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(2)

 隠れ家の地下室。それは、私の小さな研究室だった。


 朝の光が、高窓から差し込んでくる。柔らかな陽光が、壁一面に広がる資料を照らし出す。地図、薬草の標本、製法ノート、取引記録――そして、魔術陣の設計図と数式が書かれた計算用紙が、机の上に散乱している。


 日常と非日常が交錯する、この静かな空間。


 私は窓辺に座り、静かに深呼吸をした。


 吸って、吐いて。


 魔力が体内を巡る。それは、まるで体の中を流れる第二の血液のようだ。温かく、穏やかに、そして確実に、私の意識と肉体を繋いでいる。


 棚の上には、小さな使い魔がいる。黒い羽を持つ烏。彼は私の日常の守護者のように、静かに佇んでいる。


「おはよう、ヴォイド」


 私が声をかけると、烏は小さく鳴いた。


 この使い魔は、私が奴隷時代に偶然契約した存在だ。言葉を話すわけではないが、私の感情を敏感に読み取り、危険を察知してくれる。


 私はテーブルに向かい、昨夜から続けていた計算を再開した。


 薬草の栽培サイクル、収穫量の予測、流通コストの試算――それらは、すべて数式で表現できる。そして、その数式に魔力の変数を加えることで、より精密な予測が可能になる。


 数式と魔術の境界線は、時に曖昧で繊細だ。


 例えば、薬草の成長速度。それは、土壌の栄養、気温、日照時間という物理的要因に加えて、周辺の魔力濃度という魔術的要因にも影響される。


 私はペンを走らせる。数式が、紙の上に形を成していく。


 これは、私の研究――いや、私の戦いの一部だ。


 魔術と科学を融合させ、誰もが使える「制度」を作る。個人の才能や血統に依存しない、普遍的なシステム。


 それが、私の目指す未来だ。


「まず、情報を整理するわ」


 私はテーブルに地図を広げた。王都とその周辺地域の詳細な地図。その上に、私は色付きの糸を張り巡らせていく。


 赤い糸は教会の勢力図。青い糸は薬草の流通経路。緑の糸は私たちの協力者たち。


 糸と糸が交差する点に、小さな石を置いていく。それは、介入すべき重要な場所を示している。


 この作業は、魔術と戦略の境界線上にある。物理的な地図と、魔力で感知した情報網を重ね合わせることで、見えない構造が浮かび上がってくる。


「教会の薬草独占は、三つの柱で成り立っている」


 私は指で地図上の三点を示した。それぞれに、異なる色の魔力が宿っているのが見える。


 第一の柱――南部エリアナ地方の薬草産地。ここには、古い契約の魔力が深く根を下ろしている。濃い紫色の、重苦しい拘束の魔力。


 第二の柱――王都の教会本部。ここは製法の秘匿と、知識の独占が行われている場所。白銀の、冷たく閉ざされた魔力。


 第三の柱――流通網の中枢。ここから、すべての薬が王都へ、そして各地へと運ばれていく。オレンジ色の、絶えず動き続ける魔力。


「これらを、一つずつ崩していく」


 私は新しい糸を手に取った。黄金色の、希望を象徴する色。


「第一に、薬草産地の契約独占。第二に、製法の秘匿。第三に、流通網の統制」


「それを、どうやって崩す?」


 エルヴィンが身を乗り出した。


「順番にね」


 私は静かに説明を始めた。


「まず、薬草産地。教会は南部のエリアナ地方と独占契約を結んでいるけれど、実際には他の地域でも同じ薬草は育つ。ただ、『教会以外に売ってはいけない』という契約で縛られているだけ」


「それを破らせるのか?」


「いいえ。別の地域で、別の品種を育てる」


 私は地図の北東部を指差した。


「フォレンティア丘陵。ここは気候が似ているし、土地が余っている。貧しい農民たちに、薬草栽培の技術を教えて契約する」


「教会の妨害は?」


「表向きは『観賞用植物』として栽培する。実際、同じ薬草でも用途は様々だから」


 エルヴィンが感心したように頷いた。


「次に、製法の秘匿について」


 私はいくつかの書類を取り出した。これらは私が学園時代に密かに収集した、古い薬学書の写しだ。


「教会は製法を秘密にしているけれど、実際には古い文献に記されている。ただ、その文献にアクセスできる人が限られているだけ」


「図書館か」


「ええ。だから、私たちは簡易版のマニュアルを作る。誰でも読めて、誰でも作れる製法書」


「それを、どうやって広める?」


「冒険者ギルド」


 私は即答した。


「ギルドは教会とは別の組織。独立性が高い。彼らに『現場で使える簡易薬』のマニュアルを提供すれば、喜んで使ってくれるわ」


 エルヴィンは少し考え込んでから、頷いた。


「最後に、流通網」


 私は地図上に線を引いていった。


「教会の流通は、中央集権的すぎる。王都から各地へ、一方的に配送している。だから、地方の需要に対応が遅い」


「それに対して?」


「地方分散型の流通網を作る。各地域に小さな薬局を作り、地産地消の形にする」


 私は計画を説明しながら、自分でも改めて全体像を確認していた。


「問題は、資金と人材ね」


「資金なら、あてがある」


 エルヴィンが口を開いた。


「貧民街の互助組合。彼らは教会の高額な薬に苦しんでいる。安価な薬を安定供給できるなら、出資してくれるだろう」


「人材は?」


「孤児院の子供たちと、元冒険者たち。医療知識を持つ引退冒険者は多い」


 私は頷いた。これは行けるかもしれない。


「ただし」


 エルヴィンが真剣な表情になった。


「教会は必ず反撃してくる。彼らの既得権益を脅かすんだ」


「わかっているわ」


 私は静かに答えた。


「だからこそ、私は『死んだ』のよ。表に出ず、影から動く」


「影の支配者、か」


 エルヴィンが苦笑した。


「大げさね。私はただ、必要な仕組みを作るだけ」


 私は窓の外を見つめた。遠くに、教会の尖塔が月明かりに浮かび上がっている。


 ――母は、聖女として表に立ち、そして殺された。


 ならば私は、影から世界を変える。


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