転生上等!悪役令息だろうが勇者だろうが私が助ける!
『ボクと一緒に来て世界を救ってよ』
「謹んでお断りします」
秒で断ったのに、転生させられた。
解せぬ。
『だって「謹んで……」って答えが来たら、普通は「謹んでお受けいたします」だと思うよ』と、後から言われたが、思うよ、で異世界に拉致られてたまるか。
その自称神の使いは、ある日突然、私の日常に割り込んできた。
見た目は白い和毛の生えた小動物で、イタチやオコジョのように、やや胴が長く四足は短い。
学生でいっぱいの学校の最寄り駅から電車で30分。ひと気がなくなった頃に、そいつは現れて……挙げ句、ろくな説明もなく転生だ。
『ボクのことは君の好きな愛称で呼んで欲しい。素敵な名前をつけて』
「じゃあ、ノロイ」
『きしゃーっ!』
「白い悪魔の方がいい?」
『かわいくないっ!!絶望的にかわいくないっ!』
「やかましい。文句を言うな。なら呪呪で」
『センスが酷いのか、性格が酷いのかわからない』
「人を謗る前に己の行いを胸に手を当てて考えてみろ」
後足だけで立ち上がって、短い前足をトンと胸にあてた小動物は、妙に偉そうな様子だった。
「我が胸中に一片の曇りなし」
私は「こりゃダメだ」と思った。
というわけで、文句は散々言ったが、来てしまったものはしゃーないので、私はやむなく、与えられた役割を果たすことにした。
我ながら損な性分だと思う。
§§§
華やかなパーティー会場で、私は始まろうとしている茶番劇を阻止すべく、目的の人物を探していた。
淑女は走るべからずなんて不条理なルールだと思う。この世界に来てドレスの無駄に長い裾を美しくさばく歩き方には慣れたが、かといって移動力はスニーカー並みにはならない。
『急いで』
わかってるから、お前は喋るな。
私は、肩に乗っている白い小動物にデコピンを食らわせた。
私をこの世界に連れてきた不条理な上位存在の化身である下等生物は、キュッと鳴いて黙った。神の使いだかなんだか知らないが、現状、表向きは異国産の風変わりなペットなのだ。特例でパーティー会場に持ち込ませてもらっているので、襟巻きみたいに大人しくしていてほしい。
こんなときに「ご挨拶を」と近づいてくるバカ共を、にこやかに塩対応であしらう。
アホ貴族共めが。好感をもってもらいたくて挨拶をしに来るなら、相手の様子ぐらいうかがえ。木で鼻を括るぞ、バカモノ。
思わぬ足止めに内心イラついているうちに、広間の向こうで甲高い声が上がった。
「あなたとの婚約を破棄します!」
やばい。始まってしまった。
私は、取り巻きを従えた王女が、居丈高に目の前の男に指を突きつけているのを、絶望的な気分で見た。
"悪役令嬢モノ"というジャンルのフィクションがある。高貴な身分の美女が、ボンクラ王子などから婚約を破棄を言い渡されて苦境に立たされる運命に抗う話だ。
何をとちくるったか、この世界では、王女が己の優秀な婚約者にパワハラをかましている。
私は下がりそうになる口角に力を込めた。
それなりに可愛い見た目のバカ王女は、論理もへったくれもない一方的な言い分を、落ち度のない婚約者に遠慮なく叩きつけている。
あーあ、やっちゃった。
その婚約者の公爵子息、むちゃくちゃ有能で、実は勇者の正統後継者なんですが……マジですか?一存でお払い箱にしていい相手じゃないですよ。
王女の隣では、調子の良さそうな男がニヤついている。コイツが諸悪の根源だ。
召喚された勇者。
おそらくは私と同じ世界から召喚された転移者だが、ものの考え方が私と根本的に相容れない奴で、正直、同世界の同族だとは認めがたい。
いいかげんな手練手管で女を口説きまくり、王女やその取り巻きをまとめてごっそり毒牙にかけてハーレムを形成した無節操男。
ジュジュ曰く、転移時の手違いで女特効の神の加護モドキの力が与えられているらしい。
R18チーレム勇者 イン 男女逆転悪役令嬢(令息)世界って、濃い!濃すぎる!!いや……むしろ浅いのか?
