第2話『犬の散歩はムズかしか!』
「10秒……、9、8、7……よしっ、いけた!」
まどかが両手をあげて跳ねた。
和室の畳の上に、ぐるぐると回り続ける八女和ごま。
中央に“ヘソ”と呼ばれるくぼみがある、まどかの祖父が遺したコマ。
「見たかい、ばあちゃん! 10級、クリアやけん!」
縁側でひなたぼっこしていた祖母・キヨが、目を細めた。
「ふふ……ようやったねえ。まずは入り口、やね」
「ふっふーん、ここから一気に段位とっちゃるけん!」
勢いそのまま、まどかは9級「犬の散歩」に挑んだ。
技の内容は、回したコマを糸の上で“30センチ以上、歩かせる”。
名前の通り、犬を散歩させるように滑らせる――はずだった。
「……うあっ! ああああ止まったああっ!」
まどかの声が和室に響く。
3度目の挑戦。コマは糸に乗った瞬間バランスを崩し、畳の上でカラカラと止まった。
「おっかしか……動画で見たら簡単そうやったのに……」
悔しさに、両手がじんわり汗ばんでいた。
隣でそれを見ていたタケルが、そっとひもを拾って言う。
「まどか。犬の散歩、引っぱろうとしとらん?」
「……は? 動かそうとしよるけど?」
「いや、それがいかんとよ。“散歩”やけん。無理やりじゃなくて、コマの重心と方向に合わせて、導くと」
タケルが見本を見せる。
糸をぴんと張り、コマをふわりと乗せる。
そして、少しだけ糸をゆるめて――滑らせる。
コマが、まるで生きているかのように、するすると前へと進んでいく。
「……!」
その瞬間、まどかの脳裏に祖父の筆跡がよみがえった。
『こまは、生き物。ひっぱるな、寄り添え』
昔、祖父の技帳を覗き込んで読んだ、あの言葉。
難しくて、意味なんかさっぱりわからなかった。でも今は……。
「……ちょっと、貸して。次、私がやるけん」
まどかは糸を整え、コマをてのひらに乗せて息を整える。
ひもの角度、指の位置、心の中で祖父の声をなぞりながら。
「いけっ!」
ぴしゅっと音を立てて飛び出したコマが、糸の上にふわりと乗る。
そして――。
「うごいた……?」
そっと、そっと糸を前に導くように動かすと、
コマが、スーッ……と前に滑った。
5cm、10cm、20cm――。
「30cm、いった!!」
まどかの声が、畳の上に弾けた。
初めての「技」としての成功。まるで、自分の中の何かが開いたような感覚。
「これが、こまの“感覚”……?」
「そうそう。こまは生きとるっちゃね。あんまり言うと中二病っぽいけどさ」
タケルが笑う。まどかも照れくさそうに、鼻の頭をこすった。
その夜、夕食後の縁側。
祖母のキヨが、湯呑みを手にぽつりと言った。
「昔からじいちゃん、お前にだけは難しいことば言いよったよね」
「うん、ずっと謎やった。私にだけ、厳しかったし」
「お前だけは、技を“覚える”んやのうて、“感じてほしい”って思っとったとよ。あの人はね」
まどかは縁側から見える夜空を見上げた。
その目は、もう次の技を見据えていた。
「……よし。次は“まといれ”じゃ!」