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 それは、三日前のことだった。


 王立学園の卒業式典。大広間は豪華な装飾で彩られ、貴族の子弟たちが華やかな衣装に身を包んでいた。私はその片隅で、地味な灰色のドレスを着て壁に寄りかかっていた。


「リディア様、お一人ですか?」


 声をかけてきたのは、同級生のメアリという商家の娘だった。彼女は優しい笑顔を向けてくれる数少ない友人の一人だ。


「ええ。でも、人混みを眺めているのは嫌いじゃないわ」


 私は静かに微笑んだ。本心だった。群衆の中にいると、様々な情報が自然と耳に入ってくる。誰と誰が親しくなり、どの家が財政難に陥り、どの派閥が力を増しているか。


「今日の主役は、やはりヴィクトリア様とアレクサンダー殿下ですね」


 メアリの視線の先には、会場の中心に立つ二人の姿があった。


 ヴィクトリア・ローゼンフェルト公爵令嬢。金髪碧眼の美貌に、完璧な立ち振る舞い。学園で最も高貴とされる女性であり、第一王子アレクサンダーの婚約者だった。


 アレクサンダー・ヴァルハイム第一王子。整った容貌と人当たりの良さで、学園の人気者だった。だが、私の目には彼の笑顔の裏にある計算が透けて見える。


「美しいペアですね」


 私は表面的な言葉を返した。メアリは満足そうに頷く。


「ええ。お二人の婚約は国の慶事ですわ。きっと素晴らしい式典になるでしょう」


 私は何も言わなかった。ただ、心の奥底で小さく呟いた。


 ――それは、どうかしら。


 この三年間、私は学園で「地味な養女」として過ごしてきた。フォレスト男爵家に引き取られた平民出身者。目立たず、騒がず、ただ静かに勉学に励む生徒。


 それが、私の「表の顔」だった。


 だが実際は――私はこの学園の、いや、王都のあらゆる情報を収集し、分析し、操作してきた。


 壁際に立ちながら、私は会場を静かに観察していた。


 魔力残滓の「色」が、私の視界に重なる。それは他の誰にも見えない、私だけの特殊な知覚だ。紫がかった青は最近の魔術の痕跡。薄く広がるオレンジは古い呪文の残滓。そして、時折きらめく銀色の糸は――誰かと誰かの間に結ばれた、魔術的な契約の証。


 魔力の痕跡は嘘をつかない。それは、この世界の真実を映し出す、見えない鏡のようなものだ。


 誰が誰に魔術をかけたか。どこで不正な取引が行われたか。愛の誓いが本物か、それとも強制された契約か。すべてが、魔力の色彩として、私の目に語りかけてくる。


 この能力は、奴隷時代に目覚めた。苦痛の中で、私は世界を別の角度から見ることを学んだ。魔力の流れを読み、真実と虚偽を見分け、生き延びるための情報を収集する。


 それは呪いのような才能だった。見たくないものまで見えてしまう。人々の欺瞞も、隠された意図も、すべてが透けて見える。


 けれど――それは、私が選んだ道を歩むための、不可欠な力でもある。


 そして今夜、私が三年間かけて仕込んできた「舞台」が幕を開ける。


「皆様、ご注目ください」


 突如、アレクサンダー王子の声が広間に響いた。音楽が止まり、すべての視線が彼に集中する。


 来た――。


 私は心の中で静かに呟いた。計画通りだ。


「本日、私はここで重大な発表があります」


 王子の声は朗々と響く。彼は生まれながらの演説家だった。群衆の心を掴む術を、本能的に理解している。


「ヴィクトリア・ローゼンフェルト。前へ」


 公爵令嬢は優雅に一歩前へ進んだ。だが、私には見えた。彼女の手が微かに震えていることが。


「貴女は、学園において数々の不正を働いてきました」


 広間がざわめく。私は静かに目を細めた。


 ――始まったわね。


「証拠をお見せしましょう」


 王子が手を掲げると、魔術による映像が空中に浮かび上がった。それは、ヴィクトリアが他の生徒に嫌がらせをしている場面だった。


 だが、私にはわかる。その映像は巧妙に編集されている。魔力残滓の色が不自然だ。本物の記憶映像なら、もっと複雑な色の層が重なるはずなのに、これは単純すぎる。


「ヴィクトリア・ローゼンフェルト。私は貴女との婚約を、ここに破棄します」


 群衆は息を呑んだ。公爵令嬢は蒼白になり、その場に崩れ落ちそうになる。


 私は静かに観察を続けた。これは「断罪劇」と呼ばれる、この世界の乙女ゲーム的な慣習だ。卒業式典で、権力者が公開の場で「悪役」を断罪する。群衆の正義感を満たし、自らの威光を高める政治的なショーだ。


 だが、今回は少し様子が違う。


「そして――」


 王子の視線が、会場を見回した。そして、私に向けられる。


 心臓が、一つ大きく跳ねた。


「リディア・フォレスト。貴女も前へ」


 え――?


 予定と違う。私は断罪の対象に入っていなかった。少なくとも、私が集めた情報ではそうだった。


 だが、群衆の視線が一斉に私に向けられる。逃げ場はない。


 私はゆっくりと、前へ歩き出した。

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