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部署間交流会

急に開催が決まった交流会の場所、 “睦美屋” に行ってみると……。

 睦美屋(むつみや)に用意されていた席は、カウンターの隅の一角と八人掛けのテーブルで、QA(品質保証部)の人達はもう、席に着いていた。センター長は、その面々を見渡すや、

 「お前らちょっと早くないか。しかも何だよ、もう飲んでんのか」

 と威勢のいい声で場を活気付けた。そしてカウンター席に副島(そえじま)副部長を見つけると「やぁ、どうも」、と笑いながら隣に座った。

 残された俺たち三人は仕方なく、テーブルの空いている席を探す……と、尾波佳枝(よしえ)さんは、すかさずQAの若い男性ふたりの間に身を()じ入れた。


 尾波さんは、直属の営業部長との不倫が発覚し、緊急措置として販売情報センターに隔離された人だ。

 部長の方はお咎めなしだったそうだが家庭は大変なようで、連日、深夜まで会社に居残って若い部員を飲みに連れ出すので、今では部員にも(うと)ましがられているらしい。


 うちのもうひとり、真鍋伸吾さんは、どこに座ろうかと思案顔だった。何しろ今日のメンバーでただひとりの五十代で、テーブルには気の合いそうな相手がいない。

 真鍋さんは半年前まで、物流部で外部監査を担当していた方だ。そこで、取引先から商品券付きの接待、つまり賄賂を受け取って監査を甘くしていたらしい。ただ、歴代の担当者からの因習だというから、センター送りは貧乏くじだ。

 真鍋さんが座る席を迷っている隙に、悪いが、俺は松川さんの隣を確保させてもらった。


 「じゃあさ、堅いこと抜きで、適当に交流してね~」

 橋爪センター長の、これ以上ない適当な挨拶で会は始まった。

 センター長はQAの副島副部長とカウンターで差しつ差されつ。尾波さんは若い男性を誉めて(おだ)てて、乾杯のビールで早くも上機嫌だ。真鍋さんはすぐ近くにいるのに、その乗りに付いていけず、壁により掛かって熱燗の手酌酒を始めた。


 センター長の企みか計らいか知らないが、俺と松川さんは、自然に差しになった。

 「久しぶりじゃん」

 「何ですかこれ、急に交流会って連れてこられたんですけど」

 「わたしも。何かね、おたくのボスが計画したみたいよ」

 あれが? と親指でカウンターを示すと、

 「いい人みたいね」

 「そお?」

 「ドロップアウトした人を再生する役目なんだって? あ! ごめん」

 と松川さんは慌てて口を塞ぎ、俺は「何ですか、それ」、とビールをひと口。

 しかしどう見てもセンター長にそんな使命が与えられているとは思えない。職級は、さすがに主任ではなく管理職2級だったが、横柄で、人の扱いは雑だ。


 「まあそれはそうと何、忙しいんだ。朝のコーヒー届けられんないくらいに?」

 いきなり軽いジャブ。

 こっちだって今まで通りにしたいと思っている。松川さんと会えば楽しい。癒されるといった方がいいか。

 ただ、緩んだ顔を他のQA部員に晒すわけにはいかない。今回の失敗では、今でも、QAに相当な負担をかけている。

 「え、ああ、まあ、一日中手ぇ動かしてるから腕とかぱんぱん」

 松川さんがいきなり俺の上腕を掴んだ。そして

 「ほっそ! 太いけど細」

 「なんですか、それ」

 「筋肉がないのよ、骨、掴めちゃうじゃん、ほらぁ」

 「痛っ」

 松川さんの中指が本当に骨に到達した。痛いけれどどこか甘くて、油断すると骨が溶けてしまいそうだ。

 話を変えた。

 「あの、松川さんの次のレースっていつなんですか」

 「あのね、馬じゃないんだからレースって言わないでよ」、とまずは不適切なことばを笑いに変え、

 「競技はもうね」

 微妙な話題だったのか、松川さんは、ここでお通しの厚揚げ煮をぱくり。そして、

 「でも市民マラソンとかはたまに出てるのよ、今度のはハーフだけど。ねえ、応援きてよ」

 想像した。

 短めの髪を揺らして目の前を走り去る松川さん。

 少しの無駄もない身体。

 そのパーフェクトな細身を弾むように前に運ぶ鍛え上げた足。

 明確な目的を持って磨き上げた身体はモデル体型のスリムとは、美の本質が違う。

 松川さんはきっと、沿道に俺の姿を見つけても、表情を変えずに走り去るだろう。そんなとき、目だけで通じ合えたらどんなに素敵か……。

 思わず首を振って妄想を振り払う。これではまるで、恋する乙女だ。


 「聞いてる?」

 「ああ、すみません。でも市民ってことは、それアマチュアの大会なんですよね。テレビで中継が入るようなやつには?」

 松川さんは、ちょっと訝しむ表情をした。

 「ねえ恵乃森君、何言ってるの」

 「は?」

 「競技はもう引退したよ、去年」

 瞬時に、間違いをしでかしたことに気付いたが、松川さんは笑っていた。アスリートとして終わりを意味する引退ということばを笑って言う、その顔を、俺はどんな顔で見たらいいのだろう……。

 「恵乃森君ってほんと、スポーツのこと興味ないのね。ここまで変わんないのって、ある意味尊敬するわ」

 「すいません、俺」

 「知ってるかと思った。だって社内報に載ったのよ、ちょこっとだけど。膝の怪我がもう完全には無理で、だからもう一万メートルはどうがんばってもタイムが出ないの。普通に走る分には問題ないんだけど、ぎりぎりまで攻めると壊れちゃう。

