EP6 事前準備
「あの……着替えました」
「うん、サイズが合っていてよかったわ。明日から私が学校に行くときにも同行してもらうから、作法とかを少し勉強しましょう。まあ、私も従う側の作法なんて知らないけど」
「はいぃ……」
私はメイド服に着替えて、リナ様のところまで戻ってきた。露出は少なくて助かったが、無意識に感じる羞恥心が止まらない。
「……私には分からないけど……背筋を伸ばして歩ければ良さそうじゃない?」
「適当な……それくらいなら、まあ」
作法を覚えるにあたって、一つ心配なことがある。
これまでの私ならば、脳内のどこかにそれに関する知識の断片があったはずだ。
それが、今回は、礼儀作法その他諸々、探っても探っても見当たらない。私の脳内大図書館は、こんなときに限って役に立たない。
(背筋を伸ばして……歩く……簡単だけど意外と疲れる……)
「変に力を入れないほうが良さそうだけど……反り腰になってる。クセって治らないんだね」
「えっ、じゃあどうすれば……」
「分かんないけど、私から見て一番きれいに見えるようにしてみる」
ん?と、その言葉に違和感を感じた途端、私の身体が自分の意識を離れた。
「ひぅっ!!?」
「隷属術式って、使ってみると便利ね」
私の口から変な声が出た。あの時の強烈な束縛感はこれだったのか。
「ちょっ、何この変な感じ……身体がうまく動かない……」
「これで感覚を覚えてー。使えるものは使っていかないと」
「うぅ……」
全身がくすぐったくなってきた気がする。指先の感覚が少し鈍って、脚を動かす最低限の力しか入らない。
私に掛けられた隷属術式は、文字通り人を操り人形にしてしまうものだった。
「明日の朝までそれで過ごしてみて、荒療治だけど、効果はあるかもだから」
「はい……っ……」
手に力は入らないのに、姿勢だけは整っているのが気持ち悪い。このままじゃしゃがみ込むのもままならない。
(座ることはできても、これじゃあ生活するのにも一苦労だよ)
私は近くの椅子に腰掛ける。やっぱりリナ様って優しいような厳しいような、性格が一向に定まらない気がする。
いろいろと取り繕っている気配も感じる。
「そういえば、お食事は……」
「街で買ってきたパンがあるからそれを食べましょ」
リナ様は近くから大量のパンを取り出した。すごい、これだけあれば3週間は暮らせる。(貧乏人視点)
「今日はこれだけだけど、明日からは食堂が使えるから、そこで食事になるわ」
「はい」
これだけでも非常にありがたい。両親が見たらどんな反応をするだろうか。
私は、紙に包まれた、形からしてサンドイッチと思われるものを手にとった。
「あ、たまごだ」
「たまご嫌い?」
「いえ、食べたことが無いので分かりませんが……すごく懐かしい感じがします」
「ふーん……私と一緒だ」
しばらく静かな時間が、このきれいな部屋の中に流れた。
「……少し気になったのだけれど、あなたは、どこから来たの?」
「ここからは多分かなり離れている農村です。両親に生活が厳しいからと言って売られました」
「にしては、だいぶ落ち着いているのね」
「いつかはそうなるって分かっていたので」
リナ様は、私と同じサンドイッチを頬張って、そっかぁ、と相づちをうった。
「ところで、さっき農村で暮らしていたって言ったよね?……ならもっと昔、何か自分が別の場所で生きていたような感覚はある?」
「……えっ?」
私はピタリと固まった。予想外の質問に困惑したのではない。図星だったのだ。
私の脳内に微かに残るのは、意味の分からない知識だけじゃない。
たまに、鮮明に夢として現れることがある、誰かの記憶。
学問としての知識として得ることは不可能な、プライベートな記憶の数々だ。