月日は巡り……
新規プロジェクトは、華々しいスタートから一年が経っていた。
メンバーは、相変わらず忙しく動き回っているが…。
月日は巡り、一年と少しが経った。
桜はすっかり散り、エアコンの冷風が心地よく感じる日が多くなっている。
「拓海さん、専務が探してましたけど、もう、さっさと行っちゃってくださいよ、でなきゃ一報入れるとか」
ああ、と気のない返事をする俺を、関根は横目で睨み、《ガリンチ!》のホログラムステッカーを貼ったスマホを耳に当てて部屋を出ていった。
プロジェクトルームは雑然としていた。
何が、ということではない。散らかっているというより、統制が取れていない。
「友里、あんたこんな数字で役員会説得できると思ってんの」
「精一杯盛ってこれですよ、そんな言うんだったら自分でやってください」
友里しずくは、手にした書類をデスクに叩きつけた。
睦まじい師弟コンビだった赤塚さんと友里さんが数字を巡って仲違いしている。
「課長、電話、回します」
誰? と訊く前に、三宅さんは「大橋さんからです」と言ってデスクの電話機を操作した。
「もしもし、俺だ。どうだった」
スマホの向こうで、チームのご意見番にして営業担当でもある大橋道江さんが息を乱していた。
「もしもし」
大橋さんは何も言わなかった。
もう一度声をかけようと思ったところで返答があった。
「駄目でした」
「……販売協力金の話は、間違いなくしてくれたんだよな」
「わたし」
何か言い掛けた大橋さんのスマホを誰かがもぎ取ったようだ。
「課長、大橋さんはですね」
この声は白幡君だ。大橋さんが連れて行ったのか、或いは白幡君が自分から付いていったのか。最近ではもう、仕事の区分というものがなくなっている。
「課長、聞いてます?」
「ああ聞いてる」
「大橋さん、富永本部長の前で土下座したんですよ」
「え!」
「さすがに止めましたけど、そんな、昭和の営業じゃあるまいしっ」
うるさいわね、という大橋さんの声が聞こえた。
「じゃあ、在庫分の引き取りは?」
「こっちが発注したもんじゃないって」
沈黙が彼我を隔てた。
「そうか。わかった。ごくろうさん」
何の返答もないまま、電話は切れた。
《ガリンチ!》プロジェクトは完全に失敗した。
大量の広告投下の効果もあって出足は良かったが、勢いは続かなかった。
CMのキャラクターに起用したタレントが不祥事を起こすという不運もあった。そのせいでプロモーション計画は、急遽、練り直しを迫られた。
急拵えの戦略が完璧に動くはずがない。白幡君は、その責任を感じて同行したのかもしれない。
大橋さんは製品化の過程で、過剰ともいえる味の濃さに何度も警告を発していた。俺はそれを、嗜好の偏りだと一笑に付した。
その結果、《ガリンチ!》は〔日本の未来栄養学会〕から〔幼少年の味覚形成に悪影響を与えかねない食品〕として取り上げられてしまった。
その瞬間からスーパーやコンビニの棚から商品の撤去が始まった。流れはすぐに、ドラッグストアやディスカウントショップにまで広がった。
損害賠償の訴えを起こすことも考えたが、リーガルから「勝ち目はない」と見放された。〔日本の未来栄養学会〕には、ノーベル医学賞を受賞した博士が顧問として付いている。
全国チェーンの食品スーパー・メガマルシェでマーチャンダイジングを統括している富永本部長は、昨日になって、取り扱いの中止と在庫の引き取りを要請してきた。大橋さんは今日、大幅な値下げと販売員の派遣を条件に取引の継続を直訴しに行っていた。
メガマルシェは最後まで残っていた大型店だ。ここが駄目ということになった今、ガチンチ! プロジェクトの息の根は、完全に止まった。
「おぉい恵乃森ぃ」
入り口に友田専務の顔が見えた。
いっそ罵倒してくれた方が楽なのに、専務の声は優しかった。顔もにこやかだ。だが目は笑っていない。
「おぉ、今な、役員会議室で対策会議やってるんだわ。ちょっと顔出せ」
静かな口調だが、有無を言わせぬ圧があった。
俺が「はい」と腰を上げると、赤塚さんが「私も行きます」と立ち上がった。続いて友里しずくが立ち上がるのを「あなたはいいから」と制した手には、責任は自分が引き受ける、という強い意志が感じられた。
言うまでもなく、責任は俺にある。数字が計画から逸れ、収益計画の下方修正が免れなくなった時点で「早く報告すべき」と上申した赤塚さんを、俺は止めたのだ。
あのとき追加の資源を投入してでも方向転換していたら……。
だが、今は悲嘆に暮れているときではない。
失敗の原因を考えるのは処分を受けてからだ。
☆
プロジェクトチームは解散した。
メンバーは全員、元居た部署に戻された。
降格などの処分はなかったが、味噌を付けたメンバーは昇格が一回見送られるという噂がある。都市伝説のようなものだが、当人にとっては気持ちのいいものではないだろう。
それでも皆、悪態どころか愚痴ひとつこぼさなかった。その労りが、今ごろになって遅効性の毒のように身体に回り始めている。
俺に課せられたのは、本社の地下一階にある販売情報センターへの異動だった。
仕事は、POSやSNSから上がってくる情報を、使い易いように加工して営業の前線に送ったり、手書きのアンケートをひたすら入力したりする情報系の力仕事だ。
はっきり言ってAIやアルバイトでできる仕事だが、それでもこの部署が閉鎖されないのは、何らかの事情によって行き場を失った社員が、一時的に身を落ち着ける仮置き場、という機能があるからだ。
販売情報センターのある地階は、倉庫や動力室があるばかりで飲み物の自動販売機どころかトイレすらない。ビル建築当時には、最後まで仮眠所として使われていたらしい。
階段を上がると、そこはメインロビーとオフィスエリアを繋ぐ通路になっている。つまり、トイレに上がる度に好奇の目に晒される。ここに異動させられるくらいなら地方に飛ばされた方がよかった。