(3)
翌日から、私は動き始めた。
まず向かったのは、貧民街の互助組合だ。組合長のマルタは、私の変装を一目で見抜いた。
「リディア嬢。いや、今は何とお呼びすれば?」
「『レイ』でいいわ」
私は仮の名を名乗った。灰色の髪を黒く染め、顔には傷跡のメイクを施している。
「で、何の用だ?」
マルタは単刀直入に聞いてきた。彼女は五十代の女性で、長年貧民街で医療活動をしてきた。教会の薬が高すぎて手が出ない人々を、自分なりの方法で助けてきた人だ。
「薬を、安く作りたいの」
私は自分の計画を説明した。薬草の産地開拓、製法の簡易化、流通網の構築。
マルタは黙って聞いていたが、最後に一つだけ質問した。
「それで、誰が得をする?」
「貧しい人々」
私は即答した。
「今、教会の薬は高すぎる。風邪薬一つで、一週間分の食費が飛ぶ。それがおかしいと思わない?」
「思うさ。だが、それを変えるには金も力もいる」
「金は集める。力も、借りる」
私は真剣な目でマルタを見つめた。
「貴女の組合が出資してくれるなら、私は確実に利益を返す。半年以内に、薬価を半分にする」
マルタは私の目をじっと見つめ返した。長い沈黙の後、彼女は小さく笑った。
「面白い娘だ。いいだろう、乗った」
最初の協力者を得た。
次に向かったのは、冒険者ギルドだ。受付嬢に案内を頼み、ギルドマスターのダリウスに会った。
「薬の製法書?」
ダリウスは興味深そうに眉を上げた。彼は四十代の元A級冒険者で、数々の魔物討伐をこなしてきた実力者だ。
「現場で使える、簡易版です」
私はサンプルを差し出した。これは私が作成した、携帯可能な製薬キットと説明書だ。
「傷薬、解毒薬、鎮痛薬。これらを現地の材料で作れるようにしました」
ダリウスは説明書をめくり、感心したように唸った。
「これは便利だ。特に、辺境の依頼で重宝する」
「無料で提供します。ただし、条件があります」
「何だ?」
「使用結果を報告してください。どの薬が効いて、どの薬が効かなかったか。データが欲しいんです」
ダリウスは少し考えてから、頷いた。
「いいだろう。ギルドとしても、冒険者の生存率が上がるのは歓迎だ」
二番目の協力者を得た。
そして三番目――孤児院だ。
私はフード付きのマントで顔を隠し、孤児院の裏口から入った。院長のシスター・エレナは、私をすぐに認識した。
「リディア――いえ、貴女は今、別の名前でしたね」
「レイです」
私は小声で答えた。
「子供たちに、薬草の栽培を教えたいの」
「なぜ?」
「仕事を与えたい。そして、教会に頼らない医療の道を作りたい」
エレナは悲しそうな目で私を見た。
「貴女は、優しすぎる」
「優しさじゃないわ」
私は首を振った。
「これは、システムの問題。個人の善意では、持続しない」
エレナは長いため息をついた。
「わかりました。子供たちに聞いてみましょう」
三番目の協力者を得た。
その日の夜、私は隠れ家に戻り、今日の成果を記録した。互助組合からの資金確保、ギルドとの提携、孤児院での人材育成。すべて順調だ。
「順調すぎる、か」
エルヴィンが隣で呟いた。
「何?」
「いや、何もない。ただ――嵐の前の静けさのような気がしてな」
私は窓の外を見た。月が雲に隠れ、街は闇に沈んでいた。
エルヴィンの言う通りかもしれない。教会は、まだ動いていない。だが、必ず気づくだろう。そして――反撃してくる。
「準備を進めましょう」
私は静かに言った。
「次の段階に入る前に、防御も固めないと」
「何をする?」
「情報戦」
私は微笑んだ。
「噂を制する者が、この世界を制する」