浅くて濃いって、テーブルにこぼしたお好み焼きソースじゃないんだから、勘弁してほしい。
色とりどりのフワフワのドレスを着た女の子達の間でニヤついているお好みソース風味の粉モン勇者もといバッタもん勇者は、王女の尻馬に乗って、聞くに堪えない下品な言葉で、かわいそうな本物の貴公子を嘲っている。
あーヤダヤダ。下劣の国から下劣を広めに来たのか、お前は。同郷人として恥ずかしいぞ。
脳内の三段論法で己も下劣国民に分類されかけたので、私は下劣ではないことを証明するために一歩前に出た。義を見てせざるは勇無きなり。
ここで出しゃばるのは蛮勇な気もするが、事前の防止策が取れなかったのだから仕方あるまい。
「お待ち下さい」
王女が元婚約者の首をちょん切れという酷い命令を口にしかけたところで強引に割って入った。王族の言葉を遮るなんて、とんだマナー違反だが、王族の言葉として命令が完結してしまうと、それを覆すのはものすごく大変だから、この際、腹をくくる。不敬上等。どのみち敬う心などないし、敬ってやるいわれもない。
「この方の処遇、この"聖女"の名において神殿が預かります」
「聖女…殿……?」
無理やり跪かされていた公爵子息は目を見開いてこちらを見上げた。普段は涼やかな切れ長の目がちょっと丸くなっているのがかわいい。
よしよし。助けてやるから、安心せい。権力なら、うなるほどあるぞ。
「急に横槍を入れるなんて横暴ですわ!」とかなんとかピーチクパーチク騒ぐバカ王女と、公爵子息の間にすっくと立って、張りがいのある胸を張る。(この世界での姿はジュジュに散々クレームを入れて調整済みだ)
全身から神聖パワハラオーラを発散しつつ、横暴?だからどうした、こちとらお前より偉いんじゃ!と態度で示してやる。ハッハッハ、うなれ権力!薄いベール越しに睥睨してやると、王女一味は気圧されて半歩後退り、衛士は公爵子息を押さえつけていた手を離した。
私は呆然とこちらを見つめている貴公子に手を差し伸べた。
「この手を取れば、貴方はこの王国での世俗の身分と権力を失います。いかがなさいますか?」
公爵子息は軽く息を呑んだ。しかしすぐに決意に満ちた目で私の手を取り、立ち上がった。
「どのみち失われるものを惜しむ気はありません」
「ご家族との縁も失いますよ」
彼はホールの少し離れたところにいる自分の父を一瞥した。
「静観を選んだ父に異存はないでしょう。母は父の決定には逆らいません」
「よろしいのですね」
「はい」
「ならば、現時点をもって、貴方様の身柄、生命、魂の全ては、我が名のもとに神殿の庇護下に入ることをここに宣誓します」
私は胸に護符のように下げていた大きな金色のペンダントヘッドを握った。翼のある十字に似た形のペンダントヘッドにはまった大粒の宝石が煌めき、それは私の手の中で錫杖に変わる。グッズの意匠がガチでゴシックすぎるのは、スポンサーが神なので仕方がないが、段取り自体は魔法少女的だと言えなくもない。
私は連環と鈴の付いた金の錫杖を床に打ち付けて鳴らしてから、朗々と定型の聖句を唱えた。
あっけにとられていた王女一味が騒ぎ出したときには、不遇の貴公子は完全にうちの所属だと国際的に言い張れるだけの手続きが完了していた。
通常はこんな上級貴族の子息が家を出て神殿に入ろうとしたら、面倒な手続きが山盛りなんだけれども、特権階級が与えられた権力を振りかざすと、かくのごとくあっという間に手続きが完了する。
『それでいいの?』
肩に乗ったジュジュが耳元で囁く。
フフン。そのために私を呼んで、聖女なんて身分に据えたのはお前のくせに今更それを聞くのか。
良いも悪いもないだろう。私が今、救わねばこのなんの咎もない優秀な男が命を奪われ、真の勇者を失った世界はこの後現れる魔に対抗する力を失うのだろう?
