(2)
会場の中心に立つと、周囲の視線が槍のように突き刺さる。私は表情を変えず、静かに王子を見つめた。
「リディア・フォレスト。貴女は近頃、『聖女の娘』と民衆の間で噂されています」
――なんですって?
私は内心で驚愕した。そんな噂、私は聞いていない。いや、正確には――私が広めた情報ではない。
「貴女は平民出身でありながら、不思議な治癒能力を持つと言われています。それは、聖女の血を引く者の証だと」
王子の言葉に、広間がざわめく。
私は冷静に思考を巡らせた。これは罠だ。誰かが私に「偽聖女」のレッテルを貼ろうとしている。
聖女。この国における最高位の宗教的権威。だが、前聖女は十数年前に「天罰」を受けて消えたとされている。そして、「聖女の血を殺せば天罰が下る」という俗信が、この国の司法と政治を支配している。
つまり――私を「偽聖女」として処刑することで、王子は「偽りの権威を許さない正義の君主」という評価を得られる。同時に、「聖女殺し」の禁忌も破らずに済む。
巧妙だった。
「私は、ただの養女です」
私は静かに答えた。感情を押し殺し、事実だけを述べる。
「治癒など、できません」
「では、これは何です?」
王子が再び映像を浮かび上がらせる。それは、私が孤児院で子供たちに薬草を配っている場面だった。
「貴女は民衆に『聖女の娘』を名乗り、薬を配り、崇拝を集めていた」
違う。私は一度も「聖女の娘」など名乗っていない。ただ、必要な薬を必要な人に届けただけだ。
だが、群衆の目は変わっていた。疑念、恐怖、そして――期待。
人々は「聖女」を求めている。そして同時に、「偽聖女」を断罪することも望んでいる。矛盾した欲望が、群衆の中で渦巻いている。
「リディア・フォレスト。貴女は神を騙り、民を欺いた罪により――」
王子が宣言しようとしたとき、私は静かに口を開いた。
「それなら、証明しましょう」
広間が静まり返った。
私は自分の手のひらを見つめた。小さな刃で軽く傷をつける。血が滲む。
「聖女の血には、特別な力があると言われています。では、私の血で治癒ができるか、試してみましょう」
私は傷口を群衆に向けて示した。血は滴り、床に落ちる。
そして――何も起こらない。
当然だ。私には治癒能力などない。私が配っていたのは、ただの薬草と製薬技術の産物だ。
「ご覧の通り、私は聖女ではありません」
私は静かに言った。だが、王子の顔には満足そうな笑みが浮かんでいる。
「では、なぜ民衆は貴女を『聖女の娘』と呼ぶのです?」
罠だった。どう答えても、私は「偽りを広めた罪」で断罪される。
私は静かに目を閉じた。そして、決断した。
――ここで、「リディア・フォレスト」を終わらせる。
「私は、何も名乗っていません」
私は静かに、だが明確に宣言した。
「ただ、困っている人に薬を届けただけです。それを『聖女の娘』と呼ぶのは、人々の勝手です」
「では、その薬はどこから? 平民出身の貴女に、そのような知識があるはずがない」
王子の追及は続く。群衆のざわめきが大きくなる。
私は、ゆっくりと視線を上げた。そして、会場全体を見渡す。
貴族たち。商人たち。使用人たち。皆、様々な思惑を抱えてこの場にいる。
そして私は、静かに言葉を紡いだ。
「薬草は、誰でも手に入れられます。製法も、学べば誰でもできます」
私は自分の信念を、初めて公の場で口にした。
「聖女でなくても、教会でなくても、人は人を助けられる。それが、私の答えです」
広間が、凍りついた。
私は今、この国の根幹を揺るがす言葉を口にした。「聖女と教会の独占」という、何百年も続いてきた医療の支配構造を否定したのだ。
王子の顔が、怒りに染まる。
「では、貴女は神をも否定すると?」
「いいえ」
私は静かに首を振った。
「私は神を否定しません。ただ、神の恵みは一部の者だけのものではないと言っているのです」
群衆が、ざわめく。その波の中に、私は様々な感情を感じ取った。
共感。反発。困惑。そして――希望。
だが、時すでに遅し。
「リディア・フォレスト。貴女の言葉は、神への冒涜であり、国家秩序への挑戦です」
王子が宣言した。
「よって、貴女を処刑に処す」
群衆が息を呑んだ。
私は静かに頷いた。
――これでいい。
処刑台に向かう私を、誰も止めなかった。ヴィクトリア公爵令嬢は蒼白な顔で立ち尽くし、群衆は恐怖と興奮に震えている。
メアリの泣き顔が、視界の端に見えた。ごめんなさい。でも、これは必要なことなの。
私は護衛兵に連れられ、広間を後にした。
そして三日後――私は処刑台に立つことになる。