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花に月  作者: 凛音
2/2

2.深夜の茶会

開いてくださり、ありがとうございます。

ぜひ、最後まで読んでくださると嬉しいです。

真っ白の湯気が天高く上る。その姿はまるで神話に現れる天竜のようだ。

今日の花茶は薔薇だ。華やかな薔薇は豊かな恋を連想させる。東屋で一口飲み込んで、ふぅっと一息つく。毒々しくて甘くてとろみのあるこのお茶が私は好きだ。

「それで、私にどういったようでしょうか」

酷く真面目な顔をして聞いてくる梓瑛に私は小首を傾げる。用…用か。用など無い。しいて言えば、あの美しい踊りを見て無性に話してみたくなったのだ。少し考えて、私は素直に話すことにした。

「用などありません」

「用も無いのに私を引き留めたのですか」

少し、ムッとしたように眉間にしわを寄せる。まるで、父のようだ。男の人とは皆、そうなのだろうか。まだ見ぬ、太子様もそうなら嫌だなと未来に思いをはせる。夫が常に眉間にしわを寄せる相手など心が枯れた花のようにしぼんでしまう。しわを常に寄せている父を「今日もお疲れなのね」と牡丹の花のように笑って飛ばしてしまう母には、きっとなれない。ということは、私は結婚に向いていないのか。向いていないものに、ならなくてはいけないのは中々どうしてしんどいものである。しかしながら後宮には妃がたくさんいるというし、四六時中一緒というわけではないので、結婚相手が太子様で良かったかもしれない。本当は愛し愛される関係になりたいと願ってはいるけれど。玥には太子様と恋愛できるかもしれないと言ったけれど。心の奥では分かっている。太子と恋愛など出来ないと。後宮とはそういった場所だ。華やかな恋愛模様を見せるのは外だけで実質中身は泥濘に沈んでいる。まるで蓮の花のようだなと思う。

「瑜樹姫?」

思考の海に沈んで、返答を全く返してなかった。梓瑛が若干心配そうに私を見る。そんな顔も出来るのかと少し驚いた。

「失礼いたしました。少しぼうっとしておりまして」

「そうですか」

「それにしても、用もない無いのに引き留めたのかと梓瑛は私を非難いたしましたが、用がないくらい分かってついてきたのでしょう?」

私は皮肉気(ニヒル)に笑う。

「どうして、そう思うのですか?」

梓瑛は不服そうに眉間に皺を寄せる。こいつは眉間に皺をどれだけ寄せれるのだろうか。ここまでくると最大級(マックス)まで見てみたい気もしなくもない。

「だって梓瑛は私が茶会を誘った時に断ったじゃありませんか。もし私が用件があって茶会に誘ったのだとしたら貴方は決して断らなかったでしょう?大将軍様の息子であっても今は私付きの護衛。いわば、主は私になります。主が用件があるのにあなたは断ることはしない。それは、出会った日から分かっています。だって、貴方は私が梓瑛様と呼んだ時に様は不要と仰ったから。もしも、大将軍様の息子であることをひけらかすような方だったら私から様付けで呼ばれても当たり前というような顔を見せるでしょう」

梓瑛は少しだけ驚いたように目を見開かせて、また元の無表情に戻る。

「そうですか」

「ええ」

また、一口お茶を飲む。後に続けて梓瑛もお茶を飲んだ。

「瑜樹姫は、太子様に嫁ぐことをどう思っているのですか」

唐突な質問に驚く。まさか梓瑛から質問が来るなんて思っても居なかったから。この人は私になんか興味も無いと思っていたのに。

「驚きました。まさか、梓瑛から質問されるなんて思ってもいなかったです」

「別に…。ただ用も無いのに引き留められてお茶を啜るだけで無言なのは気まずいと思っただけです。戯言ですので流していただいて結構です」

ばつが悪そうに視線を逸らす梓瑛が何となく幼く見えて可愛らしく思える。今まで無機質の人形のようだったのに急に人間らしいことをするから。

「そうですか。どう思っているかと言えば、どうとも思っていないというのが答えになります。玥とかの前では太子様と恋愛がしたいと言っているけど、本気でそう思っているわけでは無いですし」

意外そうな顔を梓瑛がする。

「意外そうですね」

「えぇ。夢見がちなお姫様かと思っておりましたが、意外と現実主義者(リアリスト)なんですね」

失礼な物言いを言われているのに、あまりにも真っ直ぐ伝えてくるから、悪意すら感じない。いっそ清清しさを覚えて小気味いいくらいだ。陰に隠れて善意のような嫌味より、ずっと良い。