『今のは生涯でただ一度の手段だよ?』
出し惜しんだ切り札なんて、切れ味が悪くなるだろうが!ここだと思ったら全てを賭けるぐらいしないと、人の生死の運命なんて変えられないんだから。
ベールの下で私の笑みが深くなったのをちらりと見て、白い毛皮に覆われた自称神の使いは、ない肩をすくめて、黙って襟巻き役に戻った。
話がまとまった以上、このような場所に長居は無用と、私はかの君の手を引いて、立ち去ろうとしたのだが、そこにニセ勇者が絡んできた。
「いやいや、ちょっと待ってよ、聖女ちゃん?せっかくの機会だからさ、もうちょっと、お話していかない?」
「黙れ、下郎。そこを除け」
「なっ、奇跡の勇者にその態度はなんだ!」
「奇跡と異端審問が両方審議待ちの保留案件風情が何をほざくか。目障りだ。疾く立ち去れ」
田舎神官に、異端すれすれ(ほぼアウト)な方法で召喚された異世界産特殊能力持ち人間モドキなんぞ、デーモン認定されて然るべきだぞ。
多少大きめとはいえ地方の一王国の王女に取り入った程度の木端詐欺師が何をほざこうが、知ったことか。この世界の半分を統べる帝国の皇帝の権威を裏づける役を果たしているうちの神殿の権力は絶大だ。ついでに言うと、神の使いとコミュニケーションが取れる聖女は、その神殿の中でもトップクラスの権力者だ。
この国には、単に高位の女神官の一人としてやってきたが、名乗ってしまった以上、自重は不要。
聖女を名乗った上で舐められたとあっては、神の沽券にかかわる。
私は、派手な金属音の鳴る錫杖を床に打ち付けるようにして、盛大に鳴らした。おうおう、人垣がきれいに割れた。モーゼ、モーゼ。
異界の異教徒の名を頭の中で思い浮かべながら神の威を借る罰当たりな臨時雇い聖女の私は、こうして世界を救う予定の男を王宮から連れ出すことに成功した。
§§§
「……よろしかったのですか?」
「良いも悪いも。私は貴方をあの場から助け出すために遣わされたようなものだから」
王宮を離れる馬車の中で、可哀想な元公爵子息は気遣わし気に眉を少し寄せた。顔がいいから、そういう表情も憂いの陰が様になる。
「心配するな。拾った以上、面倒は見る。ちゃんと貴方が神殿でそれなりの地位と権限を持てるようには手配しよう」
「ありがとうございます。だが、なぜ私にそこまでしてくださるのですか」
「非道と不条理を見かねた……というと嘘くさいな。なんのことはない下心だよ」
ラフな口調でぶっちゃけた私の言葉に、向かいに座る彼が少し身を硬くしたのがわかった。私は膝の上で丸くなっている白い毛玉をゆるゆる撫でながら、自嘲気味に笑った。
「どこまで自覚があるかは知らないけれど、貴方は勇者の正統後継者だ。神殿としては、来たる災いに備えるために、貴方を失いたくはなかった」
落とした視線の先で、彼が膝の上で拳を握ったのがわかった。
「貴女の意思ではなかったのですね」
「役目上、個人の意志はあまり考慮されない」
「そうですか」
「落胆はしてもいいが憐憫はよせ。これまでの貴方の生き方と大して変わらない」
内省的な眼差しを伏せた相手を見て、意地の悪いことを言ってしまったと少し後悔した。私は努めて明るい声でフォローした。
「落胆しても良いとは言ったが、悲観はしなくていいぞ。勇者なんて面倒ばかりで嫌な役目だろうが、それに見合うだけの特権は可能な限りもぎ取ってやる。聖女の夫っていうのは、それだけで結構いい身分だしな」
「……は?」
何か物言いたげだった彼の口がポカンと開いた。こういう間の抜けた顔もなかなかいい。ツラがいいというのはつくづく得だ。
「夫?」
「私の名で迎えると誓ったではないか」
わかっていなかったのか。ひどいな。同意を得られたと思ったから成立させてしまった。これでは重篤な詐欺だ。まいった。
私はちょっとしょげてしまったが、罵倒の言葉が飛んでこなかったので、かわいそうな男の顔をちらりと見上げた。
わぁ、眉根にシワが寄っている。
「そう嫌がらなくても」
「嫌がっているわけではないですが、そんな事を急に言われても、どう振る舞えばよいのか……」
「お互いよく知り合って相思相愛でする結婚なんかに幻想を持っていたのか?すまない。あんなのの婚約者だった以上、そういう夢はないと思っていた。それともアレはアレで気に入っていたとか?悪かったな、ろくに別れも言わせずに連れ出してしまって」
