第3話『まとは、遠くてまあるい』
朝の陽射しが庭石の影をくっきりと落としている。まどかは畳の上で正座し、祖父の技帳をめくっていた。
「8級、“まといれ”。……30センチの的の中に、コマを入れる、か」
祖母が淹れてくれた緑茶の湯気が、ふわりと立つ。まどかは一口すすると、すぐ立ち上がった。
裏庭のコンクリートに置かれた、的の缶。そこへ、八女和ごまを構える。
「いっけーっ!」
引きこむように、糸を引く。コマが風を裂き、地面に跳ねた。……が、的からは遠く外れた場所で跳ね返る。
「むー……」
2回目も、3回目も。強すぎてはじけ飛び、弱すぎて届かない。八女のこまは競技用と違って重心がずれており、わずかな角度の違いで軌道がブレる。
昼前、タケルが自転車で現れた。
「お、練習しよるなー」
「まとに、ぜんっぜん入らんとよ!」
缶を見せながら、まどかはふてくされた。
「まあ、そりゃ最初はな。まとって“当てる”もんやないけん」
「どういうこと?」
タケルは自分のコマを手に取ると、ひょいと投げた。コマは空中を一回転して、的の中心に吸い込まれるように落ちた。
「な、ほら」
「うわ、ずるい!教えて!」
「重心。……あと“響き”やね」
「響き?」
その言葉に、まどかは思い出した。祖父の技帳に、こんな言葉があった。
“こまのヘソは、命の芯。そこを通して投げよ。狙うな、響かせろ”
まどかはコマを手に取り、その“ヘソ”と呼ばれる突起部分を親指でなぞった。
(狙うんじゃなくて、響かせる……?)
もう一度、ひもを巻く。さっきより少しだけ、手の力を抜いた。
「行ってきなっ!」
糸を引くと、コマが宙を舞う。軌道はなめらかで、まるで空気の線をたどっているようだった。そして……
コトン。
音もなく、コマが“まと”の中心に吸い込まれた。
「……入った……!」
思わず両手を突き上げる。
「やったーっ!」
背後からタケルの拍手。祖母も縁側で微笑んでいた。
「今のは、きれいやったねぇ」
まどかはにやりと笑う。
「よーし、次は“線香花火”たい! プルプルさせちゃるけん!」
だがそのとき、右手がじんと痛んだ。投げすぎた影響だろう。
それでも――
心地よい疲れだった。的の中心で回り続けるこまが、まるで自分の気持ちの代弁者のように見えた。
(伝わったと。……あたしの想い)
まどかの胸のなかに、小さな火が灯った。