「私だって、何も知らないお姫様ではないから。そんなお姫様になれたら良かったで背負うけど」

「愚鈍な姫より聡明な姫の方が良いのでは?」

「時に愚鈍さは薬になって自分の身を護れたりするものです。聡明さが毒になって自分を苦しめることもまた然り。見たくないものまで見てしまうから」

そう、いっそ愚鈍に後宮での妃としての生活に夢を見れればよかった。そうすれば、今こうして一人苦しむことも無かったのに。

「そうですね。瑜樹姫の言う通りかもしれません。では、なぜ夢見がちなお姫様を演じているのですか?侍女たちにでも愚痴を溢せば少しは楽になるでしょうに」

聡明な方だと思っていてが、あまりに世間知らずな発言に呆れて言葉に詰まる。

「梓瑛は…馬鹿なのですか」

「な…」

今度は梓瑛が私の失礼な発言―失礼では無くて事実を述べただけだと私は思っているけれど―に言葉をなくす番だった。

「よろしいですか。太子様はこの国で二番目に貴い方です。そんな方に嫁ぐということは喜ばしいことなのです。たとえ、本心がどうであろうとも喜ばしいと嬉しがらなくてはいけないのです。もし、侍女に愚痴をこぼして、それが広まったらどうします?鄭家の姫は太子様に嫁ぐのを渋っているなんて伝われば家の一大事です。最悪、お家取り潰しになりかねません」

「では、なぜ私には愚痴を漏らしたのですか」

質問されて答えに窮する。梓瑛の言う通りだ。せっかくここまで守り抜いてきたのに、どうして話してしまったのだろう。もし、梓瑛が言いふらしたら私も鄭家も一巻の終わりだ。なのになぜ。

「分かりません」

「そうですか」

でも、不思議と梓瑛が言いふらすとは思えなかった。なんでかなんて理由は分からない。だって、それを立証するには梓瑛のことを私は知らなすぎるから。でも、摺り硝子のように曖昧な安心感が梓瑛には在った。

「それに、侍女たちに言っていることが全て演じているというわけではありませんし」

「と、いいますと?」

「自分に言い聞かせているのです。太子様と愛し愛される関係になれると。無理なのはわかっていても人間、わずかな可能性にかけたいときはあります」

「無理と言い切る必要は無いのでは?」

「無理です。私が後宮に入るのは、太子様が主上になられた後です。主上は後宮に沢山の妃を持つのが常。私は貴妃として入ることになってますが、貴妃だから主上のお通りが多いということはありません。初回のお目通りで気に入ってもらえなければ、それ以降はお飾りの貴妃として周りに憐れまれながら屍のように生きていくことになるのですから」

「気に入られる可能性だってあるでしょう」

梓瑛の瑠璃のような純粋な目が痛い。思わず目を逸らしてお茶を見つめる。そこには、自信のない自分の顔が映っていた。

「無いのです」

何が?と言いたげな顔で梓瑛が見つめてくる。

「何も…ないんです。太子様を惹きつけるような身体も美貌も。太子様を喜ばせる話術も踊りも琴の音の技術も。全部、全部ないんです。自分でも驚くくらい平均的だから。特出した何かを持っていないのです」

「それは、少しご自分を卑下しすぎなのでは?」

梓瑛の言葉に驚いて顔をあげる。相変わらず、水鏡のように揺らがない顔がそこに在った。そんな顔で言われると、ほんとにそうかもしれないなんて思ってしまう。

「そう…でしょうか」

「えぇ。私は瑜樹姫の踊りも琴の音も歌も聞いたことや見たことがないので何とも言えませんが…。少なくとも、深淵の闇のような艶やかな黒髪に(アメ)水晶(ジスト)の瞳は他の人が持ち合わせない宝だと思います。それにお顔立ちも悪くない…というより美しい方では?」

突然の賛美に少しだけ顔に朱が走る。梓瑛がお世辞を言えるような器用な人間じゃないと分かっているから余計に。

「そうでしょうか」

「私は、そう思いますよ。ところで、歌と踊りと琴ならどれが一番お好きなのですか?」

唐突な質問に小首を傾げる。

そんなことを聞いてどうするつもりなのだろう?

「えっと、踊りでしょうか。上手いかどうかは分かりませんが、その中では一番好きです」

「なるほど」

一人で納得する梓瑛に戸惑う。

―何を急に一人で納得しているのだろうか、この御仁は。やっぱり、変な人だわ―

「では、ここで少し踊ってもらっても良いでしょうか」

―馬鹿だ。この人は馬鹿なのだ。きっと。この流れで急に納得したかと思ったら突然踊って見せろなど馬鹿としか言いようがない。それか、無礼な人間かの二択だ。さっき賛美してくれた時に思った喜びの心を返して欲しい。切実に―

「なぜ私が急にここで踊らなくてはいけないのですか」

「でないと、判断できませんから」

「何を」

「瑜樹姫の踊りの上手さを」

―何を言っているのかしら、この人は―

「なんで、梓瑛が判断する必要があるのです」

「瑜樹姫はご自分を卑下していらっしゃる。私は、それが何となく嫌なのです。けれども、見ていないのであれば判断し、否定することも出来ない。だから、踊ってください。ここで」