「いや、あんな女のことはどうでもいいんだが……んん、もとい。そういう問題ではなくて」
しどろもどろになっていた彼は、一つ咳払いをして、なんとか貴族的な体裁を整えなおした。しかし、動揺が激しかったのか、完全には取り繕えず、どこか先程までよりも素が覗いている雰囲気になった。
「その……一つ教えてもらいたいのだが……神殿における"聖女の配偶者"という概念は、一般的な夫婦のそれとは異なる、名目上の名誉職的なモノなのだろうか?」
「それで構わない。貴方が望まないなら同居も不要だし、無論、同衾もしなくていい」
好きでもない女となんてゴメンだろう。その程度の融通は利かせられるぞと言ってカラカラ笑ったら、彼の眉間のシワが深くなった。
「それは、貴女にとっても、これは不本意な望まぬ結婚であると?」
「本意か不本意かという話なら、そもそもこんなところにいて、こんな話をしていること自体が不本意だ」
私は元凶の首根っこをギュッとつねった。ジュジュは「キュウ」と小さく鳴いただけで大人しくされるがままになっていた。仕方がないので私はボサボサになった首元の毛を撫でて整えてやった。
「だがまぁ、引き受けた役目だ。必要なことはやるしかない。そうだろう?」
「私は……」
「そう嫌そうに顔を背けるな。大丈夫。貴方が勇者として無事にやっていけるだけの基盤を整えたら、私はこの世から消えてやるから。そうしたら、好みの女を見つけて仲良く暮らせ」
眉根を寄せて目を伏せていた貴公子は、弾かれたように顔を上げ、私を凝視した。
「え?そんなに嬉しい?」
「馬鹿げたことを言うな!」
彼が激昂した拍子に、馬車が大きく揺れた。彼が咄嗟についた手が私の顔のすぐ脇で、私は「なんだか壁ドンみたいだな」などと思った。
「貴女には……人の気持ちを理解しようという心がないのか」
ジュジュが私の膝の上で『やーい、言われてやんの』と言わんばかりの顔をしたので、私は奴を膝から払い除けた。邪魔者を退けたところで、あらためて、やや高い位置からのしかかるようにこちらにかがみ込んでいる相手に、真正面から向かい合う。
「私達は今日出会ったばかりだ。黙ったまま互いの気持ちを汲むには、互いのことを知らなさすぎる。不満があるなら明確に言葉にして欲しい。私は貴方の気持ちは尊重する。私にできることなら何でもしてやろう。私の役目は貴方を助けることだ」
この世界を救うはずの勇者は、なんともつらそうに顔をゆがめた。
「私は貴女に助けてもらいたいとは思わない」
これは困った。
私は途方に暮れた。
好意は期待していなかったが、こんな拒絶は想定外だった。
「……すまなかった」
私は狭い馬車の中でできる限り身を縮めて、彼から身体を遠ざけた。ベールはこういうとき便利だ。今の自分の顔は彼に見せたくない。
「この馬車を降りたら、以後、貴方には近づかないようにするし、余計な干渉もしないようにするから、許してほしい」
「どうしてそうなる!!」
彼は私の肩を掴んだ。痛い。
だが、彼のほうが痛そうな顔をしている。
「そうじゃない!」
「そんな風に怒らないでほしい。貴方にとって私の存在そのものが不快だと言うなら申し訳ないが、私は貴方を不快にさせたくはない」
彼は深々とため息をついて、私の向かいに座ってうなだれた。
……わからない。
わからないが、きっと疲れて気が立っているのだろう。今夜はこの人にとって衝撃的なことが多すぎた。
「じきに港に付く。船に乗ったら、今夜はゆっくり休むといい」
馬車が止まるまで、彼は一言も話さなかった。
§§§
3本マストの快速艇の甲板で、海の上の月を観ていると、背後から足音が聞こえた。
「こちらにいらっしゃったのですか」
「夜風が気持ちいいから」
ふりかえる前にベールを下ろそうとした手を止められた。
「そのままで」
「もったいぶって隠している割には月並な顔でがっかりさせたか」
「綺麗ですよ」
「月明かりのせいだよ」
「ええ、今夜は月が綺麗ですね」
白いほのかな光の下で、彼の眼差しは柔らかくて、真摯だった。
その眼差しを見つめていると、つい彼の言葉に、彼が絶対に意図していないであろう意味を見つけたくなってしまう。
やめておけ。月が綺麗だからどうした。私にとっては異世界の月だ。
それでも、月の光は陽の光ほど何もかもを明らかにしないから、人を少しだけ素直にするのかもしれない。
