処刑台の朝
処刑台に登る階段は、思ったより軋まなかった。
一段、また一段。足音が石畳に響くたび、私の中で何かが静かに整理されていく。群衆のざわめきは波のように押し寄せるが、不思議とその音は遠い。まるで、厚いガラス越しに世界を眺めているような感覚だ。
吸って、吐いて。吸って、吐いて。
呼吸を数える。それは、幼い頃に叩き込まれた技術だった。恐怖を制御し、感情を封印し、思考を研ぎ澄ます。奴隷として生きた日々。暗殺者として訓練された夜々。それらすべてが、今この瞬間、私という存在を支える礎となっている。
心拍は驚くほど静かだった。魔力の流れも、穏やかに体内を巡っている。まるで、朝の湖面のように――波一つ立たない、透明な静寂。
「偽聖女リディア・フォレストは、神を騙り、民を欺いた罪により、ここに処する」
執行官の声が広場に響き渡る。私は静かに目を閉じた。
――これでいい。
処刑台の上から見える景色は、不思議と清々しかった。王都の街並み、遠くに見える教会の尖塔、そしてざわめく群衆。すべてが妙に鮮明に見える。
私の首には、特別な聖印が刻まれている。表向きは「偽聖女の烙印」だが、実際は私が仕込んだ幻術発動の起点だ。刃が振り下ろされる瞬間、魔力残滓が爆発的に拡散し、視覚を撹乱する。群衆は「天罰」を目撃したと思い込むだろう。
私は死ぬ。少なくとも、この国の表の世界では。
「リディア・フォレスト」という平民養女は、ここで終わる。そして――
刃が陽光を反射して、きらめいた。
――裏の世界で、私は本当の仕事を始める。
幻術が発動する。光と音が爆発し、群衆の悲鳴が上がる。私の意識は、静かに闇へと沈んでいった。
母が果たせなかった「護り」を、私は制度で実現する。
それが、私の選んだ道だから――。