 でもね、走ることは好きだから。

 今はマラソンに切り替えて、タイムは気にしないで自分のペースで走ってるの」

 「楽しい、ですか」

 「楽しいよぉ、走るってことに関してはむしろ今の方が。

 前は人を追い越すことばっかり考えてたけど、今は何ていうのかな、お魚になはった気分?」

 「魚?」

 「ほら、鰯の群とか見たことない?」

 「ああ、はい、テレビでなら」

 「群と一体になる感覚って、すっごい生きてる感じがする。安心するの。わたし泳げないから鰯じゃないんだけど、前世は、群で生きる草食動物だったかもしれない」

 想像した。

 群のなかでひときわ凛とした立ち姿で辺りを警戒する美しいガゼルを。

 今の俺はとてもじゃないが一緒にいられない。俺は群から逸れた一匹のヌー。それも補食されるのを待つだけの、薄汚れた手負い。

 「あ、今、思ってたでしょ」

 「何をですか」

 「わたしのこと草食動物に見えないって」

 「思ってないですよそんな、松川さんが豹みたいだなんて」

 「ほらぁ!」

 テーブルの下でキックが飛んできた。

 それから俺らは他愛のない話をして笑い、俺が唐揚げを注文しようとしたら、強制的に冷やしトマトに変更させられ、高校のときの数学の先生がケンタのフライドチキンが大好きだった話で盛り上がった。

 ブラバンの部活話で、体育館で銀河鉄道999を演奏した思い出話をしたら、それが松川さんの壮行会だったことがわかり「恵乃森君って、ほんと」と呆れられて、また、ひと盛り上がり。



 どのくらい経っただろうか。

 「そろそろ席替えー」とセンター長が言い、日本酒が入って一層艶やかになった尾波さんが「このふたり、持ち帰っちゃっていいですかぁ」、と冗談とは思えないとろけた口調で言い、「いいけど品質保証は付かないからね、ノークレームで頼むよ」と副島副部長がちゃかしているそのすぐ後ろで、手酌酒が過ぎた真鍋さんが寝始めていた。


 「わたしちょっとトイレ」と松川さんが席を立ち、皆が帰り支度を始めたとき、たぶん今日が初対面の、QAの若いのが話しかけてきた。眉毛が妙に短くて、サイドの髪の毛を上まで刈り上げている。

 「いい気なもんですね」

 「え」

 「アンタのことですよ」

 「ああ?」

 「会社に損害与えて、今、他のメンバーがどんなポジションで、何やらされてっか知らないっしょ」

 知らない。

 知らないが、ここで(ただ)すようなことではないはずだ。こいつ、酔った振りか?

 「大変でしたよ、《ガリンチ!》のクレーム処理」

 あんなのは言い掛かりだ、という言葉は声にならなかった。

 「まさかね、アレ作った本人がのうのうと飲み会に参加してくるとはさ。オレだったら無理! あ、それともあれか、比奈さん狙い?」

 半分口を開けて、俺の顔をまじまじと見つめ、「けっ、ばっかみてえ」と吐き棄てた。

 思わず胸ぐらを掴んでいた。

 「ちょっとやめなよぉ」と尾波さんが声を(ひそ)めて仲裁に入る。センター長と副部長は支払いをどうするかの相談で、こっちには気付いていない。

 絡んできた男の連れが「お前飲み過ぎなんだよ」と押さえに掛かるが、刈り上げの男は一向に収まるようすがない。

 「教えといてやるよ。比奈さんは、社長の息子のお気に入りなんだよ」

 え、と思わず声が出て、シャツを握っていた手から力が抜けた。

 「はっ、やっぱりなぁ、今のうちに手ぇ引いとかないと、エラいことんなるよ」

 どういうことだ。

 「ほんとに何も知らないんだ、比奈さんが現役のときから息子さんが大ファンでさ、入社もそのコネだよ」

 聞いてない。

 しかし。

 これは、話さなくてはならないことだろうか。

 というか、本当か……。だとしたら、俺はとんでもないピエロだ。

 「え、ほんとに? ぜんぜん知らなかったの? イタいなぁ」

 そう言って刈り上げの男は自分の額を叩いた。

 いや、やっぱり。そんなはずはない。

 信じるな、嘘に決まってる。

 だが頭のなかでは、松川さんの声がぐるぐると回り始めていた。「恵乃森君、ほんっとに知らなかったんだ」という楽しげな声が何度も何度も。

 男が顔を寄せてきた。

 そして囁いた。

 「残念だったね、好きだったのに、ね!」

 「そんなんじゃねえよ」

 尾波さんの「拓海さん、声」というひと言で自制できていないことを知らされる。

 「でも社長のご子息が相手じゃね、ムリムリ」

 そんなはずはない。

 だが、否定すればするほど、ありそうな話に思えてくる。それを必死に打ち消そうとする気持ちを、傷つきなくないという怯えが邪魔をする。

 「あんたさ、前よくうちに来て比奈さんと話してたじゃん、コーヒーなんか持ち込んで。公私混同だろ、それって。んなことやってっから下手こくんじゃねぇの?」

 気のせいか、巻き舌が入っているように聞こえる。

 「だから、違うって言ってんだろ、ふざけてんじゃねぇぞ!」

 今度は男の方が俺の胸ぐらを掴んできた。勢いで男の拳が顎に当たり、鈍い音が頭骨に響いた。男は、なおも胸ぐらを捻り上げながら、俺にだけ聞こえるように言った。

 「顔に書いてありますよ、好 き で すって」

 力任せにその手を振り解いて突き飛ばす。そして叫んでいた。

 「黙れよ! るっせえな。嫌いなんだよ俺は、がりがりに痩せた女なんて!」

 大音声に周囲が凍り付いた。

 我に返ると、会に参加していた全員が俺に注目していた。そのなかに、トイレから戻った松川さんもいた。


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