
「原理は、熱と魔力の相互変換だ」
彼は魔術陣の一点を指差した。そこに刻まれた記号は、古代の熱力学の象徴だ。
「物質の持つ熱を、魔力に変換し、外部へ放出する。すると、内部の温度が下がる」
彼は魔術陣に魔力を流した。
魔力が陣を巡り、光の回路を形成する。そして――箱の内部の空気が、目に見えて冷たくなっていく。白い霧が、ゆっくりと立ち上った。
私は手をかざし、温度の変化を感じ取った。ひんやりとした空気。それは、単なる冷気ではない。魔力によって「秩序化」された、静謐な冷たさだ。
「これは――美しいわ」
私は思わず呟いた。
エルヴィンが驚いたように私を見た。
「美しい?」
「ええ」
私は魔術陣を見つめた。
「魔術と科学の境界線。熱力学と魔力制御の融合。それは、まるで詩のようだわ」
彼は少し照れたように笑った。
「詩人のようなことを言うんだな、お前は」
「だって、本当のことよ」
私は箱に手を触れた。木の温もりと、魔力の冷たさが、不思議な調和を奏でている。
「この技術があれば、薬草を長期保存できる。流通の幅が広がる。そして――」
私は目を閉じ、未来の景色を思い描いた。
「より多くの人に、薬を届けられる」
沈黙。
夕陽が、ゆっくりと沈んでいく。部屋の中の光が、琥珀色から深い紺色へと変化していく。
その静かな移ろいの中で、私たちは黙々と作業を続けた。
「ただし、問題がある」
エルヴィンが苦い顔をした。
「魔力の供給が必要だ。魔術師がいない場所では使えない」
「なら、魔石を使えばいい」
私は提案した。
「低級の魔石でも、この程度の魔力なら数日持つでしょう?」
「魔石は高価だぞ」
「初期投資と考えれば、安いわ」
私は計算を始めた。
「薬草の品質を保てれば、価格も高く売れる。魔石のコストは十分回収できる」
エルヴィンは少し考えてから、頷いた。
「試してみる価値はあるな」
その夜、私たちは冷蔵呪具の改良案を議論した。より効率的な魔術陣の配置、魔石の交換頻度、メンテナンス方法――。
技術的な話をしていると、私は自分が少し楽しんでいることに気づいた。
問題を分析し、解決策を考え、実装する。このプロセスは、私にとって奇妙な安らぎをもたらす。
「レイ」
エルヴィンが真剣な声で呼びかけた。
「何?」
「お前は、なぜここまでするんだ?」
予期しない質問だった。私は少し戸惑ったが、正直に答えることにした。
「わからないわ」
私は窓の外の星空を見上げた。
「ただ――放っておけないの。困っている人を見ると、何かしたくなる」
「それは、優しさじゃないのか?」
「違う」
私は首を振った。
「優しさなら、直接助ければいい。でも、私がやっているのは――システムの構築。個人の善意に頼らない、持続可能な仕組み」
「なぜ、そこまで『システム』にこだわる?」
私は少し黙った。そして、静かに答えた。
「個人の善意は、いつか尽きるから」
私の脳裏に、母の姿がよぎった。
――前聖女。人々を救い続け、そして殺された女性。
私は彼女のことを、ほとんど覚えていない。ただ、「善意で動いた人が、どんな末路を辿るか」という教訓だけが、心に刻まれている。
「だから、私は個人ではなく、制度で動く」
エルヴィンは何も言わなかった。ただ、静かに頷いただけだった。