避けて過ごそうと思っていたのに、私はその場を立ち去ることが、どうにもできなかった。仕方がないので、私は彼に己の不調法を詫びた。
「私、貴方にお詫びを申し上げないと。あのような言い方をするべきではなかった」
初手から「助ける」だなんて上から目線で偉そうに言われるのは、高位貴族だったこの人には不快だっただろう。そもそも信頼関係を築けていない相手から、無制限の援助を申出されたら普通は警戒する。
王国に乗り込む前に、彼の履歴や業績、人となりは事前に調査した。この人は与えられた役割に忠実で、理不尽な扱いを受けると己をころして黙って耐えてしまう人だ。我慢強い人に「辛くなったら言ってね」と言っても頼ってはもらえない。助けが必要なのに、助けを求められない彼の、その不憫な性分が気になって、頑張って八方根回しして助けに行ったのに、肝心の本人への対応がグダグダだった。情けない。
「貴方をあの場から連れ出すためと言って、騙すような真似をして申し訳ありませんでした。決定は覆せませんが、私は貴方の望む方法で、私達の間の距離と隔意を埋めたいと思っています」
「ありがとうございます。驚きはしましたが、私は今宵のことを、感謝こそすれ不快には思っておりません」
言葉だけなら単純な謝罪と社交的な気遣い。でも、薄布一枚剥がされただけで、声や息遣いに潜む、言葉にはされていない想いが伝わってしまう。
互いの視線が逃れ難く絡み合って、他のものが闇に沈む。
「互いの距離を縮める方法は私が選んでよいのですか?」
「……はい」
一瞬、詰まった私に、彼の口元に微かな笑みのようなものが浮かぶ。
笑わないでくれ。
貴方には幸せになって微笑んで欲しいけれど、まだ実際に間近で貴方の笑みを見る覚悟はできていないと、今気がついたから。
「では、最初に一つ教えてください」
「なんでしょうか」
彼は一歩近寄ると、海風にあおられないように私が手で押さえていたベールを、丁寧に頭飾りから外した。ふと、羽衣を取られた天女のイメージが浮かんだ。バカバカしい。ただの女神官の一般的な装束だ。彼にそれを取られても、私が元の世界に帰ることに変わりはない。
彼は私に問うた。
「聖女の務めを考えに入れなかったら、貴女は私と向き合う気がありますか」
感情を抑えた落ち着いた声音。貴族としてよく訓練された声なのに、それがわずかに震えて聞こえたのは、きっと波と夜風のせい。静かな眼差しが揺らいで見えるのは、船の揺れと薄雲がかかった月光のせい。
「私が勇者などではなく、世界を救う役になど立たなくて、貴女が聖女として勇者を助けろと命じられていなかったら……」
「そうしたら、私は貴方にはお会いしていなかったでしょう」
月が陰って彼の目の輝きも曇る。
「でも……」と私は続ける。
「こうしてお会いした今、貴方が勇者の使命なんぞくそくらえ!と仰っしゃるのなら……」
私はニヤリと笑って見せた。
「私は聖女なんていうふざけた役割を蹴り飛ばして、貴方がやりたくもない犠牲を払わなくて済むように尽力してやるから、そこは気にすんな。勇者なんて称号は、王宮にいたあのバカに押し付けて、世界の問題は世界の皆で総力戦で解決すりゃいい」
『ちょっと、ちょっと!』
影で様子を見ていたと思しき、神の手先が慌てて飛び出してきた。
『それは困るよ』
慣れた様子でピョンと私の手に飛びついて、そのままスルスルと肩まで登った白い小動物は、『契約違反はやめて』と文句を言った。
「偉そうに。契約って言ったって、どさくさ紛れに強引に結んだやつじゃないか」
私がこの人と交わした結婚の約束と同じだ。
私がジュジュと話しているのを見て、困惑している彼に、コレのことは気にしなくていいと教えた。
「私がこの自称神の使いに頼まれたのは、この世界を救うことだから」
目的さえ果たせれば手段はどうでもいいだろう。
「勇者なしだって世界が救えりゃいいんだし、名目が必要ならニセ勇者だっている」
『えええ?アイツじゃ、無理だよ。徹底的につきっきりで支援しなきゃ絶対につとまらないよ!』
ジュジュは悲鳴を上げ、勇者の正統後継者殿は苦り切った顔をした。
「私が勇者をやらなかったら、貴女があのニセ勇者のクソッタレ野郎を支援する羽目になるというのなら、私は勇者になる」
「無理をしないで」
「貴女に救われた命だ。貴方に差し出して然るべきだろう」
「せっかく助けた命を浪費するな」