「ここで…踊る」

「はい」

「別に、私は梓瑛に上手いと思ってもらわなくても良いのですが」

「私が、嫌なのです」

「なぜ」

「なぜと聞かれると私にも分からないので困ります」

顎に手を当てて、小首を傾げる。

大将軍様の息子は大層高慢で自分勝手な人だなと思う。だけれども、私自身を私より大切にしてくれようとする優しい方だとも思った。

私は一つため息を吐いて頷く。完敗だ。根負けである。

「分かりました。ここで、踊らせていただきます。梓瑛は玫瑰花という物語はご存知ですか?」

「はい。読書は好きですから」

「それは意外。大将軍様の息子様はそういった夢物語はお嫌いかと思いました」

少し皮肉気な微笑と共に言葉を返す。突然踊らされる意趣返しにこれくらいの言葉遊びは許されるだろう。

「私は、恋愛ものは好きですよ。物語の美しい恋愛は見ていて可愛らしいなと思いますから」

―この人は嫌味も通じないのか―

平然と淡々と聞かれたことに対して答える梓瑛に私は、がくりと肩を落とす。

「そうですか。まぁ、それなら話は早いです。玫瑰花に出てくる琪瑶が恋に落ちた諸公に初めて出会った時に踊った芙蓉という舞を躍らせていただきます」

「はい」

一つ呼吸をする。一歩足を滑らす。段々と意識を隔離して琪瑶を落とし込む。毒々しいまでの美しさを持つ琪瑶はきっとここで微笑んで多くの男を落としていく。腕を広げてここはしおらしく儚げに。男たちの庇護欲をそそるように。片足をあげて力強く妖艶に裾をわざとはだけさせる。くるりと廻り神聖ささえも醸し出す。私は、琪瑶。妓楼の華。一夜の泡沫なる夢を見せる蝶。最後に伸ばしていた腕を胸元に当てて踊りは終わる。意識が段々と戻って来て琪瑶が去り、瑜樹だけが残った。

「これで満足でしょうか」

「素晴らしい」

「え…」

梓瑛が近づいてきたと思ったら私の手を取りギュッと握る。

「美しくも妖艶で儚く神聖。まさに、琪瑶が目の前に居ました。私の目の前に。微笑する瞬間(タイミング)、儚げに目を伏せたかと思えば、力強く妖艶に私の目を射抜く。何が言いたいかというと表情管理が完璧でした。このような踊りをするのにどうしてあんなに卑下しているのかが分からない」

あまりの梓瑛の勢いに気圧されながら、何とか言葉を紡ぐ。

「そ、そんなことを言われたのは初めてです」

「誰かの前で踊ったことは無いのですか?」

「父母や侍女の前で踊ったことはありますが、皆、良かったというくらいでしたよ。梓瑛のように熱弁されたのは初めてです」

「勿体ない」

心底勿体なさそうに言い切る。

「それは、その。ありがとうございます」

そこまで、褒めてもらえると中々嬉しいものである。

「良いですか。瑜樹姫は少々自分を卑下し過ぎなきらいがあります。もっと自分に自信をもって。大丈夫です。私が言うのですから」

なんで、そんなに自信満々なんだ。梓瑛がそうでも太子様がそうとは限らないだろう。人の感じ方はそれぞれなのだから。そう思うものの、それ以上に歓喜が胸中を駆け巡る。

この世に生を受けてから、蝶よ花よと育てられてきた。でも、誰かからこのように褒められたのは初めてだった。出来なければ何故できないのかと責められ、出来たとしても鄭家の娘なのだから出来て当たり前といわれる。誰も、褒めてくれたことなど無い。あぁ、褒められるということは、誰かから認められるということはこんなにも嬉しいことなのか。くすぐったいような温かいような不思議な気持ち。改めてまじまじと梓瑛を見る。今までは、どことなくいけ好かない男だと思っていたけれど。今、私の手を握っている男は中々に美しい顔立ちをしていると思いなおす。―好きになった相手は誰よりもかっこよく見えるのね。天仙よりも恋した貴方の方が美しくかっこいい―琪瑶の台詞を思い出す。そうか、私はこの男のことが、梓瑛のことが好きなのか。踊りを褒められた、ただそれだけのことで恋に落ちるなんて我ながら単純すぎると思わないでもないけれど。

「あ、すみません。手を思わず握ってしまいました。どうか、お許しを」

梓瑛が離れていく。手を包んでいた温かなぬくもりが無くなり急に寒くなる。寂しい。梓瑛が離れただけで、こんなにも寂しい。恋とは人をおかしくする。

「いえ、お気になさらず」

けれども、そんなことは言えない。相手は大将軍様の息子。身分に差は無い。けれども、私は太子様が主上になられた暁には嫁ぐ身。貞節は護らなくてはならない。でないと、たくさんの人に迷惑をかける。父母、親族、侍女、家臣。もちろん、梓瑛にも。恋と理解した瞬間に封をして心の奥深くに封印しなくてはいけないとは。何とも残酷だ。苦しくて寂しい。恋とは楽しいばかりでは無いのだと知る。

「瑜樹姫、どうされましたか?」

「いえ、何でもありません。もう寝ましょう。茶器の片づけは明日の朝、侍女に頼みますからそのままで大丈夫です。では、おやすみなさいませ。梓瑛。」

梓瑛は突然黙りこくったかと思えば、辞去の挨拶をする私に胡乱な顔を見せた。けれども、本当のことなど言えないので部屋へ逃げるようにして帰る。月が煌々と夜闇照らす中、私は人生で初めての恋をした。


最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

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