「貴女は己を低く扱いすぎだ!気づいていないようだから言わせてもらうが、与えられた役割に忠実過ぎて、理不尽な扱いを受けていることに気づかずに、黙って耐えて従ってしまうのは、美徳ではなくて悪癖なんだ!!」
ものすごく実感のこもった叫びだった。
「さしあたってその白い悪魔が貴女に取り憑いて、悪しきことを唆しているというのなら、私が勇者としての仕事の手始めに切り捨ててやるがどうする?」
『やーめーてー。仕事始めに神使を切り捨てる勇者って何!?』
「割とナイスなアイディアだけど、コレを切り捨てられると、私が元の世界に帰れなくなるからダメ」
「元の世界とは?」
私は彼に、自分の魂は異世界から連れてこられたのだと、事情を説明した。
「よし、切り捨てよう」
『どうして!?』
「お前がいなくなれば、この人はずっとここにいる」
『誰?こんな奴を勇者の正統後継者にした奴?神様のぶわかー!』
私は勇者と神使の酷い掛け合いを半笑いで見ていたが、本当に切られると洒落にならないので、ほどほどのところで止めに入った。
『ひどいよう……ボクを切っても切らなくても、どうせキミは元の世界には戻れないんだから、そこんとこちゃんと君からも説明して、このアホウを説得してよ』
ちょっと待て
「今、なんて?」
『このアホウ』
私は肩の上の少動物の頭をひっぱたいた。
「私がどうせ元の世界には帰れないってどういうこと!?」
『だって、向こうのキミの身体、刺されて死んだじゃん』
初耳だった。
あの日、電車に乗り合わせていた男が急に錯乱して、刃物を振り回し始めた。こちらの世界の異端の神官が施した勇者召喚の術式の影響だったというから呆れる。車内に人は少なかったが、年寄や子供連れの女性などが狙われて……私は咄嗟に刃物男に立ち向かって……刺されて死んだらしい。なんというか、我ながらもうちょっと、こう、賢い対処方法はなかったのだろうか、と呆れる。
……思いつかなかったんだろうな。
王宮で断罪劇のど真ん中に突進した自分を思い出して赤面する。
『ボクはキミのその無私の蛮勇を見込んで、キミの魂が向こうで散ってしまう前に、こちらの世界に連れてきて身体を与えたんだ』
「蛮勇ぬかすな」
『あ、いっそキミが勇者やる?きっとできるよ。むしろ適任』
「やめて」
しゃがみこんで頭を抱えた私の肩に乗っかっていたジュジュが、摘み上げられてぽいっと捨てられた。
肩が軽くなったので、顔を上げると、彼が真面目な顔でこちらを覗き込んでいた。
「どうしよう?どうしたらいいのかな?」
「一緒に考えよう。私もちょうど今日、全てを失ったところだ」
彼の言葉に救いになる要素は一欠片もなかったけれど、私はその誠実な眼差しの温もりに救われた気がした。
「そろそろ私達の船室に戻ろう」と言われて、私は頷き、差し出された手をとった。
彼の言う"私達の船室"というのが、夫婦の寝室というという意味だというのと、今日が結婚当日の夜だというのに気付いたときには、やっぱり色々と手遅れで、自分はつくづく流され体質だなと思ったが、結論から言うと悪くはなかったので、良しとする。
いいじゃないか。
心底、好きになっちゃったと自覚した時点で、自分はいつかは元の世界に帰らなきゃいけないなんていうジレンマに落ちる手間が省けたのだ。
結局、勇者役は二人で仲良く助け合って負荷分担しながら務めることになった。二人の初めての共同作業で入刀される魔族はたまったものではないだろうが、そんなことは気にしない。
面倒事はさっさと片付けて、私は我が夫と末永く幸せに暮らすのだ。
そうして私達は、与えられた仕事をきっちり果たすことと同様に、相応の対価をがっつり要求することも大切であることを学び、存分に実践して、二人で素晴らしい人生を送った。
めでたしめでたし。
普通に恋ができないキャラしか書けない作者の相変わらずのトンチキ話にお付き合いいただきありがとうございました。
感想、評価☆、いいねなどいただけますと大変励みになります。
よろしくお願いします。
ちなみに主人公が女言葉じゃないのは、別に男だからってわけではなくて、単に"女言葉"な女の子って身近で見ねぇよなって作者が思ったからです。
え?そもそも女の子と話す機会が少ないだろうって?言ってくれるな。「ですわ」が関西弁イントネーションで脳内再生される仕様なのはしゃあないやん!